シネマフロア激闘 思い出せ

 直後、ファイヤーウォールを垂直に突き破って、激しい水飛沫が迸った。

 床から吹き上げる水飛沫は、青ガシャ目指して一直線に進むと、氷に下半身を埋める青ガシャに激突、一瞬で凍結した。

 斜めに生えた氷の刺に飲まれ、再び姿を消した青ガシャ、その薄影が、氷の表面にかすんで見える。

 氷によって分かれたファイヤーウォールの向こう、見れば澤渡が、片膝を付いてクロスボウを構えている。

 怒りに口を歪める澤渡の額に、琥珀を帯びたツキが輝く。

「澤渡さんっ。ご無事で……って」

 安堵を口にする千歳の視線が、澤渡の横に伸びる、奇妙なオブジェを捕らえた。

 高波を凍結させたような氷と、その頭頂に持ち上げられた鉄の刃だ。

 氷に半ば埋まる鉄板は、澤渡に投げ返された彼自身の罠だろうが、どのような力が加わってこの形に収まったのか、状況を忘れて千歳は思わずまじまじと見てしまう。

「……しくじった」

 澤渡は小さく悪態を吐いた。

 彼の眼前には矢の刺さった水瓶がある。至近距離で水瓶を射貫き、水を走らせ凍てつかせた。単純な技だ。すぐに破られる。

(このままでは時間稼ぎにすらならない)

 くっと、喉を鳴らし、澤渡は水瓶に刺さる矢を掴んで、押し込むように霊力を注いだ。氷の強度を上げる澤渡に呼応して、腕の幾何学模様が回った。

「碓氷、聞こえるかっ?」

 澤渡が声を張り上げる。

「状況が悪い。一度――」

 ガンッ、と青ガシャを封じた氷塊が、内側から殴られた。氷の向こう、薄影が動いているのが分かる。

「くそっ……!」

 澤渡が慌てて矢に力を込め直す。彼の霊力が、電撃のように氷の内部を走る。

 だが、振動が止むことはなかった。それどころか一層激しく、ガン、ガンと響く。

 破片を飛ばして不規則に振動する氷塊が、みるみるうちに白く曇る。

「乱暴だね」

 氷の破片が飛び散る中、宇佐見が剣呑に目を細めた。

「敵は相当切羽詰まってるようだけど、こちらも立て直しは厳しいかな?」

 ジルと稔は炎の消化に取られ、弦之は回復中。澤渡は氷を維持するだけで精一杯、新たな仕掛けは用意出来ないときた。

 水瓶の水は使い切ってしまった。このフロアの消火栓から水を調達したとして、硬度を保った氷の生成には慎重を期す。

 何より室内は炎が席巻している。

 そこまで考えて宇佐見は、

「碓氷君、ちょっと引こうか」

「え?」

「大口を叩いた手前こんなことを言うのもなんだけど分が悪い。一度撤退しよう」

 宇佐見の提案と共に、戻ってきた人形式の一体が、千歳の手を引く。

「出口は確保している。君は先に階下へ向かってくれ」

 もう一体の人形式が、案内をすると言いたげに片手を上げた。

「そ、れは……」

 青ガシャはなおも執拗に氷を内部から打ち続けている。

 不透明だった氷塊は、今や根元まで真っ白、最早雪塊だ。内部にひびが広がっているのだ。砕ける時は一瞬だろう。

 細かい氷の礫が飛び散るのを、腕で庇いながら、

「他の皆は」

「その心配は不要かな」

「ですが」

「人形式が案内をするよ」

 一足先に非常口へ移動した人形式が、千歳に向かって手を振っている。

「走れるよね?」

 宇佐見は千歳の言葉を取り合うことなく笑みを向けた。有無を言わせぬ強制力を感じて、千歳はぐっと押し黙る。

「何をもたついて――っ⁈」

 顔を上げ、苛ついた様子で千歳の様子を見ていた澤渡の手の中、ガキッと、何かが外れるような音がした。前に体重を掛けていた澤渡の体が、ガクンと段差を踏み外したように沈む。

