新人五人?

 屋上駐車場の出入り口には自販機とハイタイプのカウンターベンチが置かれた休憩所があり、落ち合う場所としては最適だった。

 エスカレータを上ると、恭弥が笑いながら手を振ってくれた。いつものように大弓をどこかへ収納し、笑顔で招く姿に、千歳は大いに安堵した。

「千歳君、お疲れさま。無事で何より」

「いえ、こっちこそ急に呼び出したのに来てくださって、ありがとうございます。……それで、あの」

 並んで立つ射手に目を向け、千歳は口ごもる。間接照明下では判別不能だった彼の髪色は見事な珊瑚色だった。室内灯のはっきりした光の下で隠しもせずさらけ出している事に、少々気後れを感じたのだ。

 千歳の視線を受け、射手が折り目正しく礼をした。身のこなしに隙がない。端正ともいうべき顔立ちは微動だにせず、一切の感情を読み取ることが出来ない。服装も装飾のない細身のロングコートにゆとりのあるズボンと金属パーツが入った長靴という、どことなく軍服を思わせる着こなしだ。

 怖気づく千歳をおかしそうに眺めていた恭弥が助け舟を出した。

「こっちは俺の後輩でね。御蔵弦之みくら つるゆきと言うんだ」

「御蔵弦之と申します。以後お見知りおきを」

 立ち姿同様、どこまでも格式張った物言いに、千歳は少々尻込みしながら口を開く。

「ど、どうも、ご丁寧に。碓氷千歳です」

 名乗ったはいいが、当然の如く会話は続かない。千歳は弱り切って恭弥を見ると、彼は肩を竦めて、

「昔からこうなんだ。大丈夫、すぐ慣れるよ」

 笑顔で言われて、千歳はその物言いに引っかかるものを感じた。

「どういう意味ですか?」

「新しい寮に新人が入るという話は聞いているよね? 弦之君はその一人だよ」

「え? そうなんですか」

 千歳は驚いて弦之に目を向ける。

「でも彼、ええっと、御蔵君は魔物退治の専門家、術者ですよね? それに、その一人って……」

「その辺り、ちょっと込み入った話になるから。先に千歳君、いつもの」

 千歳の質問と疑念を笑顔で脇に置くと、恭弥は催促するように手を差し出した。

「あ、はい」

 明らかにこの話題を避ける恭弥を訝りながら、千歳は手に提げていたビニール袋を差し出した。

 店名が印刷されたそれは、昼食にサンドイッチを買ったパン屋の袋だった。他に入れる物がなかったとはいえ、人に物品を渡す用途に用いるにはかなり気が引ける。

 気まずい思いで渡した千歳だったが、恭弥は構うことなく受け取ると、中身を素手で取り出した。

 思わず身を引く千歳に、恭弥は笑って、

「ちゃんと封は出来てるよ」

 拳大の透明な正方体を、顔の横で翳して見せる。内部には、割れた卵の化石のような物が浮いて固定されていた。ミニチュアサイズに縮小された、ヌエ頭部の残骸である。

 魔物討伐の後、残骸を回収するのもまた、千歳の役目である。と言っても、回収用にと渡されている術札を残骸に張り付けるだけの簡単な作業だ。後は術が働いて勝手に梱包してくれるので、それを持ち帰るだけなのだが、手順が簡単過ぎて、中身がこぼれないかといつも心配な千歳だった。

「お札の性能を疑ってるわけじゃないんですが、どうにも不安で。それに気持ちいいモノじゃないです。今日なんて特に、中の人がはっきり見えて」

「人?」

 訝し気に声を上げたのは、それまで塑像のように立ち尽くしていた弦之だった。思わぬところから反応が返ってきて、千歳は驚きながらも頷き、

「え? あ、はい。女の人がヌエの頭の中に詰まっているのが視えました。いつもはもっとぼやけているのに――」

「はい、そこまで」

 千歳の言葉を、恭弥がわざとらしい明るさで遮った。

「正式な挨拶はこの後控えているから、ここで一端お開きにしよう。 ――じゃあ、弦之君はコレを持って先に戻ろうか」

 正方体をビニール袋に戻し、弦之に向かって突き出す。あからさまな作り笑いには有無を言わさぬ強制力が滲んでいる。唐突に話を打ち切られて、弦之は何か言いたそうだったが、

