初めましてのご挨拶

 六階は社員食堂とゲストルームに分かれている。平素人の往来があるのは社員食堂方面のみで、エレベーターホールを挟んで反対側のゲストルーム区画は大抵照明が落とされ薄闇に沈んでいるが、今は明るく照らし出されて人の気配があった。

「――さて、揃ったな」

 廊下沿いに設えられた応接間にて、ソファに腰掛けたり、窓の外を眺めたり、はたまた展示された彫刻作品に見入ったりと、それぞれ好きに待機していた面々は、軽く手を上げて合図する白瀬に注目した。

 ゆったりとソファに腰掛けたまま、ぐるりと周囲を見回すと、白瀬は気軽に言った。

「そのままで構わんよ。簡単に自己紹介でもしてもらおうか。――そうさな、こう、ぐるっと左回りでいこうか」


 制帽にマント、ダブルボタンのベルト付きブレザーに長靴を履いた軍装風の青年。

 折り目正しくソファに腰掛け、帽子の庇の陰から琥珀色の目を厳めしく覗かせている。

螺旋電車螺旋電車所属、澤渡和実さわたり かずみだ。機関士を務めている。

 ……裏鉄うらてつのことだ。俗称の方が通っているのは甚だ遺憾ではあるが、都内で活動する術者達の足として運行する以上、口さがない彼らに俗な呼び名を与えられるのは定めと心得ている。

 ――コスプレ? な訳ないだろう。これはれっきとした制服だ。……乗車したことはないのか?」


 癖の強い橙色の髪が目を引く、帷子を着込んだ忍者装束の少年。

 ソファに乗り上がり、背もたれに肘を付きながらガラスケースに納められた展示物を興味津々に眺めていたのを、顔だけを向けて、

「どうも、佐久間稔さくま みのるです。虹の内にじのうち、えーっと、黒洲くろすの事だけど、に、所属してます。あ、ちなみにコレも制服だから。

 うーん、警察と裁判所みたいなトコかな? 悪いことした術者を捕まえて投獄するのがお仕事だし。何で白洲じゃないのかって? そりゃあ、俺らが捕まえるのは真っ黒の犯罪者しかいないからだよ。裁判ってのは、ええっと……。そう言えば、裁判やってるトコなんて見たことないわ」


 木箱を脇に置き、礼儀正しくソファに腰を下ろすジル。

 膝に乗せたポン吉の背を撫で終わり、

比良坂文庫ひらさかぶんこ所属、八房ジルです。役職は矢立です。――……………。質問は…………、ま、まかせてっ、分かりやすく説明するよ!

 呪詛にまつわる記録、とりわけ業厄によって破滅した術者、及びその一門の末路を筆録し、保管に務めております。呪詛は総じて禁呪、使用者は悉く罪人となり、その過去帳管理と思って頂ければ分かりやすいかと存じます。矢立は専属の筆記者のことで、この制服は身分証に相当します。(小声でこっそりと)千歳、暑いの? 汗かいてるよ」


 陣羽織のように前を開いたコートの下、プロテクターの入った上衣に、刀を差した弦之。

 壁際に佇み、瞑目していた瞼を静かに上げる。

「御蔵弦之。霞ヶ淵かすみがふち霧の山城きりのやましろにて、剣士としてお仕えしております。銀葉樹海ぎんようじゅかいより来たる魔獣討伐を旨としておりますが、本領はカルマ退治と申しても過言ではございません。

 ええ、射手ではなく剣士です。弓矢は武芸の基本。幼少の頃より修練に励んでおります。――顔色が優れぬようですが、お疲れですか? 制服です。市中の任務ですので簡易兵装にございますが、務めに支障はございません。

