シネマフロア激闘 決着

 ごぼっと、気泡が上がる音がして、ロビーに明るく光が差した。昼日中の暖かい光だ。照り返しがチラチラと揺れて輝いている。その中を、大勢の人影が行き交っていた。

 水面に映る陽光のように、輪郭定まらず、しかし楽しげに歩き回っている。

 くぐもったざわめきが反響して、休日のシネマフロア、その光景が現実と重なった。


 シネマフロアが陽光で満たされている。

 あり得ない話だ。そもそもからしてシネマフロアは窓のない密閉された空間、外光が差すはずはない。何より今は深夜、夜明けすら訪れていない。

「――え?」

 炎にまかれ、壁際近くまで後退していたジルが、一変した風景に驚いて声を上げる。

 途端にその口から気泡が上がった。慌てて口を押さえるが息は出来る。ジルは信じられないといった面持ちで手を離した。

 身動きは普通に取れる。見回すと動きに応じて髪が藻のように揺れた。顔にかかった髪を払おうと上げた手の平にはゆらゆらと光が揺れていた。

 陽光と共に透明な水がロビーに満ちている。

「何だよこれ……」

 水面に映る影のように行き交う人々を、稔は唖然と見回した。

 思い思いに歩き回る人々の顔は波打って判別出来ないが、輪郭からおおよそ区別は付く。

 子供に何かを渡す親がいて、若い男女が上を見上げ、少年少女たちがたむろしながらソファを独占している。皆、服装も雰囲気も明るく、見るからに休日の光景だ。

 稔が動くたび周囲が波打ち、像は容易く崩れ、しかし即座に結び、はしゃいだ休日の一幕を映し続ける。

「これは――」

 刀身に揺らめく光を見ながら、弦之もまた驚きを隠せない。肺を焼くほどの熱は去り、空気は澄んで呼吸もしやすい。火傷の痛みも消えている。

「なんとまあ」

 宇佐見は目を丸くして瞬く。相変わらず芝居がかった笑顔だが、心底驚いており、しかもやたらと嬉しそうだ。

 片膝をつきクロスボウを構える澤渡も、一瞬で変化した室内の様子に、毒気を抜かれていた。

 照明のオンオフですら、ここまで劇的に室内の様子を変えることは出来ないだろう。

 見回すロビーに破壊の影はない。あれほど燃えていた炎も一瞬で消えた。

 眼前に広がるのは休日のシネマフロア、その穏やかな幻影のみだ。

 浮かれた人々がさざめき合うそのただ中に、青ガシャが、寮生達と同じく狼狽えた様子で立っていた。

 周囲に人の気配が増えて、目標を見失ったらしい。せわしなく体の向きを変えながら小刻みに首を回し、時折、側の人影に剣を振り下ろす。

 斬撃がにこやかに笑う女性の側頭部ぶつかる。が、水面をかき回したように乱れるだけで、すぐに何事も無かったかのように元に戻る。

 腑に落ちないとばかりに、青ガシャは何度も同じ行動を繰り返している。時折剣が氷の残骸を削り、破片を周囲へ散らしている。

 混乱を極める青ガシャを唖然と目に入れ、澤渡ははっと我に返った。

「構えろ!」

 澤渡の声に、全員が反応した。幻影に気を取られ、青ガシャの存在を失念していたのだ。

 最初に動いたのはジルだった。

 横に構えていた連盾を、片方のハンドルを握って斜め上へ向かって、投網を投じるように大きく振り上げる。板材を床に対して水平に固定するそれは階段だ。

 ジルが持つ連盾の、本来の使い方である。

「行ってっ!」

 声を掛ける相手は稔だ。

「わーってるよっ!」

 駆け上がり、頂上でジャンプ、稔は高く舞い上がる。

 稔の行動に青ガシャが反応した。首を仰け反らせ、敵を捕捉する青ガシャだったが、不意に横からの攻撃を察知、即座に体を方向転換する。

