シネマフロアにて 2/3

  通話状態のまま音声が途切れたのを確認して、千歳はがっくり項垂れた。

(いつもだったら、ポン吉が視えた時点で破魔矢が飛んでくるのに)

(あのヌエ、見つからないのかな? いや、まさか恭弥さんに限って魔物の位置を把握できないなんてことはないだろうし)

 ポン吉の腹の下からターバンを引っ張り出すと、軽く振ってから被り直した。

 上目遣いに髪の色が茶色に戻ったことを確認し、知らず息を吐く。

 視線を感じて見下ろすと、膝の上からポン吉がこちらを見上げていた。座布団代わりにしていた布を取り上げられて、物言いたげな霊獣は、しかし大儀そうに体を動かすと、座り直すに留まった。

 不貞腐れたような態度に、千歳は苦笑する。

「随分大人しいな。サンドイッチ横取りした事、一応反省してるのか? そりゃあ、反省してもらわないと困るよ。アレ、朝一にしか置いてない人気の鶏ハムサンドだったんだから」

 言いながら、ワシワシと頭を撫でる。雑な手つきを霊獣はむっつりと黙って享受した。

「――まあ、おかげで早めに夕食を取れたから、体力切れしなくて助かったけどね……」

 背を向けて丸まる茶褐色の毛並みを撫でながら、千歳は頭では別の考えを巡らせる。

(恭弥さんみたいな強い人が近づくと、ヌエはすぐに逃げるから、距離をとって狙撃する手筈になってるけど……)

 撫でていた手を止め、軽く叩いて促すと、主人の意を汲んで霊獣は膝から飛び降りた。

 立ち上がり、うーんと伸びをして緊張で凝り固まった体を解すと、千歳は慎重に階段を下りた。

(誰かと一緒みたいだった。今日はその人が狙撃するのかな……)

 人を襲う魔物がいる以上、退治を請け負う専門家もまた存在する。

 術者と呼ばれる専門家は、しかし魔物を知る者が少ないため、知名度は低い。それに仕事をするなら、同業者の組合組織に所属しなければならず、その組織はどこも一見さんお断りの徒弟制度らしい。

(恭弥さんの弟子とか……は、ないか。さすがに)

(なら、後輩、弟弟子とか?)

 踊り場の正面、5/4と黒く階数が表示されているだけの無機質な壁に目を向け、

(狙撃しやすい場所、屋上って聞こえた。――恭弥さんは)

 どこだろうと考えた途端、千歳の瞳に光が灯った。水面に照り返す陽光にも似た金緑色。携帯端末の照明より明るく、密度のある光を両目に灯し壁を視る。

 泡沫が弾け散るように壁面が消えた。

 宵闇の空の下、黒々と建物が林立している。視線を下げると、高架線路を走る電車が駅へと吸い込まれ、隣の線路からは吐き出されているのが視える。

 駅前デッキと、その下のショッピングセンター入り口前広場を歩く通行人が、蛍火の集合体のような不定形な姿として映し出された。色合いも光の強弱も微妙に異なり、輪郭だけで性別や年齢が判別できる。

 千歳が目を使うと、人を含めた生物は大抵この姿で視認されるのだが、

(おおっと、やっちまったかな?)

 無意識に使っていたことに気づいて、千歳は慌てる。

 霊力を上手く使えば、千里眼や透視など、視力を自在に操れる。千歳が使っているのは馴染みの術者から教わった初心者用の術だ。襲われた時など逃亡に使用しているが、操作は危うく、視えすぎて安定しない。何より目が光りすぎて、敵に発見されやすいといった難点もある。

(閉じないと――?)

 視界の端に、高速で移動する光が過り、千歳は反射的に目で追いかけた。

 右を向くと、入り口前広場を挟んで正面、積載パレットを積み上げたような四階建ての建物がせり出していた。ショッピングセンターの立体駐車場だ。

 ショッピングセンターは、駅から見て右側、シネマフロアを擁する一区画が突き出た構造をしている。壁面に設置された巨大モニターの映像が、駅のホームからでも見えるようにと設計されているせいだが、おかげで立体駐車場まで遮蔽物なく見通すことが出来た。その外壁を人型が二つ、飛び跳ねて登ったように視えたのだ。

 一瞬の出来事だったためすぐに見失ってしまったが、千歳は確信した。

(恭弥さんだ。それにもう一人いる。――はっきり確認したい)

 千歳の意志に呼応するように目は光を増し、視界が開く。

 立体駐車場の面が消え去り、辺と点の枠組みだけで建物が表される。パソコンで作成された3Dフレームワークのような非現実的な空間の内部に、傾斜を上る車と、光の人型をした運転手が視えた。視線を動かすと、別の人型が車に荷物を積み込み、エレベーターに乗り込む人型もいる。

(……いた!)

