弓削恭弥

 ――立体駐車場、その外階段にて。

 通話ボタンをオフにして弓削恭弥は嘆息した。

「危なっかしいにも程がある」

 遠く、弟弟子が屋上へ上がるのを確認しながら、恭弥はここに至るまでの経緯を苦く思い返す。


 ――遡ること数十分前。

 スタジオ・ホフミ本社、一階ホール。


 術者の末席に連なる者として、如何な事態においても心乱さぬよう師範から薫陶を受けた身ではあるが、同じく教えを受けた弟弟子の姿に、恭弥は目を丸くした。

 プロテクトの入った黒衣は鱗帷子うろこかたびらと呼ばれる簡易兵装だ。籠手や脛当てまでもを律儀に装備する弟弟子に、恭弥は肩を落として、

「その格好で来たのかい?」

 刀を差していないだけマシとは言えるが、呆れて尋ねる恭弥に相手は質問には答えずに頭を下げた。

「お久しぶりです」

「……そうだね、久しぶり。元気そうで何よりだよ。それで要件は何かな?」

 おおよそ一年半ぶりの再会に浸ることなく、淡々と恭弥は続けた。

「会合は明日のはずだ。わざわざ前日にこちらへ来るからには、それなりに重要な話だとは思うけど?」

「美濃殿にお伝えしたとおり、ご挨拶に伺いました」

 背を伸ばし、

「明日よりスタジオ・ホフミへ配属されることになりました。ご指導ご鞭撻の程、宜しく願い申し上げます」

「……ああ、うん。宜しくね」

 恭弥は頭痛がする思いで目を閉じた。

 スタジオ・ホフミ本社一階ホールは、受付と同時に来客との打ち合わせに使われる会議室を兼ねている。

 暖房の効いた室内にはこざっぱりとしたダイニングセットが並び、壁面やパーティションには所属アーティストの作品が展示されている。音楽が流れ、来客に飲み物を提供するバーカウンターが備えられているので、ちょっとしたカフェのような仕様だ。

 就業時間間際であるため既に来客の姿はなく、広いホールには恭弥を含めた三人の姿しかない。

 その内の一人、ホール専任の女性社員が、バーカウンターの内側から恭弥と弟弟子を目をぱちくりさせながら眺めている。

 スタジオ・ホフミ創業当時からの古株で、名は兼森かねもり。落ち着いた大人の色香を漂わせる彼女は、二人の会話が聞こえたのか、片付けの手を止めて面白そうに笑みを浮かべていたが、余計な口出しはせずに、すぐに自分の仕事へと戻っていった。

「相変わらず気が早いね」

 恭弥は彼女によって弟弟子に提供されたのだろう、バーカウンター上のティーカップを横目にしながら、ため息交じりに言った。


 美濃から連絡を受けたのは、得意先を回り終えた千歳と駅で電車を待っている最中のことだった。

 昨秋、この駅にピアノが設置されたことを話題に上げながら、のんびりと電車の到着を待っていた恭弥は、美濃からの着信に眉を寄せた。

〈恭弥君、お疲れ様〉

〈貴方の後輩と名乗る子が、明日の入寮前に、貴方に挨拶しておきたいとこっちに来ているのだけど〉

〈名前は……〉

 表示された名前を確認して難しく顔をしかめる恭弥に、千歳はさも今思いついたように、件のピアノを演奏したいと言い出した。人前に立つ練習に丁度良いと言っていたが、気を利かせたのは丸わかりだった。

 少し迷って、その言葉に甘えることにした恭弥は一人、到着した電車に乗り込んだ。扉の車窓越しに笑顔で千歳に手を振りながら、しかし彼を一人にするのは不安だった。

 千歳の霊力が並み外れて高いことは承知している。うっかり魔物を視認して標的になる割合が多いこともだ。

 だがそれ以上に、千歳にはのっぴきならない事情がある。

 そしてその事情に起因する特性の為に、本人の意思に関わりなく魔物を刺激する。ともすれば魔物よりも厄介な問題だ。

 幸い己の抱える事情については、千歳自身強く自覚しており、周囲への影響を考慮して軽はずみな行動は慎んでいる。その甲斐あってか最近は随分と落ち着いて、千歳の予定に恭弥が付き添う事も少なくなってきた。

 だが、何が引き金となって発動するのか分からない不安定さは未だに健在だ。

(大丈夫だとは思うけど)

 何らかの理由で異形を視認出来るようになった者が、それらに対して過剰に反応することは珍しくない。それまでの常識を覆すような存在だ。初めて目にした時の衝撃は大きいだろうと察して余りある。

 そしてその反応は、恐怖か嫌悪の両極端に分かれる。

 異形、特に魔物は、例え姿が見えずとも、そこにいるだけで人の心を逆撫でする。

 この世にあってはならない存在だと本能で感じ取るためだろう。魔物を目の当たりにして、そのおぞましさに恐れおののくか、あるいは人の世を侵されて激怒するかの二つに一つであり、後者の場合は激情に任せた短絡的な行動を取る者も少なくない。

