シネマフロア激闘 誰のせい
空を見つめる千歳は、ほとんど自失状態だった。
振り下ろされる直前の剣から一転、目の前が開け、そこから時間の感覚がない。時折振動がして、床に散らばった物品が震えているのを感じる。
片手をワゴンの端にひっかけた状態で呆然としていると、トスン、と軽い音をたて、横に何かが落ちてきた。それでようやく、千歳は目を瞬いた。
「あ? ポン吉……」
四肢を震わせ、床に散らばるクリアファイルに足を取られながら歩くポン吉は這う這うの体だった。体毛も萎れて、体が普段より一回り小さく見える。
ふらつきながら千歳の元へ歩み寄ると、膝の傍で、ぺしゃりと腹を、力尽きたように床につく。
「どうした? 大丈夫か?」
千歳はワゴンを掴んで固まっていた手を何とか動かすと、霊獣に差し伸べる。ポン吉は精魂尽き果てた様子で主人に顔を向けると、しょんぼりしながら小さく鼻を鳴らした。
「お前、何でそんなふらふらなんだ……?」
「ポン吉君、頑張ったんだよ」
右からジルの声がした。先ほどの声が空耳ではなかったのだと、千歳はぼんやり考える。
「ちゃんと褒めてあげてね」
そう朗らかに話す彼の声音は、やけに明るく高揚している。
声のした方向へ首を巡らせると、背を向けるジルが見えた。大道芸で使うすだれのような物を弧に広げ構えている。
(いや、木製のブラインドか?)
(それにしては板の幅が広いけど……)
破損部分が散見するそれを物珍しく眺め、次いで僅かに見えるジルの横顔を見る。口の端に笑みを浮かべているが、目は挑むような恐れるような、彼らしからぬ緊張を湛えていた。
(百面相かな?)
自己紹介時の氷の表情を、千歳はひどく遠く思い出す。
(それから、何だっけ?)
思考がやけに鈍い。
『随分な有様だね』
バサバサと鳥の羽音と共に、笑みを含んだ声が頭上から降ってきた。仰ぐと、ワゴンの上から見下ろすカラスと目が合った。
「――先輩ですか?」
本物と寸分変わらぬ姿をしているが、生き物の精気を感じないそのカラスは、街中で時折見かける宇佐見の鳥型式だ。
小首を傾げるカラスを、これまた千歳はぼうっと眺めていたが、徐々にその目に光が灯り、表情が険しく引き締まる。もたれていたワゴンからばっと身を起こした。
「そうだ、ガシャ――」
ドンッ、と室内が揺れた。ワゴンに残っていた物品がさらに落下する。
千歳もバランスを崩すが、何とか床に手を付いた。揺れが収まるのを待ち、身を捻って、カラスを見上げる。
「先輩っ、ガシャ鎧が!」
「青ガシャね。今交戦中だよ」
今度は金属音が響く。
千歳は床を這い、ワゴンから顔を出した。交戦中と言った宇佐見の言葉通り、シネマフロアは惨憺たる有様だった。
床や壁はそこかしこが割れて剥がれ、あるいはめくれ上がり、煙か埃かを上げている。角柱は高い位置から斜めに切り裂かれ、ソファもあちらこちらに転がっていた。
コンセッションカウンターも叩き潰されたのか、一部が崩落、壊れたレジスターが床に転がっている。
天井のモニターやスポットライトは半分以上は墜落して、残りはコードでぶら下がり、室内の振動に合わせて揺れていた。
すっきりと整えられていたシネマフロアは、僅かな間に、見る影もなく破壊されていた。
呆然と眺めていると、角柱の陰から弦之がバックステップで飛び出した。
荒く息を吐きながら間合いを取り、刀を構え直す横顔は、緊張に張り詰めている。
追うように角柱から青ガシャが歩み出た。弦之とは真逆の、悠然とした足取りだ。
青い炎を上げる姿に、千歳はスッと背が粟立つ。
その微動に気付いたのか、刀を振り上げようとした青ガシャが動きを止めた。機械じみた恐ろしい速度で首を回転、千歳を捉える。
「――っうわっ!」
飛び上がるほど仰天して、千歳は慌てて頭を引っ込めた。ワゴンに背中を貼り付け、バクバクと跳ね上がる己の心音を聞く。
「……こっ、こっち、何かこっち、見てるんですけどっ?」
