白瀬ミカゲ

 通常業務を終えた三階事務フロアは閑散としていた。恭弥と二人、観葉植物が飾られた廊下を歩きながら、千歳はガラス壁越しに事務所内をのぞき見る。すっきりとしたレイアウトの室内は照明の落とされた区画がほとんどで、数名の社員がデスクでパソコンに向き合っていた。

 前方に複数の人の気配を感じて顔を向けると、果たして会議室の扉が開いている。丁度会議が終わったところらしい、開け放たれた扉から疲れた顔つきの社員たちがやれやれといった風に出てくるのが見えた。

 その中に他の社員同様、疲労を滲ませながら退室する美濃を見つけて、千歳は控えめに声をかけた。

「美濃さん、お疲れ様です」

 呼ばれてはっと顔を上げた美濃は、千歳の姿を認めて破顔した。

「千歳君、お帰りなさい」

 動きやすいパンツスーツに軽く捻って纏めた髪型の美濃がキビキビと歩み寄ってくる。背筋の伸びた無駄のない動きが彼女の有能さを物語っていた。

「弓削君もお疲れ様。――あら? もう一人の子はどうしたの?」

「弦之君なら先に帰らせたので、もう上じゃないですかね」

 天井を指す恭弥に、美濃は顔をしかめた。

「ええ? 一緒に帰ってこなかったの? もう、いくら後輩だからって、こんな時に一人にするものじゃないわ」

 やや非難めいた物言いに、しかし恭弥は軽く肩を竦める。

「子供じゃないんですから大丈夫ですよ」

「弓削君。連絡もなくあの子がやって来て、ちょっと怒っているでしょう? それで突き放すのは関心しません」

 きっぱりと言われて、しかし恭弥は笑いながら「そうですね」と軽く受け流す。反省の色を微塵も感じさせない恭弥の態度に、美濃は咎めるように目を細めるが、それ以上は追求せずに、千歳に目を向けた。

「何にせよ、無事で良かったわ」

 心底安堵した様子で笑う美濃に、千歳は曖昧に笑みを浮かべた。

(魔物には襲われましたけどね……)

 まさかそれを報告するわけにもいかず、千歳はそれとなく話題を変える。

「会議は終わりですよね。それで寮の件はどうなったんですか?」

「警察からの連絡で侵入者の身元は割れたから、そちらは早く片付きそうよ。ただ、別の問題が露見してね」

 こめかみに手を当て、美濃は苦く息を吐く。

「社員寮そのものに曰くがあったのよ」

「曰くって……、まさか事故物件?」

 青ざめる千歳に恭弥が眉をひそめながら口を挟んだ。

「いや、新築だったはずだよ。土地も元は農地だったから、むしろ普請に問題があったんじゃないかな?」

「それって欠陥住宅ってことですか?」

 それはそれで嫌な話だと千歳は顔をしかめた。恭弥は顎に手を当て、

「元が田畑だと地盤が相当緩いから、念入りに基礎工事をしないとすぐに障りが出るという話だけど」

「障りって、具体的どんなのですか?」

「色々あるだろうけど、まずは建物自体が盛大に傾く」

「ええー……」

 それは住居として用をなさないのではと、千歳は引き気味に考える。

「……俺、そんなトコに引っ越したくないです。むしろ住めないのでは?」

「だろうね。下手をすると、体を壊してしまうよ」

 深刻ぶって話す恭弥に、千歳は押し黙った。もしそうだとしたら、引き払ったばかりの社員寮へ逆戻りになるわけで、面倒だった引っ越しの荷造り全てが無駄になってしまう。げんなりする千歳に、恭弥は少し笑って、

