ガシャ鎧 青
行き倒れか、非業の死か。山野に放置された亡骸が骨を晒す頃。
崩れた死者の白骨に、血と腐肉の染みこんだ土を肉として起き上がる泥の魔物。
動くたび、泥に混ざった骨が擦れてガシャガシャと耳障りに鳴るところからそう呼ばれるようになったという、ヌエと同じくカルマの一種。
(なんでこんな所に?)
千歳は呆然としながら考える。
ガシャ鎧は山野に出没する魔物だ。こんな街中に現れることはないという話ではなかったか。
(――いや、違うだろ)
(こいつはあの時の……)
一番始めに千歳がガシャ鎧に襲われたのは、正樹と山奥で写生をしたときだった。
数は十一。
次に襲われたのは、やはり千歳が夢が辻を抜けた後。その二体は、千歳の知らぬ間に、恭弥や他の術者によって仕留められたと後から聞かされた。
――これから最低でも九度、危険が訪れるだろう。
正樹の言葉が甦る。
神域の不可思議な力がどう働いたのか、今となっては確かめる術はない。確実に言えることは、あの時、十一体のガシャ鎧が神域から追放された。行き先は不明とされているが、千歳が夢が辻を乱すと、他の魔物に混じって現れる。
(あの時の一体……!)
間違いない。
千歳の未来視に割り込んだ魔物達は、千歳の未来に先送りにされた。
分かっていたはずだった。
逃げられないと言った正樹の言葉を。
千歳が慄く間にも、ガシャ鎧はみるみるうちに距離を詰めてくる。黒い空間を疾走するガシャ鎧のサイズから、五十メートルを切ったと目算。
ガシャ鎧が上半身を捻った。回転させたと表現した方が的確な、滑るような動きだ。肘を上げ、垂直に立てた刀剣を水平に構える。その切っ先が捕らえるのは千歳だ。
一連の動作を呆けたように眺めていた千歳は、はっと我に返った。驚き身を引くと、表情を険しく引き締める。
「――マズいどころじゃないってっ!」
顎を深く引き、萎えた足に意識を集中する。頭の中で、足をガラスコップに見立て、霊力を注ぎ込むイメージを思い描く。徐々に足先が熱を帯びる。だが、疲労のためか、普段より遅い。
迫り来るガシャ鎧を怯みながらも見据え、千歳は集中する。
(落ち着けっ)
しかし慎重を期している暇などなかった。
黒い空間への入り口が膨張するように歪んだ。奥から圧迫され、見えざる壁が外に向かって押し出されようとしているのだ。入り口の枠がたわみ、弾けんばかりに膨らむ。
(来る!)
そう思った瞬間、黒い空間の枠を、ガシャ鎧が轟音と共に粉砕した。
ガラスの破砕音のような大音響が、シネマフロアの静寂を破る。
無音の闇から近づくガシャ鎧は、映像のような作り物に思えた。しかし今、虚構の狭間を突き破り、現実へと踏み込んできたのだ。
ひゅっと、千歳は息を呑んだ。
異質な侵入者が同じ空間に現れた。その実感が、空気を震わせ肌に届く。
遅れて突風が来た。熱気と冷気が混ざった分厚い風が叩きつけるように襲い来る。左腕で顔を庇い、身を低く構えて千歳はやり過ごす。
圧倒的な存在力だった。
千歳との距離はまだ遠い。にもかかわらず、押しつぶされそうな圧迫感を胸に感じる。
突風に煽られ乱れる髪の隙間、千歳はその一挙一動に眼を見張った。
見えざる壁を破り、周囲の壁面にひびを入れて侵入したガシャ鎧は、まだ床に着地していなかった。宙を舞う破片が鏡のように周囲の景色を映す中、重量を感じる巨体が、スローモーションのように鈍く動きを落としながらゆっくり沈む。
全体重を乗せた左足が床に着地、床材をへこませ砕いた。左足を軸に、更に体を前傾させ、僅かに静止した直後。爆発したように、一気に加速した。
床に三度足を着いただけで、ガシャ鎧は入場ゲートを突破した。風圧でアーチ型のゲートが脆く歪む。
そのまま千歳へと、ガシャ鎧は肉薄する。