上擦った小声を上げる千歳に、カラスは跳ねながら半回転、青ガシャに向き合う。ふむと、宇佐見の頷く声がして、
「君が目当てらしいね」
「いや、困りますってっ!」
千歳は必死の形相でカラスに怒鳴る。怒鳴ってから、あれ? と目を瞬き、
「先輩、何でここにいらっしゃるんですか?」
「そりゃあ、君を迎えに来たから」
「…………。はあ。それはどうも」
(恭弥さんが良かったな……)
と、内心少しがっかりしながら、しかし愛想笑いで誤魔化してみせたが、宇佐見には筒抜けだったらしい。
「弓削殿は所用で外していらっしゃるから、お迎えは僕たちで我慢してね?」
「そ、そうですネッ」
幼稚な思考を読まれた上に、子供に言い聞かせるような口調で諭されて、千歳はこの上なく赤面する。
(しまった。とんでもなく恥ずかしいこと考えてたぞ……)
実際、千歳のやらかしをフォローしようとする相手対して、とんだ甘ったれな思考だ。千歳は小っ恥ずかしく狼狽えながら、
「そ、それで、僕たちってことは、寮生全員ですか?」
澤渡や稔の姿は見えないが、どこかに潜んでいるのだろうか。
「そ。でもどこにいるかは秘密だよ?」
カラスは羽根を唇の前に立て、内緒と笑う。
「それで碓氷君、見たところ怪我はないようだけど動けるかな?」
「え? ええっとですね……」
千歳は言い辛そうに目を泳がせた。
足腰に力が入らないのは、ガシャ鎧に注目される前からだ。威嚇されて竦み上がったせいではないと主張したいところだが、今は自尊心にこだわっている場合ではない。
千歳はばつが悪く顔をそらしながら、
「……ちょっと時間を頂きたいです」
「そう? なら都合が良い。しばらくそこにいてくれるかな?」
「何を言ってるんですかっ!」
宇佐見の提案を聞きつけたジルが猛反発した。前を気にしながら振り返り、厳しくカラスを睨む。
「すぐにこの場から退避させるべきです」
「うん、本当ならそうして貰いたいところだけど。生憎、非常階段は瓦礫が散乱している。撤去には時間がかかりそうだ」
こっちに回り込んだのは失敗だったよ、とカラスが腕を広げて首を振る。
「な、なら、エレベーターの扉をこじ開けて、階下へ移動すれば」
ジルが別のルートを提案するが、彼自身、この案に消極的なのだろう。口調に躊躇いがある。
エレベーター、と、ほとんど無意識にそちらへ目を向けた千歳は、そのまま固まった。黒一色に染まった待合所が視界の端に入ったのだ。
壁や床は煤だらけ、ソファは、辛うじて形はとどめているが、高温で溶けて縮んだ合成皮革が、奇妙なシルエットを作っている。クレーンゲーム機の破壊されたケース内部に黒く山積みされているのは景品の残骸だろう。消し炭と化したぬいぐるみの一部が、床に落ちて崩れていた。
見るも無惨な姿へと変わり果てた待合所を、千歳は呆然と見つめる。
「それもアリだけど」
言ってカラスは千歳の頭を嘴で小突いた。はっとしてカラスを見ると、黒々とした目が困ったように千歳を見つめ返す。
「あの青ガシャは、碓氷君、君をご指名だ。君が移動すると、後を追いかけて他のフロアまで荒らされかねない」
千歳はギクリとなった。
君のせいだよ。と、この事態を引き起こした原因に言及されたような気がしたのだ。
「――――そ」知らず唇が動いた。言いかけ、しかし千歳は飲み込む。
不自然に押し黙った千歳を知ってか知らずか、カラスは状況説明を続けた。
「現在、五階フロア全体は術で封鎖されている。ここで仕留めたい。有り体に言えば囮になって欲しいんだけど。――いいかな?」
強要するつもりはないらしい。カラス越しに宇佐見は千歳の返事を待っている。
「……ええ、それは勿論」
改めて口を開いた千歳は、黒いカラスの目玉を見つめ返しながら、低い声で言った。
了承を求められるまでもない。
この事態を引き起こしたのは千歳だ。
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