不吉を告げる風
千歳と重なった人物が何者なのか、何故そうなったのかは、追求しないことにしている。それらしい理由はいくつも上げる事は出来るが、全ては後付け、結果論でしかない。
今考えるべきは、別にある。
「……原因を考えよう」
逃げたとは認めたくないが、そこはもう観念して、当座の問題を解決すべく、今日一日の出来事を思い返す。頭の中で指を立てながら、
(まずヌエに襲われた)
(集まった寮生達の険悪な関係に引いた)
(ヌエのとんでも生態を教わった)
(過去話を蒸し返されて)
(記者が持ち込んだ写真を入手してからの)
(……御神託を記したあの画用紙)
「……多すぎる」
数えて千歳はどんよりとなる。稀に見る嫌な出来事の連続だった。
(多分全部まとめてだと思う……)
自分のやらかしを他人のせいにはしたくないが、今回はその信条を曲げたい気分だった。
「で、どうしたものか……」
端末はそう簡単に動いてくれそうにない。このまま待っていれば、いずれポン吉が見つけてくれるだろうが。
(ふて寝して待つか)
冷たく固い床は体に悪そうだが、誰かに発見されるまで床に転がっていたい。
投げやりに考え、実行しようと体が横に傾ぐ。
(――いや、待て)
斜めに傾いだ体を即座に止めた。
もしここで下手に眠って朝を迎え、ショッピングセンターのスタッフに見咎められでもしたら。
侵入の目的や経路を問いただされて、上手く誤魔化せるほど千歳は口は上手くない。
通報からの警察沙汰、場合によっては不法侵入の現行犯逮捕もあり得る。
千歳の保護責任者は雇用先の会社になっているので、当然、そちらへ連絡が行くだろう。
スタジオ・ホフミはマスコミに対するガードの高さで有名だ。そこに大穴を開けることになる。
醜聞目当てのマスコミからすれば格好の餌食。目の色を変えて飛びつくに違いない。
そしてこの不祥事は即座にネットで拡散されるだろう。大手コミュニティサイトのトレンド入りは確実、大炎上待ったなし。会社や正樹へのダメージは計り知れない。
あらゆる可能性を考慮して、千歳は大きく息を吸う。ふーっ、と細く長く吐き出し、
「移動しよう」
固く決意すると、重い体をおして立ち上がった。
縋るように壁に手を突き、千歳はどこへ身を隠そうかと周囲を見回す。
最初に逃げ込んだ係員用の非常階段へ逃げ込むには、ロビーを横断する必要がある。このご時世、どこに監視カメラが設置されているのか分かったものではない。迂闊に歩き回るのは危険だ。
となると、残りは一つ。視界の斜め右に、ぽっかり口を開けた非常階段だ。来客用に解放されているそこには、立ち入り禁止を警告する立て札はない。
夜間警備の巡回スタッフと遭遇する可能性も考えられるが、遮蔽物のないこの場所よりはマシだろう。
決断して、千歳は壁伝いに移動を始めた。
「あ、そうだ」
歩きながら、ふと思い出して千歳は首に提げたネックレスを外へ引き出した。ペンダントトップのミニハーモニカは、この状況下、魔物への対抗手段として千歳が唯一使えるアイテムだ。左手に鎖を巻き、握り込む。
(使うことにならなきゃいいけど)
見込みは薄いかもと、自嘲気味に付け加える。
千歳が夢が辻を彷徨うのは、そういう癖だと結論づけられ、早めに矯正するよう社長からは言われている。周辺への影響が洒落にならないほど大きいからだ。
千歳が夢が辻へ入ると、その足跡に合わせて周囲の気が大きく波打ち、乱れる。元より人の立ち入れない層へ無理矢理侵入するのだ。影響は大きい。その余波をもろに受けるのが、街に凝った気を住処とする雑多な異形達、とりわけ天然物の魔物だった。
普段は裏路地など人気の無い場所で静かに隠れているが、刺激されると、途端に大騒ぎを始める。驚いて飛び出し、人や街ゆく車両と接触でもすれば、姿が見えずとも、見えないが故に、下手をすれば大事故へと発展してしまう。
ヌエのような人に対して悪意を持つ魔物ばかりではないが、魔と冠するだけあって、暴れ出すと人の世への障りは甚大だ。
恭弥なら上手く片付けてくれるだろうと考え、自分の失態の後片付けを他人任せにするのはどうよと、居たたまれなく嘆息する。
(……迷惑をかけっぱなしだ)
角を曲がり、空きスペースに置かれたトイカプセルの自販機を、壁に突いた手を伸ばして避けつつ慎重に歩を進めていると、不意に千歳の髪が翻った。髪と首筋を撫でる風に、千歳は怪訝に足を止めた。 外気のように、やけに冷たい風だった。
風が来た左を見れば、そこはシアターホールへの入場ゲートだった。
アーチ型の屋根の向こう、各シアターへの入り口が番号で案内される通路は、突き当たりで右に折れている。
千歳は眉を寄せた。その突き当たりの壁面が、やけに暗い。シアターへの入り口が開いているのかと思った。そこから建物内部を循環する空調の風が吹き込んでいるのだと。
(閉め忘れかな……?)
だが、どこか不自然だ。訝しんで気付いた。黒く空いた空間の入り口には扉がない。それにシアターを案内する番号表示も見当たらない。
何よりその漆黒の闇は、ひどく奥行きがあるように見える。建物の幅よりも遙か遠く、深淵まで続いているかのような奥行きが。
「何?」
不自然な入り口に、千歳は胸騒ぎを覚える。
予感めいたものを感じて、黒い空間の先を見つめていると、ぽつんと点のような白い光が灯った。
暗闇の中、白く際立つ光は、激しく縦ブレをしているように見えた。目を凝らしていると、徐々にそれは輪郭を大きくする。
近づいている。
知らず千歳は顎を引き身構える。何かがこちらへ向かってやってくる。
細長い輪郭のそれが、人型だと判別出来るまでに近づいた。上下に震動しているのは走っているせいだ。両足が、機械のように正確なリズムを刻みながら、高速で往復している。激しく動く下半身とは裏腹に、上半身は何か細長い線のような物を顔の横に構えて固定している。
身長よりも長く鋭いそれは剣だ。
漆黒の闇の中から、剣を八相に構えた白い人型が、こちらへ向かって疾走している。
そよ風のように優しく吹く風から、外気のにおいがする。背に悪寒が走った。敵、魔物と千歳はようやく認識した。
(あれは)
(ガシャ鎧)
いつか教わった魔物の名前が脳裏を過る。
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