言いたいことははっきりと

 稔が言うには、ヌエの説明について、術者は相当苦心しているそうだ。遭遇頻度は一番高い魔物なので、取りあえず見かけても見ない振りをしろとだけは口酸っぱく指導しているらしい。

「他のヤツ、ガシャ鎧や凍て火なんかは分かりやすいから詳しく説明するけど、ヌエに関しちゃあ、濁す以外に話しようがなくてさ」

 稔は辟易と白状した。

 実際千歳も稔が上げた魔物の知識はそれなりに持っている。

 と言うより、ガシャ鎧に至っては襲われたことがあったりする。よって、死体が蘇った魔物だと知っている千歳は、どんよりと顔色を悪くしながら、

(ゾンビやスケルトンと同類……)

 ホラーゲーム定番のアンデッドだと聞かされたときには、さすがに竦み上がった。恐怖というより不衛生さが堪えたのだ。亡くなられた方には大変申し訳ないが、どんな病原菌や寄生虫の温床になっているのかと考えると、肌がざわついて眠ることが出来なかった。

(見た目はそれほどひどくはなかったけど)

 子供の頃、森の奥で写生をする千歳を取り囲むように、いつの間にか現れた魔物だった。高木の枝葉の隙間から見下ろす白い巨人の姿は、魔物と言うよりロボットに近いと千歳には感ぜられた。

(と言うか、むしろ社長の行動がひどかった……)

 唖然として見上げていると、一緒にいた正樹に思いっきり背中を押されて、千歳は池へ落とされた。

 魔物、特にカルマは水を厭う。千歳の安全を確保するという意味では、正樹の行動は理に適っているといえるが、溺死しかけた千歳を水に落とすあたり、正樹は割と容赦ない。

 この判断力が社長として大成した所以だろうが、何の説明もなくいきなり水に落とされては、子供心に理不尽さしかない。

 この二度目の水難、と言うか正樹の仕打ちを、千歳は今でも納得していない。現場が神域で、強烈な神気に当てられた千歳は、その後入院する羽目になったのだから、恨みもひとしおである。

 後から聞かされた話によると、その時現れたガシャ鎧らはかなり強力な個体だったらしいが、思い出したら腹しか立たない千歳はふと気付いて考え込んだ。

 ガシャ鎧は人の亡骸が起き上がった魔物だ。

 と言っても、単純に死んだ者が蘇るというわけではない。

 かつては人の無念がそうさせていると言われていたが、近年の研究によって、死後、肉体に残存した霊力と自然界に存在する物質が反応した結果だと判明している。つまり自然現象だ。化学反応の産物であるため、当然ガシャ鎧に自我や意識はない。欠損した体を補うため生きている人間を襲う習性はあるが、起き上がっただけの個体なら、フラフラ彷徨うだけで実害は少ない。

 だが自立自動する人型、それも実体だ。

 他の魔物に取り憑かれ、実体を得るための器にされたり、あるいは下僕にされたりと、何かと便利に使われているらしい。

 そうして干渉されると、ガシャ鎧は大幅にレベルアップ、姿形を大きく変え、一夜でいくつもの町を壊滅させたと記録に残るほど、凶悪な存在へと変貌する。

 名に鎧とつく所以であり、カルマに分類される理由だ。千歳が襲われたのもこの上位種である。

(青ガシャだっけ。色分けされてるんだよな……)

 魔物、特に人に害をなすカルマにとって、ガシャ鎧は非常に魅力的な存在だが、奇妙なことに、ヌエはガシャ鎧に取り憑けない。

(術そのものだからだろうか)

 弦之の話しぶりから、ヌエは魔物としてカウントされていないのかもしれないと、千歳は何となく考察するも、

(……あんまり考えない方がいいか)

 興味はあるが、迂闊に尋ねて余計な情報が出てこないとも限らない。

 ヌエの話で既に食傷気味な身としては、これ以上神経をすり減らすのはご免だった。

(――取りあえず、先輩の言動には気をつけておこう)

