依頼内容

 事務的な女性の声がした。全員が顔を向けると、応接間に面した廊下に、着物姿の女性が電話の子機を携え立っていた。

 カフェウエイトレスのようなフリル付きのエプロンを着用し、一筋も後れ毛のないまとめ髪の隙のない身なりをしている。清楚な容姿だが、にこりともしない表情はひどく硬質だ。

「あ、師範……」

 ここ六階ゲストルームと、五階のアトリエフロアの管理全般を引き受けるのが彼女、位高美代子やごと みよこであり、また所属するアーティストたちの礼儀作法の師範にして、千歳が苦手とする人物の一人でもある。

 不自然な注目を集めながら、それを意に介した風もなく、美代子は静かに応接間を横断、千歳の元へ歩み寄る。

「申し訳ございませんが、取り込み中故、後にして頂きたい」

 千歳に子機を差し出そうとする美代子に、弦之がきつい口調で断りを入れた。更なる介入者に苛立ちを隠せない弦之に、しかし美代子は涼しい顔つきで払いのけるように言った。

「それほど重要なお話とは思えませんので、こちらを優先させて頂きます」

「何を――」

「どうぞ」

 弦之が抗議の声を上げる間もなく、美代子は千歳に子機を差し出した。

「はあ、どうも……」

 ぬいぐるみのように無抵抗なポン吉を抱き直し、千歳は子機を受け取る。

「えっと、どちらからでしょうか?」

 白い面差しを見上げ、千歳は尋ねた。言葉遣いが慎重になってしまうのは、普段の講義の影響だ。

「社長です」

「社長?」「次期当主?」

 千歳と弦之が同時に口を開く。ことに弦之は、弾かれたようにジルから離れると、姿勢を正した。

「取り急ぎ、お伝えしたい事があるそうです。――それから」

 振り返り、彼女は応接間を見渡すと、

「皆様のお部屋の準備が整いました。会合が終わりましたら、受付までお越し下さい。私は所用で外しておりますが、カウンターに鍵がございますので、宿泊名簿にお名前を記帳の上、お取り下さい」

 さすが礼儀作法の師範を務めるだけの事はあり、肩肘を張らずに脇を締めた完璧な立ち姿の彼女は、要件を伝えるだけ伝えると、流れるように一礼し、そのまま踵を返して立ち去ってしまった。

 去りゆく美代子のすらりと伸びた背中を見送りながら、子機を片手にしばし放心した千歳は、はっと身を起こした。

 出張中の社長からこのタイミングで連絡が入るということは、この顔合わせ絡みの内容でまず間違いない。

 眼光鋭くこちらを見据える弦之の視線から隠れるように顔を背けると、

「も、もしもし社長、ちょっと訳の分からないことになってます!」

はやる気持ちもそのままに、通話口に向かってまくし立てる。間を置いて、やや遠くから耳慣れた声が聞こえた。

『やあ、千歳。二日ぶりだね、元気そうでなによりだよ。そして少し待っておくれ。 ――そうか、やはり無理か』

 何か作業中らしい、通話口から離れて、それも別の誰かとも話している様子だ。

「待てって、今日はそんなのばっかりですよ……」

 混沌とするこの状況を、詳しく説明してくれそうな人物からの連絡だ。つい愚痴を零す千歳を余所に、電話の向こうでは会話が続く。

『――回線が不安定とは聞いていたけど、やはりここから顔合わせには参加は出来ないか。はあ、実に残念だ。事の首魁らしく画面越しに両手を組み合わせて登場したかったのに。絶対に映える場面だ。未曾有の危機を前に、若者達が一致団結するその始まりの舞台に顔を出せないなんて、ヒーロー戦隊の新シリーズ初回を見逃すようなものじゃないか』

「……社長、聞こえてますけど」

 本気で嘆いている様子の相手に、千歳は目を細める。

「と言うか、回線って事は」

 千歳は恭弥を見た。ノートパソコンにつきっきりだった彼は、千歳に気付いて、お手上げと言った風に肩を竦めてみせた。よく見ると、片耳にイヤホンを付けている。どうやら社長のもう一人の通話相手は恭弥らしい。

