到着

 先行するのは澤渡が操縦する機体、黒フクロウだった。同乗者はジル。案内役としてポン吉を乗せる必要があるからだ。

 展開した翼で宙を滑空する黒フクロウは、魔物の急襲を警戒してスピードは控えめだ。すまし顔のポン吉から、緊急性は低いと判断したこともある。

 弦之と稔は建物の屋根を足場に軽快に飛び走っている。傍目には随分な運動量に見えるが、二人の呼吸は一定に保たれていた。

 後方、少々遅れて宇佐見も足を使っての移動だが、先の二人より脚力は劣るため、札で張り子のように作った大型鳥を侍らせ、その足に掴まることで、跳躍や降下の補助とした。

 夢が辻、特に青ガシャの下りから、最初は緊迫した面持ちの寮生たちだったが、時間が経つにつれ、それほど大それた状況ではないと思い始めていた。

 恭弥が待機すると言った時点で、寮生たちだけで解決可能な事態だと受け取れるものだ。

 実際、黒フクロウの先端で、ほのぼのと夜風に吹かれるポン吉からは、緊張感の欠片も伝わってこない。千歳を保護して、それで住むだろうと楽観的にさえ考えていた。

 目指すショッピングセンターの建物が、遠く目視出来る程度にまで差し掛かった時だった。

 大気中に白く筋のような波が見え、全員がそこかと目星をつけていると、そよそよと体毛を向かい風にそよがせてポン吉が、ピタリと動きを止めた。四肢を張って立ち、総毛を逆立て唸る。警戒するにしても、尋常ではない。

 異変に気付いた澤渡の横から、彼の背に掴まるジルが顔を横に出した。

「どうしたの?」

 ジルの問いかけに、ショッピングセンターを見据えるポン吉は、突如、ピュィーーッと、笛のような甲高い鳴き声を上げた。

 夜気を裂いて響くその鳴き声は霊獣の警戒声だ。滅多に発することはないというその一声に、寮生たちが一斉に反応した。

「おいおい。ホントにヤバいのがいるっての?」

 機体に追いついた稔が、並走しながらポン吉を見るが、霊獣は真正面を見据えたまま、威嚇をやめない。

「らしいな。急ぐぞ」

 言って澤渡がスピードを上げた。稔を引き離し、機体は一気に加速、ショッピングセンター上空へ到達した。

 と、四肢を強張らせていた霊獣が、やおらくるりと反転して、後ろに向かって駆け出した。

「走行中は座席を立つな!」

 突進してくる霊獣に、澤渡が目を剥き怒号を上げる。が、切羽詰まったポン吉を止めることは出来なかった。運転手を軽々と飛び超え、霊獣はジルの背後に降り立つと、彼が背負う木箱に、首の周りから発した光の粒をまとわりつかせた。

「え?」

 驚いて振り返るジル。木箱の回りに、螺旋に渦巻く光の粒が巻き付き、勝手に持ち上げる。背負子のストッパーが外れ、本体が宙に浮き上がった。光をまとう箱は、宙を滑り、ポン吉の左脇に付き従うように停止した。木箱を随伴させると霊獣は、再び機体前方に向かって走る。