 縦横に視線を巡らせ、目的の二人を屋上近くの外階段に発見した。

 光の強さや明るさだけなら他と大差はないように思えるが、彼らの姿は細部まで明瞭で、服装から顔立ち表情まではっきりと見て取れる。違いは一目瞭然だった。

 何かを話し合っている最中らしい二人組の内、一人はショート丈のコートにスラックスと長靴の青年で、大弓を携えている。千歳の胸に安堵が広がった。

(恭弥さんだ。―手前にもう一人、あれは誰だ?)

 同じく大弓を持つもう片方、横顔の誰かに注目しようとすると、視界の中、恭弥が顔を上げた。

 癖のない黒髪の下、鳶色の瞳と視線がかち合う。笑みを履いた口が動き、

「『上』」

 通話口の声と重なる。

 え? と、瞬くと同時に、視界が壁に塞がれた。視えていたものが閉じ、薄暗い踊り場に立ち尽くしている自分を自覚する。

 と、千歳は、不意にぞくりと背が泡立つのを感じた。一拍おいて、びちゃりと泥を踏むような粘着質な音が、右手上部から聞こえた。

 今度こそ千歳は固まった。総毛が逆立つのを感じ、ゆっくりと端末を耳に当て口を開く。

「……逃げるとしたら、やっぱり下ですかね」

 震える声で確認すると、恭弥は『うーん』と唸って、

『下に降りると狙いが付け辛くなるから、その場で粘ってくれると助かるよ』

 軽く言われて、言葉の意味を考えた千歳は、戦慄きながら声を絞り出す。

「それって、囮になれって事じゃないですか……!」

『有体に言えばそうだけど、いつもやってるよね?』

 畳みかけるように言われて、千歳はさぁっと青ざめる。楽器の演奏で雑多な魔物を追い払うのは日常的に行っている。が、今日の個体は話が違う。違い過ぎる。

 無理です、と声に出すより先に、

『――大丈夫、千歳君なら上手くやれる』

 力強く断言された。最も千歳には、特大の太鼓判でぶん殴って突き出されたようにしか聞こえなかったが。

「大丈夫って、何を根拠におっしゃいますか……!」

『気休めは大抵根拠なく言うものだよ?』

「もうちょっとぼかして言って下さい! っていうか、いつもだったらもう破魔矢飛んできてますよね? おかしくないですか?」

 問い詰めると、やけに明るい声で返事がきた。

『うん、実はね、今日は研修を兼ねて新人君が狙撃する事になってるんだけど、彼、弓の腕前が少しばかり危うくてね。慎重を期したいんだ』

 あまりにも気楽に告げられた衝撃的な内容に、流石に千歳は声を上げた。

「い、今、この状況で、新人研修ですかっ?」

『実践経験を積むのが成長の近道なんだよ』

 全く悪びれることなく言い含めてくるので、却って恭弥の本気が知れた。

 選択の余地なしと悟って千歳は半泣きで震え上がる。

『じゃあ、頑張って』

 どこまでも気軽に言って、再び声は遠ざかる。

(あの人本気だよ……)

