エピローグ 未来

 店を出て暫く歩くと、丁字交差点向こうに木立が見えた。自然公園へと続く歩道だ。

 季節柄、木々は葉を落とし隙間が目立つが、その分日差しは奥まで差し込み見晴らしがきく。ベンチや街灯が配置されているのが通りからも窺えた。

 歩道は会社の裏まで続いているので、散歩の帰りはこの道を折り返しに使っている。

 そろそろ通学や通勤で人通りが増える時間帯だが、駅から離れたこの歩道を歩く者は少ない。スポーツウエアの老人がかくしゃくと散歩する程度だ。

 踏み固められた土の道を歩いていると、人の気配が遠ざかったのを悟って、ポン吉が影から飛び出してきた。

 千歳の前へ立ちはだかり、焼き芋を食べたいと訴える。

「会社に着いてからにしろ」

 袋に飛びつこうとするポン吉を躱しながら千歳が呆れていると、正樹が笑って、

「ここなら人目もないし、食べさせてあげたら?」

「ダメです。甘やかすとつけあがるんですよ、こいつは」

 袋をポン吉から遠ざけるため高く掲げ、千歳がにべなく言うと、正樹は「そう?」と笑って自分の手提げ袋をゴソゴソ探り、

「じゃあ、僕のを上げよう」

 焼き芋を取り出す正樹に、千歳の足に縋っていたポン吉が高速で顔を向けた。

「あっ、こらっ!」

 千歳が制止する間もなく、ポン吉は正樹の元へと猛ダッシュ、足下へ行儀良く座る。

 期待を込めて見上げるポン吉に、正樹はしゃがんで焼き芋の皮を剥き、

「はい。どうぞ」

「社長っ、甘やかさないで下さいっ」

 千歳は肩を怒らせるが、誰も聞いてはいなかった。

「慌てないで、ゆっくり食べるんだよ」

 差し出された芋をガツガツとむさぼるポン吉に、正樹は笑顔で諭す。千歳は呆れ顔で、

「がっつくと吐くぞ」

「昨日はあまり食欲がなかったからね。ずっと千歳を心配していたんだよ」

「こいつにそんな殊勝な心があったとしても、食欲は別だと思いますよ。て言うか、師範にご飯貰っただろ」

 白粥を食べる千歳の足下で、ポン吉は美代子に用意して貰った霊獣用のご飯をもりもり食べていたのだ。

「ホント、大食いだな」

 焼き芋を食べ終え、満足そうに一息吐くポン吉を千歳は白々と見下ろす。

「元気な証拠だよ。千歳は大丈夫かい? 丸一日食べていなかったんだ。お粥さんだけでは足りないんじゃないかな?」

 子供をあやすような正樹の口調に、千歳はいい加減、肩を落とした。

「……今のところは大丈夫です。後、そろそろ子供扱いするのはやめてください」

「大丈夫。千歳はちゃんと成長しているよ。背だって随分伸びた」

 正樹は笑いながら立ち上がると、これぐらいだったのにと、水平に掲げた手の平を胸部に持ってくる。

 千歳は疑り深い視線を向けた。

「それ、成長はしているけど、まだ子供だって言っているように聞こえますが?」

「うん。大体合ってる」

「社長っ」

 千歳は怒りの声を上げるが、正樹は構わず続けた。

「そうやって、ちゃんと自己主張出来るようにもなった。ずっと一人で絵を描いていた頃を思えば、大変な進歩だよ」

「そんな昔の話を、いちいち持ち出さなっ」

 千歳ははっとなって言葉を切った。正樹が話を振ってきたことが分かったからだ。

「――あの頃の千歳は、あちら側に近いと思っていた」

 正樹は静かに切り出した。

「何らかの理由で神域へ迷い込み、戻ってきた者は、蘇りとして記録に残っている。けれど、その後を記した記述は寂しいものばかりだ。あちらの水に体が馴染んだのか、呼び戻さるように姿を消してしまう。こちらにとどまっても、神気にあてられ体質が変わり、そのために居場所を失い、自ら神域へ入ってしまう――」