「――何度も言わせるなっ!」

 怒鳴る澤渡の肩を足場に先端へ到達すると、ポン吉は躊躇いなく跳躍、ショッピングセンター目指して、黒フクロウから飛び降りた。

「ポン吉くんっ!」

 悲鳴じみた声をジルが上げる。

 同時に。

 ドンッ、と重く、建物が揺れた。

 空気を振動させる衝撃だ。間違いなく、内部で危険な何かが起きている。

 霊獣は、揺れの収まらぬその折板屋根めがけて、彗星のように急降下する。

 あわや激突と思われたが、霊獣は難なく屋根を、木箱ごとすり抜けた。後には水面のような波紋が屋根材に残るだけ。

「――着地をっ」

 ポン吉が無事に屋内へ侵入したことを見届けたジルは、ほっとする間もなく澤渡に向かって声を上げる。

「分かっているっ」

 あらかじめ侵入経路の目星をつけてていた澤渡は、黒フクロウを右舷にとり、建物の屋根を超えながらショッピングセンター中央部へ移動した。

 そこはレストランのテラス席だった。

 欄干近くに寄せた機体から、ジルが飛び降りる。

 テーブルや椅子を器用に避け、ガラス扉へ到達すると、ウエストポーチから札を取り出し、貼り付ける。

「開いて!」

 札を通して扉に命じると、カチと小さく音をたて鍵が解錠した。扉を全開に押し開けると、ジルは屋内へと駆け込む。遅れて屋根から飛び降りた弦之と稔が後に続いた。

 ハンドル中央に設置した操作盤を叩き、黒フクロウを自動航行へ切り替えると、澤渡もテラス席へと降り立った。

「目くらましが必要かな」

 高く上昇する機体と入れ替わるように、欄干に舞い降りた宇佐見のカラスが、彼の言葉を伝える。

『かなりの揺れだ。内部の人間は地震と勘違いするかもしれないが、警備会社へは連絡が行くだろうね』

 澤渡は制帽の陰からカラスに横目をくれる。もの言いたげなまなざしだったが、しかし踵を返して扉へ向かう。

「手分けして対処するぞ」

「了解。――おや?」

 再び飛び立とうとしたカラスが、翼を止め、首を空へと巡らせた。

「どうした?」

 怪訝に振り返り、澤渡は夜空に幾筋もの銀の軌跡が走るのを見た。

 トビウオに似た輪郭の白い魚が数匹、群れて夜空を滑空しながら弧を描いている。弓なりに引かれた線から水のように乳白色が流れ落ち、幕のように空を覆っていく。

「これは――」

 建物を外界から遮断する術だ。薬液を含ませた式型を螺旋状に上昇させ、紡錘形に隔離場所を囲う簡易タイプのものだが、術の張り方に練度を感じる。

 トビウオは誰かが飛ばした式型だろうが、その誰かに即座に勘づいた澤渡は口を引き結ぶ。

 見上げていると、空を染めるトビウオの群れから一体が外れ、澤渡目指して飛んできた。カラスの近くにやってくると、回るように泳ぎながら、

『目くらましはこっちでかけておくよ。君らは千歳君を頼む』

 トビウオから発せられたのは白瀬の声だった。予想通りの相手に、澤渡は警戒するように顎を引く。その様子は白瀬に筒抜けだろうが、トビウオ越しの声は気にせず続けた。

『それから、弓削殿は少しばかり足止めをくらっておいでだ。ここは君らで何とかしてくれないか』

「それはどういう――」

『じゃあ、健闘を祈る』

 相変わらず飄々とした口調で伝えると、トビウオは身を翻して空へと舞い上がり、群れを追いかけ行ってしまった。

 疑問を投げる前に逃げられて、澤渡はギリ、と奥歯を噛む。寮へ戻ったはずの白瀬がここにいるのは、恭弥が連絡したのだろうが、手回しが早い。

 恭弥が足止めをくらったことも含めて不審を募らせが、

「面倒は省けたかな?」

 遠く泳ぎ去ったトビウオに、澤渡が疑惑と怒りをないまぜにした視線を飛ばしていると、ようやく到着した宇佐見が欄干に着地した。

 でも、と笑い、

「あっさり言ってくれるけど、この状況で足止めとは不穏極まりないよね」

 軽い足取りでテラスへ降り立った宇佐見は、ショルダーホルスターに収納された柄を抜き取り、拳銃に似た本体の上部を引く。自動拳銃の弾丸装填に似た動作だが、サイドに折り畳まれていた弓が展開、小型のクロスボウだと判明した。

「仕事をするなら問題ない」

 澤渡もまた、マントに隠し持っていた大型のクロスボウを取り出し、弓を張る。

「白瀬殿は何かにつけて先回りがお得意らしいけど、先手を取られてばかりいると色々と勘ぐって頭が忙しくなってしまうね」

 細めた目に皮肉の色を湛える宇佐見を、澤渡は冷たく見た。

「無駄話をする余裕があるなら、碓氷へのフォローも当然出来るだろうな」

「うん?」

 意図して惚けているのか分からない顔を宇佐見は向けた。その曖昧な笑みに、澤渡は怒りを押し殺しながら、

「――記者を追いかけようとした碓氷の腕を掴めなかった」

「知っている。すり抜けたんだろう?」

 廊下で千歳を捕らえようと伸ばした澤渡の腕を、千歳はすり抜けた。千歳がかいくぐったわけでも、距離を見誤り掴み損ねたわけでもない。千歳の腕が空気のように透けて、掴めなかったのだ。

 思い出し澤渡は、視線を斜め下に落とした。

「あれが何を意味するか分かるな? 生きながらあちらへ踏み込んでいる証だ。フォローが無理なら、せめて追い詰めるような言動は控えろ」

「……はあ」

 宇佐見は笑みを消し、少々間の抜けた表情を見せた。

「追い詰めるねえ……」

 澤渡の警告を口の中で繰り返す宇佐見は、しかしその言葉の意味を今ひとつ呑み込めていないように見える。

 呆れて澤渡が何か言おうとした瞬間。

 再び建物が揺れた。

 最初とは異なる、重量のある何かが駆け回るような連続する揺れだ。

 その振動を足の裏にビリビリと感じながら、澤渡と宇佐見は無言で走り出した。

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