 恭弥の無茶振りに、千歳は涙目で震えながら、はっとなった。

「そうだ、ポン吉」

 この状況で、唯一味方になってくれそうな存在を思い出す。

「あれ? ポン吉、どこ行った?」

 足元にいたはずの霊獣が見当たらない。手摺から身を乗り出し下を覗き見ると、階下の壁の角から顔を出すポン吉を見つけた。

 その申し訳なさそうな上目遣いを見た瞬間、

「……お前、付けられたのかよ……!」

 道理で大人しい訳だと千歳は顔を引きつらせる。

 霊獣は、その名が示すとおり、霊力の塊が実体化、既存の動植物の姿を象った存在だ。そこに居るだけで、電球のように霊光を放つ。

 壁を貫通する光は、千歳を探し回るヌエの目に、さぞかしついただろう。

 己の失態を主人に悟られて霊獣は「すまぬ」と言わんばかりにしゅんと縮こまる。哀れに落ち込むその姿に、千歳は怒る気力も消え失せて、がっくりと項垂れる。

「みんなして俺のこと、雑に扱い過ぎじゃないか?」

 などと、絶望している場合ではなかった。

 ――ヌウエエエェナアァンデェアァンナアァコトスルノオォォヒドオォイジャアァナイィィ

 ビープ音のような甲高い悲鳴が投げつけられた。機械合成された声に似ているが、音域が狭く間延びして、発音の強弱が人の発声から逸脱している。

 千歳は飛び上がる程に驚いて振り返り、硬直した。

 影法師のような巨体が、体を左右に揺すりながら、薄暗い階段を一歩、また一歩と降りてくる。手足は枯れ枝のように長く貧弱で、胴は平ら。夕日に伸びる影が、そのまま起き上がったような姿をしているが、体の色は澱んで黒く、砂埃を被った古い油粘土を彷彿とさせた。

 着地するたびに体表から溶け落ちた泥が足元で貯まりを作って、ねちゃねちゃと耳障りに響く。血とも乳ともとれる生暖かい臭気が立ち込め、空間を圧迫されたような気がして、千歳は袖で口元を覆いながら後ずさる。

 振り返ったことを激しく後悔した千歳だったが、今更目を逸らすわけにもいかない。最も、ヌエを見上げる視線は揺れて定まらず、直視だけは避けようと必死ではあった。ヌエの恐ろしさの最たるものは、姿の不気味さではないことを身に染みて知っている。

 ヌエに顔はない。目鼻や口は、凹凸でそれらしく表されているだけののっぺらぼうだ。大抵嫌らしく嗤っているが、それは表層に過ぎない。

 どす黒く汚れた塊のずっと奥、おぞましい本当の顔が存在する。

(視るな、絶対に視るなよ……!)

 そう思えば思うほど、意識はヌエの頭部へと吸寄せられる。知らず瞳に金緑色の光が灯り、その目で千歳は、とうとうヌエを視てしまった。

 頭部の向こうに、吸い込まれるように奥行きが出る。ドアスコープを覗き込んだような婉曲に歪んだ景色の中、派手な女が嗤っていた。

 陰湿な悦びを浮かべた目、その濁った眼差しで、女はひたとこちらを見据えている。両端のつり上がった口は半開きで知性の欠片もない。顔の造作が判別不能なほど醜悪だった。

 おぞましさに言葉を失って、千歳は更に一歩後ずさる。背後はもう壁だ。階下へ逃げるという選択肢もあるが、このヌエの素早さが尋常ではない事は、先の逃走劇で確認済みだ。

 何より力の抜けかかった足で階段を駆け下りる自信はない。恭弥の言葉を信じて、ここで足止めした方がよっぽど無難だった。

「――ええ、折角のリクエストですから、やってやりますよ……!」

 腹を括るしかないと、千歳がやけになりかけた時だった。

 左壁面の一部が明るくなる。初めは大きく丸くぼんやりとした明かりは、光量を増しながら急速に小さく引き絞られ、殆ど点になったその瞬間、光の矢が飛び出した。

 鏃から螺旋の尾を引く矢は、トン、と静かに物を置くような音をたて、階段を下りるヌエの横、手すり壁に突き刺さる。同時に風が逆巻いた。

 光の粒子を束ねて作ったような棒は、突風であおられた千歳の髪が収まると同時に解けて消えた。

 階段を下るのを一時中断したヌエが、上体を折り曲げて棒の着弾地点跡を覗き見る。次いで首を捻り千歳を見ると、ニチャ、と笑った。明らかに馬鹿にしている。

 千歳もまた、棒が消えた跡を無言で見る。端末を耳に当て、

「……あの、外れましたが」

『うん、惜しかったかな?』

 いいえ、大分。とは流石に口に出さない。

 実体のない光の矢こそが、千歳が待ち望んだ破魔矢に他ならない。矢をつがえずに破魔の霊力を矢に象って放つ技は、退魔において絶大な威力を発揮する。……当たればの話だが。

「……破魔矢って外れるんですね。初めて見ました」

 状況を忘れて、しみじみ言うと、

『そうだね。滅多に外れないから、割と貴重な体験かな』

「貴重な体験より、今は堅実な結果の方が好ましいというか、お願いします早くっ」

『じゃあ、安定性重視で。――散弾、用意』

 低く、恭弥の言葉が途切れる。


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