いざこざ

 クスクスと忍び笑いとともに、横から別の声が割り込んできた。

「いつも通りの口上だね。――碓氷君」

 出し抜けに名前を呼ばれて、千歳は「え?」と目を見開く。頭を巡らせると、同じ窓際に距離を置いて佇む青年がこちらを見ながら微笑んでいた。宇佐見次郎と名乗った青年で、千歳は彼のことを少なからず知っている。

「――ええっと」

 親しげに話しかける相手に、今度は千歳が何と言って良いものかと思案する。少し考えてから慎重に口を開いた。

「……副会長の宇佐見先輩ですよね? 俺のこと、ご存じだったんですか?」

「スタジオ・ホフミに所属する現役アーティストともなれば、それなりにね」

 千歳が籍を置く、私立玉垣山たまがきやま学園高等部、その生徒会で副会長を務めているのが彼、宇佐見だった。学内では切れ者として有名で、通信制の千歳ですら、その噂を耳にするほどだ。

 応接間へ足を踏み入れた際、彼の姿を見た時はかなり驚いた。ジルの他に顔見知りがいるとは思いもよらなかったのだ。

 ただ事ならぬ室内の雰囲気に圧倒され、自然と見知った顔の方へ足が向いたのだが、彼については肩書き以外の情報は持っていない。陰で妙な呼び方をされているぐらいがせいぜいだ。

 そもそも通信制を利用する千歳と全日制の宇佐見とでは出会う機会も滅多にない。年に数回しかない登校日に噂の御仁を遠目に見たことがある程度で、直接会うのも言葉を交わすのも、……彼の髪と目が、夜空と同じ藍色だったという事も、今日、初めて知ったのだった。

「へえ、俺って、そんなに有名だったんですね」

 意外に思えて千歳が言った。学校についてさしたる思い入れを持っていなかったため、学内で自分がどうのように取り沙汰されているのかを知るのは新鮮な気がしたのだ。

「登校日に君が来るのを、密かに狙っている者もいるぐらいだからね」

「……それはちょっと困りますね」

 登校日もしっかり護符を装備しているので、そうした流行り物に飛びつく手合いに見つかる心配はないだろうが、気分の良い話ではない。

 千歳の心情を読んで宇佐見が笑った。

「その辺りの対策に抜かりはないから安心して。学内で浮かれた騒ぎを起こしても、誰も得はしないから」

「そうだったんですね。いやー、なんか手間をとらせてしまって申し訳ないです」

「いやいや。これくらいは生徒会の仕事の内だよ。面倒事は起きる前に摘み取ってしかるべきだからね」

 謙遜することなく宇佐見は言った。あからさまな営業スマイルである。

「リスク管理ってやつですか。ウチの生徒会は優秀だと噂には聞いていましたけど、本当だったんですね」

 同じく営業スマイルを貼り付け、受け答えしながら千歳は、

(この白々しい会話は一体何?)

 内心突っ込みを入れる。いつの間にか宇佐見のペースに誘導されているのを感じながら、

(流れるようにこんな話題を振ってきて、どういう了見だろう)

 優等生として名高い宇佐見と間近に接して、その如才のない態度に黒いものを感じつつ、千歳はピンと閃いた。

「つまりは噂程度にはお互いを知っていた訳ですね」

 ははっと愛想良く笑いながら、千歳は腹では別のことを考えていた。

(そういう体にしておいた方が良いってことだよな?)