「上手くつながらなくてね。映像か音声のどちらかに障害が出るんだ」

「無理だと、最初に断ったはずだがね」

 おっとりと白瀬が口を挟む。

「帝大にはちょっとした魔除けが仕掛けられていてね。それが電波に障る事がある。特に今の時間帯は顕著だ。まあ、仕組みが単純なアナログ回線なら問題はないが」

 帝大と言えば、この国の最高学府、帝国学院大学に他ならないだろうが、一体何の話をしているのかと千歳が首を傾げていると、成り行きを黙って見ていた澤渡が反応を示した。

「こちらの社長は、帝大にいらっしゃるのか? ……確かあそこには、御統会の現代表がいたはずだが」

 不審も露わに、低く声をひそめる。同調するように、他の寮生たちも顔つきが険しくなった。

「社長は今、その学内図書館の内装工事に、アドバイザーとして出向かれている。担当者が急病につき、その代わりを請け負っておいでだ」

 説明する恭弥に、宇佐見が忍び笑いを漏らした。

「不測の事態で予定が前倒しになった挙げ句、本来ならここで采配を振るうはずの御仁が急な仕事で御統会代表の膝元に出向ですか。何やら曰くありげな話ですよね。白瀬さん?」

「そう思うのなら、そうかもな」

 刺を含んだ物言いを、白瀬はさらりと受け流した。

 ふーんと、胡散臭そうに稔が鼻を鳴らし、ジルは警戒するように顎を引いた。御統会に対する不審は、相当根深いらしい。

『千歳、スピーカにしてくれるかい?』

「――あ、はい」

 いざこざに気をとられていた千歳は、電話口の社長の指示に従い子機を操作、未だ硬直するポン吉をソファに置いて立ち上がる。音声が広がるよう子機を掲げると、全員が居住まいを正した。

「山城の長かよ」

 遅れて稔が、慌てて座り直す。かざした子機を前に、神妙な面持ちで構える面々を、千歳は御紋入りの印籠を掲げるような気持ちで見回した。白瀬の時とは段違いにかしこまる一同に、社長の影響力の強さを思い知り、気後れさえも感じてしまう。

 咳払いの後、子機から流暢な言葉が流れた。

『もしもし、聞こえるかな? 初めましてと、そうでない人には改めまして。スタジオ・ホフミ代表、児玉塚正樹こだまづか まさきだ。霞が淵の次期当主でもあるが、今は出奔中の身だ。気軽に正樹と呼んでくれ。そして今回、仕事を依頼した者でもある。

 では、仕事の内容を説明するよ。今電話の子機を持っている碓氷千歳。彼の側に、しばらく一緒にいて欲しい。それだけだ。宜しくね』

 若くして立ち上げた会社を、業界大手にまで急成長させた才能の持ち主である正樹、その簡潔過ぎる説明に、一同、しばらく黙り込む。

 ややあって、子機へ向けられていた注目が、ゆっくり千歳へと移動した。険しく緊張した眼差しだ。注目を一身に浴びた千歳は、笑顔を貼り付けたまま、ダラダラと冷や汗を流す。

(……うん?)

 真っ白になった頭の中で、千歳は正樹の言葉を反芻し、

「……社長」

 千歳は半ば呆然としながら口を開いた。

「おっしゃっている意味が、その、よく分かりませんが?」

『そうかい? 皆と一緒にいてね、と言っただけだよ? 何も難しい事はないだろう?』

 おっとりと正樹は言った。首を捻っている姿が、ありありと目に浮かぶ口振りだ。回りくどく話しているわけでも、ましてや冗談を言っている訳ではない。数瞬で悟った千歳は、焦って呂律を絡ませながら、

「そ、その言い方だと、まるで俺がっ……、と言うか、ちょっとタイムっ!」

 集まった視線を振り払うように、慌てて周囲にそう言い放つと、千歳は体ごと振り返りスピーカーを切る。しゃがんで子機を耳に押し当て、声が漏れないように通話口に片手を添え、小声で、

「……社長っ、その言い方だと、まるで俺が重要人物みたいじゃないですかっ?」

『そうだよ』

「はあ⁉」

 あっさり肯定されて、千歳は仰天した。

「そんな話、聞いてませんがっ⁉」

『あれ? 今回の御神託が君の過去と関係していると、恭弥から聞かなかったのかい? おかしいなあ、前もって話しておくように言ったはずだけど』

 通話口の向こうで、正樹が怪訝そうに言った。が、すぐに合点したように、

『ああ、成程。はっきり話すと千歳が怖じ気づくかも知れないから、ソフトに言い回してくれたのか。いやあ、気を遣わせちゃったよ』

 あはは、という、正樹の軽快な笑い声を聞きながら、千歳は努めて冷静に言った。

「そ、そうです。あくまで関係しているかもしれないという不確定な話として聞きました。ですから、いきなり重要人物と言われても困るんですがっ?」

 ただの引っ越しの挨拶のつもりで、この顔合わせに出向いた千歳だった。寮生が術者であっても、何やらたいそうな務めを担っていようとも、彼らの関係がこの上なく破綻していようとも、適度に距離を保ちながら、当たり障りなく付き合っていけるだろう、そう楽観的に考えていた。

