いざこざいざこざ

 稔の介入で状況が収拾すると密かに期待していた千歳は、思わぬ内容に驚いて声を上げた。

「術を使ったって、会社の玄関先で?」

 が、言われてみれば確かに、勝手に転倒したという話にしては、件の記者の様子は尋常ではなかった。それがなにがしの術の作用によるものだとすれば納得も出来る。

 千歳の言葉に反応するように、視界の端でジルの肩が僅かに動いた。膝の上でうたた寝するポン吉を見下ろすジルの姿が心なしか強ばって見えるのは、彼自身がその行為に後ろめたさを感じているためかもしれない。

(……またやったかも)

 思わず言葉が口をついて出たのを激しく後悔しながら、千歳は気まずく口の端を引きつらせた。失言が続いている。どうにも今日は調子が上がらない。

 思わぬ方向から飛び火したジルに、澤渡、宇佐見両名が目を向けた。

「何だと?」

 訝しむ澤渡に対して、宇佐見は興味深そうにジルを観察する。口元に笑みを履き余裕を見せているところから、件の騒動を把握しているような節がある。

 険のある口調で、稔は白々しく続けた。

「いくらしつこいからって、追い払うのに術を使うのは乱暴だよな。あの記者サン、ひっくり返ってお気の毒」

「――弁明が許されるなら」

 顔を上げたジルが静かに口を開いた。強ばった顔で正面を見つめ、

「あの方に、魔物に通じる邪な気配を感じたため、一番穏当な方法で対処したまでです」

 口調は固く、緊張していることが千歳にも伝わってくる。

(それって術者的にマズいのか?)

 千歳には判断出来ない領域だ。適当に、何か気の利いた話題でも振って話をそらすにしても、詳しい事情が分からない上に失言が続いているので迂闊に口を挟めない。頼みのポン吉もジルの膝で丸くなり、すやすやと背を波打たせて役に立ちそうになかった。

 ジルの返答を稔は鼻で笑った。

「さっすが比良坂文庫。保身にかけては一際意識がお高いようで」

 そらっ惚けた口調が嫌味であるのは間違いない。ジルに対して含むところがあるのは明白だった。陰湿な攻撃に、ジルは目を閉じ顔を伏せた。反論出来ずに打ちのめされている、ようにしか見えなかった。この時は。

「……いや、あのさ」

 流石に頭にきた千歳が、稔に抗議しようと口を開きかけた時だった。

「勿論ですよ」

 顔を上げ、再び目を開いたジルの表情に、千歳は固まった。冷ややかな笑みを浮かべるその顔は、開き直るどころか別人だ。

「記録保管所に所属する以上、貴重な資料保全のため、侵入を企てる不穏分子に先手を打つのは当然ですから」

 千歳と話す時の夢見るような眼差しが、正に夢幻のごとく消え失せ、そこにあるのは氷だった。それも永久凍土の一塊だ。凍てつく冷気を双眸に宿し、いっそう冷たくジルは続けた。

「私どもの文庫は個人経営の最たるものですので、どこぞ司法を気取る組織のように、間諜を手厚く養う余裕はございません」

 切りつけるような口調と気配に、何事かと目を覚ましたポン吉が、ジルを仰ぎ見る。

(……誰?)

 千歳はほとんど思考停止しながら、苦手とするはずの知己の顔を凝視した。純朴とも言うべき面影はどこにもなく、冷然と笑みを浮かべるすまし顔は信じられないほどに挑発的だ。それが対外的な仮面である事は分かるが、見事なまでの変貌ぶりである。

「……へえ? 言ってくれるじゃん」

 稔が低く笑った。肉食獣が威嚇するような危険な目つきだ。

(――この空気の悪さは何?)

 ドン引きしながら千歳は立ち尽くした。緊張に張り詰めていた室内は、今や一触即発だ。ポン吉もジルの膝の上で、オロオロと所在なく首を巡らせている。

 さすがにマズいと判断して、千歳は、

「し、白瀬さんっ、まとめて。いや、むしろ恭弥さんっ」

 助けを求めるようにまとめ役に目を向けると、二人はいざこざには見向きもせずにノートパソコンを挟んで話し込んでいた。

「ちょっとーっ! まとめ役のお二人何やってるの? この状況に何か物申して下さいっ!」

 寮生達の対立などそっちのけで話し合う二人に、千歳は思わず声を上げた。仲裁を懇願する声に、白瀬が「うん?」と顔を上げる。のんびり見回して、

「まあ、仲良くな」

 おざなりに言ったっきり、再び恭弥と打ち合わせに戻ってしまった。

(……ダメだこの人)