「抜け駆けはダメだよ」

 恭弥にすげなく笑顔で諭され、弦之は黙ってビニール袋を受け取ると、再び一礼してエスカレータの方へ行ってしまった。

 パン屋の袋を提げているのが、どう見ても彼の服装と不釣り合いで、恭弥に追い返されたとしか思えない事と相まって、千歳は何となく申し訳ない気持ちになる。

 弦之の姿が下りエスカレーターの流れに沿って見えなくなってから、千歳は口を開いた。

「恭弥さん、説明して貰ってもいいですか」

 どうにも話が見えない。

 明日の引っ越しは、社員寮として借りているマンションから新たに会社が買い上げた物件へ移動するだけで、それ以上の話は聞いていない。

 新人が入るとは聞いていたが、弦之がそうであるなら、研修と言った恭弥の言葉も納得がいく。

 千歳が所属するスタジオ・ホフミは、恭弥のような術者が既に数名、社員として在籍している。

 彼らは皆、普段は会社の業務内容に沿った仕事に従事しており、時間外労働として魔物退治を請け負っているので、新たに術者を雇い入れたと聞いても、それが複数人であったとしても、多少驚きはすれども疑問を感じることはなかっただろう。だが、恭弥の態度はどこか思わせぶりだ。

 それに先程の魔物退治も妙だった。行き当たりばったりと言っても過言ではないぐだつきようは、例え新人を連れていたとしても、普段の恭弥とは思えないほど不手際だった。

 加えて弦之に対して抜け駆けと言っていたが、どこからそんな単語が出てきたのか、千歳には皆目見当がつかない。

 困惑する千歳に恭弥は曖昧な笑みを向けると、しゃがんで、

「やあ、ポン吉君もお疲れさま」

 千歳の足元に語りかけると、何もない空間からポン吉がおずおずと歩み出た。気弱に周囲を見回し、物言いたげに恭弥を見上げる。

「あはは。そんなに怯えなくても弦之君はもう行ったよ」

「ポン吉、さっきの人に何かしたんですか? って、こら、体当たりするんじゃない」

 抗議するように千歳の足に突撃するポン吉に、恭弥は手招きをする。

「タヌキ型の霊獣が珍しいって、ガン見されちゃったんだよね」

 弦之君は目つきが厳しいからね、とすり寄ってきたポン吉を慰めるように撫でる。

「ポン吉君ね、会社にいたんだよ。千歳君と喧嘩した後、ひとりで反省してたんだ。でも主人の危険を察知して、張り切って飛び出して行ったんだ。偉いね」

 褒められて、得意気にポン吉が鼻を鳴らす。その様子を見ながら千歳は不満げに、

「あの恭弥さん。はぐらかさないで教えてください」

「美濃さんから着信が入っているんじゃないかな? かけ直してごらんよ」

 言われて釈然としないまま端末画面を見ると、確かにマネージャーの美濃から着信履歴がある。合計三回、最後の履歴は十分ほど前で、丁度ヌエと対峙していた頃だ。

 メッセージだけでは伝えられない何かが起きたらしい。かけ直すとすると、呼び出し一回で繋がった。

「あ、美濃さん、お疲れ様です。千歳です」

『もしもし、千歳君? あー繋がった。良かったあ』

 心底ほっとした様子の若い女性が応対する。

「何度かかけて貰ったみたいで、気付かずにすみません。何かあったんですか?」

『おおありよ。新しい寮にね、勝手に人が入り込んでいたのよ!』

 予想だにしていなかった内容に、千歳は驚いて、

「ええっ? それって不法侵入……?」

『正にそれ。引っ越し業者が荷物を運び入れている最中に気づいたの。

うちはここ最近名前が売れ始めてきたでしょう? 何かいかがわしい目的があったんじゃないかって、警察まで呼んでの大騒ぎ。そもそも新しい寮の件だって内々の取り決めで、どこから漏れたんだって話にまで発展しちゃって』

「情報漏洩の犯人が身内いるって事ですか?」

『今のところ、その線でしか当たりが付けられないの。おかげでこれから緊急の社内会議よ』

 電話の向こうで美濃が嘆息した。少し考えて、千歳が訊ねる。

「という事は、明日の引っ越しは、もしかして延期ですか?」

『警察は侵入者を連行してとっくに引き上げたのだけど、肝心の侵入者の身元も意図もまだ分からないの。はっきりするまではそうせざる終えないわね。 ――ただ、寮には千歳君だけじゃなくて、他にも新人が入る予定だったでしょう?」

「ええ、それは聞いていますが」

『五人よ、五人』

 五人、と口の中で反芻して、千歳は眉を顰める。

「多いですね。いつの間に採用したんですか?」

 そんな大がかりなオーディションはなかったはなかったはずだと千歳が首を捻っていると、通話口から美濃のため息が漏れ聞こえた。

『いつもの社長のスカウトよ。そして例の如く事後報告。社長に電話で確認したら、面倒を見てあげて、ですって。もう、本当に勝手なんだから』

 美濃の辟易とした様子が目に浮かんで、千歳は苦笑する。

「社長、人を口説くの上手いですから」

『本当にそう。千歳君の時と同じね。 

 それで今日、五人の寮生達が引っ越しの荷物と一緒に到着したのだけど、こんな騒ぎのあった日に寮は使えたものではないし、当座の宿泊先をどうしようかって話になってね。ホテルを手配するにも、例の侵入者が単独犯じゃなかった時が怖くて、なら皆まとめて会社のゲストルームに一時滞在して貰おうって事で話が付いたの』