 ところで今更ですが、高階たかしな殿より先に私が名乗って良かったのですか?」


 千歳の入室から遅れること数分後に姿を見せた恭弥。

 白瀬の斜め後ろ、サイドテーブルに広げたノートパソコンの横に立ち、弦之に顔を向ける。

「別に構いやしないよ。――そうだね。所属が同じなら、続けた方が説明は早いか。

 では、同じく霞ヶ淵、霧の山城、弓削恭弥。射手を務めております。私服にて恐縮ではございますが、今はこちらで護衛任務を仰せつかっております故、ご容赦頂きたい。

 ああ、高階は本姓で、弓削は養親の姓だよ。そんな顔しなくても大丈夫。この界隈、養子縁組は割と多いから」


 詰め襟の学生服に腕章とショルダーホルスターや小手を装備した眼鏡の青年。

 窓際に佇み、藍色の髪と目を夜景に紛れさせたまま、

森林もりばやし調査研究所所属、宇佐見次郎うさみ じろう。アルバイト従業員。宜しくね。

 土地の調査会社だよ。地形や地質の調査を行っている。霊的な干渉の有無やその影響についてもね。今は副業で探偵業もやっているよ。 ――殺人事件の解決かあ。それはなかなかどうして刺激的なお仕事だろうけど、残念、ウチが請け負っているのは、盗難被害にあった物品の捜索でね。曰く付きの代物ばかりだから、専門家が回収しないと危険なんだ。

 学校の制服だよ。多少盛ってはいるけど。

 ――実は最初から気になっていたんですが、白瀬さん。寮の管理者というお話ですが、采配をとるのであれば、まず最初にあなたが名乗るべきでは?」


 ソファに前屈みに腰を下ろしていた白瀬。

 寝起きの様な顔つきで、

「うん? 俺かい? 御統会みすまるかい所属の白瀬ミカゲだ。

 ――その通り、術者の組織の中でも最大手だな、ウチは。御統会ってのは、平たく言えば術者同士の互助会だな。全体術者の組織ってのは規模の大きさに関わらず個人商店のようなものだから、横つながりが大事でね。その音頭をとるのが主な役割だ。何かあった時に回覧板回すところだと思ってくれたらいいさ。

 ――さて、これぐらいでいいかい?」



「はあ、まあ」

 窓際のソファに腰掛けながら、千歳は曖昧に答えた。

(白瀬さんどころか、他全員、何をおっしゃっているのかさっぱり分かりません)

 とは流石に口には出せない。散々質問した事もあるが、情報量過多な上に、耳慣れない固有名詞を連ねられて、生返事をするのが精一杯だった。

(ゲームの設定だって、もっと親切だぞ)

(おまけにそこはかとなく物騒な事言ってるし)

(――と言うか)

 千歳は頬を引きつらせながら、こっそり視線を集まった顔ぶれに一巡させた。

(むしろこの険悪な雰囲気を何とかしてくれ……)

質問をしたのは千歳のみで、他は皆、他人が口を開いている間は押し黙り、じっと聞き入っている様子だった。そしてそれは、初対面の相手に対する緊張といった初々しい態度ではなかった。

(お互いに探りを入れている感じか、これ?)

(牽制し合っているようなこのギスギス感よ……)

(きっつ)

 応接間に恭弥が来るまで、誰一人として発言しようとはしなかった。その緊張感たるや、表面張力ギリギリまで注がれた水のように、僅かな振動で簡単に崩れるように思えて、気配に当てられた千歳もまた、かしこまって待つしかなかったのだった。

 あれほど無邪気に接してきたジルでさえ、他人行儀にソファに収まり、意図的に千歳と距離を置いている。先程の千歳の態度に機嫌を損ねたというより、親しい間柄であることを伏せていたいように見えた。

(俺の知ってる顔合わせじゃないぞ……)

 とてもではないが、恭弥が口にした「簡単な自己紹介」とは、かけ離れた状況だ。

 おまけに各人、個性の強い装いで、当人達の申告通り、各々の組織の制服で間違いないのだろうが、ホテル並みに整えられた応接間が、どう見てもイベント会場のコスプレイヤー控え室である。

(世代違いのヒーロー戦隊から、一名ずつ派遣された感じだな)

 本格的に悪の組織と戦う構図が頭に浮かんだのを振り払い、

(話の流れで俺が最後になったけど、いつもの営業用でいいのか? 場違い感半端ないぞ)

 不穏な空気漂う室内に、千歳は意味なく愛想笑いを浮かべつつ、チラリと白瀬を見る。

(白瀬さんの挨拶が終わってから、一気にピリピリし出した気がする。気のせいじゃない)

 恭弥もそうだったが、彼には何か、碌でもない背景でもあるのだろうか。勘ぐりながら白瀬を見る千歳だったが、宙を眺める涼しげな横顔から、彼の思惑は何一つ読み取れなかった。

(――まあ、何も情報がないのに考えても仕方ないか)

