ジルの昔語り

 ――時刻は戻る。


 スタジオ・ホフミのゲストルームはビジネスホテル並に整えられていた。

 ホテルサイズのベッドには清潔な寝具が用意され、チェストや一人がけのソファといった調度品も一通り揃っている。

 ユニットバスを完備した部屋は、元は地方からオーディションにやって来る若手の宿泊施設だった。今は遠方から訪れる取引先や、正樹の私的な来客をもてなすために使われている。

 その一室をあてがわれたジルは、ベッドの上に正座すると、神妙な顔つきで告白した。

「嫌われてはいないと思うんだ」

 向かい合うのは、これまた神妙な顔つきで座るポン吉だった。相談を持ちかけるジルに、ポン吉はこくりと頷く。いつになく真剣な面持ちだ。

 同意を得てジルもまた頷き、続ける。

「本当に嫌われていたら、もっとはっきり態度に、ううん、言葉にすると思う」

 ふん、とポン吉は再び首肯する。霊獣に肯定され、ジルはほっと肩の力を抜くも、すぐに顔を曇らせた。

「久し振りに会うから、明るく接した方が良いと思ったんだ。そうでもしないと、緊張して何も話せないし……」

 ジルは恥じらうように頬を染め目を閉じる。

 よって、そう? と、疑問を顔に出す霊獣には気付かない。

「千歳は俺のそういう気持ちをいつも汲んでくれたんだよ。ポン吉君、思えてる? 入院してたときのこと」

 ジルは気分が高揚してきたのか、胸の前で指を組み、悦に入りながら語り始めた。

「お医者さんや看護師さんと上手く話せなくて塞ぎ込んでいたら、僕の病室に千歳がやって来て、いっぱい話しかけてくれたんだ。それがきっかけで、他の皆とも話が出来るようになった。千歳は俺に沢山のことを気付かせてくれたんだよ。本当に嬉しかったなあ……」

 うっとりと思い出に浸るジルの昔語りは更に続く。

「千歳はね、今でこそ人当たりは良いけど、昔はとっても負けん気が強くて、ちょっと強引なとこがあったんだ。でも面倒見が良くて、いっつも俺を引っ張って外へ連れ出してくれたんだよ」

 本当は外出は禁止されていたけどね、と付け加え、

「二人でいろんな場所を探検して回ったんだ。山奥だから、森や川しかなくて、千歳はいつも、つまんないって言いながら、それでもいろんな遊びを教えてくれたんだ。笹舟を作ったり石切りしたり、山のてっぺんから紙飛行機を飛ばしたり……」

 その紙飛行機は全て近くの畑に着地して、畑の持ち主にこっぴどく叱られてしまったが。

「それでも楽しかったなあ」

 ジルはニコニコしながらポン吉に目を向ける。優しく目を細め、

「ポン吉君がやって来てからは、ずっと一緒だったよね。千歳と喧嘩ばっかりしてたけど、ホントはすっごく仲良しで、ちょっとだけ羨ましかったんだよ」

 浮かれて思い出話を咲かせるジルは、その見解には同意しかねる、と言いたげに眉間に皺を寄せるポン吉にも、やっぱり気付かない。

 一通り話して気が済んだのか、ジルは姿勢を改めると、再び真面目な、それでいてどこか気落ちした顔をする。

「これから一緒に暮らす事になるけど、今日みたいに千歳を困らせるわけにはいかないんだ。千歳を思う気持ちに変わりは無くても、お互い成長して、今はそれぞれ立場がある。子供の頃と同じようにはいかない。距離の取り方を考えないといけないと思うんだ……」