「皆って、俺もですか?」

『そうよ。社員寮も今日は警備をお願いしたけど、千歳君も他の皆と一緒の方が安全だろうって。それで連絡したのだけど、なかなか繋がらなくて。

 そうしたら、弓削君と、彼に会いに来ていた弓削君の後輩って子がポン吉君を追いかけて一緒に飛び出して行ったって言うじゃない。あのワンちゃん、千歳君の事には敏感だし、弓削君も血相を変えていたっていうから、何かあったんじゃないかってびっくりしちゃって。千歳君、今、弓削君と一緒よね? 二人とは出会えたかしら?」

「ええ。その後輩というのは、もしかして珊瑚色の髪の人ですか?」

『そう! その子。彼も寮生なのよ。それに髪の毛は地毛ですって。あんまり綺麗だから驚いちゃった』

 おおよその事情が掴めてきた。どうやら弦之は、飛び込みで恭弥の元へ現れたらしい。手間取った理由が判明して、千歳は微妙な気持ちになる。

(恭弥さんの所に急に来たのか……)

 突然の来訪に、さしも恭弥もさぞ心証を悪くしたに違いない。後輩に対する態度が少々冷淡だったのも頷ける。

「分かりました。これから戻ります」

『ええ、なるべく早めに帰ってきてね。弓削君が一緒なら大丈夫だと思うけど、気を付けて。 ――ああ、会議が始まるわ』

 せわしない様子の美濃だったが、千歳はつい気になって聞いてしまった。

「その連絡が来たのはさっきですよね? 引っ越し業者の荷物搬入って、結構遅くまでやっているんですね」

 不自然に間が開いた。ややあって美濃が抑揚を効かせて言った。

『……いえ、不審者が見つかったのはお昼前よ。後輩の彼が、寮で何かあったようだと教えてくれたの。こちらから連絡を入れて事態が発覚したのよ。寮の管理責任者には、皆を連れて会社に来るようにと指示を出したけど……』

 徐々に声のトーンが下がる。余計な一言だったと千歳が気付いた時には、美濃の怒りは爆発していた。

『会社に報告するのを忘れていたって、ぬけぬけと言う台詞じゃないわっ。これだから業務委託は嫌なのよっ!』

 当たり散らしてしたことを詫びた後に、電話は切れた。

(社会人は大変だ)

 し千歳がみじみと端末を見つめていると、ポン吉と戯れていた恭弥が顔を上げた。

「事情はこれで伝わったかな?」

「だいたいは」

 だが疑問は残っている。時間が迫っていたため美濃に確認は出来なかったが、何を目的に五人も新人を採用したのか、その理由が分からない。

「さっきの彼は、芸能分野への新人ですか?」

 言っておきながら、違うだろうと推測する千歳だった。容姿は整っていたが、どうあっても芸能向きとは思えない固さだ。

 千歳の問いに、恭弥は「うーん」と笑いながら首を捻る。

「弦之君が芸能かあ。それはそれで面白そうだけど。彼は俺の後任なんだ」

 え、と千歳は固まった。何かあるだろうとは察していたが、聞き捨てならない言葉だった。

「……後任って、恭弥さん、異動するんですか?」

 狼狽えて思わず縋るように言った千歳に、恭弥は軽く笑って、

「異動というか、配置換えかな。人が増えるから、まとめ役を仰せつかったんだ」

「あ、そういうことですか……」

 胸を撫で下ろす千歳に、恭弥は少々げんなりと言った。

「流石にあの腕で護衛を任せるのは、心もとないどころの話じゃない。久し振りに合ったけど、弓術の腕が以前より落ちているっていうのは、どういう了見なのやら」

 やれやれと頭を振る恭弥の言葉を、千歳は気まずく聞き流す。気を取り直して、

「と言うことは、新人五人は、もしかして全員術者ってことですか?」

「――あれ、ポン吉君、どうしたのかな?」

 撫でられて気が済んだのか、ポン吉は千歳の足の後ろに回り込み、するりとどこかへ入り込むようにして姿を消した。立ち上がり、恭弥は感心しきって言った。

「霊獣ってホント不思議な生き物だよね。実体はあるのに、壁抜けは出来るし、人の影の中へも入り込める。それに人語を理解するだけじゃなく、場の空気にも敏感だ。

 ――ちょっとだけ、休憩しようか」

 恭弥は休憩所のカウンターを目で指した。



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