出来ることと出来ないこと

「よくもまあ、ここまで肥やしたもんだぜ」

 質疑応答が一段落して、ヌエと内部の女の絵で埋まったホワイトボードを見ながら、うんざりと稔が漏らした。顔を歪めながら、

「最近ヌエ、多過ぎだろ」

「ネットの影響だろう」

 絵を見つめたまま、澤渡も仕様もなく言った。

「どこぞインフルエンサーを自称する輩が、動画で降霊術を実践してみせたのが広まったらしい。愚かにも程がある」

「片付けるコッチの身にもなれよ。ホント腹立つわ……」

 冷ややかな軽蔑を浮かべる澤渡に、稔が忌々しげに吐き捨てる。「そう言えば」と宇佐見が思い出したように、

「例の脱税騒ぎで霞んでしまったけど、年末にもひどいのがあったねえ」

「ああ、あれな」と稔が目を細める。

「ショート動画のヤツだろ? あれもまだ未解決」

「都内の案件なら、ウチに回ってきそうなものだけど」

 顎に手を当て宇佐見は考え込む。

 彼らの仕事話を聞きながら、千歳は、

(ヌエは、素人でも操れる……)

 通常、術を使うなら、それがどのような類いのものであれ、それ相応の修練が必要だ。だがヌエはそういった練度を全く必要としない。あやしげな素人降霊術でも、ヌエを呼び出すことは可能らしい。

 そのためだろう、術者はヌエの説明を濁す傾向にある。

 迂闊に話して使役の方法が広がるのを危惧しているのだろうが、おかげで千歳はヌエについて、邪な術で作り出された人造魔である以上の情報を未だ持っていない。

 往来を我が物顔でフラつくヌエ、それらをどのようにして呼びだし操るのかは勿論、退治した後の残骸が最終的にどこへ回収され、どう処理されるのかさえ、全く未知の領域だ。

(ヌエを封じた小箱は、恭弥さんや他の術者に渡して、それっきりだもんな……。 ――それに)

 千歳は自ら描いたヌエの絵を気味悪く眺めた。

 ヌエを使役した者、特に今日のようにヌエを使って意図的に他者を害する者はヌエ憑きと呼ばれているが、その末路すら千歳は知らないのだ。それとなく尋ねたこともあるが、尋ねた誰もが返答をかわした。

(そこを伏せるからには、碌でもない結果になるってことで間違いなさそうだけど)

 当たりを付けて、千歳はさてどうしたものかと考える。

 碌でもないと分かっている情報をあえて聞くのは根性がいる。元より千歳は術者界の情報収集には消極的だ。古ぼけた因習の色濃い界は、興味本位で首を突っ込めるような場所ではない。魔物の情報も知ればいらぬ気苦労を抱えることになる。部外者の身としては、界の情報は必要最小限にとどめておきたい。が、

「……あの」と千歳は片手を顔の横に挙げた。

「――ヌエを退治したら、中に入っていた人は、その、どうなるんですか? 最後は小箱に封じ込めましたが、まさか一緒に梱包された、なんてことは」

 今回初めて目撃した使役者と思しき女の末路だけは、退治される瞬間を目にした手前、どんなに気乗りしなくとも、はっきりさせておきたかった。

 不穏な返答を予想して明言を避ける千歳に、稔が目を細めて呆れた。

「ロボットみたいに、ヌエの中で誰かが操縦してるとでも思ってんの?」

「いや、さすがにそうは思ってないけど……」

 言いながら千歳は(ないよな?)と内心ひやりとする。頭部の回収を任されている身としては今後に障るとビクつくが、稔は「あり得ないし」と小馬鹿にしたように否定した。

「ま、この絵を見る限り、そう感じてもおかしくはないけど」

 稔はホワイトボードを目で示し、

「標的をつけ回している間はヌエと意識が混ざるっていうから、単純にその様子が視えただけだろ。連中、狩りの最中は大抵、自宅とか、危害が及ばない場所から高みの見物を決め込んでるよ」

「あ、居場所が分かるかも知れないって、そういうこと……」

 納得する千歳を余所に、稔がぼやく。

「そ。……まあ、居場所が分かったってねえ」

 微妙に引っかかる物言いを、千歳は聞かない振りをしながら、

「じゃあ、この女の人は助かったって事でいいのかな?」

「――さあ? 半々じゃね?」

「半々って……」

(生死の割合だろうが……)

 突っ込んで聞くには勇気のいる内容だ。怯んで口を閉ざす千歳をチラリと見やり、稔は素っ気なく続けた。

「別に死んでないからな」

「え、そうなの?」

 驚いて声を上げる千歳に、稔は何故がムスッと黙り込む。機嫌を損ねたと言うよりは、これ以上話したくないと、意思表示をしているようだ。

(やっぱり避けるか……)

 大方の予想通り、口を閉ざした稔に千歳が困惑していると、澤渡がホワイトボードに目を向けながら淡々と話した。

「ヌエ憑きの安否が気になるようだが、ヌエを退治したところで、死ぬ事はない。――無論、無事という訳にはいかないが」

「……そうですか」

 絵を見つめたまま無感動に話す澤渡に、千歳は拍子抜けした。

(死は免れるのか)

 どんな相手であったとしても、訃報は後味が悪い。

 何となくほっとして千歳は、ふと夕刻の出来事を思い出し、無性に腹が立ってきた。

(――つまりこの人は)