 正樹は凪いだ水面のような目で千歳を見つめた。

「千歳もそうなってしまうのではないかと思って、なるべく一緒にいるようにした。それが良かったのか、君はこちらに残ってくれた。

 あの絵は、その後すぐに、君が僕にくれたものだ。そこには、千歳が知らないはずの界の情報と、界の未来を予見する内容が描かれていた。だから僕はそれを御神託だと判断した」

「――それは飛躍しすぎだと思います」

 さすがにそこは否定的な千歳だった。

 不服も露わにそっぽを向く千歳だったが、

(――嘘だ)

 欺瞞だと、千歳はその考えを鼻で笑い飛ばした。本心を誤魔化すために適当を考えているのは千歳の方だ。

(この期に及んで自分を欺いて何になる……)

 千歳は自分が夢が辻を歩けることを知っている。夢が辻は都会にしか形成されないという弁明も、意味はなさなかった。夢が辻と神域は性質が似ている。

 正樹と一緒に歩いたのは、その神域なのだ……。

「千歳は、今でもあの絵を描いた時の記憶は曖昧だろう。当時の君は神気にあてられ、半分以上があちら側にいた。己の記憶の中にすらみえないものが、その時はみえていたんだ。

 ――今回、千歳が夢が辻に入った原因は、絵を見て当時を思い出し、あちら側に近くなってしまったからだろうね」

「それは」

 一瞬、咎められるかと思ったが、正樹は心配そうに眦を下げるだけだった。

「白瀬殿から写真を貰ったそうだね」

「ええ……」

 あの写真は今もまだ、千歳が下げるサコッシュの中、スケッチブックに挟んで持っている。

「その時何が起こったのかを、彼らに話せそうかい?」

 口を開こうとして、しかし千歳は視線を横へと滑らせる。

 その時。千歳が神域へ落ち、こうなってしまった原因のことだ。果たして赤の他人に口外する必要があるのだろうか。

(分からない)

 分かることは一つある。この先、千歳に関わる以上、命に関わる危険が彼らには伴うということだ。

 仕事とは言え、命がけの相手に情報を出し惜しむのは、ひどく薄情であるに違いない。が、

「――もう少し、考えをまとめてから……」

 言い淀む千歳に、正樹は頷き、

「いずれ話さねばならない時は来るだろう。それまで彼らと言葉を交わすと良い。何事も段階を踏まえなければならない。それに千歳は少し、人見知りなところがあるからね」

「そんなことはっ」

 ないと反論したかったが、寮生達にも遠回しに気遣われていた事を思い出し、千歳はばつが悪そうに口を閉ざす。

「ストレスもたまっていたようだ。弦之と宇佐見君が反省していたよ。余計な情報を吹き込んでしまったとね。弦之などは、気乗りされていないのに、長話に付き合わせてしまったと、随分気に病んでいたよ」

「はは……」

 千歳は気まずく目を泳がせる。弦之の話に適当に付き合っていたことは、どうやらバレバレだったらしい。

(そんなに分かりやすく顔に出てたのか……)

(でもまあ、そんなこともあったっけ……)

 今となってはひどく遠い記憶だ。正樹は小さく笑って、

「少し話が逸れてしまったね。あの絵には、組織を表す装束以外にも、界の情報が含まれていた。その辺りはまだ詳しく話せないが、諸々含めて話し合った結果、御神託と認定することになった。僕の独断ではないから、そこは安心して」

 千歳の懸念を読み、正樹は安心させるように笑ってみせる。

「いえ、少しも納得してませんから」

 千歳は真顔で手を振った。

「実際あの絵に、何か未来の情報が含まれていたとしても、それを御神託、神様からの啓示に持ち上げるのは絶対無理があります」

 この期に及んでも千歳は反発を続けた。頭は正樹の言葉に傾きつつも、心の内は不満が蟠る。と言っても、

(ただの八つ当たり、というか、甘ったれだよな……)

(こんな有様じゃ、いつまで経っても子供扱いのままだよ)

 だが、思惑とは裏腹に、口は往生際悪く言葉を紡ぎ続けた。

「制服はあたった訳ですから、予知としての精度はそこそこ高いといえるでしょう。この先、何か大きな事件が待ち受けているなら、その一部が絵の中に紛れてることだってあるかもしれませんが、ただの子供が神域でよく分からないものを見て描いた絵に、そんな大それた意味があるとは……」

 言いながら、

(いや、どう考えても、何かあるような……)

(と言うか、制服以外よく見なかったけど、他は何が描いてあったっけ?)

