シネマフロア激闘 フォロー

 街中の公共物が、魔物を始めとする異形に破壊された場合、街の保全を担当する術者達によって、速やかに隠蔽工作が行われるという。

 異形の存在が公にされていない以上、事情を知らぬ者たちが被害の原因を突き止めることは不可能、例え出来たとしても、ありのままを報告するわけにはいかない。

 よって、破壊の痕跡を全て消し去り、異形の襲撃自体を無かったことにする。

 だが、壊れた物を元通りに戻す術はない。巧みに誤魔化してみせたとして、一度壊れたという情報は確実に物に刻み込まれる。修復部分は脆くなり、経年劣化を早めてしまう。

 それに隠蔽工作自体も、全ての被害に手は回せない。可能な範囲内での処置に過ぎないのだ。

 千歳は、壊れたロビーを視界に入れる。

(修復は出来るだろうか……)

 もし間に合わなかった場合、この惨状は、衆目に晒されることになる。

(……ここは)

(ここは人が楽しむ場所だ……)

 夢が辻を歩いたせいかもしれない。

 さっき見た、誰かの夢の影響だ。

 ここは郊外のありふれたショッピングセンター、そのシネマフロア。同じ階にはレストランフロアが併設され、休日には近隣の住民たちが家族や友人と親交を深めるため、あるいは日々の鬱積を晴らすために訪れる娯楽施設。

 それが謂われなく破壊されたらどうなる?

 原因について、どのような憶測が飛ぶにせよ、社会的な不安は煽られるだろう。ありもしない経営側の過失を疑う声も上がるかもしれない。

(全部俺のせいってことか?)

 飲み込みそびれた言葉が、喉の奥で引っかかっている。ロビーの惨状を目の当たりにしたときから、ずっと考えていたことだった。

 この状況を作り出したのは自分なのだろうかと。

(……そうだよな)

 夢が辻を抜けると気が乱れ、異形が騒ぐ。散々言われたことだ。

 やるなと言われたことをやってしまったからには、どんな言い訳も通らない。

(――囮ぐらい、慣れている)

 胸を圧迫する自責を振り払うように、千歳は気力を奮い立たせる。

(落とし前を付けられなくても、甲斐性ぐらいはみせるさ……!)

 意気込む気持ちもそこそこに、しかし、

(……まあ)

(色々あったのは確かだけど……)

(特に今日は)

 徐々に気持ちが萎んでいく。全ての元凶が千歳に帰結する。そう言われると、反感を覚えるのもまた事実だ。

 自分の失敗を他人のせいにしたくはないが、どうしても胸の内で、理不尽や不服が暗く膨らむ。

 だが。

(……一つでも、それをしてしまうと)

 耳の奥で、水の気泡が聞こえる気がする。気のせいだと振り払うように、千歳は拳をきつく握りしめる。汗ばんだ手の平に、ミニハーモニカの角が食い込む。

 色の変わった手だ。

 意識してしまうと、考えずにはいられない。

(――なら、どうして)

『それからもう一つ』

 カラスが言葉を続けた。言い忘れた伝言を伝えるような気軽さで、

『碓氷君。この事態を引き起こしたのは自分だと思っているなら、その考えは今のうちに改めてね』

「――それは」

 千歳はのろのろと首を巡らせカラスを見た。

『内省は大切だよ。だけど過ぎるとカルマにつけ込まれる。アイツらは、そういうまともな人間の思考に付け入るのが上手いんだ』

 カラスは黒い目を瞬きながら、

『カルマが人を襲うのは生態。理由はそれだけだ。君が起こした気の乱れに乗じて暴れたと気に病んでいるなら、隠れていたのをあぶり出してくれて助かると答えておくよ』

 やけに嬉しそうに言ってから、宇佐見のカラスは、ふと気がついたように軽く翼を広げた。

『ま、今更僕が言わなくても、それぐらい分かってるよね?』

 ちゃんと割り切ってね? と、念押しするカラスの上を、紙飛行機が飛んでいく。よく飛ぶようにと試行錯誤された形のそれは、宇佐見の術だろう。

 目で追いかけ、ふと千歳は昔のことを思い出した。


 子供の頃、入院先の病院を抜け出し、ジルと一緒に紙飛行機を飛ばして遊んだことがある。

 小高い山の頂から、谷を挟んで向かいに聳える高い山めがけて思いっきり飛ばした紙飛行機は、気持ちよく宙を滑空して、遠く森の木々の間に消えた。

 病院が営む畑に全部落ちたと知ったのは、後になってからだった。

 畑を管理する老夫婦から苦情が入り、調べたところ、千歳達の犯行だということが、病室から抜け出したこと、紙飛行機用の紙を病院のコピー機からくすねたことも含めて全部バレた。