「逃げ回る碓氷君をライブ配信宜しく楽しんでいた訳だね」

「ヤな事言わないで下さい」

 まるで千歳の心を先読みしたかのような発言をする宇佐見に、千歳は青筋を立てながら笑みを向けた。

「おや、失礼」

 笑う宇佐見を千歳は恨みがましく睨み付け、しかし嘆息した。

(どんなに腹を立てても、ヌエ憑きに罰則を与える事は出来ないんだっけ)

 ヌエという凶器で意図的に他者の命を狙った者を罰することが術者には出来ない。ヌエの一番の問題だった。

(呪術、呪詛。違いはよく分からないけど、それらを用いて人に危害を加えても、法的には裁くことは出来ない……)

 これもまた交流のあった術者から聞いた話だ。そして今現在、この手の話題が術者にとってタブーになっていることも、その時教わった。

(迷信……不能犯だっけ? 呪詛のような科学的に根拠がない手法は、犯罪として立証する事が出来ない。――例え被害者が死に至ったとしても)

(何より術者とは言え、所詮は一般人。公僕のような権限があるはずもなく)

(だから使役者の居場所を特定したところで、どうしようもないのが現状だったりするわけで)

 稔が所属する虹の内という組織も、結局のところ、術者界といった限定区画を取り締まる自警組織に過ぎないのだろう。

(この辺が術者界を鬱屈させている元凶らしいな。変につつくと不興を買うだけだから、なるべく聞き流しなさい、とは言われていたけど)

 千歳はヌエについて議論を交わす寮生達をそっと窺う。

 出会って間もない彼らの心中を察することは、今の千歳には出来ないが、穏やかでない事だけは確かだろう。

(俺が気に病んでもなあ……)

「襲われたのって、ショッピングセンターだっけ?」

「――え? ああ、ええっと」

 稔に問われて、考え込んでいた千歳は慌てて顔を上げ、

「駅だよ」

 答えたのは宇佐見だった。「え?」と目を丸くする千歳を余所に、宇佐見はそのままスラスラと説明する。

「ストリートピアノの聴衆に取り憑かれた人がいてね。その人の厄を貰っちゃったんだよ。ね? 碓氷君」

 笑顔で確認されて、最初こそ驚いた千歳だったが、すぐに胡乱な眼差しを宇佐見に向けた。

「……先輩、やっぱり気付いていたんですね」

 自己紹介の際、駅で人型式を使用していたと自白した辺りから、そうではないかと疑っていた千歳だった。

「そりゃあ、あれだけ肥大した個体なら、見逃す方がどうかしているよ」

 さも当然だと言わんばかりの宇佐見に、千歳は恨めしく言った。

「知っていたなら、手助けぐらいして欲しかったのですが?」

「まさか」

 殊の外大袈裟に宇佐見は目を見開いた。

「他人の魔物退治に横槍を入れるような危険行為、流石の俺でもしないさ」

「逃げ回る事しか出来なかったのですが?」

「喧嘩を売ったならちゃんと自分で始末をつけないと。魔物退治をすると決めたら、他人の助けを勘定に入れちゃダメだよ」

 ヌエ程度なら一人でも対処出来ると勢い込んでいたのは事実だ。掛け値なしの正論に、千歳はぐっと言葉に詰まる。

「そ、それはそうかもしれませんけど、そもそも最初にヌエを発見したのなら、それなりの対処をですね――」

「偵察用の人型式に出来ることは少ないよ。下手に刺激して収拾が付かなくなる事の方が厄介だ。そうだったよね?」

 後ろめたさの欠片もない晴れやかな笑顔で畳みかけられて、全くもってその通りだったため、ぐうの音も出ない千歳だった。

 さらには、宇佐見の言に異を唱える者は誰一人おらず、薄情に思える彼の対応は、術者の規範としては正解らしい。

「森林だっけ? そっちのが一理あるわな。言い方はアレだけど」

「概ね相違ない。――癪だが」

「ええっ、そうなのっ?」

 ガンッと殴られたように、ショックを受けていると、それまで黙って話を聞いていたジルが、見かねたように口を開いた。

「厄を貰ったってことは、千歳、もしかして自分から手を出したの?」

「え、ええっと、それは……」

 返答に詰まった時点で自白したようなものだ。稔が呆れて、

「基礎しか出来ねーのに、ヌエにちょっかいかけたのかよ? こえーことするな」

「褒められた行為ではない」

 澤渡までもが厳しい顔つきで同意する。

「……千歳。人助けをしたいという気持ちは大切だよ。――だけど」

 ジルは躊躇いがちに千歳を見ながら、

「自分の技量を考えて行動しないと、誰もが不幸になる。だから、その、本当に気をつけて」

 口調こそ控えめだが、真っ直ぐに千歳を見つめる目は、強い光を宿している。

 先程公開した情報により、千歳を襲ったヌエが危険極まりない個体だったと判明して、本気で怒っているようだった。

「う……」

 巌の如き静かな怒りを放つジルに千歳はたじろぐ。こういう顔をした時の彼が一歩も引かないことを、千歳はよく知っている。ジルの腕に収まるポン吉も、同意しているのかジト目で主人を見ていた。

 何だか腑に落ちない展開だが、元よりいらぬ手出しをしたという自覚と後ろめたさは、痛いほどあるのもまた事実。

「わ、分かった。気をつけるよ……」

 今にも詰め寄ってきそうなジルから後ずさりつつ、千歳は何度も頷

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