 千歳はひっそりと嘆息した。自分の挨拶をさっさと済ませるに越したことはない。

「じゃあ、最後、俺って事で」

 明るい口調で言ったはずが、いっせいに向けられた視線は想像以上に鋭かった。

(うーわー……)

 早くしろと責め立てるような眼差しに、しかし千歳は逆に肝が据わった。芸能者たる者、衆目を集めてなんぼである。息を吐き、普段通り、とびっきりの笑顔を作ると、

「皆さん初めまして、スタジオ・ホフミ所属のアーティスト、碓氷千歳です。作曲とピアノ演奏をメインに時々イラスト作成なんかもやってます。デビューして間もない新人ですが、どうぞ宜しくお願いします」

 完璧な営業用挨拶である。言い終えて千歳は、ふっと内心ほくそ笑む。

(――笑顔は新人らしく前向きに、説明は短く的確に、滑舌には細心の注意を払い、ぎこちなさの中にも大手で教練したこなれ感を醸し出しつつ、その上で何かやらかしてくれそうな隙を混ぜて視聴者を取り込む……)

(――よし、完璧)

 気負い込み過ぎたきらいがあるのは否めない。額に少々汗が浮くが、殺伐とした空気を払拭すべく全力は尽くした。

 どうだと言わんばかりに周囲を伺う千歳だが。

 ギシッと音を立てて、室内の空気が止まった。

(……ええっと?)

 毛色の違い過ぎる千歳の自己紹介に白けた、訳ではなかった。意表を突かれて面食らい、息を呑むような雰囲気だ。

 千歳を知る恭弥やジルは素っ気なさを装っているが、他の者達は千歳を見る目を明らかに変えた。警戒したり、面白そうに笑みを浮かべたり、自問するように顎に手を当てたりと、それぞれが一様に考え込んでいるようだった。

(……外した訳ではなさそうだけど)

 アーティストという職業に対する興味や好奇心とは明らかに異なる反応に千歳が戸惑っていると、白瀬がのんびり口を開いた。

「うん? 終わったかい? それじゃあ……」

 空気が変わったことなど気にとめず、白瀬がさっさと切り上げようとすると、

「はーい、しっつもーん。稔君が質問しまーす」

 勢いよく手が上がった。すらりとした長い腕の主は、佐久間稔と名乗った忍者装束の少年だ。よほど気に入ったのか、調度品と一緒に展示された木彫刻を終始眺めていた彼は、ソファの背もたれに肩肘をついたまま、腕を上げている。

 丸めた背はネコ科の獣のような柔軟さがあり、ゆとりのある服地の上からでも均整な体格が見て取れる。背も高く、集まった中で一番成熟した肉体の持ち主だが、その割には口調も顔つきもどこか幼さが残っているので、一番年少かもしれないと千歳はあたりをつけた。

 調子よく聞こえる声音はどこか平板で、惚けたような無表情の中にも探るを入れるような用心深さがある。

 稔はひたりと千歳を見据えると、

「それだけ?」

 短い質問に、千歳は意味が分からず眉をひそめた。

「それだけって、それだけですが」

 いつも通りの前口上だ。デビューして間もない千歳は、動画の収録も舞台もこれで始めている。

「あーっと、そうじゃなくて」

 望んだ答えと方向性が違ったらしい。稔は肩透かしを食らった様子で顔をしかめた。まごつきながら再度何かを言おうとして、しかしピタリと不自然に停止すると、目を閉じ、眉根を寄せて、反り返りながらうーんと唸る。言うべき事があるが、躊躇いの方が大きい、そんな煮え切らない態度だ。自分の口上にどこか不備があったのではないかと、段々千歳は不安になってきた。

「コメントは随時、受け付けておりますが……」

「……やっぱ、いいや」

 ふっと斜め下に視線を落とす稔に、千歳は本格的に狼狽えながら、

「え、ええっ? その言い方は消化不良に過ぎるよね? どこかおかしかったならはっきり言ってよ。そういう半端な反応が一番困るっ」

「今の質問はなしってことで」

「いや無理だから、それ」

 そっぽを向く稔に千歳は言いすがるが、彼は再び展示品に目を向け惚れ惚れと、

「この木彫りのトカゲ、格好良いねー」

「そんな分かりやすく話をそらさないで!」

「――特に問題はなかったよ」

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