 などと、自分の言葉に自分が説得されつつある。

 千歳が顔をしかめて悩んでいると「千歳」と、正樹は改まった口調で言った。

「君は選ばれた者だよ。だがそうなったのは、悪徳を是とする思惑に押し流された結果だ。そしてその思惑を神々は許さない」

「神が人間を断罪しようとしているってことですか?」

 正樹らしからぬ強い口調と過激な内容だ。

 訝る千歳に、正樹は「いいや、違う」と目を伏せ、開く。見開いた目に差す光は、冬の曙光より鮮烈だった。

「人の世の不条理を、神々が裁くと期待するのは愚かだ。安寧を保ちたくば、人が自ら手を尽くさねばならない。だが、表に現すべきではないと、心の奥に押し込んだ怒りが、とうとう限界に達した。人が許さぬと怒るから、神々が意を汲んで下さった。それが御神託だよ」

 常ならぬ真剣な表情の正樹は、しかしふっと相好を崩すと、元の穏やかな好青年の笑顔で、

「身近で見守ってくださっていると、少しばかり過保護になってしまうのかもしれないね」


 そろそろ歩道が途切れそうな場所に、その祠は鎮座していた。

 年季の入った木製の小さな社殿だ。手入れは行き届き、扉の前に垂れる紙垂は抜けるように白い。切妻屋根には木漏れ日が揺れ、良い具合に風情がある。側にはしめ縄が張られた大岩があり、由来を記した木札も立てられていた。

 散歩の帰りに参拝するようになったのは正樹の影響だ。

 正樹と並び手を合わせながら、千歳は祠の由来に思いを巡らせる。

 昔、ここには都へ続く大きな街道が通っていた。都を目指す人や物に紛れ、忍び込もうとする様々な魔の眷属達を食い止めるために作られたのがこの祠だった。

 誰が建てたのかは分からないその祠の周囲には、中へ入り込んだ魔物を捕らえる術が巡らされている。

 今でも日が落ちると、木々の間に捕らえられた魔物たちの影が泳ぎ、数百年と経った今でも、役目を担い続けている。

 恭弥などが時折退治へ赴いているが、最近数が増えたとぼやいていたのを、千歳は思い出した。

(何かの前触れだろうか)

 手をとき、千歳は祠を見つめる。

 あの絵には、界の分岐を示すと同時に、千歳の未来も暗示していると正樹は言った。

「千歳はあの時、未来の自分と交信したのではないかと僕は考えているよ。君は何を見てあの絵を描いたのか分からないと言ったね。それこそが己の未来を垣間見た何よりの証になる」

 柔らかい眼差しで祠を見つめながら、正樹は言葉を継いだ。

「予見者は己の未来には関われないから」

「――それは」

 真に迫った言葉に、千歳は首を巡らせ正樹を見る。眉を寄せ、

「俺の言質を取って、確信したってことですか?」

 冬の日差しが差し込む中、鳥の鳴き声がした。囀りに聞き入るように、正樹は暫し静止すると、

「さすがに気付いたか」

「やっぱり適当じゃないですかっ」

 真面目くさって言う正樹に、千歳は盛大に突っ込みを入れた。

「アレ本当に御神託でいいんですかっ?」

 恭弥や寮生達の話しようでは、相当大事に受け取られていた。千歳は狼狽えながら、

「間違いでした、とか言い出さないですよね? 俺、責任取れませんよっ?」

「うん。そこは大丈夫。人を手配したのは、御神託の他にもやって貰いたことがあったからだ」

「御神託はついでですかっ⁈」

「これから忙しくなるよ」

「社長っ」

 千歳の抗議をさらりと流して、正樹はスタスタ軽快に歩き出す。

「ちょっと、逃げないでくださいっ。って、ポン吉、お前まで」

 焼き芋で餌付けされてたポン吉が、主人を鞍替えしたように、千歳を置いてその後に続いた。

「……おのれ」

 千歳が拳を握り戦慄いていると、遠く上司と霊獣が振り返り、

「ほら行くよ」

「分かってますってっ」

 千歳は喚きながら、後を追った。

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