分からないことだらけで


「それ、スケッチブックだよな?」

 稔が声を掛けてきたのは、端末のカメラで撮影したホワイトボードの写真をミニプリンターで出力している最中の事だった。

 ヌエの絵は、普段は0号サイズのスケッチブックに描いた物を切り取って提出しているが、今日のように大きく描いた際は、撮影した写真を印刷している。千歳が常に身につけているサコッシュには財布や小物の他に、描画用品一式がコンパクトに収納され、どこでも作業出来るよう準備していた。

 写真がよれないように、スケッチブックに挟み込もうと取り出したのを、所在なくしゃがみ込んでいた稔が目ざとく見つけて話しかけてきたのだった。

 千歳が提供したヌエの絵と情報は、寮生達の関心を大いに引いたらしい。解散後も真剣な眼差しで検分し、宇佐見などは断りを入れて撮影までしている。

 稔は千歳が厄持ちでないと判明して力を抜いたのか、こざっぱりとした顔つきをしていた。彼の懸念がその一点に尽きていたのは明白だ。

 と言っても打ち解けるにはほど遠く、相手に探りを入れるような眼差しは健在だ。

(悪意は感じない。けど……)

 ジルへの当たりはかなりきつかったが、その知り合いにまで嫌悪を持ち越す気はなさそうだった。

(――ま、いいか)

 煮え切らない感情はあるものの、千歳は友好的な笑顔を浮かべて、

「クロッキー用だけど、見る?」

「見るっ」

 途端に稔は目を輝かせるが、ふと千歳の背後に視線が移動した途端、はっと動きを止めた。

 その変化に千歳は眉を寄せ、首を巡らせると、少し離れた場所に立つジルが高速で顔を背ける瞬間だった。

(…………俺がジルの知り合いだってことを忘れていただけか)

 稔は、好奇心で千歳に話しかけたはいいが、ジルとの関係を失念していたらしい。こちらを伺うジルの反応で思い出し、しくじったとばかりに固まったようだ。

 そしてジルは、稔の動向は気になるが、千歳の人間関係に口出しすべきではないと、必死に自制している最中といった所だろうか。

(何やってんだか……)

 二人の考えを瞬時に読み取って、千歳は白々と目を細める。

「どうぞ」

 出力されたばかりの写真をパタパタ振って乾かしながら、千歳は素知らぬ顔で稔にスケッチブックを差し出した。ジルはひとまず横に置き、稔の要望に応える事にしたのだ。

「……ど、どうも」

 稔は差し出されたスケッチブックを、まごつきながら、しかし嬉しそうに受け取り、側の椅子に腰掛けると、期待を込めて表紙を開いた。

「おー……、プロの絵だ」

 感動もひとしおに、興味津々といった様子でページをめくる稔だったが、ページをめくるごとに徐々にトーンダウンして、仕舞いには表情がなくなってしまった。紙面から顔を上げ、深刻そうに千歳を見ると、

「……病んでるの?」

「いきなり失礼なこと言わないでくれるかなっ?」

 抗議の声を上げる千歳だったが、現在進行形で頭蓋骨の形状にハマり、あらゆる角度からの描写で埋め尽くされたスケッチブックは、端から見れば狂気じみていると指摘されても仕方ないかもしれない。が、心外なことこの上ないのも事実で、必死に訴える。

「格好良いだろ、スカルっ」

「あー、うん、まあ格好良いわな」

 お追従に返事をされて、千歳は「ぐぬぬ」と歯噛みをする。頭蓋骨の妙なる構造について詳しく説明しようとするが、ふと、頭の中に描いた頭蓋骨が、小箱に封印されたヌエ頭部の残骸と重なった。

「――ちょっと良いかな? さっき渡したヌエの残骸はどうしたの?」

 振り返り、側に立つ弦之に尋ねた。

 弦之は解散後もその場に佇み、何事かを考え込んでいるようだった。他の寮生達とワンテンポ遅れて行動しているせいか、思案するタイミングもまたズレている彼の側へ、千歳はホワイトボードを撮影する傍ら、たまたま近づいていたのだった。