「――っ⁈」

 体を戻し、手元に目を向けると、握りしめる矢が折れていた。澤渡は目を剥く。

「しまっ」

 凄まじい轟音がした。岩とガラスが同時に砕けるような音だ。氷が砕けたのだ。

「あーらら」

 突き出した拳を向ける青ガシャに、宇佐見が肩を竦める。

「いい加減、しつこいよ。君。――というか」

 宇佐見は矢を装填したクロスボウを背後へ向け発射した。深々と突き刺さった矢を中心に、放射状の亀裂が綺麗に走る。

「同じような攻撃ばかりで、流石に飽きちゃったかな?」

「おいで」と、宇佐見が肩越しに指で命じると、矢が氷壁の破片を錐状に引き連れて戻り始めた。

 耳障りな破砕音を響かせ、ねじれ、引き絞られゆくそれは、ドリルに似た姿を取り始める。

 螺旋を描きながらゆっくり前進、宇佐見の横に付いた。

「これが最後の商品だ。――碓氷君、移動を」

 千歳の守りを捨て、宇佐見が促す。

 青ガシャは、拳と剣で下半身を拘束する氷を滅多打ちしていた。交互に繰り出される腕は、ブレて見えるほど高速だ。

 濁流が凍結したように斜めに層を重ねる氷から、時折青ガシャめがけて刺が伸びるのは、澤渡が折れた矢を氷にねじ込み力を注ぎ直しているからだ。が、鋭い先端を向ける氷片は、青ガシャの裏拳で難なく払われてしまっている。

 遺憾なく怪物振りを発揮する青ガシャとて、無傷とはいかない。

 鎧の損傷は目に見えて明らか、ダメージは相当入っているが、倒れる気配はまるでなく、むしろ高揚しているようにさえ見える。

 青ガシャの左脚部が氷を蹴り出し現れた。氷から抜け出そうと、前のめりに体を傾け、床を踏み込む。

 その執念に、千歳はゾッとなった。

 逃げる方が賢明だと、千歳ですら分かる状況だ。

 だが、本当にこのまま一人だけ逃げて良いのだろうか。

 青ガシャが現れた理由を告げぬまま、もし、ここで、残った寮生達が大事に至ってしまったら――。

(そんな後味の悪い話があってたまるか……)

 なら、どうする? どうしよう?

 何かしろ、と、焦って狼狽える己の声が聞こえる。

 同時に、ちゃんと囮は果たしたのだから充分だろうと冷静に諭す声もする。

 千歳は戦闘員ではない。己の部を弁えた行動を取るなら逃げるのが正解だ。アニメや漫画ではないのだ。ここぞという場面で都合良く力が目覚めたりはしない。

(……本当に?)

 本当に何も出来ないのか?

(この状況を作り出した原因を考えろ)

(夢が辻)

(自分が通ったから……)

(……いや、今は反省している場合じゃなくてっ)

 術者ですら接触不可能な夢の世界。

 こうも強く意識するのは何故だ?

 千歳は、寮生達と青ガシャの戦闘をずっと見ていた。

 それは単に、自分が恐怖で凍り付いているせいだと思っていたが、違う、ずっと青ガシャから目を離せずにいたのだ。

(何故?) 

 燃えているからだ。

 青ガシャの体内は、燃える青い水で満たされているように千歳には視えた。白い鎧はいわば容れ物だ。

(――水だ)

 水があれば炎の勢いは収まる。宇佐見も澤渡も使っていた。

(だから俺は――)

 夢が辻を思っていたのだ。

 あそこは水で満たされていた。そこから水を引くことが出来れば、あの青い炎を消すことが出来るかもしれない。

(どうやって?)

 夢が辻へは無意識の間に侵入している。通り抜けた今となっては、夢の続きを意識的に見ようとしているものだ。

 ……だが、感覚は覚えている。

(何の?)

 カッターナイフ。

 夢の中の男性が、思いを込めて握りしめていた、千歳も知るありふれた市販品。

 千歳は手を開いた。色の変わった手、その指が覚えている。

 固く冷たいあの感触を思い出せ!

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