稔と弦之 思惑

 郊外という立地のせいか、スタジオ・ホフミ社屋の側には、雑木林を利用した自然公園が広がっている。

 樹齢を重ねた木々が黒く生い茂る中、一際太い樹木の幹に、漆黒の魚影が体当たりを繰り返していた。

 大きさは三メートルは下らないだろう。鮫に似たその胴体に、ドンッと鈍い音を立て鎌が突き刺さる。一般的な草刈り鎌に似ているが、三日月型の刃は諸刃、持ち手の上下に鎖を取りつけるための金具が付属していた。

 その鎌によって、太い幹にはりつけにされて尚、魚影は往生際悪くビチビチ尾ビレを振り立てる。

「騒ぐなって、のっ」

 一喝しながら稔が、重厚な小手を装着した腕で、暴れる魚影の頭部を殴りつけた。

 強打された頭部が脆く千切れて宙を飛ぶ。黒い靄を引きながら放物線を描いた頭部は、やがて紐が解けるように輪郭を崩した。

 頭部が黒い帯状の靄へと変わると同時に、はりつけになった胴体も溶けて流れ落ち、木の根元に黒い溜まりを作る。

 崩れた頭部の残骸は、しばらく宙を漂っていたが、急に何かに引き寄せられるように移動を始めた。地面の黒い溜まりもまた、地を這いながら同じ方向へと向かう。

 靄が向かった先へ目を向けると、木々の合間に蛍火のような光が明滅しながら流れていくのが見えた。

 木に刺さった鎌を抜きながら、

(森林か、……比良坂か)

 去りゆく黒霧状の残骸と光とを物憂げに目で追い、はっ、と稔は顔をそらす。

 魔物を形作る物質は現世の生き物にとって有毒だ。故に退治後、残骸を処理する必要がある。

 今回に限らず、今後後始末を請け負うことになるであろうジルに、稔は苦い思いを隠しきれない。

(……最初に名乗っとけよ)

 私服のジルと一緒に寮で荷物整理を手伝ったことは、今となっては腹立たしい記憶だ。

(苛つく……)

 暗い眼差しの稔だったが、ふと背後で不自然に草が揺れる音を聞きつけ、我に返る。徐々に遠ざかっていく音に、

「やべ、仕事仕事」

 思考を切り替え、音を追い走る。

「しっかし、夢が辻に入るとか、あり得なくね?」

 走りながらぼやく稔は、せわしなく周囲に視線を向け、魔物の位置を探る。

「てか、寮住まいの意味分かったわ」

 稔は内心舌打ちせずにはいられない。

「こんなしょっちゅう気を乱されちゃあ、周囲への影響がしゃれにならねえって。 ――そっちか」

 稔は軽く跳躍すると、前方の幹に片脚で着地、蹴り出し方向転換。

「青ガシャかあ……。勘弁してくれよ、ホント」

 恐れを含んだ苦い表情を浮かべながら、稔は夜の雑木林を走る。


 シャッターの下りたアーケード商店街を、刀を下段に構え、弦之は慎重に歩く。側には内部に丸い光を灯した紙製の筒が弦之に付き従うように飛んでいる。

 後方を斜めに切り落とされた手のひらサイズの筒の上部には、同じく紙製の簡単な羽が取り付けられていた。

 弦之の周囲をフワフワ漂い随従するそれは、術で作られた紙飛行機だ。筒の内部に灯した光が魔物の残骸を吸収し、容量を超えると自動で術者の元へ戻る仕組みである。

 先程まで三機飛んでいたが、内二機は既に帰還している。残りの一機と共に、弦之は人気の無い通りを歩幅を保って進む。

 追い立てられた魔物は、一時的に狭く暗い場所へ逃げ込む習性がある。

 アーケード商店街などその最たるものだ。夜間でも常夜灯が灯り、見通しは効くとはいえ、そこかしこに小路へと続く角が暗く口を開けている。四方を塞がれたいわば密閉空間は、気の流れも滞りがちだ。魔物が潜伏するにはもってこいの場所だろう。

