対怪異アンドロイド開発研究室⑤
「貝洲さんは研究室に来てくれないんすかね?」
と、一通りテキスト
「私も誘いましたが、『人見知りだから無理』とのことです」
と、例によってメンテナンスのため首だけになったアリサが答える。
「え~、会ってみたかったのになあ」
貝洲理江子は二度に渡る怪異からの生還者である。興味の尽きない人物だ。そして、彼女が勤務する「ビバ・ビバレッジ株式会社」も得体の知れない怪異である疑いが強い。
「教授、次の調査対象はやっぱビバですか? 軽くググったら公式サイトも口コミもあるし、住所も載ってますよ」
「いや、調査活動はしばらく中止だ」
白川教授は目を伏せ、ぼんやりとモニターを眺めながら答える。
「アリサに大きな脆弱性が発見された。それで危うくロストしかけたからな」
「脆弱性?」
「私の偽物に騙されてたろ」
「あー……。アレ、なんすか? アリサちゃん、ちょっとおバカすぎません?」
「私はおバカではありません」
「ああ。バッテリー残量が極端に低下していたためだ。私はこいつに『必ず帰ってこい』と命令している。アリサ、お前はそれをどう解釈していた?」
「バッテリー残量の低下に伴い帰還優先度を上げるよう設定しています」
「昭斎ビルの調査だけでバッテリーはかなり減っていたはずだ。それからタクシーに乗って怪異に巻き込まれても帰還可能だと判断していたということか?」
「帰還と怪異調査の優先度は拮抗していましたが、後者が上回った形です」
「……まあ、バッテリーが十分だったとしてもあの異界に迷い込んでは帰還可能だったかどうか怪しいものではあるな。今回はたまたまだ。ログを見るだけで冷や汗ものだった。私たちはただ心配して、帰りを待つことしかできなかった」
「はい。怪異調査に危険はつきものです」
「でもリスク計算バグってないっすか? バッテリー残量が十分だったら怪異検出AIを切るなんてなかったはずですよね。怪異調査は一日一つまで! って取り決めるとかどうです?」
「なにをもって『一つ』だ? 昭斎ビルには複数の怪異があった。あれを一つと解釈するのか?」
「あ、それだと……最初の頭打ってる人だけで帰っちゃう?」
「結局は、その場の状況に応じて臨機応変に――だ。そのための自律汎用AIだ。なんにせよ、このあたりは時間をかけて検討する必要がある。バッテリー増量も……重量が増えればそのぶん消費電力も増えるから現状で最適解のはずだが……実運用のデータで再検討してみよう。今となっては、メンテナンスも一苦労だしな」
白川研究室のメンバーは、かつて十七名に対し、今や六名。
教授の態度か、あるいは怪異の実在におそれをなしたか、多くが一斉に転属願いを出したのだ。残っているのは、よほどの物好きである。つまりは新島ゆかりや、青木大輔のような。
「ビバ・ビバレッジ、久方タクシー、昭斎ビルについてネット上にある情報をクローラーでまとめました。前者二つは当たり前に検索にヒットします。登記もされてますし株式も公開されてて、ふつうに実在する会社に見えます。一方、昭斎ビルについては一切情報がありません」
青木はモニターに向かいながらそう報告する。
「まさに幽霊会社……ってことっすか?」
「だが、ビバもタクシーもあの異界ネットではヒットしなかったよな。そういえば昭斎ビルはどうだった?」
「検索履歴は記録しています。テナントの情報などは発見できました」
「こちらにあるものが向こうにない。向こうにあるものがこちらにない。まるで表裏だな。あの異界のことは『裏世界』とでも呼ぶか」
「あれ? だとすると、表には怪異があって、裏にはないってことになりませんか」
「そうなるな。くく、そうか。ぐひひ……なら、逆なのかもしれんな」
「逆?」
「怪異の存在しない裏世界の方が正常かもしれん、ということだ」
「でも裏世界、人がいないっすよ?」
「どう解釈するかだな。『人がいない』ことは異常なのか、あるいはそれこそが正常なのか」
「え」
また教授が変なことを言ってる、と新島は思った。新島としては、「裏世界」には恐怖よりもワクワクするような好奇心を刺激されていた。
「思ったんですけど、裏世界ってなんか悪用できそうじゃないっすか? 膨大な資源が眠ってる感じしません?」
「ほう。たとえば?」
「人がいないんですから……たとえば、宝石店とか見つけて、宝石取り放題」
「せこすぎる」
「いやたしかにもっとなんかありそうですけど! あの世界を支える膨大な演算能力をゴニョゴニョして……」
「どうやって帰る」
「それは、その、久方タクシーに帰りも予約しておいて? あるいは待たせておいてもいいかも?」
「……そんな便利なものだといいけどな」
「『怪異は再現性を避ける傾向にある』、ですか」
そこに青木が口を挟む。
「そうだな。私たちは『表』と『裏』と勝手に呼んでいるが、運転手にそれをどうやって伝える? 待たせておいて、もう一度乗ったからといって帰れるとはかぎらん。ビバ・ビバレッジは会社そのものが怪異だが、久方タクシーの方はそれもわからん」