迫り来る切っ先を、しかし千歳は冷静に見つめていた。冴えた頭が、次に取るべき行動を指示している。
このまま直進を続けるガシャ鎧の到達地点は間違いなく千歳だ。予定通り直撃すると、千歳が避けたとしても、非常階段の破壊は免れない。そこを塞がれてしまうと背後は壁、逃げ場はない。
ガシャ鎧を避け、ロビー中央へ抜けることが出来たとして、見晴らしの良い障害物の少ない広間では、簡単に追いつかれてしまうだろう。到達前に、ここから逃げる必要がある。
ロビーからの脱出を最優先事項として頭に置き、目的地を当初の予定通り、非常階段と定める。
(――入り口の枠に着地、蹴り出して中に入ってからの全力ダッシュ)
「――よしっ」
千歳は気合いを込める。足に霊力はチャージされた。
逃げ足には自信がある。入り組んだショッピングセンターは身を隠す場所に事欠かないだろう。魔物の追跡を振り払い、隠れ潜む術は心得ている。ガシャ鎧の最初の一撃が単純な直進攻撃なら、避けることは可能だ。長い刀剣は壁に突き刺さり、次の行動を僅かながら阻害するに違いない、と。
脳内で練り上げた逃走計画に従うだけで良かった。
だが所詮は空想、現実はそう上手く運ばない。
刀剣の切っ先を紙一重で避け、前へ跳躍したまでは良かった。体力は尽きかけていたが、気力で底上げ出来る程度には残っていた。
背後でガシャ鎧が地響きを立て壁に激突する。ロビーどころか建物全体が揺れる衝撃だ。
弾き飛ばされた建材の破片が小石のように背に当たるのを感じながら、千歳は、
「……あれ?」
前方へ跳躍したつもりだった。気付けば壁際を離れ、大きく左斜め前に飛び出していた。
気付くべきだった。壁につく右手に、足以上の霊力が蓄えられていたことに。床を蹴ると同時に、右手もまた、壁を押し出していたことに。
滑空しながら千歳は、行き先が大きくズレたことに動揺する。
更に悪いことに着地した床は、まだ揺れが収まっていなかった。
おまけにガシャ鎧が踏み砕いた床材はひび割れめくれ上がっている。足場としては最悪だ。
「うわっ! と、ととっ」
着地すると同時に、バランスを崩した千歳は、慌てて両手を広げ、何とか体勢を保とうとバタバタ両腕を振る。
足下に気を取られていた千歳は、バキッと太い何かが折れる音が頭上から響くのを聞いた。
反射的に見上げると、天井で激しく左右に揺れていたスポットライトのフレームが、衝撃を吸収出来ずにポッキリと折れ、千歳の脳天めがけて落ちてくるのが見えた。
千歳はぎょっと目を剥き、
「じょーだんっ、きついっって!」
泡を食って床を蹴り、後方へ飛ぶ。足の先すれすれを、千切れたコードを尾のように引きながらスポットライトが通過、ガシャンと重い音を立て床に激突した。
直撃を避け、ほっとするのも束の間、千歳は売店のワゴンに背中から衝突した。
衝撃で陳列されていたクリアファイルやアクリルキーホルダーといった品々が棚から雪崩れ落ちる。その流れと共に、千歳もまた床に崩れ落ちた。
「あいったー……」
尻餅をつきながら背の痛みを堪えていると、ダメ押しに、コンと、軽い音を立て頭に缶バッチが落ちてきた。
遅れて落ちた缶バッチが、床に散乱した物品に混ざるのを目で追いながら、千歳はげんなりとなる。
(多分今日は厄日だ)
泣きたい気持ちで顔を上げるが、そこには泣き言など言っていられない相手が体勢を整えようとしていた。
ガシャ鎧が激突した壁面は完全に陥没して、大穴を空けていた。崩れた壁材は反対側へと落ちたらしい。非常階段の入り口からは、もうもうと埃が上がっている。
埃が白く立ちこめる中、壁を突き崩した格好で制止していたガシャ鎧がゆっくりと動いた。膝を伸ばして立ち上がると、こちらへと体を向ける。足場を確かめるように、床を二、三度踏みならし腰を落とす。剣を片手に臨戦態勢だ。
