選ばれし者

「これは俺が子供の頃に描いた絵です」

 魔除けも電波障害も、その気になれば容易に突破出来る千歳だった。

 直ちに正樹へ電話をした千歳は、繋がると同時に口を切った。

「それが御神託とは、どういう意味ですか?」

 机に置いた絵を睨み付けながら、千歳は通話口に向かって、挨拶も前置きもなく疑問を叩きつけた。

 苛立ち混じりのきつい口調だ。通話相手の予定を無視した突然の電話でもある。

 だが正樹は、余計なことは口にせず、あっさりと返答した。

『理由も何も、僕がそう判断したからだよ』

「はあっ?」

 千歳は仰天して目を剥きながら、

「社長判断で、ただの子供絵が、御神託になったって言うんですかっ?」

『そうだよ。受け取った者が決めるんだ』

 限りなく明瞭な正樹の返答に、千歳は唖然となった。

 実家を離れているとはいえ、界における正樹の地位は頂きに近い。当然影響力も絶大だ。疎い千歳ですら、織りに付け感じるその立場の一声で、ただの子供の絵が御神託という、大それた存在に成り上がった。と、本人が肯定しているのだ。

 溜まりに溜まった鬱屈を叩きつける勢いだった千歳は、一瞬で毒気を抜かれた。

(お、おぉ……)

 権力者の鶴の一声。千歳は内心慄くが、思い返せば、確かに恭弥もそんな風に話していた気がする。

 しかし怯んではいられない。

「そ、そんな無茶苦茶、ありますかっ!」

『御神託は大体そういうものだよ。千歳も辻占は知っているだろう?』

「それくらいは知ってますけどっ」

 辻に立ち、行き交う人々の何気ない言葉に神意を求める古い占い。そのやり方に習うなら、確かにそうかもしれないが。

『誓約のように、能動的に神意を求める以外は、御神託は日常の営みの中で授かるものだ』

 言い切る正樹に、千歳は今度こそ絶句した。

(ほ、本気だ……)

 二の次が告げないでいると、通話口の向こうから『それに』と、忍び笑いが聞こえた。

『その絵は本当にただの子供絵だった?』

「それは……」

 正樹の指摘に、千歳の鼓動が跳ね上がる。返答に窮していると、正樹は口調を変えずに、

『何が描かれていた?』

 囁くような口調で畳みかけられ、千歳は歯を食いしばる。胸を鷲づかみにされたような圧迫感を感じながら、重く口を開いた。

「……辻褄合わせは、後からいくらでも出来ます」

 返答をはぐらかしながら、しかしそれが不可能だということを千歳は理解していた。

 社長室で手にした画用紙が、子供の頃に描いたただのオイルパステル画なら、千歳はあそこまで動揺しなかった。

 寮生達の姿が描かれていなければ。

 正確に言えば、各組織の制服を着用した五人の人物が描かれていたのだ。

「社長はあの絵を元に、彼らを集めたんですか?」

 常識的に考えればそうなるだろう。

 だが千歳には、当時も今も、術者の組織について知識はない。制服を見たのも、顔合わせの時が初めてだ。

 それが一人なら、ただの偶然で済むかもしれない。こう言っては何だが、寮生達の制服は、アニメやゲームにありがちなデザインをしている。澤渡の軍装一つとっても、似たようなものはいくらでも上げられる。宇佐見に至ってはただの学生服だ。千歳が無意識に、それらを下敷きにして絵を描いたというなら、理屈として通る。

 だが現実は五人だ。

 その全員の衣装を、子供の拙い手とはいえ、特徴を掴んで描いたとなると、話は大きく変わる。

 予知や未来視といった言葉は即座に浮かんだ。しかしそれらは修行を積んだ術者の技であり、千歳のような素人が口にするなら、適当に思いついた願望を嘯く無責任な妄言だ。

 ――本当に?

 それらしい理由を付けようと脳をフル回転させる千歳に、己の声が冷ややかに問いかける。

 ――出来ないと思っているの?

(当たり前だろっ!)