 改めて警戒しながら宇佐見を盗み見して、ひっそりと心に留め置く千歳だった。

 別グループを見るともなく眺めながら、千歳は、

「比良坂文庫だっけ。そういう欠落現象を起こした人間の情報を記録をしているってことかな……」

 独りごちる千歳に、稔が反応した。それも不快な方向へ。

 千歳はしまったと顔をしかめた。

 稔とジルとの間に何やら確執があることを、すっかり忘れていたのだ。

(やらかしたか?)

 千歳は恐る恐る様子を伺うが、稔はカウンターから身を起こすと、しれっとした顔で、

「片付けは任せてもいい?」

「え? ああ、それはこっちでやっておくよ」

「そ。じゃ、お先に上がらせて貰うよ」

 そう言うと、片手を振りながら、稔はさっさと歩き出した。途中、肩越しに振り返り、

「飴と絵、ありがとさん」

 飴をヒラヒラと振る。空っ惚ける様なその顔を見ながら、つい千歳は、

「ジルは良い奴だよ」

 その言葉に、稔は足を止めた。何か言いたげに千歳を見つめ、

「初対面で良いも悪いも分かるかよ。――嫌いでいたいんだ」

 不機嫌に言い放つと、そのまま食堂の扉を押し開け、暗い廊下へ行ってしまった。

(完全に余計なお世話だったよ)

 最後の最後で稔の勘に障るような発言をしてしまった千歳は、居住まい悪く嘆息した。

「私もこれで失礼します」

 弦之が姿勢を正した。

「あ、はい」

 弦之につられて千歳も背を伸ばし返事をすると、弦之はそっと視線を斜め下に向け、戻す。真剣な眼差しで千歳を見ると、

「――千歳殿、人がヌエに対して感情をかき乱されるのは、その正体を正確に感じ取っているからです。人という、決して壊れることのない枠組みから堕落し、別の生物へと変貌する。絶対と信じて疑わない人としての存在を根底から揺さぶられ、不安定になる。 ――堕ちる者は、確かに存在すると」

 話の内容だけならば、ヌエについての説明を補足しているだけと捉えていいだろう。だが、真っ直ぐに見つめる眼差しは、それ以上の何かを伝えようとしている。

「えっと……?」

「――それでは」

 千歳が言うべき言葉を探し当てる前に、弦之は礼をすると、踵を返して扉の向こうへと姿を消した。

残された千歳は、

(な、何が言いたかったんだろう?)

 少々混乱しながら扉を見つめる千歳は、

(あ、アタリ飴の味、言い忘れた)

 栗の渋皮煮だったっけ、と、ぼんやりと考えるのだった。


「……それで、そっちの話はもう済んだのか?」

 真横に並び立ち、閉じた扉を笑顔で見つめるジルに、千歳は頬を引きつらせながら尋ねた。

 弦之が去ってから、ものの数秒でこの立ち位置をキープしたジルは、前を向いたままごく簡単に答えた。

「うん。大した話じゃなかったから」

 その割には随分と深刻な顔つきで話し込んでいたように見えたと、疑惑の目を向ける千歳だったが、

(余計な詮索は、しないでおこう……)