 実は宇佐見と出くわす確率は意外に高い千歳だった。最も本人ではなく、彼の作った分身の方ではあるが。

(人型式、って言ったっけ。術札で作った自分の分身)

(今更だけど、この人、術者なんだよな。しかも学内でも街でも、人通りのある場所で人型式を飛ばしてる)

 その分身と高確率で出くわす千歳は、同じ学校の生徒が術者で、しかも白昼堂々と術を行使しているのを目撃し、始めこそ目を剥くほど驚愕したが、見慣れた今となっては、驚きよりも心配の方が大きい。

(術って、確か人前で使ってはいけないとか、そんな決まりがあったよな? 学内もそうだけど、街の中であんなにホイホイ人形式を放って大丈夫なのか、この人)

 他人事ながら不安を覚えてしまう程、彼は人前で術を使うのに躊躇いがない。今までの会話は、それを口外しないようにとの念押しと踏んでみたのだが。

 当の宇佐見は目を瞬きながら不思議そうに言った。 

「割と頻繁に会ってるよね。さっきも駅で会ったばかりだし。人型式の方だけど」

 さらっと笑顔で暴露する宇佐見に、千歳は飛び上がるほど仰天した。

「それ、自分で言っちゃうんですか?」

「特に問題はないよ?」

「ええっと、確か公衆の面前で術を使うのは禁止という話では」

「『術を用いて人心を惑わすことを禁ずる』だろう? 要は見世物の類いで術を使うなという意味だよ。タネも仕掛けもございませんは、口上でのみ許されると心得てね、と言う意味さ」

「そ、そうだったんですね。すみません、余計な気を回してしまったようで……」

 とんだ思い違いに狼狽えながら、千歳は「あ」と声を上げた。立ち上がり、頭を下げる。

「今日はストリートピアノの人員整理を手伝って頂いて、ありがとうございました。おかげで助かりました」

 駅でストリートピアノを演奏した際、千歳の容姿に惹かれた一部の聴衆にしつこくまとわりつかれ、ひどく難儀していたところを、ふらりと現れた宇佐見の人型式に助けてもらったのだ。

 このように時折現れては何かと世話を焼き、気付けばいなくなるの繰り返しだったので、いずれ、何らかの形で本人にお礼を言うべきだろうと考えていたが、まさかそれが今訪れるとは思いもよらなかった。

 かしこまる千歳に、宇佐見は手を振りながら笑った。

「いいよいいよ。こっちはついででやってるだけだから。ここへ来たのは辞令なんだ。お得意様からのご贔屓だから、ちょっと行ってこいって――」

「待て」

 静かな声が、射貫くように飛んできた。

「今の台詞は聞き捨てならない」

 厳しく咎めたのは、澤渡和実と名乗った軍装風の青年だった。その発言に、窓際に陣取る千歳達が注目すると、テーブルを挟んで真向かいのソファに座る彼が顔を上げた。

 時計の針が時間を刻むような機械的な挙動だが、その無機質さとは裏腹に表情は感情的だ。制帽の庇の下から炯々と光る目が、非難も露わに宇佐見を見据えている。

「おや、君も碓氷君に質問かい? 澤渡君」

 宇佐見が笑顔で応対した。相手の感情を考慮しない滑らかな口調に、澤渡は警戒するように顎を引いた。

「宇佐見殿と言ったな。貴方にだ。今の話しぶりだと、日中、往来で術を使っていることになるが、相違ないか?」

 服装もさることながら、語調もまた軍人めいていた。格式張った問いかけに、宇佐見は一瞬冷笑を浮かべる。細めた目が妖しく光り、面白そうに澤渡を見つめると、取って付けたように柔和に笑った。

「ええ、職業柄、情報収集は必須でね。普段から街の噂を集めて回っているけど、それが何か問題でも?」

「公での術の使用は、いかな理由でも掟に触れる」

「勿論、今し方話した通り承知しているさ。それが建前だということも含めてね。実際街は術だらけじゃないか」

 街中で、何らかの術が発動しているのを見かける事は多い。

 大抵が魔除けの仕掛けで、建物の外壁などに、霊力の低い一般人の目には見えない幾何学図が、発光塗料のようなもので描かれている。他にも、通行人に紛れて人型式が歩いていたり、電線に並んで止まる鳥の中に鳥型式が混ざるなどして、確かに街は術であふれているが、それらはしかるべき役割を持った組織にのみ許された特例だという。

 要するに、その組織以外の者が街中に術を放つのは、違法ということだ。

(――やっぱり人前で術を使ったらダメでしたっ)

(やらかしたぞこれ。あー、いらんこと喋っちゃったー)

 いきなり対立し始めた宇佐見と澤渡に、千歳は自分の失言を盛大に悔いた。剣呑に睨み合う二人を見守りながら、

(いやいや、いきなり喧嘩はない、ないよな?)

