難しい事は後回し
『君が神域とどう関係してしまったのか、彼らに話してごらんよ』
見透かしたように、通話口から声がした。
「ええ……」
千歳は心底嫌そうに顔をしかめた。神域との関わりと言えば、子供の頃、溺れた出来事に他ならないだろう。だが、個人のトラウマ話など、自己紹介の場で口にすべき内容ではない。
「初対面でいきなり深刻ぶって自分語り初めてもドン引きされるだけですよ。 ――と言うか、本当に関係あるんですか?」
千歳は猜疑心を込めて質問した。
千歳が神域と関わりがあるのは紛れもない事実だ。しかし、ただ溺れただけというその過去が、今回の御神託の話とどう絡むと言うのだろうか。重要人物かどうかも疑わしいうちに、思い出したくもない過去話を持ち出されて、内心穏やかではない千歳だった。口調にも不満が滲むというものだ。
「要は一緒に寮生活を送れってことですよね? 具体的な事は何もおっしゃっていないじゃないですか。御神託と言うなら、まずはその内容についてお話すべきでは?」
今度は千歳の指摘が的を射たらしい。電話口の向こうで、正樹が困ったように笑うのが聞こえた。
『うん、そうだろうね。実は御神託の内容を記した紙があったんだけど、実家から持ってきた時、どこかに紛れてしまったようで、見当たらないんだ』
(――何やってんだ、この人は……!)
悪びれもなく白状する正樹に、千歳は白目を剥く勢いで押し黙る。
スタジオ・ホフミの社長は多才な芸術家だ。情緒、感性ともに広く豊かである。細かい所は気にしない寛容さがあり、それ故に、雑だった。
『仕事部屋にあるのは間違いないんだ。美代子君にお願いして、ちょっと探して貰っている最中なんだよ』
「そう言えば師範、そんなこと言ってましたね……」
『そんな訳で、今はまだ、詳しいことが話せないんだよね。あれを見れば一目瞭然なんだけど、ないと説明が難しくて。だからその辺の事情を、千歳、上手く話しておいてくれないかな?』
笑いながら、無茶振りをする社長に、千歳はとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「上手くって、この状況で、何をどう話せとっ――」
ブツッと音を立て、通話が途切れた。ツーツーと繰り返す機械音に、千歳は「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「もしもし、社長?」
子機を耳に当て呼びかけるも、通話は完全に途絶えてしまっている。
千歳はゆっくりと首を巡らせ、白瀬と恭弥の方を見る。
「……あの、切れてしまいましたが」
「ええっ?」
他に言いようがないので、進行役二人にそのまま報告すると、恭弥が慌ててノートパソコンの操作にまわった。
「おやまあ」
「何かした?」
目を丸くする白瀬を即座に稔が疑う。
「意味のない事はしないさ」
「アナログ回線なら問題はなかったはずでは?」
「常ならそうだがね。さて……」
恭弥の質問に答えながら白瀬は立ち上がった。千歳の側へ歩み寄り、子機を受け取る。ボタンを操作しかけ直すが、
「――通信は無理か」
白瀬はあっさり諦めた。ツーツー音の繰り返す子機を切り千歳に返し恭弥に目を向けるも、ノートパソコンもまた本格的に遮断してしまったらしい。嘆息しながら恭弥は蓋を閉じた。
「千歳君、社長は何か仰っていなかったかい?」
「えっ? ええっとですね……」
恭弥に問われて、千歳はごにょごにょと言い淀む。
「ご、御神託はですね、覚え書きがあるとかで、それを提示しながら説明したいと、仰っておいでです……」
語尾を萎ませながら、しどろもどろに説明する。どこへ仕舞ったのか分からないとは、社長の名誉のため、どう転んでも言えない。
「ふうん、そうか。――さて、なら、どうしたものか……」
顎を撫でながら独りごちると、白瀬は考え込む。
納得してもらえたことにほっとして子機に視線を落とした千歳は、途端に、うっと顔をしかめた。爪先が光を灯している。
どうやら通話が途切れた原因は、千歳が取り乱したことにあったらしい。
(……やっちゃってるし。けど、これ、言ったところでどうしようも……)
頬を引きつらせながら、チラリと白瀬に目を向けると、彼はのほほんと千歳の動向を伺っていた。
面白そうにこちらを見るその目つきから、通話が遮断した原因を正確に把握していることが知れた。恐らく子機を渡した際に、爪先の変化に気付いたのだろうが、その上で千歳がどういった行動を取るのかを、興味津々で観察している。
(うわあ……)
ニコニコと笑みを浮かべる白瀬に、千歳はぎこちなく笑い返す。
二人の無言のやり取りから、恭弥もまた事情を察した様子だが、下らなそうに白瀬を眺めるだけで口は挟まなかった。
「何? 詳しい話もなく、これで終わりって事?」
稔が不貞腐れた様子で、頭の後ろで腕を組む。
「わざわざ移動までして、しょーもな」
「移動は、我々の身を案じた社員方の提案だ。――原因を作ったのは、別の者だが」
「初日からこれでは、先が思いやられます」
「厄払いとでも思っておけば、かえって幸先は良さそうかな?」
訳を知らない他の寮生達が、チクチクと白瀬に不満を投げつけるのを、千歳は良心の呵責に苛まれながら耳にする。
自分の失態のとばっちりを受ける白瀬はと言えば、涼しい顔で全てを受け流していた。
「……あの、もう一つお伝えしたい事が」
流石にこらえきれずに、千歳はおずおずと片手を上げた。