千歳は息を呑んだ。薄闇の中、眼前に立ち塞がる白い巨体の細部が明らかになる。
高さは二・五メートル程だろうか。身長だけならヌエと遜色ないが、威圧感は比べものにならない。ビリビリと空気を震わせる質量、存在を主張する熱気は圧巻だ。
細身の、均整の取れた体躯は白い鎧で覆われていた。
滑らかな丸みを帯びた頭部はフルフェイスのヘルメットに似ていた。シールドに覆われた顔面は如何にもそれらしいが、奥は青い炎が燃え盛り顔面はない。
肩や胸部、肘、膝と言った関節部は頑強に盛り上がり、反対に腰回りや垂れは動きやすさを重視した軽量型。首回りに青い炎をマフラーのように纏い、漂白されたような不自然な白の鎧に、暗く青い影を落としていた。
体中に不規則に入った黒いひび割れは鎧のつなぎ目らしい。動きに合わせて裂け目が開閉し、垣間見える青黒い下部から、呼吸するように青く炎が吹き出している。
シルエットだけなら近未来的なプロテクタトアーマーを装着した変身ヒーローに似ていると言えるかもしれない。
しかし、攻撃的な熱気を全身からたぎらせる姿は、正義を標榜とするヒーローとは縁遠い。
何より生き物の気配がまるでしない。それでいて無機物と呼ぶには明確な意志を感じる。
殺意という、暗く強い意志を。
(青い炎のガシャ鎧。 ――青ガシャ……)
確かそう分類されていたと千歳は考えるが、今必要なのは知識ではない。
ガシャ鎧、青ガシャに視線を向けながら、千歳は手探りでワゴンの枠に手を掛けた。縋って立ち上がろうとするも、なけなしの力は先程使い切ってしまったようだ。膝に力が入らない。
(くっそ……)
内心悪態を吐きながら、千歳は手に力を込めるが、縋り付くだけで精一杯な有様だ。
握り込んだミニハーモニカに自然と力がこもる。影のような下級魔と違い、相手は実体を伴った上級魔だ。いくら術が付与されているからと言って、こんなちっぽけな道具が役に立つとは思えないが、それを自ら否定することは、打つ手なしの現実を受け入れる事になる。
(どうする?)
(ミニハーモニカを)
(吹く)
(吹いてどうなる?)
(ダメだったら?)
(それしかないだろう)
(せめて)
(恭弥さんが来るまで)
(それまで耐えないと)
(相手は素早い)
(見たのは直進だけ)
(小回りは効くのか?)
(逃げるか)
(――逃げられない)
(だって、こいつは)
(こいつらは俺を、どこまでも追いかけて――)
高速で思考する千歳の視界に、青ガシャが動く様がつぶさにうつし出される。
過ぎた思考が視界を狭める。映るのは、刀剣を構えるガシャ鎧だけだ。再び剣を両手に持ち、深く腰を落とす。瞬発力は知っている。一足飛びに千歳の元へ到達するだろう。
青ガシャが動いた。刀を振り上げ、床を蹴る様がひどく緩慢に見えた。
眼前の光景が、連続した静止画のように映る。コマ送りのような切れ切れの視界だ。危機的状況に臨んで脳がオーバーヒートしたのかと思ったが、 ――違う。目の前を、隙間のある何かが高速で横移動しているのだ。
(これは)
何、と思う間もなく、青ガシャが刀剣を上段に振り上げ、渾身の力を込めて、千歳の脳天めがけて振り下ろす――。
刃は、千歳には届かなかった。
重く金属がぶつかる音がした。火花が散り、横に流れていた視界が止まる。何かに阻まれた剣が、千歳の目の前で震えている。
ギチギチと無理矢理噛み合わせた金属同士が擦れ軋む、耳障りな音が響き、
「千歳っ!」
ジルの叫び声が聞こえた気がした。
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