 危険極まりないため、落ち着くまで監視等の対策が必要となるが、その点、千歳は分かりやすく前者だと、初めはそのように分類をしていた恭弥だった。

 だが、行動を共にする内に、そんな単純な話ではないことを思い知ることになる。

(……心配だ)

 本人の自立を妨げないよう、あまり過保護にはしないようにと上からは言われているが、懸念は尽きない。

 だが、と、恭弥は目の前の弟弟子を見る。

 こちらも放置すると、何をしでかすか分からない点においては、千歳といい勝負だ。

 千歳との相違点は、付き合いが長い分その思考も行動原理も、単独行動させたときの危険度もおおよそ把握しており、力尽くで取り押さえることが可能なところだろうか。

 美濃からのメッセージを見た時、どうしたものかと悩んだ末に、千歳を信頼することにしたが、判断を誤ったかも知れないと恭弥は内心落ち着かない。

 当の弟弟子はと言えば、兄弟子の苦悩などどこ吹く風の様子で口を開いた。

「行動は迅速にと心掛けております」

「見上げた心がけだけど、相手の予定を考慮することも忘れずにね」

「今回は功を奏したようです」

「何?」

 皮肉交じりに言った恭弥は、思いがけない相手の言葉に訝る。

「引っ越し先の寮で問題が発生したそうです。今し方、こちらで待機するようにと、美濃殿より仰せつかりました」

 口調を改めて彼は続けた

「何やら切迫したご様子でしたので、万が一に備えて装備を整えました。――敵襲ならば、お供します」

「…………」

 弟弟子の問題点として第一に上げられるのが、この戦闘に傾倒した思考である。

 スタジオ・ホフミは芸能、芸術関係の企業だ。恭弥を始め、魔物退治に関わる専門家が在籍しているが、運営は看板通り、裏はない。トラブルが起きたとしても、事業に沿った内容以外にありえない。

 よって戦闘準備など見当違いも甚だしい、そう一蹴してもおかしくない場面だが、今回に限り、大袈裟とも言い切れない。弟弟子が口にした寮。千歳の引っ越し先でもあるそこは、少しばかり事情が異なるのだ。

 恭弥は携帯端末を確認した。美濃からの着信は入っていない。嫌な予感がした。

「すみません、内線をお借りします」

 バーカウンター越しに兼森に声を掛け、恭弥は備え付けられた電話の受話器を手に取る。

「美濃さんなら、外出されましたよ」

 バーカウンター奥から兼森が顔を出した。にこやかに笑いながら、

「新しい寮でのトラブルでしょう? 何があったのか直接話を聞くために、寮の管理者をこちらへ呼んだみたいですね。到着した車を出迎えに行くと言っていたから、駐車場にいらっしゃるのではないかしら?」

「……そうですか」

 つまりは、問題は既に解決済みと言うことだ。幾分ほっとして、恭弥は受話器を戻した。

「――もう一つ、お伝えしたいことがございます」

 恭弥の行動を目で追いながら、弟弟子が続けた。

「霊獣を保護しました」

「それは……、もしかしてタヌキ型の霊獣のことかい?」

 スタジオ・ホフミ社屋周辺に霊獣がいたとすれば、それは十中八九、ポン吉である。

 千歳が仕事へ赴く際は大抵一緒について行くが、喧嘩などしてへそを曲げたときは、機嫌が直るまで敷地内の茂みに隠れている。

 タヌキそっくりな千歳の飼い犬として社内では知れ渡っているので、敷地内をうろついているところを目撃されても、後で飼い主に文句が行く程度で、追い払われることはないのだが。

 恭弥は少々気をそがれた様子で弟弟子を見た。

 彼のように、術者界に身を置き、霊獣の生態を知る者であれば、確かに報告して然るべき事態かもしれないが、やけに話が飛躍したような気がしたのだ。

 それに保護したという割には当の霊獣の姿はどこにも見当たらない。

 ふと恭弥は、直立する弟弟子の背後の椅子の上に、彼の物と思しき上着が無造作に丸めて置いてあることに気がついた。物を大切にする彼らしからぬぞんざいな置き方に、恭弥は静かに胸が騒ぐのを感じた。

 視線を固定したまま、

「――それで、その霊獣はどうしたのかな?」

「たった今、外へと飛び出していきました。主人の身に何か起きた事を察知したのではないでしょうか?」

 その言葉に、恭弥は己の判断ミスを確信したのだった。


 その後も散々だったと、恭弥はしみじみと思い出す。

 千歳がいる駅へ向かう最短ルートとして、恭弥は電車を選択した。最寄り駅から三つ離れたその駅へ向かうなら走るよりはるかに効率が良い。上り線なので帰宅ラッシュに巻き込まれることもなく、気を揉む以外は移動は順調だった。