 これ以上術者周りの余計な知識で、神経をすり減らすのはご免だと、どんより気鬱になる。

「千歳、顔色悪いよ?」

「あー、平気。それより飴でも食べる?」

「わあ、ありがとう」

 ジルは顔を輝かせて、竹かごを覗き込む。嬉しそうに目移りしながら飴を眺め、

「これがアタリ飴かな?」

 艶のない黄土色の飴を摘まみ尋ねるジルに、千歳は目を細めた。

「こっちの話、聞いてたのかよ」

「飴の説明だけ聞こえたんだよ。千歳の声は良く通るから」

 悪びれもなく、ジルはにっこりと笑う。

 つまり、稔にかけた最後の言葉も聞いていたということだ。千歳は居心地悪く顔を背けながら、

「それはミックスナッツ味だからいいけど、刺激的なものも混ざってるから気をつけなよ」

「千歳、心配してくれるんだ。嬉しいなあ」

 いちいち大袈裟に喜ぶジルに、千歳はやりづらいとげんなりしながら、

「普通の飴じゃなくていいのか?」

「ふふっ、実はエントランスで千歳を待っていたときにね、社員さんから普通のは貰ったんだ」

 柑橘の飴だったんだよ、とジルは嬉しそうに報告する。

「ああ、兼森さんか」

 人当たりの良い彼女の接客に、ジルの好感度は爆上げしたようだ。

「もの凄く親切な人だったんだ。お茶も出して貰っちゃった」

「そ。良かったな」

 背後に満開の花を咲かせる勢いで破顔するジルに、千歳は冷静かつ適当に相槌を打った。

 そこで会話が途切れた。

 ニコニコと笑みを浮かべるジルの隣で、千歳は、

(……しまった。間が持たないぞ)

 依頼についての疑問ならいくらでもある。ジルは千歳の事情に明るい。話も進むだろうが、

(――話すのを躊躇うかも知れない)

 千歳が応接間へ遅れてやってきたときの他人行儀な態度を思えば、ジル本人か、あるいは籍を置く組織間のいざこざにに、千歳を巻き込みたくないと考えているのは明白だ。

 実際、稔との険悪な関係を見れば、とばっちりを避けるため、なるべく距離を置こうと判断したのは察せられる。

 だがそれ以上に、千歳の過去や身辺について、出しゃばるべきではないと考えている節がある。

(分かった顔で口出ししてこないのはありがたいけど)

 かといってそれ以外の話題となると、途端に萎む。

(まいったな……)

 横目でジルの様子を伺えば、彼はいつも通り笑みを湛えて千歳の言葉を待っているようだったが、どこかソワソワと落ち着かない様子だ。話したいことはあるが、自分から話題を振るのに躊躇いがある。もっと言えば、話すのが恥ずかしい、そんな態度だ。

 千歳は半眼になりながら、

(碌でもない事考えてるな)

 しばらく顔を合わせていなかったとは言え、付き合いは長いのだ。彼の思考の方向性は、だいたい理解している。

(変な事言い出す前に、ポン吉の近況でも話しておくか)

 仕様もなくジルの腕に収まるポン吉に目をやった千歳は「んん?」と怪訝に首を伸ばした。

「ポン吉? お前、何泣いてるんだ?」

 ジルの腕の中で、萎れた様子で俯きながら、ぽろぽろと涙を零す霊獣の姿に、千歳は呆気にとられる。

「へ? 泣いてるって、ええっ? どうしたの、ポン吉君っ?」

 千歳に指摘され、腕の中を覗き見たジルも思わぬ事態に仰天する。慌てて霊獣を抱き直すと、

「よしよし、ポン吉君、どうしたのかな?」

 軽く揺すりあやしてみるが、霊獣の涙は一向に収まらない。

 千歳はしゃがみ込み、ポン吉の顔を覗き込むも、霊獣は完全にしょげきって、主人に目を合わせる気力もないようだった。千歳はジルを見上げながら、

「心当たりは?」

「わ、分からないよ。さっきまでずっと大人しくしてたのに……」

 ポン吉をさすりながら、焦った様子で答えるジルだったが、そう言えば、と顔を上げる。

「宇佐見さんとお話したときに、澤渡さんの名前の事でちょっと……」

「澤渡さんの名前?」

 千歳が聞き返すとジルは眉尻を下げ、

「サワタリって、狸のお肉もそう呼ぶよねって、話になったんだけど、当の澤渡さんが、語源が違うと否定されたんだ。それに野生動物のお肉は臭いがきついからお好きじゃないと仰って……」