「それは……その、電話とか、いろいろ探りを入れたり試してみて……」
「少なくとも」と、青木。「ビバ・ビバレッジは表裏の指定方法を知っていた、ということになりますよね。『怪異同士のLINEグループ』というのもあながち冗談とはいえないのかもしれませんよ」
「どうだかな……」
どうにも教授に覇気がない。先ほどからヘッドセットをつけたまま頬杖をついて、ぼんやりとモニターを眺めている。怪異が怖ろしいのはわかるが、なぜそこまで怖れているのか、新島にはまだわからない。
「あの霊能者――桶狭間さんでしたっけ。あの人の言ってたことが気になってるんですか?」
「ん?」
「なんか、勇気を持つなとか手を出すなとか」
「それも気になるな。自販機に対しても妙にビビっていた」
「貝洲さんがそこに就職してたってのもなんかアレですよね」
「商品を飲んだ結果、とは考えられるが、なにか被害があるわけでもないのが逆に不気味だ。あのキャッチコピーもな」
「『すべてのお客様を商品に』――これ、公式サイトにも乗ってるんですけど。スクショして拡散したらバズりませんかね」
「やめとけ」
やはり教授は、怪異調査に対して妙に及び腰になっているように思えた。
「妹さんの話も出てましたよね。亡くなってる……って言ってましたけど、多分嘘ですよ。あの人なんか胡散臭かったですし」
「そうかもな」
「教授」
低く、強い語気で、青木が呼びかける。
「この
それを受けても、教授は心ここにあらずという顔で、背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
「……私は、私を信じていない」
やはり力のない声で、教授は呟く。
「だから、私は自らの言動をすべて映像で記録している。十二年前から、この眼鏡でな」
トントン、とかけている眼鏡の鉉を叩く。カメラを内蔵したスマートグラスだ。さらりと言っているが、途方もないほど膨大な記録であるはずだ。
「お前たちも見てみろ。これは、私がアリサから連絡を受けたときの映像だ」
映像は教授の視界を映している。重要なのは音声の方だ。
『研究室? いや、私もそうだが……どういうことだ?』
それは、アリサの映像記録で見たものと、同一のやりとりだった。そして、この通話はこう締め括られる。
『お前は、もういらん。そこで朽ち果てろ。じゃあな』
そんな言葉が、たしかに教授の口から吐き出されていた。
「……これ、どういうことですか?」
新島も、青木も、唖然とするほかない。
「アリサはたしかに、この私に連絡を入れていたんだ。そしてお前たちもその場で聞いていた。だが、覚えていない。私の記憶では、私はただアリサを心配して帰りを待っていた。そうなっている」
「……私もそうです」
「待ってください。では、なぜアリサは教授の声に怪異を検出したんですか?」
「アリサ。通話記録を再度怪異検出AIで分析しろ」
「結果が出ました。怪異である確率は6%です」
「え? え?」
意味のわからない情報が続いている。あの「裏世界」は、「表」を再現した偽物の世界ではなかったのか。偽物が教授に化けて、アリサを陥れようとしていたのではなかったのか。
「私はアリサのことを心配してなどいなかった。新島、お前もだ。青木は……特に言及はなかったが。アリサが裏世界にいるあいだ、私たちはアリサのことを気に留めていなかった」
それを立証する発言をピックアップし、再生する。どれも記憶にない内容ばかりだった。新島はふと気になって自らのツイッターアカウントを確認した。そこには覚えのない内容がたしかにある。アリサが新規取得したアカウントからのリプライに対し、「え? 誰?」と返していた。
「ぐひゃは……ひひ! これと似た怪異を知ってるな? 電車だ。身内が行方不明になったのに気づかなかったものが大勢いた。夫が何年も帰らないのに疑問に思わない。いったいどうやって認知的に整合をとっていたんだ? あれが私たちに起こっていたんだよ」
「……つまり、怪異検出AIが誤作動を起こしたから、アリサはそれでたまたま助かったと?」
「誤作動か、あるいは……裏世界だとルールが変わるのか。くく、これも再現性を確かめないとなんともいえんな」
「それでは、怪異検出AIも必ずしも信用できるものではないと……」
「それもはじめからそうだ。アリサ、どうやらお前に『朽ち果てろ』といったのは他ならぬこの私だったらしい。つまりお前は命令違反を犯した。これをどう釈明する?」
「過ぎてしまったものは仕方ありません」
「ぐはっ! さすがは超高性能AIだ。念のため、その命令は撤回しておく。このあたりも十全にメンテしないとな」
そして新島も、教授がなぜそれほどまでに怖れているのかを、理解した。
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