「適当を言っただけだから真に受けないでね。――それで、実際のところはどうなんですか、美濃さん」

「あー、ええっと、どう話したものか……」

 美濃は眉間に皺を寄せた。彼女らしからぬ歯切れの悪さで、

「普請や土地の善し悪しじゃなくてね。元の所有者に問題が――」

「その件はこちらで説明しておきますので、どうぞお構いなく」

 唐突に飄々と男の声が割り込んできた。その声を聞いた途端,、美濃は眦をつり上げる。怒りの形相へと変貌する様を真正面から見てしまい、千歳は内心(ひぇっ)と竦み上がった。

「問題をここまで放置した方にお任せできるとでも?」

 振り返り、刺々しく意見する美濃に、しかし声の主である男は意に介した風もなく、ははっと軽快に笑い、

「何、問題を押しつけられるのには慣れておりますので、そちらもご心配は無用ですよ」

 鷹揚に言ってのける男の言葉に、美濃の肩が戦慄くのを見た千歳はそっと後ずさる。

 千歳の担当は自分の許容範囲を超える事態に遭遇すると稀に爆発する。普段の温和で冴えた彼女しか知らなければ、その変容に度肝を抜かれることは必死だ。

 が、男は今にも爆発しそうな美濃をあっさり放置すると、千歳と恭弥に目を向けた。千歳も美濃の肩越しにその姿を認めて、目を瞬く。

 ひょろりとした長身の男だ。洗い晒しのシャツとザックリとしたズボンの簡素な身なりで、明らかに社員とは異なる風体をしている。年は三十代前後とあたりをつけるが、年季の入った語調は少々年寄り臭い。

 場所にそぐわない人となりではあるにも関わらず、周囲の情景から浮き上がることなく、むしろ馴染んで見えるのが不思議だった。

(――この人は)

(術者だ。それも相当高位の)

 千歳は直感した。

 術者とそうでない者を見分けるための明確な指標はない。しかし高位の術者には、静まりかえった独特な雰囲気と間合いがある。目の前の男の、収まりよく立つ姿がまさにそれだった。

 スタジオ・ホフミには、社長の知己である高位の術者が時折訪ねてくるので、ざっくりと見分けがつくようになったのだが、そのような人物が今のこの場にいるということは、

(御神託がらみの関係者ってことだよな)

 順当に考えて、すぐにあれ? と首をひねる。

(確か全員、学生って話じゃなかったっけ?)

 隣に目を向けると、情報源の恭弥はそつなく頭を下げていた。相手も軽く応じるにとどまったので、顔見知りで、それも上の立場の人間であることが知れた。だが、恭弥の態度はどこか頑なだ。美濃のようにはっきりと表には出さないものの、男への心証がよろしくないと察せられる。対して男は、隔意を滲ませる恭弥をどこか面白そうに眺めている。

 千歳は複雑な顔になった。

(――なんというか、面倒な気配がする……)

 微妙な人間関係を垣間見ながら、千歳もまた当たり障りのない挨拶をした。

「どうも、初めまして」

「ああ、君が」

 枯れ草のような前髪の向こう、片方だけ覗く目が、興味深く千歳を見た。

「――ええっと、ち、ひろ君だったか?」

「……碓氷千歳です」

 名前を間違えられたことにはあまり気にせず訂正すると、男は目を細めた。柔和だが、どこか楽しむ風でもある。

「これは失礼。俺は白瀬しらせミカゲという者でね。新しい寮の管理を仰せつかっている。まあ、ひとつよろしく」

 気安く笑う男に千歳は営業用の愛想笑いを浮かべて、成程と納得する。

(寮の管理責任者……。不法侵入の件を連絡し忘れたのはこの人か)

 あらかじめ千歳を知っていたことにも頷ける。――うろ覚えではあったが。

(つまり美濃さんの怒りの元凶ってことか……)

 千歳は改めて白瀬の姿をためつすがめつし、

(うーん。確かにこれは怒りを買ってしかるべきかも)

 まだ詳しく聞いてはいないが、新しい寮で起きた事件のせいで社内は相当混乱したに違いない。全ては白瀬と名乗った男の連絡ミス、職務怠慢が原因で間違いなさそうだが、当人、どう見積もっても当事者意識がまるでない。 