 それが神域や御神託といった、おおよそ理解の範疇を超えた物事の核に据えられようとしているのだ。とんでもない話だと、千歳は必死に訴える。

「第一、俺はただの一般人です。術者ってのは専門職の極みみたいなものですよね? 仕事なんて出来るはずありませんっ」

『千歳が術者の真似事をする必要はないよ。これまで通り過ごせば良いだけだから。何か不測の事態が起きた時は、彼らを頼りするといい』

「何か起きることが確定しているってことですかっ⁉」

『うん。といっても、護衛をして貰う訳じゃないから、最低限、自分の身の安全は確保しようね。千歳は戦えないのだから、今日みたいに魔物に喧嘩を売ったらダメだよ?』

 言い聞かせるような正樹の言葉に、千歳は内心「何で知ってるんだっ?」と泡を食う。冷静に考えれば恭弥が報告したと分かりそうなものだが、狼狽しきって、そこまで頭は回らない。言葉に詰まった千歳に、正樹は調子を変えずに言った。

『もう自己紹介は済んでいるね? ならきっと、皆は君が重要人物だと気付いている』

「それは……」

 千歳は思わず口ごもる。正樹は千歳がずっと感じていた疑問点を、正確に突いた。

 その場におらずとも、的確に状況を把握する正樹に、千歳は舌を巻いた。流石と言うべきか、浮き沈みの激しい芸能界を、己の才能一つでのし上がってきただけのことはある。

 正樹の指摘に、混乱していた頭がスッと冷えた。

(――確かに、俺が自己紹介をした後、急に警戒しだした)

 あの時点では、千歳は舞台用の挨拶しかしていない。宇佐見も、人柄に難はあるが、下らない嘘は言いそうにない彼も保証している。

 千歳が術者界とは無縁だと認識出来る程度の情報だ。それだけで、何故彼らはあそこまで動揺したのだろうか。

(そう言えば、恭弥さん、抜け駆けとか言っていたよな)

 ジルもそんな言葉を口走っていた。と言っても、彼の場合は、千歳の危機を救うことによって、心ばえ良く取り計ろうとした、といった嫉妬の意味の方が強いだろうが。

(もしかして、俺が神域のご加護か何かを受けてると思われているのか?)

 世界崩壊という大惨事を耐え抜いた強い土地。術者の霊力の源泉とも言うべきその神域に奉仕をするとこで、なにがしの恩恵を賜ることが出来るという話なら聞いたことはある。

 逆に不敬を働けば、災厄に見舞われるとも。

 良し悪しに関わらずその影響は、一個人に留まらず、山麓より流れ広がる水と同じように、血縁の果てにまで影響を及ぼすと言われている。

(触らぬ神に祟りなし、とは言うけど)

(警戒しているのは、そこか?)

 あり得る話だ。

 神域からの御神託。

 その重要性について今一ピントこない千歳とは違い、彼らは任務として、各組織から派遣されている。術者としてしかるべき役職を持つ彼らからすれば、一アーティストに過ぎない千歳が混ざり込んでいるのを不審に思うのは当然だ。さぞ奇異な存在として、その目に映ったに違いない。

 依頼の核とも言うべき神域や御神託と、深く関わりがあるのではないかと推測したというのであれば、成程、確かに順当だ。

 宇佐見や弦之との会話の中で、千歳の霊力の高さが露見した際、何かを確信したようなあの素振りを鑑みれば、千歳の考えはあながち的外れでもないだろう。

 澤渡が千歳の縁戚について情報を引き出そうとしたことも、千歳本人ではなく、身内の誰かに該当者がいるのではないかと考えたのであれば納得がいく。

(……けど、これってほとんど憶測だよな?) 

 実際、憶測の域を出ない情報を頼りに、確証もなく千歳の背景を結論付け、あまつさえ警戒するというのは、少々強引な気がする。

(まさか俺が御神託を受けた張本人だとでも思っているのか?)

(いや、そこは社長だと明言されているから、流石にないか……)

 しかし、正樹から正式に依頼内容が明かされた直後の彼らは、実に冷静だった。異論や疑問が上がることもなく、承知したとばかりに千歳を見ていた。

 ――彼の側に、しばらく一緒にいて欲しい。

 たったそれだけの内容で。

 正樹の指摘通りなら、彼らは術者特有の嗅覚で、千歳の中に、千歳が自覚する以上の何かを嗅ぎ取った事になる。

(――おかしな事は、していない、言っていない)

(ただ、顔を合わせただけだ)

(……顔を)

 胸がざわついて、千歳は口を引き結ぶ。








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