エピローグ 目覚め
目を開けてもしばらくは夢の続きを彷徨っていた。
天井を見つめていると、夢は遠く意識の底へ吸い込まれ、現実が実感を伴い浮上する。
張りのあるシーツの感触がする。身動きすると布がすれ、乾いた音がした。ふかふかの掛け布団からは馴染みのない匂いがする。
吐息を一つ、千歳は自分が目覚めたことを自覚した。
のろのろと起き上がり、背を丸めて座っていると、背後で何かが蠢く気配がした。
振り向くと、千歳が使っていた枕の横にもう一つ枕が置かれており、仰向けに寝そべるポン吉が、不服そうに首を巡らせこちらを見ている。どうやらいつも通り、ポン吉と枕を並べて寝ていたらしい。
布団を取り上げられ寒いと訴える霊獣に、千歳は髪をかきながら掛け布団を引っ張り上げる。ぬくもりの残る掛け布団にくるまれ、ポン吉は満足そうに再び枕に顎を乗せた。
寝息を立て始めたポン吉を眺め、次いで千歳は周囲を見回す。
薄明るく間接照明が灯る室内だ。窓に掛かるカーテンの向こうは暗く、夜であると示しているが、鳥の囀りや、バイクや車などの生活音が遠く聞こえ、朝が近いと告げていた。
ベッド脇のチェストに自分の端末が置かれている。
手に取り画面をつけると、眩しく表示された時刻はあと数分で午前六時。
あれだけ体力を使った割には、ほぼ時間通りに起床出来たと思ったが、よく見ると日付が一日跳んでいた。
「あー……」
千歳は脱力した。丸一日眠っていたらしい。道理で頭も体も重い。
(ダルい……)
億劫だが、起きなければならない。
再び吐息、千歳はうーんと背を伸ばすと、二度目を決め込むポン吉を残してベッドを下りた。
ここがゲストルームの一室だということは、目覚めたときから分かっていた。
会社へ辿り着いた後運び込まれたのだろうが、何もこれが初めてという訳ではない。
夢が辻を抜け消耗した千歳は、体力が回復するまで、よくここで寝かされた。医務室は別にあるが、薬品臭い場所で何時間も過ごすのは気が滅入ると零して以来、ここへ運び込まれるようになった。
端末の横に置かれたメモ帳に、起きたら受付まで連絡を入れるようにと手書きされている。能筆な文字は美代子の手だ。
先に体を流そうと、千歳は風呂場へ向かった。着替えや日用品はキャリーケースの中に一通り揃っている。恭弥が運び入れてくれたのだろうかと考えながら、千歳は手早く身支度を調えると部屋を出た。
扉を閉めようとすると、二度寝から目覚めたポン吉が、隙間からひょこひょこ出てきた。しょぼしょぼ眼もさることながら、寝癖がひどいことになっているのはいつものことだ。
受付に顔を出すと、既に美代子は仕事を始めていた。
奥の事務机で書類に目を通していた彼女は、千歳の姿を認めると、立ち上がりやって来た。
「おはようございます、千歳さん。お加減は如何ですか?」
普段と変わらぬ落ち着いた口調の美代子に、千歳は軽く笑ってみせた。
「もう大丈夫です。ご心配をおかけいたしました」
体力を消耗しただけで怪我はない。千歳が頭を下げると、美代子はそうですかと頷き、
「では朝食を用意しましょう。応接間でお待ちください」
美代子はそう言い置くと、踵を返して受付の奥へと消えた。
夢が辻から出た後の行動は様式化していた。
ゲストルームで目覚め、美代子に報告、食事の世話をして貰ってから、医者の診察を受ける。ことの詳細を正樹へ報告し、それで完了となるわけだが、その正樹は現在爆睡中とのことだ。
昨日、報告を受け急ぎ会社へ戻った正樹はしかし、千歳の容態を見て、問題はないと判断、再び仕事へ戻ったそうだ。
仕事の納期が差し迫っているらしく、今朝も深夜にふらりと帰って来ると、そのまま睡眠を取るために社長室へ直行してしまった。
起きるまではそっとして置いた方がいいと、これは医者の言葉だ。
美代子に作って貰った白粥を食べ、その後、することもなく応接間で待機する千歳は、ポン吉の寝癖を溶かす傍ら、片手で端末を操作し、ネットニュースを検索する。
一昨日の出来事がどう報じられているか気になったのだ。
調べて千歳は、その内容に変な顔になった。
――ショッピングセンターに野鳥侵入か。
昨夜未明、ショッピングセンター○○店、五階シネマフロアが何者かによって荒らされているとの通報を受け、駆けつけた警察官が調べたところ、天井の梁に数羽の野鳥が隠れていたのを発見した。