 千歳はがっくりと脱力した。どうやら白瀬は、肩書き以上の働きをする気は、毛ほどもないらしい。

 だが、失望したのは千歳だけではなかった。

 険悪に対立していた全員が、いっせいに白瀬を睨む。その顔つきは険しさを通り越して、殺気立っていた。

「バカにしてんの?」

「お気遣いは無用です」

「御統会が、よくもまあ、言えたものだ」

「皮肉か冗談か、判別に苦しむね」

 口々に毒づく面々に、千歳は怯みながらも呆気にとられた。

(え、何この総攻撃)

 白瀬に対して良からぬ感情を持っているとは薄々感じていたものの、ここまで憎悪をむき出しに噛みつくとは思いもしなかった。と言うより、悪態の端々から、白瀬本人と言うより、むしろ所属する組織に不満があることが窺える。組織間の対立が深刻化しているという話は、誇大ではなかった訳だ。

 ただ、敵意は全て白瀬に向けられ、方々の諍いは一時中断したので、まとめ役としての責務は一応果たしていると言えるかも知れない。

(何かもう、考えるのがバカバカしくなってきた)

 足に何かが触れて、見下ろすとポン吉だった。安全地帯だと踏んだはずが、とんだ渦中のジルの膝から逃げ出してきたらしい。後ろ足で立ち、千歳にすがりながら、困惑したように見上げている。

 千歳は再びソファに座り直すと、膝を叩いてポン吉を招いた。

「――みんな怖いねー」

 せっせっせーと、ポン吉の前足と手遊びしながら、部外者を決め込むことにした千歳の脇で、白瀬への詰問が続く。

「今日の引っ越しでもさ、何の説明もなしに、急に予定変更でこっちに移動させられて、どういうことよ?」

「ああ、それか。業者が見つけたんだが、寮の内部に侵入者があってな」

「それはこちらへ到着した際に聞いている。問題は侵入者の身元と目的について、まだ説明がないことだ。警察も介入したのだ。情報があるなら、先に開示するべきだろう」

「こちらの社長が出張で不在というのも、随分暗示的だね。それを見越しての予定変更かな?」

「もう少し、手際良く進行してもらえませんか?」

 揃いも揃って、実に攻撃的である。

「――よろしいでしょうか?」

「はい?」

 寸劇を観るようにいざこざを眺めていると、横合いから声をかけられた。

 気の抜けた返事をしながら振り向いた千歳は、いつ近づいたのか、すぐ側に弦之が立っているのを目の当たりにして、ポン吉と一緒にビクリと肩を震わせた。

 自己紹介の後、目立った発言もなく、一人黙していた弦之の存在を完全に失念していた千歳は、ポン吉共々、不意打ちされたように固まった。

 弦之は相手の驚愕などお構いなしに、真剣な眼差しで口を開いた。

「ショッピングセンターでお会いした際、ヌエの頭部に人の姿を見たとおっしゃっていましたね。あれはどういった意味だったのでしょうか」

「え? 今その話?」

「あの時はお伺いする暇がございませんでした。改めてお聞かせ願えますか?」

「はあ、まあ」

 千歳はやや毒気を抜かれたような顔つきになった。

 確かにショッピングセンターで出会った際、弦之は千歳が口にしたヌエの形態について、気にかけている節はあった。恭弥に遮られ、話が途切れてしまっていたことを思い出しながら、深く考えずに千歳は、

「どうって、言葉の通り、中に女の人が入っていたよ。こう、頬の近くに手を添えて、体を丸めて覗き見するように、こっちを見ていたけど……?」

 猫の前足を真似るように軽く握った拳を頬の近くにあて、女の体勢を再現する千歳に、弦之の表情が目に見えて変わった。驚愕に目を見開くと、息を呑み、口を真一文字に引き結ぶ。

「え、何?」

 それまで微動だにしかなった弦之の変化に、千歳が訝しむ間もなく、

「――場所は、見えましたか?」

 唇を戦慄かせながら、弦之が言った。俯き気味であるため、目元が前髪に隠れていっそう表情が読み取れないが、言葉はひどく震えている。

「場所?」

 質問の意味が呑み込めず鸚鵡返すと、それまで何かに堪える様子だった弦之は、弾かれたように顔を上げた。

「ヌエを放った者、ヌエ憑きの所在です。相手の容姿が判別できるほどはっきり視えたなら、居場所も視えたはず。それは何処か、詳細に説明頂きたいっ!」

 語気も荒く、一気にまくし立てると、弦之は必死の形相で千歳に詰め寄った。

「えええっ? ちょっと、何ですかっ⁈」

 あまりの剣幕に動転して、千歳はポン吉を抱いたまま後ずさる。と言ってもソファに座ったままので、背もたれに体を押しつける格好になったが。

 追い打ちをかけるように、弦之は、ずいっと上体を乗り出す。口早に、

「あの時、壁越しに貴方の姿がはっきりと見えました。あれは貴方の霊力に触発されて起こった驚嘆すべき事態です。そこまで高い霊力をお持ちなら、ヌエ憑きの居場所を見通すことも出来たはず。相違ございませんかっ⁈」