 と、言うのは方便で、すぐにでも千歳の元へ駆け寄ってきそうなジル避けにと、弦之をちゃっかり利用したのが本当だ。

 狙い通り、弦之を怖がるポン吉を連れたジルは、迂闊に近寄ることが出来ず、離れた場所から、やきもきしながら千歳の様子を伺っていた。

「位高殿に預けましたよ」

「師範?」

 千歳は少し驚いた。美代子が術者界の関係者であることは知っていたが、ヌエの残骸を回収しているというのは初耳だ。

「位高殿は元は巫女だと、きょ、――高階殿から伺っておりましたので、保管をお願いしたのですが」

 弦之が恭弥の名前を不自然に言い直したのを、千歳は無視して、

「え? 師範、巫女さんだったの?」

「それ、こっちに聞くのかよ」

 さらに驚いて聞き返す千歳に、稔が呆れて口を挟んだ。

「いや、全然知らなくて。――師範、巫女さんだったんだ……」

 意外に思いながら、千歳は美代子の立ち姿を思い出す。背筋の伸びた後ろ姿は、確かに言われてみれば、巫女という言葉がしっくりと当てはまる。

「期日になれば、担当の者が回収に来ます。定められた儀式場で祓い清められた後は、火口へ投げ入れ完全に浄化します」

「火口って、火山に捨てるのか」

 随分と豪快な処分方法だと、千歳が驚いていると、稔はそれを非難と受け取ったのか、面倒臭そうに断りを入れた。

「言っとくけど、不法投棄じゃないからな」

「いや、そうじゃなくて、普通に燃やせないのかと思ったんだよ」

「ああ、燃えない燃えない」

 稔はヒラヒラと手を振った。

「ついでに言うなら、水もダメ。川に流そうとしても、何十年もそのまま沈んでるよ」

「それはもう、ただの石では?」

 化石のような残骸を思い浮かべながら話す千歳に、稔は仕様もなく言った。

「石ならいずれ砕けるだろうが、それもない。半端なやり方じゃあまず壊れないね。それだけ業が深いってことだけど。 ――これ、ありがと」

「いえ、どういたしまして……」

 返却されたスケッチブックを手に、千歳はこれまで術者たちに、当たり前のように手渡してきた小箱の、その思わぬ行く末に、感心する。

「何というか、とんでもなく頑丈なんだな」

 そこまで頑強なら、処分以外に何か使い途がありそうなものだと考えるが、

(いや、ないない。無理だ、あれは)

 見るからに験の悪そうなあの残骸は、早々に処分するのが、どうあっても世のためだろうと千歳は結論付けた。

「そ。ヌエ退治は後処理も含めて、とーても大変なお仕事なんです」

 立ち上がり、うーんと伸びをしながら、稔はやけに仰々しく話す。

「で、そんな大変なお仕事を頑張ってると、甘い物が欲しくなるわけですよー。 ――と、何と、あそこに良い物が」

 稔は天井に向かって伸ばした右腕を、そのまま九十度下ろす。指さした先は、給湯室の入り口横に設置されたドリンクコーナーだった。

 水、お茶、コーヒーと並ぶサーバーの横には、コンディメントボックスが設えられているが、稔が示しているのは、一緒に置かれた脚付きの竹かごだ。同じ方向を見ながら、千歳は、

「飴?」

 竹かごの中には、一階ホールで来客に振る舞われるウエルカムキャンディの余りが、社員用としてこんもりと盛られていた。

 稔の意図を察して、千歳は頷いた。

「ああ、沢山あるから、良かったらどうぞ」

「さーんきゅ」

 千歳の了承を得て、稔は上機嫌でドリンクコーナーへと小走りする。

(甘い物が好きなのか)

(……覚えとこ)

 どうやら稔は、飴が目当てで居残っていたらしい。千歳にねだるチャンスを伺っていたが、たまたま目にしたスケッチブックにも興味が向いたというのが本音のようだ。

(ま、飴程度で喜ぶなら安いかも)

 などと不届きな事を考えつつ、弦之にも、

「君も、良かったらどうぞ」

「ありがとうございます」

 弦之は礼儀正しく頭を下げるとゆっくり歩き出した。

 出会った時と同じような物静かな立ち振る舞いは、ともすれば消沈しているようにも見えるのは、千歳の絵から、彼の望む情報を得られなかったためだろう。落ち込む彼を、少々気の毒に眺めながら、

(……俺が気に病んでも仕方ないか)

 気を取り直し、他の三人にも声をかけようと千歳が顔を向けると、彼らは一カ所に集って話し込んでいる最中だった。

 宇佐見が中心らしいが、ジルはともかく澤渡が一緒にいるのは、険悪な口論を見た後では実に意外だ。

 彼らの神妙な顔つきは事務所で働く社員達のそれに通じるものがある。相性云々より、術者としての責務を優先する割り切った態度をどこか遠くに感じながら、千歳は暫しその様子を眺めた。

 話し込む三人の、特にジルの真剣な横顔をそっと伺い、

(――いや、自分から敬遠にした癖に、何気にしてんだか……)

 気まずく考え、千歳は邪魔をしないよう、黙って視線を外した。

「なあ、ちょっといいか?」

 程よく、ドリンクコーナーの前から稔が振り返り千歳を呼ぶ。

「うん? 何かな?」

 少し空っ惚けた返事をしながら、千歳は踵を返した。

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