隠れていたのはカラスとフクロウとされているが、発見後、すぐに飛び去ったため確認は取れていない。
同フロアの窓ガラスが外部から破壊された形跡があり、そこから侵入した野鳥が屋内で争ったものと見られている。
専門家は、カラスとフクロウが縄張り争いの際、誤ってガラス窓へ激突、店内へ侵入したのではないかと話している。
昼行性のカラスと夜行性のフクロウは天敵同士であり――云々。
ニュースを閉じ、千歳は嘆息した。
思うに、建物の修復が間に合わなかった部分を鳥のせいにしたらしい。
ロビーの売店等に保管されていた食品類のことを考えると、妥当な判断とは言えるが、あの大騒ぎが一種のほのぼのニュースに置き換えられて、何とも微妙な気持ちの千歳だった。
端末をテーブルに置くと、ポン吉が膝の上に乗ってきた。もっと丁寧にブラッシングをしろと要求する霊獣にイラッとしながらも、渋々応えてやる。
千歳のために尽力したことは知っている。労を労ってやらねば、不貞腐れて後が面倒だ。
毛並みを整えてやりながら、千歳は寮生達を思った。
彼らのその後について美代子に尋ねたところ、千歳を会社まで送り届けたジルと弦之は、その後、寮へ戻ったそうだ。
会社の医務室でで火傷の治療を受けた弦之は、包帯を巻かれた後、そのまま徒歩で寮へ戻った。火傷は見た目ほどひどくはないらしい。大事に至らず良かったと安心したが、元気なことだ。
ジルは壊れた連盾を修理に出さなければならないと、少し落ち込んでいたらしい。しょんぼり顔が目に浮かび、それが何となくポン吉と重なって、つい千歳は笑ってしまった。
ショッピングセンターの片付けを引き受けた他の寮生達も全員寮へ引き上げたと美代子は教えてくれた。
恭弥は白瀬と共に報告へ出向き、まだ戻らない。
そんなわけで、現在ゲストルームにいるのは、千歳とポン吉だけだった。
社員が出勤するまでの静かな時間。適度に温められた空気と食後の満腹感に気怠さが相まって、何とも心地よい。
ぼんやりとブラシを動かしながら、千歳は、
(……暇だな)
青ガシャの絵を描くなど、やることはそれなりにあるが、どうにも気力が沸いてこない。
ポン吉の頑固な寝癖もそろそろ整う。首を巡らせ窓を見せると、外はもう明るい。空は高く澄み、たなびく雲の縁は薄紅に染まっている。
遠く曙光が輝き、日の出を迎えていた。
眺めながら千歳は、
「……散歩にでも行こうかな」
思いつきを口に出すと、途端に気持ちが動いた。
正樹はしばらく起きてこないだろう。体を動かして気分を変えたい。外の空気を吸えば、頭の血の巡りも良くなるだろう。
千歳の提案にポン吉もその気になったようで、膝から飛び降りると、急かすように見上げてくる。
部屋へ上着を取りに戻り、外へ出かけようと階段へ向かう千歳は、しかし受付前で美代子に呼び止められた。
千歳の出で立ちを見て、彼女は無表情に、
「千歳さん。外出はお控えください」
「あ、いえ。その辺を散歩するだけで」
「いけません」
美代子は頑として許さなかった。
「今日一日は、静かにお過ごし下さい」
「はあ。そう、ですね……」
千歳は弱りながら言葉を濁した。
何か口実をつけようにも、生真面目な美代子を説得する自信はない。
どうしようかと考えていると、ふとポン吉が首を巡らせた。つられて千歳もそちらを向くと、
「やあ、おはよう」
階段口から、のんびりと挨拶をしながら、青朽葉色の髪をした青年が笑顔で姿を現した。
「おはようございます」
如才なく頭を下げる美代子の隣で、千歳は無言のまま歩み来る青年を見つめた。
ゆったりとしたセーターにスラックス、首回りにはトレードマークにもなっているコットンストールを緩く巻いている。
全体に渋い色で統一されているせいか、落ち着いているというより、老成した雰囲気だ。肩口にかかる髪がストールに当たり、やけにバランス良く跳ね、若者めいているのはそこだけかもしれない。
「……社長」
千歳は少々気の抜けた声で呟いた。
スタジオ・ホフミ社長、児玉塚正樹。
千歳の絵を御神託とし、寮生、その他を采配した張本人は、微笑み、
「おはよう、千歳。夢はどうだった?」
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