「……白瀬さん、こちらのお話はまだ済んでおりませんが」

 静かに怒気を含ませながら、美濃が口を開いた。千歳がさらに半歩後退する。

「うん? さて、会議の間に全て報告させてもらいましたが、まだ何か?」

 皆目見当つかないといった口振りに、美濃が肩を怒らせる。これはまずいと千歳は頬を引きつらせるが、美濃が爆発するより先に、何かに気づいて顔を上げた恭弥が、前方に視線を向けたまま口を挟んだ。

「美濃さん、呼ばれているようですよ」

 言って事務所の入り口を示す。確かに扉から顔をのぞかせた社員が、手招きしながら美濃を呼んでいるのが見えた。その顔つきは深刻そのもので、急ぎの案件であることが窺える。

 振り返り確認した美濃は、怒りを吐き出すように深々と息を吐くと、

「すぐに戻りますから、少々お待ちください」

 抑揚の効いた口調で白瀬に留まるよう釘を刺し、小走りに扉へと向かった。

 美濃が室内へと姿を消したのを確認して、白瀬は、さて、と伸びをする。

「じゃあ、先に行かせてもらうよ。後はよろしく」

 手をヒラヒラと振って悠然と歩き出す。これ幸いと言わんばかりにとんずらを図る白瀬に、千歳は慌てて、

「ええっ? 美濃さんは用があるっておっしゃってましたよ」

「さて、これ以上絞られても何も出やしないさ」

 言って、ふと思いついたように足を止めた。

「――そうだ、千歳君。ちょっと聞きたいんだがね。この会社の社員は、術者の界についてどの程度知っているのだろうか?」

 出し抜けに質問されて、千歳は怪訝に顔をしかめた。

「いきなり何ですか?」

 意図が読めずに警戒しながら質問を返すが、千歳の不審を余所に、白瀬は気軽に続けた。

「うん、教えてくれるかい?」

 口調は軽いが押しは強い。無遠慮な白瀬に呆れながら、しかし黙っている理由もないので、千歳は適当に答えた。

「さあ? ほとんどは知らないと思いますよ」

 スタジオ・ホフミに所属するアーティストは、ほぼ全員が社長のスカウトで採用されており、すべからく何らかの超常の力を持っている。それに引き換え、社員は採用試験の合否で雇われており、超常の力は勿論、術者やその界とも無縁だ。

(――気づいている人もいるだろうけど)

随分前の話だが、夏の盛り、暑さにかまけてうっかり社内でターバンを外したことがあった。千歳の髪色が、本来の苗色に変じるのを偶然目撃した社員たちは、一様に言葉に詰まった様子で千歳を見ていたが、何も言わずにいてくれた。そしてその後も、奇異な目を向けるようなことはなかった

(大人の対応ってやつか)

 感心とも皮肉ともとれる感想を抱きつつ、千歳もまた、その配慮に応えるように、社員らの常識を覆さないよう気をつけている。

(まあ、時々やらかしてしまいますが)

 他のアーティストたちも修練を積んだ術者ではないため、千歳同様、社内で失態を犯してしまうことはままあったが、社員の方はそれぞれが個人の采配で、当たり障りのなくやり過ごそうと心がけているように思えた。

 芸能関係の会社に勤務する以上、アーティストたちの実力をいかに世に発信できるかが重要なので、特異体質については問題視しないのが会社内で暗黙の了解になっているようだった。

