後片付け 反省それぞれ

 ロビーの片付けをあらかた終えた白瀬は、未使用の水瓶を見下ろし嘆息した。

「こいつを処分しないとな……」

 寮生達が青ガシャと交戦中、後方支援に徹した白瀬は五階フロア全体を結界内に封じ込め、外界と遮断した。

 その際、宇佐見や澤渡同様、彼もまた水瓶を用意した。

 青ガシャ対策として、水の確保は必須だ。折良く稔が四階を疾走していたので、声を掛け、持って行くよう指示をしたのだが。

 ――断る。

 用意した水瓶は二個。札を使用せず、水を直接手桶に成形したそれらを無言で見つめていた稔は、視線を白瀬へと移動させ、はっきり言った。

 硬い表情には拒絶と不審が色濃い。強い怒りもあった。

 どんな言葉も受け付けない。そう白瀬は直感した。

 稔が単に意地を張っているだけではないことは知れた。何か仕込んでいると危惧されたのだろう。

 戦場でそんな愚かな真似をするものか。立場より状況を考慮して有益を取るだろう。直前まで白瀬はそう考えていた。

 だが現実はどうだ。物の見事に拒絶された。

 御統会への不審はそこまで根深いと、ようやく思い知った白瀬だった。

 必要な物資を拒否して走り去る稔の背中を苦く見送りながら、信用がないとはこういうことかと痛感する。

 この分だと、青ガシャの出現にも、御統会が噛んでいると疑っているに違いない。

 切羽詰まった状況を仕立てた上で、これ見よがしに必要な物資を提供、選択肢のない選択を突きつけながら、自分たちの必要性をアピールしてみせたのだと。

 あるいは、ここで自分達を亡き者にしようとさえ勘ぐったかもしれない。

(ならず者のやり方だな)

 だが、それが今の御統界であり、白瀬はその一員だ。

 否定を重ねたところで、疑いを晴らす材料にはならない。寮の騒動を放置したこともある。

「まいったね……」

 顎を撫で苦笑する白瀬の目は、しかし深刻だった。

「せめて敵ではない程度には認識して貰わんと」

 たったそれだけのことが、今の白瀬にとっては最難関だ。

 どうあっても、深く考えざる終えない。


 白瀬が用意した水瓶の受け取りを拒否したことを、稔は後悔していない。

 ファイヤーウォールによって分断されたとき、水瓶があればもっと有利に立ち回ることが出来たかもしれない。

 ……稔がジルにフォローされることもなかった。かもしれない。

「――クソ!」

 奥歯を噛みしめ、稔は悪態を吐く。

 全ては仮説だ。結果はもう出ている。今考えても意味はない。

 山奥に住まう稔は、青ガシャとの交戦経験があった。さすがに前線には出して貰えなかったが、水瓶が、対青ガシャ戦で必要な物資であることは身に染みている。

 だが、あの状況で稔に受け取るという選択はなかった。

 意地を張っただけなら、もっと後悔しただろうが、違う。

 何を仕込んでいるのか分かったものではないと、警戒以上に恐ろしい予感が勝ったのだ。ただの思い込みだとは分かっていても、振り払うことは出来なかった。

 怖い。

 ビクビクと怯える自分を意識して、稔は今にも喚き散らしたくなる。

(落ち着けっ……!)

 前髪を乱暴に掻き上げ、稔は己に言い聞かせる。

 吐息して呼吸を整えるも、胸に沸き立つ苛立ちは膨らむばかりだ。

 白瀬への、御統会への疑惑を取り下げることは、到底不可能だ。

 同様に比良坂文庫、ジルへの怒りを止めることも、稔には出来ない。

「――どうしろってんだよ……!」

 稔は一人、荒々しく吐き捨てる。


 恭弥は白瀬が用意した水瓶を見た。水面には険しい自分の顔が写っている。未使用のままであることに言及はしない。

 不定型な水の器を直ちに用意出来るか否かは、術者の能力判定、その目安になる。

 内部に拡張の術を施した器を札のみで生成出来るとあれば、術者として高位だ。該当する宇佐見と澤渡は高位術者と評価出来る。

 ならば、器を必要とせず、直接水を固めた白瀬の評価は、当然高位以上といえる。

 恭弥は、白瀬の術者としての能力は認める。ショッピングセンター五階フロアを物の見事に隠蔽した手腕もさることながら、効率よく後片付けを済ませた手際の良さも評価に値する。

 だが、

(……御統会の幹部だ)

 その肩書きが足を引く。

 人格と能力は別物だ。そして能力は人格の道具に過ぎないと、師より賜った恭弥は、その教えに準じる。

(警戒は怠らない方が良い)