「ちょー、顔、顔が近いっ、落ち着いて!」

 息がかかるほどに詰め寄られて、千歳は顔を背けながらポン吉を突き出した。

 顔面にポン吉を押しつけられた弦之は「むぐっ」と唸り、ポン吉はポン吉で体毛を逆立て固まる。

「何やってるのー!」

 仰天してジルが声を上げた。他人行儀のすまし顔をかなぐり捨て駆け寄ると、千歳と弦之の間に両腕を差し込み、目一杯に開いて二人を引き離す。怯える千歳と硬直するポン吉の前に、両腕を開いて立ち塞がりながら、弦之をキッと睨み付けた。

 追い払われた弦之は、後退しながら体勢を立て直すと、乱れた前髪を気にとめず顔を上げた。

「お話を伺っているだけです。邪魔立てはなさらぬよう願いたい」

 低い声で咎める弦之は、ジルの介入に明らかに不機嫌になっていた。 口調は丁寧だが、不穏な響きは隠しきれない。

「人に物を聞く態度じゃないですよね? もう少し落ち着いて話したらどうなんですか?」

 脅しにも似た弦之の言に、ジルは微塵も動じなかった。眉をつり上げながら、両者、そのまま睨み合いに突入する。

 眼前で繰り広げられる対立を、千歳はポン吉を構えたまま、青ざめて見守るより他なかった。

「何の修羅場よ?」

 ジルの注意が千歳へ向いたので、つられてこちらを眺めていた稔が呆れて言った。指を差しながら、

「というか、やっぱりそこ、知り合いなんだ。随分他人行儀だけど、仲悪いの?」

「親友だよ! ちょっと外野は黙っていてっ!」

 揶揄う稔に、ジルが血相を変えて激高した。千歳が物申す隙は勿論ない。

 宇佐見が期待を込めて笑った。

「これは一体、何が始まるのかな?」

「何も始まりませんし、むしろ終わらせて下さいっ」

 八つ当たりに噛みつく千歳に、宇佐見は楽しそうに肩を竦めた。

「そう? 俺としてはむしろ、ヌエの頭部に人の姿を見た話の詳細を聞きたいところだけど?」

 耳聡く話を聞いていたらしい宇佐見は笑顔の質を変えた。細められた目がカミソリの刃の様に鋭く光を照り返し、好奇心からの発言にしては剣呑だ。

 敏感に察して、千歳はびくりと肩を跳ね上げる。四肢を突っ張って硬直するポン吉を、今度は宇佐見の方へと向けた。

「ヌエの頭部に人?」

 聞きつけた稔が怪訝そうに身を起こした。

「それって、ヌエ憑きが見えたって事、だよな……」

 言いながら、稔はあからさまにトーンダウンすると、弱り切った顔つきで押し黙った。先ほどまでの不遜な態度から一転して、ひどく気まずそうにしている。

 千歳が訝るより先に、スッと澤渡が手を上げた。几帳面に白い手袋をした手を顔の高さに掲げ、

「それは相手の人相がはっきり見て取れたと言うことか?」

「え、あ、はい。そうですけど……」

 応接間の注目が、いつの間にか自分に向いていることに戸惑いながら、千歳は慌てて頷いた。澤渡は少し考えて、

「――君はどこか術者の組織に籍を置いているか?」

「え? ないですよ」

 思わぬ質問に、千歳は素で驚いた。澤渡は千歳の反応をじっくり吟味して、

「ならば術の手ほどきを受けた事はあるか?」

「術というか、護身術ならありますが」

「その内容を具体的にお聞きしたい」

「具体的って……」

 千歳は鼻白むが、答えを待つ澤渡は真剣だ。気圧されながらも千歳は、

「ええっと、手足に霊力を付与して、身体能力を上げる術、ですが……」

「基礎中の基礎だね」

 宇佐見が口を挟むが、澤渡は取り合わず、

「近親者に、この界の関係者はいるか?」

「えぇ……? いないと思いますけど。……多分」

「多分とは何だ?」

 ギロリと睨み付けられ、千歳は慌てて、

「い、いえっ、親戚とは疎遠で……」

 彼にその気はないだろうが、澤渡の眼光は真っ直ぐに過ぎて、どうしても尋問を受けている感が否めない。尻すぼみに返事をしながら、これまでの発言で、何か碌でもない失言があったのかと冷や汗もので考えるも、心当たりはまるでなかった。

