エピローグ 千歳

 会社へ戻ると、時刻はそろそろ出勤時間を迎えようとしていた。

「あら、おはようございます」

 エントランスホールへ入ると、テーブルを拭いていた兼森が、二人を認めて顔を上げた。会社の顔である玄関口を取り仕切る彼女の出勤は早い。ホールは既に来客を迎える準備を終えていた。

「もう大丈夫なの?」

 挨拶を交わしながら、兼森が千歳に気遣わしげな笑顔を向ける。

「ええ。ご心配をおかけしました」

「急に寝込んだと聞いて、美濃さん、随分と心配していたから。早めに連絡を入れてあげてね」

 夢が辻を抜けて倒れた千歳は貧血扱いにされている。おかげで美濃には虚弱体質として認識されてしまい、やたらと気を遣われるのが少し申し訳ない。

 頬をかきながら千歳は、

(早めにメッセージ入れとこう)

 正樹は帰宅を告げる傍ら、美代子にパンの袋を二つ渡していた。美代子と、昨夜も泊まり込んだミドリへの差し入れだ。

 二人の好物であるあんパンとチョココロネがトレーに乗っていた時点で気付いてはいたが、こういう気配りを自然に行える所は大人だと、しみじみ感じる千歳だった。


 改めて寮生達が集められたのは、その日のお昼過ぎだった。

 場所は同じ応接間。

 白瀬が座っていた場所には、今度こそ正樹が立ち、依頼の詳細を寮生達へと伝える。

 千歳の絵を提示しながら、正樹が描かれた経緯を大まかに説明し終えると、寮生達はしばし考え込んだ。

「――つまり、彼が神域の鏡池を触媒に未来と交渉中、ガシャ鎧に介入され、その時繋がっていた未来へと魔物達が先送りにされてしまった。そう理解してよろしいか?」

 明瞭な口調の澤渡に、正樹は頷く。

「未来を描いたと思われる絵には、君たちが所属する組織が示されている。無関係とは思えない。依頼をした理由だよ」

 急な呼び出しにも関わらず、正装をまとう寮生達は、無言で了解の意を伝えた。見回し、正樹は続けた。

「あの時現れたガシャ鎧は十一体。内二体は既に討伐済みだ。そして今回は二体の討伐に成功している。残りは七体。千歳の行く先に必ず現れるだろう」

「夢が辻を経由してでしょうか?」

 宇佐見が片手を上げながら問う。

 一組織の次代当主を前に、さすがに口調は改まっているが、物言いに遠慮はない。

「そう考えるのが妥当だろうね。けれど、夢が辻は我々の隣に存在する異界だ。いつ何時、何が刺激となって現れるか見当は付かないと言っておこう」

「絵の解釈については、どういった意見が出ていますか?」

「曖昧なものばかりでまとまっていない。ただ、何かの結末を表しているという点は一致している」

 相変わらず質問は年長者二人が専任らしい。年少の寮生達は聞き役に徹している。

 恭弥も思案顔だ。千歳とそこそこ付き合いはあったが、経緯についてはほぼ初耳だったらしく、鏡池の下りでは、少し目を開いて驚いているようだった。

 白瀬は渋面で口を閉ざしている。集められた中では、一番深刻そうな顔つきだ。

 最初と同じソファに腰を下ろし、周りを見回した千歳は、正樹が提示する己の絵に目を向け、改めて検分した。

 縦向きの画用紙、並び立つ制服姿の五人。服装が違うだけで素体は同じだ。髪型や顔は描き入れられておらず、個人を特定する特徴はない。コレクションボックスに並ぶ人形のような立ち姿だった。

 そして、彼らの背後には高い山が聳えていた。

 頂き付近に不自然な長方形が描かれている。扉のつもりか、内部は白抜きされ、そこにも人が描かれているが、どう見ても軍服だ。

 澤渡のような近代的な兵装ではなく、どちらかと言えば宇佐見の学ランを野暮ったくしたようなデザインで、扉の内側に入り込んでいるようにも見える。

 そして山の裾、五人の人物の足下にも、横向きに寝転がり、青い炎に包まれる黒い人物が描かれていた。

(何を現しているんだろう……)

 自分で描いておきながら、千歳は疑問を感ぜずにはいられない。

 質問がないと見て、正樹は口を開いた。

「これより先、七体のガシャ鎧討伐を目標として、碓氷千歳の周囲で起こる異変に随時対処して欲しい。この絵が指し示す場所に至るまでを依頼期間とする」

(……本当に曖昧な内容だ)

 傍らで聞きながら、千歳はそう思わずにはいられない。

 だが、集められた五人は真剣だ。

 真面目な顔つきの寮生達を見やりながら、正樹は笑みを浮かべた。

「難しく考えないで。慎みを持ち、日々、己のなすべきことをこなすうちに、いずれ道は明らかとなる。それまで、よろしく頼むね」

「それから」と、正樹はやけに機嫌良く続けた。

 千歳と恭弥が一瞬ヒヤッとなる。正樹がこういう笑顔をするときは、大抵周囲の人間を振り回す面倒を提案する時だと、付き合いの長い二人は知っているのだ。

「依頼とは別に、社員寮に住まう間は、その口実として、会社の仕事に関わって貰うことになるよ。御神託とは別件だが、これも依頼の内だから、尽力してね」

 正樹はにっこりと笑った。その笑顔と言葉に、寮生達はあからさまに怯んだ。

「……芸能事務所の仕事を手伝うって、まさか歌ったり踊ったりするわけじゃないだろうな?」

 稔が恐る恐る口にすると、正樹は肯定とも取れる笑みを浮かべた。

 すがすがしいまでに晴れやかな無言の笑顔に、一同、シンと静まりかえる。

 寮生達の表情には、ありありと恐れが浮かぶのを見て、

(命がけの戦闘より、こっちの方が深刻なのか……)

 狼狽える彼らを横目に、千歳はそっと考える。

 何をさせようとしているのかは千歳も知らないが、正樹の事だ、恐ろしく突飛な、それでいて誰もが納得するような計画を用意しているに違いない。

(何が始まるんだろうか)

 正樹の計画。千歳の絵、未来。

 先々を思いやる千歳はどこか他人事だ。

 自然と手が、隣で丸くなるポン吉の背に伸びる。

 背を伸ばして会合に参加していた霊獣は、途中で飽きて昼寝を決め込んでいる。

 その丸い背を撫でながら、

(忙しくなりそうだ)

 過去を思い悩む間もなく日々が過ぎるなら、きっとその方が健全だ。

 ムニャムニャと寝言を言う霊獣に、千歳はそっと笑みを向けるのだった。

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