 白瀬の人となりを判断するには時期尚早と結論を先送りした。


 恭弥が相手をしたのは、弦之たちと同型の青ガシャだった。周囲を警戒しながら、遅れて目的地へ向かう恭弥は、ショッピングセンターへと伸びる波の合間に、その姿を確認した。

 波の上を、刀を構え一直線に走る姿に目を剥き、急ぎ矢を射かけ、波から落とした。

 幸いと言うべきか、青ガシャは河原に墜落した。

 恭弥も追うように、近くの橋に陣取る。

 水気を嫌う青ガシャに対して、河原という立地に加えて、上空からの射撃という有利な立場ではあったが、周辺は住宅街、気は抜けない。

 一戦交える中、恭弥は白瀬からのサポートで水瓶を受け取っている。

 白瀬の魚型式が運んだ水瓶を使うのには躊躇いはあった。使用せずとも押さえ込める自信はあったが、自尊心で炎の災禍は防げない。恭弥は水瓶を利用した。

 それどころか、周囲に水の結界を張るよう依頼さえもした。白瀬は恭弥の要求にことごとく応じて見せた。

 結果は上々、周囲へ被害が及ぶことなく、青ガシャを退治せしめた。

(――問題はこの先だ)

 この共闘を口実に、後々付け入られる恐れはある。手を借りれば、それ以上の対価を要求するのが今の御統会だ。

 だが、恭弥は己の役割がそこにあるのではないかと目した。

 顔合わせでも分かった通り、寮生達は白瀬を警戒して憚らない。任務に就く間、今回のような大事に発展した場合は、御統会との兼ね合いはどうあっても必要になってくる。

 互いの間に立つ者は必要だ。

 柵か仲介か。

 恭弥の立ち位置をどう現すかは、今後の関係性によるだろう。

(……良い変化に期待しておくよ)

 冷たく見返す己の目から、恭弥は視線を外した。


「強度に難あり、と」

 マリオネットのように、霊力の糸で宙に固定したカラスハーピィの損傷具合を確認して頷くと、宇佐見は術を解く。

 ポンッ、と空気の抜けるような音がして使役式が弾け、二枚の札と小石に戻った。

 小石は宙で掴み、札は人差し指と中指を揃えて払い、燃やす。指揮をするように指を戻して、霊力の糸も同様に焼却した。

「こっちも処分。結構良い品だったんだけどね……」

 中心部の青みを失った小石を摘まんで、宇佐見は苦笑した。

 一度使用した術の基材は、基本再利用不可だ。

「懐が痛いよ」

 情けなく眦を下げ、宇佐見は小石をウエストポーチへ収納した。

 体ごと振り返ると、片付けの済んだロビーが静まりかえって広がっていた。

 室内を照らしていた術の明かりは、片付け終了と同時に落とされている。今は各々作った小さな照明が、一人一人をぼんやりと照らしていた。

 距離を保って立つ寮生やその管理者達を順に見回し、澤渡で視線を止める。

 室内に入れた黒フクロウを側に浮かせて、宙に何枚もの画面を表示しながら作業する黒いマント姿の後ろ姿を見つめ、

「……判断は先送りか」

 宇佐見は片手で眼鏡フレームを調整する。

 下ろした手の下、その顔は、笑みを表情ごと消した能面だった。

 これまで見せた全ての表情が作り物だと示唆するような無表情。

 薄暗い室内に、青白く浮き上がる冷ややかな双眸、硬質な唇が、無機質に言葉を発する。

「どうでもいいか」


 画面に表示される文字列を目で追いながら端末を叩いていた澤渡は、ふっと吐息、手を止めた。同時に、全ての画面が障子を閉めるように閉じられる。

 黒フクロウと澤渡の体に隠されるようにして床から突き出ていた物体が、ゆっくりと下がっていく。

 澤渡の背丈と同じ高さを持つそれは、千歳が目撃した氷のオブジェの中身だった。

 上下に二分割、さらに下部を左右に二分割された分厚い長方形から、二つの関節を持つ五本の棒が、俯き気味に、扇状に広がっている。無骨な機械の右手だ。

 床に五指の波紋を残して沈んだ機械の手を見送り、澤渡は帽子の庇を下ろす。

「まさか初日で使う羽目になるとは」

 嘆息する顔は苦々しい。

 投げ返された罠に仕込まれた炎に飲み込まれた時、澤渡は勿論無事だった。弦之同様、予め己のマントを水に浸し、炎が直撃する直前に体を覆って防御した。

 だが火力の高さは想定を超えていた。しかも炎はしつこく燃える。

 ……使わずにはいられなかった。

 澤渡は、ついと視線を手袋をはめた己の手に移動させ、外す。

「いい加減、腹を括るべきか……」

 再び嘆息する澤渡の表情には、躊躇いしかなかった。

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