 畑があるなんて知らなかった、という言い訳が通るはずもなく、ジルと二人、散々叱られた。

 ちょっとぐらい大目に見てくれてもいいのにと、半ば不貞腐れながらお説教を受けた千歳だったが、そんな甘ったれた考えは、老人の剣幕の前に、すぐにぺちゃんこに潰れた。

 老人は千歳達が入院患者だろうが容赦しなかった。それだけカンカンに怒っていたのだ。格好悪く半泣きになったが、それも仕方ないと思えるぐらいの大目玉だった。

 片付けると申し出たら、きっぱり断られた事もショックだった。

 畑を踏み荒らされてはかなわんと、とりつく島もなく一蹴され、ひどく惨めな気持ちになったことは、今でも居たたまれなく思い出される。

 失敗を取り返す事も許されず、しょんぼりと引き下がるしかなかったが、去り際に漏れ聞こえた老人の、怒り混じりのやるせない言葉は千歳に衝撃を与えた。

 ――畑にな、ちょっとでもゴミが落ちてるのを見つけると、他の連中も真似しよる。

 畑の近くには街へ抜けるそこそこ大きな道路が通っているそうだ。紙飛行機が落ちているのを見た車の運転手が、空き缶やコンビニ弁当の空箱を窓から投げ捨てるようになったらしい。

 ――それも俺らのせいだって言いたいのっ!

 老人の言葉にかっとなって、千歳は踵を返して駆け戻り、声を上げた。

 怒られると思ったが、言わずにはいられなかった。心のどこかで、自分の行動が人に悪を働かせるきっかけを作ったのだと、肯定する気持ちがあったからだ。

 老人は千歳の必死な形相に驚いた後、疲れたように嘆息した。

 ――バカは誰でも、必ずやるもんだ。バカをやらかした奴に、知らんふりして乗っかってな、咎めると、上手いこと言って、最初にやったヤツに全部おっかぶせて責任逃れをする。そういうバカモン以上の卑怯者は世の中にたくさんいる。

 ――つけいられるような考えは起こすな。やったことと、そうでないことは、ちゃんと分けろ。

 ――その上で、出来ることを考えろ。


「……そうでした」

 千歳が乱した気に当てられ、異形が周辺を破壊して回ることはよくある。

 その度に、対処にあたった術者は、今の宇佐見と同じように言ってくれた。それが口先だけの慰めなら、今の千歳はもっといじけた性格になっていただろう。

 異形の被害は、その時々によって異なるが、建物がここまで大きく損壊したのは初めてかもしれない。

 千歳一人では到底背負いきれない責任だ。狼狽え、怖じ気づき、責任逃れに走ってしまった。

(一番ダメな思考だ……)

 千歳は口の端を緩めて、深く息を吐いた。

(お前のせいだと責められる未来があるとは限らない)

 青ガシャという高位魔の襲撃だ。ここで命を落とすことだってあり得るのだ。不確定な未来より先に、今すべきことを考えなければならない。

(……そうだった)

 確認するように胸の内で反芻してから、

「やりますよ、囮。結構慣れてますから」

 気まずいながらも、千歳が笑顔をみせる。ジルが気遣わしげにチラチラと振り返っているが、口出しはしなかった。

『それはありがたい』

 カラスがいっそう嬉しそうに羽根を広げた。感情の表現がいちいち大袈裟だ。

『実はね、澤渡君に指摘されちゃったんだけど、ちょっと言い過ぎたんじゃないかと思ってね。それで君を落ち込ませたかもしれないと心配したんだけど、気を持ち直してくれたようで、やあ、良かった』

「ははっ……」

 千歳は顔に乾いた笑いを張り付けた。遠い目つきで、

(充分気にしたよ……)

『しかしこの状況、いいね』

 ワゴンの上を弾んで方向転換しながらカラスが言う。やけに好戦的な意見だ。千歳が意外そうにカラスを見上げると、それまで芸達者に羽根で感情を表していたカラスは、スンと済まして青ガシャを見ていた。

『新しい術の試し打ちがやりたい放題だ』

「……先輩?」

『うん。試作段階の術の性能テストはね、実験場が限られている上に、火力も抑えなければならない。立会人も必要と、色々手続きが面倒なんだ。けど、カルマ退治の名目で好きなだけ術を使えるのはありがたい。 ――ガシャ鎧の挙動パターンと一緒に、良い情報になる』

 声音から笑みを消し、カラスは食い入るように戦闘を見つめている。

『どうせならストック分も試したかったが、さすがにそこまで贅沢は言えないか……』

 独りごちるような口調と、一挙一動を見逃すまいと細かく動くカラスの目線から、それがまごうことなき宇佐見の本音だと知れた。

(……何か怖いこと言い出したよこの人)

(と言うか、魔物を騒がせる特質を、実は良いように使われているのでは……?

 時々感じる疑問だった。自問して、千歳は、

(いや、多分使われてる)

 明らかに。

 だがそれなら、そちらの方がずっと気が楽だ。千歳の口元が自然と緩む。

 老人は千歳にやり直しの機会を与えなかった。ゴミが散乱した畑を見せたくなかったのかもしれないと、今の千歳は考えている。

(そう思いたいだけかもしれないけど)

 後味悪く引き下がるしかなかった子供の頃よりは、少しは成長しているはずだ。

(まあ、言っても、ここで縮こまるしか出来ませんが)

 少々卑屈になるのはもう仕方ないとして。

 ふんすふんすと側でポン吉が鼻を鳴らした。疲れ果てた霊獣を、千歳は引き寄せ膝に乗せる。

(とりあえず回復しておこうか)

 やる気が沸くのを感じながら、千歳はサコッシュに手を入れた。

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