 現に弦之は、ここで既に二体の魔物を仕留めている。いずれも小物に分類できる下級魔だったが、深海魚に似た長大な体躯は、ゆうに五メートルを超えていた。

 実体化寸前の個体だ。早々に退治出来たのは僥倖だった。気の乱れに誘われ、潜んでいた住処から顔を出したのだろうが、退治をする身とすれば、不謹慎ながらこの状況はありがたい。

 鳴り物を使って魔物を誘い出す術はある。しかし昨今の住宅事情、下手に音を鳴らせば騒音が問題になる。

 気を波立たせ、魔物を追い立てることが出来るなら、退治はもっと楽に行えるだろう。

(――夢が辻の気を波立たせることが出来るなら)

 知らず柄を握る手に力が入る。

(そんな術はない)

 夢占を専門に行う術者が夢が辻に接触すると波紋が生じるというが、千歳のように航跡のような大波を立てるなど聞いたことはない。

(……いや、今は集中しなければ)

 魔物退治の最中に別の考えに気を取られるなど、命取りになりかねない。

 雑念を振り払うように息を吐く弦之だったが、考えずにはいられない。

(ガシャ鎧、それも、青)

 打ち捨てられた亡骸が、ただ起き上がっただけの個体なら、脅威は少ない。骨格は脆く、身にまとう泥も歩くたびに崩れ落ちる。生木をへし折る程度には腕力はあるが、愚鈍で知能も低い。

 人骨に泥を肉付けした人形のような外見に、おぼつかない足取りでギクシャクと歩く姿は、巨人として昔話に登場する。山から人里へ降りてきたこの異形は、驚いた百姓たちの手によって、農具で打ち倒されたという話さえ残っている。

 弱い魔物だ。強化されなければ。

 青い炎。

 それを操る別の魔物に、僕として作り変えられると、がらりと様相を変える。

 青ガシャと呼称される個体は、その体を青い炎で陶器のように固く焼き締められ、身体能力は跳ね上がり、挙動も洗練される。主人の意を汲み、まるで訓練を積んだ兵士のように合理的に行動する。

(戦いたい)

 弦之は強くそう願う。戦闘経験を積むにはこれ以上ない相手だ。

 そしてそれは、単純に強さを求めるためのだけの願望ではない。

 背後に控える凶悪な魔物の所在を突き止めるに至る、またとない機会なのだ。

 そこまで考え、弦之は足を止めた。

 気がはやっている。今考えるべき内容ではない。

 再び息を吐き、弦之は少々気落ちした。この状況を是とする己に気づいたのだ。

 ヌエの本性を千歳に明かしたことが、この事態の引き金になったのかもしれないと、弦之は苦く悔いる。

(話すべきではなかったのかもしれない)

 千歳が生態に疎いと知り、触り程度を話したつもりが、竦ませてしまったようだと、今更気づいた弦之だった。

 術者の家系に生まれ、自ら望んで界に身を置く弦之は、一般人の常識や良識が今一つ理解出来ない。

 我を押し通すような真似が愚かだとは理解はしている。だが、折り合いを付けるにも、術者として通すべき筋から外れるわけにはいかない。それで恥をかくなら己の経験不足として享受する覚悟はある。

 しかし、他者を傷つけるとなると話は別だ。

 周囲への気配りは忘れぬようにと、やんわり言われたことはある。それを突っぱねるほど、弦之は傲慢ではない。

 配慮に欠ける、状況を把握していない。目が行き届いていない。

(つまりは未熟)

 弦之はそう己を評価する。

(もっと修行を積み、経験を重ねる必要がある)

 決意を新たにさえしてみせる。

 自分の失態に自覚を持ち、かつ内省も怠らない真面目な気質が弦之の本性である。

 が、一周回って元の立ち位置へと戻り、結局同じ方角へと直進するのもまた弦之だった。

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