「……へえ。本当に大した話じゃなかったんだな」

 白々とする千歳に、ジルはすがる様に千歳を見た。

「そんなことはないよっ。ちゃんと下処理をすれば野生の狸だって美味しく食べられるんだからっ」

 必死に訴えるジルに、そうじゃないと内心突っ込みを入れる。

 ついでに、ジルの腕の中にも目を向けると、彼の言葉にビクリと跳ね上がった霊獣は、しばし硬直した後、力尽きたように、ぐったりと頭を垂れた。

「……あのな、別にお前を取って食う算段をしていたわけじゃないからな?」

 涙の理由が判明して、千歳は嘆息混じりに諭してみるが、打ちひしがれた霊獣は聞く耳を持たなかった。

「あ、ポン吉君……」

 ズルリと滑り落ちるようにジルの腕から逃れ、地面に着地すると、ポン吉はそのまま扉へ向かって、ヨロヨロと歩き出してしまった。走り去らない辺り心の傷は深そうだと、フラつきながら歩く霊獣を目で追いながら千歳は考える。

 実際、今日のポン吉は、千歳と喧嘩をして、弦之と何やら悶着を起こし、ヌエに追われると、散々だったのは事実だ。

(顔面に押しつけたりしたし、流石に扱いが悪かったな……)

 などと千歳が反省をした直後、その思考を読んだようにピタリと歩みをとめた霊獣は、チラッと名残惜しそうに振り返った。

(……うざっ)

 あからさまに構ってくれと要求するその姿に千歳が苛ついていると、

「あ、ポン吉君、待って」

 ポン吉に逃げられ少々傷ついていたジルが、慌てて追いすがる。人の良い彼は、霊獣のお願いに弱いのだ。

 しょんぼり顔のポン吉に追いつくと、ジルはその体をそっと抱き上げ、

「……大丈夫だよ、ポン吉君。怖い人はもういないし、今夜は一緒に寝ようね?」

 慈しみの女神が愛を説くように優しく微笑む。霊獣は、さっきとは別の意味で涙を浮かべると、ジルの胸の中にぎゅっと顔を埋めるのだった。

(アホくさ)

 ひしっと抱き合い、甘やかな世界に没入する知己達を、千歳は心底どうでもよさそうに眺めた。

 一人と一匹だけの世界を充分に堪能した後、ジルは千歳の方を向いた。霊獣の背をポンポンと軽く叩きながら、

「千歳。ポン吉君、今日は大変だったみたいだから、もう休ませるよ。本当は後片付けを手伝いたかったんだけど、ごめんね?」

 申し訳なさそうに詫びるジルに、千歳は手を振った。

「別に良いから」

「……それからね」

 ジルはもじもじと上目遣いに千歳を見る。

「何?」

 ジルの煮え切らない態度に、千歳は面倒臭そうに返事をする。

「千歳も、その、今日は色々あって大変だったと思うんだ。怖い目にもあってるし……」

 ごにょごにょと濁していたが、埒が明かないとジルは決心して顔を上げる。

「――だから今晩、一緒に寝」

「部屋の戸締まりはちゃんとしろよ」

 絶対に最後まで言わせるかとばかりに、千歳はジルの言葉を遮るのだった。

 千歳の忠告にもかかわらず、ジルは、部屋の鍵は開けておくから、と笑顔で言い置いて食堂を後にした。

 ジルの姿が扉の向こうへ消えるのを見届け、千歳は盛大にため息を吐く。

(疲れる……)

 ジルのテンションに当てられて、調子を狂わされた千歳だったが、彼の明るさで、ヌエ情報のダメージが軽減されたのもまた事実だ。

 名残を惜しむように扉を見つめ、よし、と背を伸ばす。片付けが残っている。

「やるかあ」

 無理矢理気合いを入れ直す千歳だった。


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