 これ以上険悪な雰囲気は御免だという必死の願いも空しく、二人の口論は加速する。

「明確に禁止されている以上は従うべきだ。物事の道理を手前勝手な解釈で歪めるなどあってはならない」

「これはこれは。ご親切に術者の心得を講釈して下さるようですが、さて、俺に拝聴する義務はあるのかな?」

「ない」

 澤渡はきっぱりと言った。

「貴方の口の軽さに釘を刺しだけだ。我々は術という特殊な技能を行使するが、同時に科学文明の恩恵を受ける身であることを忘れてはならない。迂闊に往来で使うなど、何も知らぬ一般人を欺くような真似は控えるべきだ」

 苛立ち気味に咎める澤渡を、しかし宇佐見は笑いながらかわした。

「頼みもしないのに講釈頂き恐縮です、と言いたいところだけど、人を騙して悦に入るような趣味は持ち合わせていないよ。異なる意見の相手に説教するほど高尚ではないだろうし」

「常識を語った程度で随分と食ってかかられる。普段の行いは相当に後ろ暗いと見えるが、ここは己の所業に自覚がある事を素直に褒めるべきか?」

「この界において、常識が何の役にも立たない事の自覚なら十分にあるさ。それこそ常識の範疇内にはね」

 口調も態度もそうと分かるほど荒れてはいないが、険悪さは乗算で増しているような気がする。静かに対立する二人を、千歳は青くなりながら交互に見た。

(……いつ終わるんだろう)

 どうやら澤渡は、術者としての規範を厳格に重んじ、他人にも要求する質らしい。一方宇佐見は宇佐見で、そんな堅物振りを鼻で笑い、尚かつ揚げ足取りを楽しんでいる。

 図らずも宇佐見の本性を垣間見た千歳は、彼が学内で『魔王』と呼ばれている理由はこれかと、密かに納得した。

(――いえね、何となく気付いてはいましたけど)

 彼の作った分身からして、笑顔が胡散臭かった。慣れるまで、出くわすたびに、戦々恐々としたものだ。

(先輩の性格はともかく、今は二人の仲裁だけど)

 宇佐見に誘導されたとはいえ、自分の失言が元凶であるため、責任を感じる千歳だったが、術者の確執となると、物知らぬ身としては、落とし所など分かるはずもなく。

 お互い、気に入らない相手をつつかずにはいられないようだが、二人の気をそらせるような適当な言葉を必死に探していると、

「面倒くさ」

 二人の諍いを頬杖をつきながら眺めていた稔が、心底下らなそうに言った。

「仕事で来てるんでしょ? しかも依頼主の会社で、何熱く語り合ってんの?」

 目を細め、辛辣に言葉を続ける。

「街で術を使うなって、どだい無理な話じゃん。そんなわかりきったことに文句つけるのもアレだけど、掟破りを自慢気に話すのも相当痛いよ? 大体さ、そんな簡単に見破られるような術を放つとか、そっちの方がどうかしてるわ」

 手痛い指摘だったらしく、宇佐見は苦笑した。

「そこは耳の痛い話だよ。俺としては、それなりに精度の高い術札を使ったはずなんだけどね」

 横目に千歳を見ると、含みを持たせて微笑む。つられるように澤渡、稔もまた千歳に目を向けた。何か言いたげな様子の三人の視線に、千歳は、

(こっちに振らないで下さいっ)

 青くなりながら高速で顔を背ける。

「――それにさ」

 意味深長に言葉を切ると、稔はすっと視線をジルの座る方角へと走らせ、戻す。

「その程度で文句を言うんだったら、さっき術で一般人を攻撃した比良坂サンはどうなるって話よ」

 素知らぬ顔で、しれっと余計な一言を追加した。

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