「ふうん。研修や何かでそれとなく言い含めているのかい?」

 白瀬の言葉に、千歳は思わず苦笑した。

「まさか、それはないと思いますよ」

「直接聞いたことはあるかい?」

「いえ、ありませんけど」

「なら、何か言われたことは?」

「……それもありませんよ」

 何について探りを入れているのか分からず、千歳は身構えるように白瀬を見た。警戒する千歳に、しかし白瀬は視線を宙に彷徨わせると「なるほど」と、独りごちるように呟き、

「――分かった、ありがとう」

 礼を言うと踵を返し、本当にそのまま去ってしまった。拍子抜けするほどあっさりとした態度だった。

 廊下を悠然と歩み去る白瀬の自由気ままなその姿に、千歳は唖然となって恭弥を見る。

「あの人、何なんですか?」

「ああいう人だよ」

 素っ気ない物言いに、千歳はやや半眼になる。

(あー、恭弥さん、これはかなりあの人のことが嫌いだ)

 冷静沈着を絵に描いたような恭弥ではあるが、その実好き嫌いははっきりしており、一度線引きしたその区分を簡単に崩さないところがあった。白瀬を相手に、普段はなりを潜めているその頑固さが透けて見えて、

(これ以上話を聞くのは無理だな)

 千歳はすっぱり諦めた。

 何にせよ、白瀬という人物が相当図太いということだけは理解した。

 そうこうしているうちに、美濃が足早に戻ってきた。白瀬の姿が見えないことに一瞬ムッと顔をしかめるが、どうやら僅かな間に彼の人となりを把握したらしい。疲れように肩を落として、彼の不在については触れなかった。

(社会人は本当に大変だ)

 悄然と項垂れる姿を気の毒そうに眺めていると、美濃は気持ちを切り替えるように背を伸ばし、ふっと一息吐いてから口を開いた。

「記者が押し入ってきたそうね。警備室から連絡があったわ。今し方帰ったそうだけど、大丈夫だった?」

「むしろあの人の方が大変そうでしたよ」

 興味なく言うと、美濃は考え込むように視線を斜めに落とす。

「ならいいのだけど。それから弓削君、ちょっと込み入った要件が出来たの。良いかしら?」

「俺ですか? ――ええ、分かりました」

 美濃に呼ばれて意外そうに顔を上げた恭弥は、しかし心当たりがあるのか、素直に返事をした。

 美濃は千歳つながりで恭弥にも気安く話しかけるが、仕事上での関わりは皆無だ。よって美濃が恭弥に仕事を依頼することもないはずだが。

「何かあったんですか?」

 訝しむ千歳に、美濃は少々表情を固くする。

「弓削君に確認したいことがあるの。千歳君、悪いけど先にゲストルームへ行ってくれるかしら」

「? ええ、それぐらい問題はありませんけど」

「なら今日はこれで上がりね。ゲストルームでは位高さんの指示に従って頂戴。それじゃあ、お疲れ様」

 手早くそう告げると、美濃はさっさと行ってしまった。普段以上の気の早さである。

 やけにせっかちな美濃に、千歳は困惑顔で恭弥を見るも、

「弓削君、早く」

 既にドア近くへ移動した美濃が急かすように呼ぶので、恭弥は肩を竦めて横目に千歳に笑いかける。

「ちょっと行ってくるよ」

 言い残して、小走りに急ぐ。

 一人ぽつんと取り残されて、妙に侘しい気持ちになる千歳だったが、

(――ま、子供じゃないんだし)

(勝手知ったる我が家のような場所ですから、ゲストルームぐらい一人で行けますとも)

 ふふん、と一人、何故か強気に開き直るのだった。

(そう言えば、あの白瀬という人も、神域がらみの関係者でいいんだよな?)

 確認はしなかったが、まず間違いないだろう。だとすれば、弦之、ジルと続いて、なかなかアクの強い人物が集まったことになる。

(五人だったよな。いや、白瀬さんを数に入れると六人か。つまりは後四人。 ――他はあっさりめでお願いしたいよ)

 辟易と顔をしかめながら、千歳はキャリーケースを引いて歩き出すのだった。


 ――その願いがいかに虚しいものだったと思い知るのは、ゲストルームへ到着してからすぐのことである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る