 千歳の返答を受け、稔同様、澤渡もまた口を閉じる。視線を落とし、顎に手を当て思案に暮れる彼の目は当惑の色が濃い。千歳に対する疑惑というよりも、もっと別の何かについて考えを巡らせているように見えた。

「術を見破られた時点で、妙だとは思ってたけど。……まさか、ここまでとは。恐れ入ったよ」

 困り顔で宇佐見が笑う。しかし表情とは裏腹に、彼だけは、相変わらず楽しそうだった。

「わーお。これはまた厄介な案件」

 稔がことさら大袈裟に言った。ジルをそしった時のような、からかう色はない。軽口に反して恐れをなした様子だ。

「ちょーっと困るかも」

 言葉通り困惑顔で、脱力してソファからずり落ちかける。

「困るどころではないだろう」

 澤渡が苦々しく言って、再び千歳に目を向ける。鋭い眼差しに、千歳はギシッと引きつった笑みを浮かべた。

「……理解した。質問は以上だ」

 諦めたように吐息し、澤渡は制帽の下に表情を隠した。

(何を理解したんだろうか……)

 確かめようにも、目の前では依然、弦之とジルが対立中だ。殊に弦之は、自分の質問の回答を得る前に、次々と余所から口を挟まれて、不愉快極まりないといった様子で押し黙っている。感情が分かりやすく表情に出る質ではないらしいが、逆光に濃く降りた前髪の陰から、無表情にこちらを見下ろすその迫力は圧巻に過ぎた。ジルの肩越しに底光りする目で見据えられ、声もなく、千歳は蒼白になる。

「話の途中です。どいて下さい」

「お断りします。まずはその人を脅迫するような態度を改めてから出直して下さい」

 二人の背後に、遠雷を伴い暗雲が垂れ込める。のを幻視して、いよいよ千歳は、ポン吉と一緒に「あわわ」と涙目に戦慄く。

「弦之君、気を静めなさい」

 それまで一切口を挟まなかった恭弥が、ノートパソコンに向かいながら窘めた。画面に目を向けたまま、静かな口調はややおざなりだ。先輩の忠告に、弦之は不満げに恭弥に目を向けた。

「この上なく冷静です。むしろあの時、何故話を遮ったのですか? 場合によっては、ヌエ憑きを引きずり出す事も可能だったというのに……っ」

 歯噛みする勢いの弦之に、恭弥は投げやりに答えた。

「だからだよ。絶対に千歳君を問い詰めるだろうと思ったから、あの場はさっさと切り上げたんだ。最後まで聞いていたら、後先考えずに飛び出して行ったただろうし」

「当然です。お役目を果たすのに、躊躇いなどありません」

 断言する弦之に、恭弥は肩を落として嘆息し、それ以上何も言わなかった。弦之の性格を熟知して、これ以上言及するのは無意味だと完全に諦めている。

「千歳、ヌエに襲われたの?」

 会話の内容から事情を察したジルが、気遣わしげに振り返る。すっかりいつもの顔に戻ったジルに、千歳は顔を引きつらせながら、目を泳がせる。

「た、たいしたことはなかったから。すぐ助けも来てくれたし」

「助けって」

 しどろもどろに答える千歳に、ふと何かに思い至ったジルは、はっとなった。

「あの時、飛び出していったのは、そのためだったって事? ……それはとんだ抜け駆けですね」

 急冷凍されたように、再び極寒の気配を纏い、弦之に向き合うジル。当の弦之は、ジルなど眼中にない様子で恭弥を睨んでいる。恭弥は恭弥で、ノートパソコンにかかりきりで、完全に無視を決め込んでいた。

(なんで炎上してんの?)

 千歳は半泣きになりながら、周囲に目を向ける。他の三名は新たに発生した対立を面白そうに、あるいは呆れ返って、成り行きを見守るばかりだった。他人の言動にあれほど横槍を入れていた宇佐見も、ここぞとばかりに観客に徹し、口を挟む様子はさらさらないときている。それだけ良い見世物なのだろうが、たまったものではない。

(誰か何とかして……)

 ソファの上でポン吉を盾に構えたまま、両足を引き上げ縮こまっていると、

「――失礼します。千歳さん、お電話です」

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