 言って、ジルは少し寂しげな笑みを落とす。

 千歳が神域で溺れたことは、入院先の病院で、密かに噂になっていた。

 人里離れた山奥にひっそりと建つそこは、表向きは長期療養施設だが、霊的な障り、霊障を受けた患者を受け入れる専門の治療施設だった。

 職員は術者か、もしくは界の事情に詳しい者に限定され、一般の病院では対処出来ない症状や、その罹患者への配慮を心得ていた。

 そんな彼らでさえ、口の端に上らせずにはいられない程、千歳の事情は特異だったということだ。

 口止めされていたのか、あるいは口にすることを恐れていたのかは分からないが、人目を憚るように囁き会う職員達の姿を、ジルはよく覚えていた。

 内容も人伝に、それとなく耳に入ってきた。

 千歳と遊ぶようになってから、そのことについて直接尋ねたことはある。好奇心と言うより、周りに変に噂されて、何となく気の毒に思ったのだ。

 それに、病院中で噂になっていることは、千歳本人も気付いていた。知らない振りをする方が不義理に思えたのだ。

 聞くと千歳は、少しムッとしてジルを睨んだが、

 ――溺れただけだし。別に何ともない。

 そう、不貞腐れたように言ってそっぽを向いた。

 つまらないことを聞くなと言わんばかりに機嫌を損ねたが、それで千歳との仲が拗れることはなかった。

 ジルも、神域の話は千歳にとって、誰でも経験する嫌な体験の一つなのだろうと結論づけ、それ以降、口にはしなかった。

 退院したジルは、比良坂文庫の主人の元へ預けられることになり、そこで改めて千歳の特異性を知ることになったのだが。

 ――死んだ人間は生き返らない。

 当然だと、ジルは断固としてその意見を支持する。

 千歳は死んだわけではないのだ。術者ですら持て余す超常の事象を、概念的に理解するための方便として、そのように表現しているに過ぎない。

 千歳の生き方は変わってしまったかも知れないが、それはジルの預かり知るところではない。千歳がジルに対してとった行動が全てであり、それを受けて、ジルが千歳との関係をこの先も継続したいと望んでいる。

 ジルにとって肝要なのは、そこだけだ。

「千歳は俺の最初の友達なんだ」

 組織間のいざこざが絶えない中、特にジルが籍を置く比良坂文庫と虹の内との確執は、界でも有名だ。

 今日、寮へ到着した時は、皆、私服だった。急な呼び出しで着替えてみれば、宿敵とも言うべき虹の内の構成員がいたことに度肝を抜かれたのは言うまでも無い。

 それは相手、稔も同じだったようで、以降、お互いの視界に入らないよう、距離を置いてきた。

 千歳が遅れて応接間にやって来たとき、他人行儀にすまして見せたのも、自分の問題に千歳を巻き込む恐れがあったからだ。

 後の稔の態度でその懸念を払拭出来たのは幸いだったが、ちぐはぐな態度を取ったせいで、千歳を混乱させたのは間違いない。

 ジルは肩を落として嘆息した。浮かれてはしゃいで盛大に空回った自覚は痛いほどある。

 千歳の過去に焦点が当たったときも、内心やきもきしたジルだった。友人とは言え、他人の過去に口を出すべきではないことぐらい、百も承知している。訳知り顔で横から口を挟み、千歳の面目を潰すなどもっての他だ。

 何よりジルも、人から聞きかじった程度の表面的な事情しか知らない。曖昧な情報を振りかざすような口の軽さは、術者にとって欠点以外の何物でも無い。友人としても、術者としても、千歳から不信を買うことになってしまう。

 結果として沈黙以外に選択肢はなく、ジルは己の無力さを思い知るばかりだった。

「何だかちっとも上手くいかないんだ……」

 悲しげに俯くジルの元へ、ポン吉がしずしずと近づいた。膝に前脚を乗せ、そっと見上げて優しく鼻を鳴らす。

「ポン吉君……」

 ジルは感極まった様子で相好を崩した。慰める霊獣を引き寄せ、背を胸に抱擁する。

「優しいんだね。ありがとう……」

 ポン吉の後頭部に顔を埋め、ジルは小さく呟く。

「これから、付き合い方を考えなきゃね……」

 ジルの気が済むのを待つように大人しく抱かれていたポン吉は、次第に彼が、何やらよからぬ雰囲気を漂わせ始めたのを感じた。

「一緒に暮らす……」

 静かに己の言葉を噛みしめる声音は、やけに低く不穏だった。顔を埋めたまま肩をすぼめ、僅かに身震いをしながら、ジルはくぐもった笑い声を漏らす。ポン吉が不審そうに仰ぐと、ジルは僅かに顔を上げ、

「しばらくは千歳と一つ屋根の下だよ。どうしよう、嬉しすぎるよ。さすがに同室ってわけにはいかないだろうけど、でも隣の部屋がいいなあ……」

 底まで落ち込んだ反動か、一転してジルのテンションは遙か高みまで跳ね上がった。

「そしたら誰にも内緒で千歳の部屋にお泊まりに行けるもの。勿論枕は持参するよ。一緒にお布団に入って、朝まで語ることだって出来るんだよ? ああ、どうしよう。緊張してきちゃった……」

 今後の寮生活を思い描いて、抑えきれないといった風に、によにによと口元を緩めるジルに、ポン吉は再び眉間の皺を深くするのだった。

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