出動

 ベッドに仰向けに寝転がり、天井を眺めていた稔は、肌がざわつくのを感じて身を起こした。

 仕事柄、異形が騒ぐと気配で分かる。それが敷地内となればなおのこと。

(――何だ?)

 口内で転がしていた飴を頬に押し込み、稔は周囲に神経を張り巡らせる。

 外、屋外、上……。

(――いや、下か?)

 大気が大きく波打っているのを感じる。

 異形、それも大物が暴れると、周囲の気が乱れて荒く波打つことはある。だが、今感じるのは、うねり打ち寄せるだけの静かな波だ。暴れているというより、大気を押しのけながらゆったりと移動している雰囲気だ。

 妙な感じだ。

 魑魅魍魎が闊歩する山海ならともかく、こんな都会で感じる気配ではない。静まりかえっているのが逆に不気味だ。

(どこだ?)

 ベッドから下りると、警戒しながら窓を開け外を見る。左右を確認して視線を下へ向けた稔は「ん?」となって、目をこらし、

「はあっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げ、窓の外へと身を乗り出した。

 高さはおよそ建物の三階相当だろうか。植木の樹上に、外へ向かってジッパーを開いたような波が広がっていたのだ。規則正しく浮き沈みしながら広がる波が、下の景色が歪ませている。

 ハの字に開いた手前の波は既に消えかかっているが、筋は白く泡立ち、これはまるで、

「航跡だね」

 横から声がして、顔を向けると、稔と同じように宇佐見が窓から顔を出していた。下を覗き込みながら、

「周囲の気が波打っている。それも相当に分厚い層だ。なかなかお目にかかれない光景だよ」

 楽しそうに笑ってみせる。

「アンタ、何のんきなこといってんだよ」

 思わず突っ込む稔の背後、廊下を慌ただしく駆け抜ける足音が扉越しに聞こえた。

 振り返ると今度はサイドチェスト上に据え置きされた端末画面が勝手に灯り、呼び出し音が鳴った。室内に響く電子音は、稔の部屋の他、壁越しに左右からも遠く聞こえる。どうやら非常時の一斉連絡らしい。

「賑やかな夜だ」

 含み笑いをしながら宇佐見は、端末を確認するために窓から体を引っ込めた。

「……何だってんだよ」

 呆気にとられながら、稔もまた、やかましく鳴る端末へと向かうのだった。


 ミドリから美代子へ、そこから寮生達へと連絡は行き渡り、直ちに全員が応接間に揃った。

 集った顔ぶれを見回し、恭弥は千歳の特性と、そのために起こった現在の事態を手短に説明した。流石に寮生達も、恭弥の説明に唖然となる。

「夢が辻に生身で入るとか、ありえなくね?」

「この界でありえないことはないに等しい」

 思わずといった風に口を開いた稔を、恭弥は一言で黙らせると、

「これより気の乱れに触発された魔物の対処に当たる。

 魔物が暴れるのは千歳君と夢が辻との接触点、つまり出入り口付近のみに限定されている。予め彼には辻を抜けると居場所を連絡するよう伝えているが、端末や札は使えない可能性が高い。ポン吉君、霊獣の探知能力が有効だ」

 言って恭弥はジルの腕に抱かれたポン吉を見る。ポン吉は難しく眉を寄せて首を横に傾げるだけだった。恭弥は頷き、

「まだ兆しがないということは、現在も辻に潜っているとみて間違いない。それまでは周辺の警戒に当たって欲しい」

「質問がございます」

「手短に」

 片手を上げる弦之を恭弥は促す。

「暴れるのは近隣の魔物のみと考えてよろしいか?」

 弦之の質問に、恭弥は顎を引き目を鋭く光らせる。

「――いい質問だ。違うと答えるよ。以前、出口にガシャ鎧が現れた」

「ガシャ鎧……」

 弦之は微妙な顔で呟く。他の寮生達も似たり寄ったりな反応だ。面白そうに宇佐見が尋ねた。

「もったいつけると言うことは、もしや上位種?」

「馬鹿を言うな」

 すかさず澤渡が叱責する。

「上位種など、そういるはずないだろう」

「一応確認は取っておきたい。場合によっては装備の変更もあり得るからね。それで、どうなんですか、弓削殿?」

 宇佐見の質問に、恭弥は表情を変えずに言った。

「上位種だ。――色は青」

 全員が顔を強ばらせた。息を呑み、二の次がつなげない。

「……青、ですか」

 ジルが呆然と呟く。知らずポン吉を抱く腕に力がこもる。質問した宇佐見でさえも、少々驚いた様子で目を丸くした。

「それは随分な大物だ」

「確認されたのは一度、数は二。出現した条件は未だはっきりしていない。今回が二度目になる可能性は充分にある。留意した上で、準備にかかるよう」

 詳細を問うまでもなく、全員が固い顔つきで首肯した。

 恭弥は寮生達に術を施したインカムを配布した。

「通信及び、お互いの位置関係を把握する術が付与されている。使い方は単純だ。実践で慣れてくれ」

 耳掛けタイプの黒い機器を装着しながら、ジルはふと、応接間のソファの横に、千歳のキャリーバッグが置かれたままでいることに気が付いた。

(部屋に戻ってなかったんだ……)

 ぽつねんと置かれたキャリーバッグに、ジルは胸がざわめく。

 夢が辻、夢の世界。

 千歳がそこへ侵入できるなど初耳だ。最初こそ驚いたが、心のどこかで納得している自分をジルは感じた。

 神域と深く関わると、浮世を捨てそちら側を求めるようになるという。

 入院中、病院を抜け出した二人の行き先は千歳が決めた。先導する彼の行き着く場所は、いつも山の頂だった。

 高く澄んだ空を、何かを探すように見上げる千歳の後ろ姿を、子供心にひどく遠く感じたジルだった。

 その隔たりの意味を、今は理解出来るジルだった。

 キャリーバッグを心配そうに眺め、しかし不安を振り払い、応接間を後にした。

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