 片手で額を覆いながら、脳裏に響く冷静な声を一喝する。

 苛立つ千歳の耳に、『……いや』と呟く正樹の声が小さく届いた。

『あの絵が示す以外の、他の組織にも声は掛けた。けれど、集まったのは彼らだけだった』

「だからってっ」

 思わず声を上げたのは、何となく予想出来た答えだったからだ。

『千歳』と、正樹は反発する千歳を制するように言った。

『あの絵は、ご親戚から君を預かって間もない頃、一緒に山を散策したときに写生したものだ。覚えているかい?』

「……ええ」

『山深い神域の森の奥、鏡池のほとりだ。君は倒木に座って絵を描いていた』

 当時を思い出すように語る正樹に、千歳は強く目を閉じる。きつく片手をこめかみに食い込ませ、

「……社長は、あの絵は俺が神域に干渉して得た予知だと考えたんですね。 ……神がかって無意識に描いたと」

『そうだよ』

 あっさり断言されて、千歳はスッと息を吸い込んだ。口の端が上がり、不自然な笑みになる。

「それは絶対にない……!」

 言ってから、語気が荒くなっていることに気付くが、構わず続けた。

「絵を描いたときの状況はよく覚えている。記憶に抜けはっ」

 そこまで言って、千歳はギクリとなった。

 絵を描いた状況は容易に思い出せる。水辺の倒木に腰を下ろし、膝に置いた画板に向かって一心不乱に絵を描いた。確認するように画面から顔を上げ、画用紙にオイルパステルを走らせてはいたが、視線の先は光が煌めくばかり、何を見て描いたのか、真っ白に抜けて思い出せない。

(そんな……!)

 覚えているはずだ。

 こう言っては何だが、当時の出来事は一つ一つが強烈だった。忘れようにも、脳裏に胸に、深く刻み込まれている。

 それなのに、描いた時の記憶は、探ると端から溶けるように消えていく。

(そんな都合の良い話があるものかっ……)

 千歳は狼狽えるが、焦れば焦るほど、記憶の細部が白く抜ける。

『何を見て描いたのか、思い出せないのだろう』

 静かな指摘が通話口から響く。反論は出来なかった。

『千歳。絵以外の記憶は確かだね。あの時を覚えてるというなら、魔物に、ガシャ鎧に襲われたことも覚えているね。あれらが不自然に消えてしまったことも』

「消えたって、退治されたんじゃなかったんですか?」

『ああ、そこは曖昧なんだね』

「それは正兄が池の中に突き落とすからっ……!」

 焦って、正樹の呼び方が子供の頃のそれになってしまい、余計に焦って千歳は、弦之が恭弥の呼び方を一瞬躊躇ったのは、こういう気持ちだったからだろうかと、変な方向に思考が飛ぶ。

『あれが最善だと思ったからだよ。そしてガシャ鎧は退治出来ていない。あれらは君を追いかけ水の中へ入り、何処かへと姿を消した。

 ここまで言えば、千歳。聡い君なら分かるね? 現れたガシャ鎧は全部で十一体だった。恐ろしい数だ。私が君を預かると決めたのは、君のご親戚が二体のガシャ鎧に襲撃されたからだ。そしてこの先、君の行く手には、最低でも九度、危険が訪れる』

 断言する正樹に、千歳は完全に押し黙る。

『皆は、危険を承知でこの依頼を受けている。だからこそ情報の提供は必須だ。彼らにその時何があったのかを伝えるといい。この依頼、御神託の中心にいるのは君だということを』

 俯き、千歳は何も答えない。視界は絵に固定されているが、オイルパステルの荒い彩色が歪んで見える。

「……俺が神域から戻った蘇りだから、ですか」

 強ばった声が口から漏れる。張り詰めて今にも崩れそうな発音だと、耳にしながら千歳は他人事に考える。

『甦る者は、稀だがいる。だが君は、彼らと一線を画している』

 正樹の言葉は、千歳の足場を崩すように続く。

『君は選ばれた者だよ』

 宇佐見にも言われたそれは、千歳が最も嫌う言葉だった。

 正樹はそうと知りながら、あえて使っている。

『誰がという主語を問われたら、それは誰にも答えられない。だから仮初めに神の名を使わせて貰っている。

 そして千歳、選ばれた者というものは、選ぶことが出来ない。既に選んでしまったから。逃げられないと言うことだ。いいや、逃げる事は出来る。その時は千歳、君は君でなくなってしまうだろう』

 だから、と正樹は続けた。

『――先へ進もうか』

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