シネマフロア激闘 思惑
汗で濡れたポン吉の体毛を袖で軽く拭ってやりながら、千歳はサコッシュから回復用の札を取り出した。
札と言ってもそれは、殆ど使い捨てカイロと同じ形状をしている。違いと言えば商品名が書かれていない程度だろう、その外袋を破り、取り出した中身は、真実市販品と遜色はなかった。
軽く振ると、じんわり温かくなってきたそれを片手で持ちながら、膝の上のポン吉と一緒に、焚き火に当たるように手を翳していると、少しずつ疲労が和らいでいく。
手指の色は相変わらずだが、万が一に備えて、力を溜めておく必要はあるだろう。
カイロはあっという間に冷えてしまったが、その頃には足腰に力が戻り、ポン吉も動けるようになっていた。
千歳はポン吉を床に下ろし、そろそろと中腰になると、体の向きを変えた。と、指先に固い感触が触れる。見ると床に落ちたアクリルキーホルダーだった。他にもクリアファイルや缶バッジといった定番のグッズ類が重なって散っている。
観客が映画鑑賞後の余韻に浸りながら買い求める品々だ。
千歳は床に散乱するそれらを暫し見つめ、
「…………片付けようか」
逃げるか移動するか、どちらにせよ、足場が悪いのは問題だろう。
主人の言葉に、ポン吉がひっくり返った籠をくわえて持ってきた。
その頭を撫でてやり、千歳は静かに商品の整理を始めた。
(――起動したての寝ぼけまなこ、というワケではなさそうだが)
踊り場に立つ宇佐見は、カラスの目から得た映像を眼前に四角く浮き上がらせ、青ガシャを観察する。
青ガシャの行動が浮ついていることには気付いていた。ことあるごとに千歳を注目するところから、彼を標的にしているのは間違いないが、動きが鈍い。
ガシャ鎧系統に限らず、カルマが人間を襲う際、目安となるのが霊力だ。高い者から狙われる。居合わせた人間の霊力を秤に掛け、千歳に敵意を向けているのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
宇佐見の見立てでは、あの青ガシャは標的を絞り込めていない。
もっと言えば、目移りしているように見える。
ジルや弦之、宇佐見のカラスへも注意を向けてはいるが、牽制とはほど遠い、まるで余所見をするような散漫さがある。居合わせた人間を排除しようとしているにしてはやけに悠長だ。
(以前に見た個体は、もっと積極的に動いていた)
過去、宇佐見は青ガシャとの戦闘を目撃している。力不足を理由に前線からは遠ざけられたが、最強と謳われる青ガシャの力は、その時目にした。
(――主がいるのか?)
高位の魔物、その配下だとすれば、命令と状況をすり合わせて最適な行動を選択するはずだ。
援軍待ちの足止めという可能性はあるが、現状、自軍の戦力を鑑みれば、軍配は確実に青ガシャに上がる。
単体でこの場を制圧出来る相手が、格下の弦之相手に、ちまちまと何を手間取っているというのだろうか。
(単体なら、行動はもっと単純化する)
だが、目の前の個体は、そのどちらにも当てはまらない
(――だとすれば)
現状、持ちうる限りの情報を元に仮説を二つ組み立てる。
可能性として高いのは、
(御統会の横槍)
あり得る話だ。
御統会を招いたのは面倒ごとを押しつけるためだと恭弥は説明したが、さてどうだろう、強引に割り込んだ公算が高いと宇佐見は見ている。
小賢しい連中だ。神域から下った御神託、その希有な事象を、独占しようと企んでもおかしくはない。術者界に網の目のように張り巡らせた奴らの情報網なら、この情報を事前に仕入れることも難しくないだろう。
集められた人員を亡き者にしようと、どこぞで回収したガシャ鎧に術を付与して放つことさえ、躊躇いなくやってのける連中だ。
(――随分と面白味のない話だ)
宇佐見は冷ややかに目を細めた。
もう一つについては、
(碓氷君絡みの方か。そっちの方が面白そうだ)
(先を考えると、期待したい気分だね)
情報が少ない上に、あくまで希望的観測だ。
宇佐見は忍び笑いを漏らしながら思考を切り替えた。
見上げる踊り場の上、五階までの階段中央付近は瓦礫で埋まっている。
壁面には大きな横穴から開き、そこから崩れた壁材が階段を塞いでいるのだ。そればかりか、踏み板の一部も崩落している。
千歳には囮となるよう言ったが、実際はそれほど期待はしていない。避難経路を確保するまで、青ガシャに萎縮されないよう、適当に役割を振っただけだ。
白い三頭身のデフォルメ人型素体、宇佐見が術で作った人型使役式だが、それらに瓦礫撤去をさせいるが、他の使役式にも仕事を割り振っているので、階段を修復するのは四体のみ。時間はかかりそうだ。
宇佐見は映像を横へ移動させ、もう一枚映像を浮かび上がらせる。ロビー全体を見下ろす映像には、青ガシャと弦之の戦いが俯瞰で映る。
宇佐見の身体能力なら横穴からロビーへ入るのは容易い。それをしないのは術を準備しているからだ。
(そろそろ頃合いかな)
細めた宇佐見の目に光が灯る。僅かに顎を引いた顔の横に、頭部よりやや小さめの、藍色に発光する球体が浮かんだ。
宝石のようにカットされた表面のそれは、術者の思考と霊力を受け調律する、通称ツキと呼ばれる高位術である。
宇佐見は人差し指の背を、あやしげな笑みに彩られた口元に当てた。
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