水の底 誰かの記憶 終わらせてやる

 匿名掲示板のまとめサイトに、彼女の情報が掲載されているとコミュニティサイトで話題になっていた。掲載先は、あの女の裏サイトだという。

 空っぽの頭でそのアドレスを選択すると、何のことはない、随分昔に流行った別のコミュニティサイトのブログページへ移動した。

 簡素なトップページにプロフィールが少しばかり、写真と記事が交互に並ぶブログは、絵文字や飾り枠を使ったごくありふれた体裁をしているが、記事の内容は毒だった。

 日々の鬱積をここで晴らしているのか、他人への罵詈雑言が、これでもかと書き殴られている。狡いことに伏せ文字を乱用し、個人名や攻撃的な単語を隠しているが、文章の端々から歪んだ人間性が滲み出ていた。

 彼女の情報は、勤め先への憤懣の間に、悪意を持って差し込まれていた。

 感情的に綴られた悪文を読み解けば、彼女を上手く嵌めたと、遠回しに快哉を上げる事から始まり、入院先の病院名を写真付きでそれとなく分かるように晒し、見舞いと嘯いて昏睡状態の彼女の病室へ突撃したなどである……。

 刑事、民事両方で告訴して裁いてやる、全財産没収して、牢屋にぶち込んでやると勢い込む記事が最新の更新だった。

 読み終えて、まず彼女が生きていることを確認出来たことに、胸を撫で下ろす。入院先も判明し、これで見舞いに行くことが出来ると、密かに心を暖めながら、すっくと立ち上がった。あれほど重かった体が不思議なほど軽い。知らず笑みがこぼれる。

 あの女への怒りはなかった。

 ただやるべき事がはっきりして、胸がすくような気持ちだった。


 三日後、外出の許可が下りた。

 継続していたリハビリの効果が表れたのか、普通に歩く分には問題ないまでに回復したのだ。

 医者は、近場の買い物ぐらいなら行っても構わないと言いながら、体温や血圧が低いことを指摘して、決して無理はしないようにと忠告することも忘れなかった。


 久々の街は、どことなく居心地が悪かった。

 年末年始を眠ったまま過ごしたせいかもしれない。世間との時間差に、体が慣れていないのだろう。

 息を吸うと、冷たい真冬の空気が肺に満ち、外にいる実感が沸いた。

 馴染みの画材屋は、セール中のため、平日にも関わらず客で賑わっていた。アルコールマーカーの棚に群がる女性客に尻込みしながら目的の品を探し、会計を済ませてそそくさと店外へ出る。

 自分では気付かなかったが、長く入院していたせいで、体に独特の病院臭が染みついてしまったらしい。客の一人が、鼻に皺を寄せてこちらを睨んでいたのが、居たたまれなかった。

 購入したのは、黄色い持ち手のカッターナイフだった。スケッチ用の鉛筆は、いつもこのメーカーのカッターナイフで削っている。

 店の脇で梱包材を外し、本体以外は近くのゴミ箱へ捨てた。

 柄を握ると、新品であるにも関わらずよく手に馴染んだ。刃を出して問題ないことを確かめると、ウエストポーチへ収納して、ゆっくりと歩き出す。時間に余裕は持たせているが、目的地へ到着するまで気は抜けない。

 石畳と街路樹で舗装されたおしゃれな通りを、端末を片手にゆっくりと進み、程なくそこへと辿り着いた。端末画面に表示した地図とビルを見比べながら、間違いないと頷く。


 あの女のブログに張り付いて分かったことがある。

 勘に障ることがあると、感情の赴くまましたためた文章を、勢いに任せて投稿、数分後に記事を訂正して差し替えるという様式に則っているということを。

 短絡的な気質だが、そのおかげであの女の居場所を突き止めることが出来た。と言うか、自分でバラしていただけだが。

 有名企業に務めていたが、不祥事を起こした社長が高飛びして、社内は滅茶苦茶だと悪態を書き殴り、取引先の重役に取り入って、上手いこと転職に成功したまでを、事細かに掲載していた。

 その元の勤め先というのが、年末に騒動を起こし、彼女の事件を霞ませるのに一役買った企業だと知った日には、呆れて言葉もなかった。

 転職先の会社名も、この三日で判明した。

 気に入らない相手が多くて困ると、勤め先をこき下ろす記事を、平日昼間に掲載しては、伏せ字に差し替え更新を繰り返していたのだ。

 掲載された社屋外観の写真は、都内でも有数のビジネス街に連なる街並みだった。居場所の特定は、恐ろしく簡単だった。

 ………………。

 ……いや、嘘はもういい。写真は掲載していない。あの女もそこまで頭は弱くない。

 また見えたのだ。

 コミュニティサイトの文字の向こう、恐らく職場だろう、こざっぱりとした室内を背景に、愉悦を浮かべる淀んだ顔が、あたかもリモート会議の画面のように、モニターに映ったのだ。

 化粧品の並ぶ机の上に、会社名と住所の入ったゴム印が転がっており、そこから割り出したのが事実だ。

 何故見えたのかはもう問わない。それこそ無意味だろうから。


 今、その会社が入るビルの前に立っている。

 時刻は一般的な企業の退社時間。季節柄、日は完全に沈み、街灯とショウウインドウの明かりが華やかに通りを彩っている。

 残業の可能性を心配する必要はなかった。あの女は、定時上がりを旨にしていると自慢気に書いていたのだから。

 が、今日に限って少々事情が異なるようだ。

 先程更新された記事によると、

 ――一生懸命仕事をしていたら、職場の××××に電話を切るなどの嫌がらせを受けた。悲しくなって外へ出たけど、社会人として良くないから、××××が退社したら会社へ戻って上司に相談する。××が、×ね。

 伏せ字は二度に渡って差し替えられた結果である。逐一更新されていた記事がそこで止まっていると言うことは、あの女はまだこの建物内にいるということだ。

 上着のポケットに突っ込んだ右手は、カッターナイフが握り込まれている。ゆっくりと刃を押し出しながら、強く願う。早く出てこい、と。

 狙われていたのは自分だった。逃げ回らずに、向き合うべきだった。

 何もかもが手遅れでも、それでも付けるべきケジメは必ずある。今がその時だ。

 ――終わらせてやる。

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