 間髪入れず旋回しながら氷のドリルが直進してきた。狙いは破損箇所である胸部、その先端を、青ガシャは逆手に受け止めた。

「本当に良い反応だ」

 クロスボウを向け笑う宇佐見は、余裕をありありと見せている。

 掴む手を抉り、なおも回転する氷のドリルを、青ガシャは押さえ込もう踏ん張る。左腕部全体から水蒸気が上がった。

「――行ける」

 澤渡は好機を悟った。

 マント裏に手を入れ、取り出したのは、球体と、それに繋がる三本の分銅鎖だった。

 球体は、素材は鋼だが、形状は竹細工の手まりに酷似している。内部の中心には鈍い光を放つオレンジ色の球体が浮いて、鈴のようにも見えた。

 手首をきかせて軽く振ると、三本の分銅鎖は球体を中心に三つ叉に広がり固定。分銅から光が左右へ伸び、繋がって、車輪のような形状になった。

 澤渡はそれをクロスボウの上部へ平行に設置。浮いて固定された車輪を乗せ、青ガシャに照準を合わせ発射する。

 回転しながら飛んだ車輪は、氷のドリルに片手を塞がれた青ガシャの頭部に命中した。

 光は消え、車輪は崩れるが、分銅は回転の慣性に従って頭部と角に巻き付く。

 確認して澤渡は、ベルトにつながれたデバイスのボタンを押した。

 天井から、青ガシャの角に巻き付く球体めがけてレーザーポイントの光が閃く。三方向から照準が合い、瞬間、梁に仕掛けたパーツが一直線に引き寄せられた。

 質感は石材、形状は扇面。磁力浮遊で待機させていたパーツは高速具だ。術で圧縮されていたものを、時間をかけて解凍したのだ。

 光の案内線に従いパーツは高速で滑空、鎖の中心、球体を芯に、青ガシャの頭部、右角の付け根を斜めに挟んで接着した。

 組み合わさったパーツの形状は円。一見すると、シャンプーハットを被り損ねたような滑稽な姿だが、超重量の枷だ。

 ぐらりと、青ガシャの頭が傾いだ。

「頭を下げろっ!」

 澤渡が吼える。

 青ガシャの膝が曲がる。左腕部の力のバランスが崩れ、氷のドリルが直進、肩口に激突した。

 貫通。氷のドリルが反対側の壁面にぶつかり砕ける。

 分厚いプロテクトに覆われていた青ガシャの左肩が大きく欠損した。破片と共に、左腕が付け根から落ちる。

 片腕を失い、だが、青ガシャは完全には落ちない。

「さっさと往生しろっ!」

 上空から稔が振ってきた。組んだ両手を振り上げ、槌の如く後頭部に叩きつける。

 打撃を受け、青ガシャが片膝を床についた。頭が前に下がる。

 弦之が待ち構えるその前に。

 上段に構えた刀を弦之は、青ガシャの頸部めがけて真っ直ぐに振り下ろした。

 燃えさかる青い炎よりも鮮明な残光を引き、刀は青ガシャの頸部を通過、首が切断された。

 一拍おいて、青ガシャの頭部が所定の位置からズレる。炎を失速させ、ゆっくり胴から離れていく。

 頭部が床へ到達する前に、鎧のひびが一気に広がった。ピシピシ音をたて、細かい破片が弾け飛ぶ。

 刹那、鎧が膨張したように見えた。鎧の隙間から覗く内部に青白い雷電が迸る。

 爆発するかと思いきや、突如停止、急速に収縮すると、鎧は宙で黒いゴツゴツとした塊に圧縮された。

 支えを失った塊が、ごと、と鈍く音を立て、突き刺さるように床に落ちる。

 その横に、カランと乾いた音を響かせ、シールドだけになった頭部が床に転がった。

 フロアに静寂が下りた。

 沈黙した青ガシャを確認し、寮生達はしばし沈黙すると、揃って安堵の息を吐く。。

「――おわったぁー……。あー……。」

 体を折り曲げ膝に手を付いた稔が盛大に嘆息して、それから千歳の記憶は飛び飛びだ。


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