「一般人の俺が、この案件に混ざっている理由を話すようにと言われたのですが」
白瀬への非難が、ピタリと止んだ。
全員が固い顔つきで千歳を見る。
「――へえ? 話してくれるのかい?」
笑みを浮かべる白瀬が、軽く目を見開く。揶揄いを含んだわざとらしい口調だ。
気軽な物言いに、千歳の事情を知る恭弥とジルがムッと顔をしかめるが、千歳にすれば改まって促されるよりよほど話しやすい。
「――ええっと、お耳汚しかと思いますが」
前置きもそこそこに、千歳はなるべく手短に事の次第を伝えるのだった。
「――依頼の子細は、予定通り明日、正樹殿の口からお聞かせ頂くということでこの場は納めたいが、構わんか?」
白瀬の提案に、無言の不満が立ちこめる。と言っても、ここで不服を申し立てたところで無意味なのは明白だ。文句も言い尽くしている。全員、不承不承ながら、提案を呑んだ。
「その前に、寮の一件について伺いたい」
相変わらず堅苦しい口調で澤渡が言った。
「理由も知らされぬままこちらへ移動させられている。いい加減、説明頂きたい」
「確かに、そこは確認しておきたいね。ついでにタイミング良く現れた記者についても、手短にお願いしたいよ」
ひんやりとした口調の宇佐見が、澤渡に次いだ。
彼らのやり取りを、ソファに腰を下ろしながら、千歳はぼんやりと、聞くともなく耳を傾けていた。
(――何というか、あっさりだった)
神域で溺れて死にかけたと千歳が告白したその直後、応接間は水を打ったように静まりかえった。
「……成程、そうきたか」
そう白瀬が零した程度で、後は誰も口を開かず、千歳の短い過去話は、ほとんど聞かなかった事として取り扱われた。冗談めかして「あ、実は二度あって」と付け加えたが、無反応に変わりは無く、痛い思いをするだけだった。
取り沙汰するほどの内容ではない、と、捨て置かれた訳ではないことは、ひしひしと感じた千歳だった。
(保留にされたくさいな、これ)
(後で問い詰められたりは、……しそうだな)
(あー、やーだなー)
素知らぬ顔で話題を変えた皆を視界に入れながら、千歳はぐだぐだと思考の渦に溺れる。
「寮の騒ぎか、あれは――」
「ヌエの話がまだ終わっておりません」
白瀬の言葉を遮って、弦之が口早に割り込んだ。言葉と同時に一歩前へ進み出ると、ソファに座る千歳に目を向ける。
(――あ、そう言えば、そんな話をしている最中だったっけ)
すっかり忘れていた千歳は、慌ててソファに沈み込んでいた体を起こした。
「千歳殿とお呼びしてよろしいか? ヌエと、その内部がどのように映ったのか、お聞かせ下さいっ」
彼にとってどうしても譲れない案件らしく、千歳を見る目には、焦燥がありありと浮かんでいる。
しかし他の寮生達は淡泊だった。
「その話は後で聞きなよ。なーんか長くなりそうだし。どう考えても寮のが先」
稔が面倒くさそうに遮る。弦之が険しい顔つきで睨むのを「おー、怖い」と惚けながらそっぽを向いた。
「退治が済んでいるなら個人的な質問になる。急を要することもないだろう」
澤渡もまた稔に同意した。弦之はぐっと言葉を呑み込む。正論だと理解しているようで、黙り込む弦之に、宇佐見が追い打ちをかけるように笑った。
「ヌエの相方を特定したところで、現状、俺たちには手出しできない。他人にまとわりつく卑しい顔を見たところで、気分が悪くなるだけさ」
「お控え下さい」
切りつけるように弦之が言った。
「外道に罰を科せられなくとも、相手を特定し、その背後関係を暴くことで見えてくるものがあるはず。術者ならば、あの者たちの所業を軽視なさらぬよう、心置き下さい」
「勿論、骨身に染みているよ。さて、白瀬さん。お願いします」
語気を強める弦之を軽くあしらうと、宇佐見は白瀬に話を振った。
一連の流れを眺めながら千歳は、弦之の顔を盗み見る。苦虫をかみつぶしたような、苛立ち混じりのやるせない横顔だ。彼の質問に答えぬうちに、方々から割り込まれた挙げ句、話題自体が打ち切られたのだ。未練がましいと言うより、妥当な態度のように思える。
「……えっと、御蔵君?」
「この界に御蔵の姓の者は多くおります。弦之とお呼び下さい」
千歳は周囲をはばかるように声を潜めたが、弦之はごく普通の声量で答えた。低い声音は淡々として、自分の感情を相手にぶつけるような事もない。
(真面目というか、生真面目かなあ)
(色々しんどそう)
何となく彼の性格が知れて、千歳は内心嘆息しながら続けた。
「ヌエの事だけど、上手く説明出来そうにないから、後で絵を描くよ。それでいい?」
千歳の提案に、弦之は軽く目を見開いた。少々危ぶむように、
「それはありがたいお話ですが、絵心はおありでしょうか」
「勿論」
千歳は即答した。
「神絵師とまではいかないけど、イラストレーターの肩書き持ちだからね。それに普段から魔物を見かけたら、絵にして報告するよう社長から言われている。描き慣れているから、それなりに正確だと思うよ」
得意げに断言してみせる千歳を、弦之はしばらく見やると、体ごと向き直り、改まった様子で深々と一礼した。無駄のない流麗な所作が、彼の育ちの良さを体現しており、堅苦しさは身についた習性なのだろう。
(良家の子女ってやつかな? これまで関わったことのないタイプかも)
愛想笑いを浮かべながら、軽く手を振って礼を受ける千歳だった。
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