 ポン吉は、会社敷地内の茂みに、いつものように潜んでいた。千歳の危機を察知して果敢に飛び出したはいいが、一匹ではどうしようもないと途中で気付いたらしい。入れ違いになった恭弥が出てくるのを待っていたようだった。

 霊獣は、遠く離れた主人の居場所や危険を察知したり、影に身を潜めたり、物体を素通りしたりと出来ることは多いが、戦闘力は個体差による。ポン吉は主人同様、未熟だった。

 それに魔物と違い、実体を持つ霊獣は、常人の目にも普通の動物と同じように視認されるので、迂闊に街中を歩けない。特にタヌキの姿をしたポン吉は、下手をすれば保健所の職員に回収される恐れさえあるのだ。会社に犬と届け出しているのは、それらを踏まえての苦肉の策だった。

 その辺の事情を理解してのことだろう、エントランスから走り出てきた恭弥達の前に勢い込んで飛び出したポン吉は、しかし弟弟子の姿を見た途端、ギシリと固まってしまった。

 心根とは裏腹に、生き物の、特に小動物の扱いがとことん下手な彼である。

 硬直する霊獣の姿に、どのように扱われたのかおおよそ察しはついたが、構わず恭弥は、走り抜けざまに片手で霊獣を拾い上げると、己の影の中へ放り込み、駅へと急いだのだった。


 移動中、弟弟子に来訪理由とポン吉について改めて尋ねたところ、返答は以下の通りだった。

「明日からお世話になりますので、下見がてら付近を散策していたところ、草むらに隠れていた霊獣を発見し取り押さえました」

「非常に稀な野生の個体かと思い、一人で預かるには少々不安を覚え、助力を願いに参上しましたが、受付の方のお話によれば、こちらの霊獣は所属アーティストの飼い犬として届けられているとのこと。その方はもうすぐお戻りとのことでしたので、霊獣が逃亡しないよう、見張りのつもりで待たせて頂きました」

「約束もなくお伺いするのは先方への配慮を欠いた行為ですが、来た以上は、挨拶もなしに去る方がよほど非礼ですので、ご一報をお願いしました」

「その時には霊獣の身元も明らかになっておりましたので、さして重要な情報とは思えず控えておりましたが」

「主人を出迎えに飛び出したのかと思いましたが、それらしい人影は見当たらず、何か起きたのかと警戒した矢先、丁度お姿が見えましたので報告のため待機しておりました」

……何をどう突っ込んだらいいのか分からない。

 頭痛を通り越し、目眩がする思いで恭弥はこめかみに片手を当てた。

 更には美濃から連絡が来た。

 恭弥達が飛び出したことを兼森が報告したのだろう。美濃はその情報を、寮で起きたという問題と絡めて悪い方へ捉えてしまったようだ。

 千歳と連絡がつかないと、通話越しにひどく狼狽えていたのを落ち着かせて、寮で何が起きたのかを聞き出したはいいが、そちらもまた頭を抱えるような内容だった。

 その通話中に、今度は千歳から連絡が入った。

 携帯端末の仕組みを無視して美濃との通話に割り込んだ千歳は、息せき切って、魔物に襲われていると現状を報告した。

 術者の一般論として、機械と霊力の相性は最悪だと思われがちだが、時折、煩雑な機械操作をすっ飛ばして望んだとおりに機器を動かすことが出来る。そしてそれは、大抵切羽詰まった状況下で起こる。

 本格的に千歳が窮地に陥っていると知り、流石に恭弥は焦った。ただ、寮の問題とは明らかに別件だ。その時点で千歳からの通話は既に切れており、詳しい状況は不明ではあったが、そこは間違いないと確信出来る。

 再度美濃へ連絡を入れ、涙声の彼女に、千歳は単に着信に気付いていないだけだろうから心配はない、すぐに連れて戻ると伝えると、車内にて気ぜわしく駅への到着を待ったのだった。

「私の行動がその方を窮地に追いやったようです。挽回の機会を」

 その申し出を受理して射手を任せたのは、弟弟子の熱意に打たれたからでは勿論ない。弓が不得手だった彼が、どれだけ成長したのかを確認するための指名だったが、あの通りである。

「何とかなって、本当に良かった……」

 体内にたまった疲労を押し出すように、恭弥は細く長く息を吐く。先の事を考えてギリギリまで手を出さずにいた事がこれほど堪えるとは思わなかった。

 しかし、今回、千歳は特性を発動させなかった。弟弟子も弓による遠距離攻撃に固執せず、機転を利かせてヌエを退治した。

(及第点かな?)

 恭弥は気を取り直した。ここでへばっている場合ではない。寮の問題が残っている。

 正確には問題が起きたせいで前倒しになった予定の方だが、そちらの方がよほど難問だ。

「さて、どうしたものか……」

 星明かりの乏しい夜空を見上げ、恭弥は思案するのだった。

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