何とかのいぬ間に
「で、全員残るわけですか」
顔合わせの後、約束をした弦之を残して他は解散すると思いきや、打ち合わせを続ける白瀬と恭弥はともかく、寮生全員が応接間に居残った。
千歳が描くと言ったヌエの絵に、結局のところ全員が興味津々だったらしい。
「そうある話じゃあないし」
しれっと稔が言った。先だって弦之を邪険に振り払った割には虫のいい話ではあるが、当の弦之が気にした様子もないので、千歳もまた言及しなかった。いらぬ指摘で話がこじれるのは、どうあっても避けたいところだ。
適度に距離を保つ五人を眺め、千歳は「うーん」と考え込む。
「どうしようっかな……」
手持ちのスケッチブックに描く予定だったが、全員が見るのであれば、ノートサイズの画面では小さい気がしたのだ。
思案し、閃いた。
「ちょっと待っていて貰っていいですか? ホワイトボードを借りてきます」
同じ階の社員食堂にホワイトボードが保管されていたはずだ。取りに行こうと、千歳が踵を返すと、
「いや、我々が移動した方が早い」
「そーだな」
「手間だろうしね」
「では、そのように」
澤渡の提案に、寮生全員が賛同する。そればかりか、千歳を置いてスタスタと足早に応接間から退出してしまった。
「ええ?」
去りゆく寮生達の背中見ながら呆気にとられていると、ジルが千歳の腕を引いた。
「千歳、一緒に行こう。ほら、ポン吉君も」
千歳に盾扱いされた事に抗議をしているのか、ソファの上で背を向けて丸くなっていたポン吉を、ジルは抱き上げた。
有無を言わさず持ち上げられて、ポン吉は眉間に皺を寄せ、恨みがましく主人を睨むが、千歳もジルに急かされて、構うどころではなかった。
「急いで」
「分かったから押すなって」
ぐいぐいと背を押すジルに急かされながら、千歳もまた応接間を後にした。
(皆、白瀬さんから距離を取りたいのか)
恭弥と話し込む白瀬を視界の端に捉えながら、千歳は考える。
(随分と警戒してみたいだけど、何だかなあ……)
険悪な人間関係を目の当たりにして、盛大に出鼻をくじかれた千歳は、ひっそりと嘆息した。
先に応接間を出た寮生達は、ゲストルーム区画入り口に設けられた受付カウンター前で、千歳達を待っていた。
「遅いよ」
急かす割にはのんびりと稔が言った。
社員食堂は、受付カウンターとその先のエレベーターホールを横切って直進すれば突き当たる。場所が分からず千歳の案内を待っていたと言うよりは、勝手に社内をうろつくことに抵抗があったようだ。
「すまんな、先に出てしまって」
電話の子機を受付カウンターへ返す千歳に、澤渡が詫びた。厳格だった口調が気持ち砕けている。
「いえ、お待たせしました」
言いながら、ふと千歳は、カウンターの上に用意された宿泊名簿と客室の鍵に目が行った。
部屋番号が刻印されたクリア素材の角棒に、ボールチェーンでつながれた古風な鍵の数は全部で五本。
「あれ?」
恭弥は明日、社員寮を引き払う予定だ。今夜はそちらへ戻るとしても、部屋数が足りない。
「一部屋足りないみたいだけど」
千歳の指摘に、稔が心底下らなそうに鼻を鳴らした。
「御統会は床があるだろ」
にべもなく言い放つ稔に、他の寮生達も無言で同意を示した。
(うわあ……)
溝は深そうだと、笑みを浮かべながらドン引きする千歳だった。
「じゃあ、行こうか」
宇佐見に笑いながら促され、一同、ゾロゾロと歩き出す。
白瀬の目がなくなった途端、足並みを揃える寮生達を、千歳は複雑な面持ちで見やる。
(……白瀬さん、そんなに悪い人には見えなかったけど)
管理者というからには、白瀬も寮生達と同じ生活圏に入るのだろうが、ここまで毛嫌いされた相手とどう付き合うべきか、千歳は思い悩む。他の寮生達の手前、積極的に関わらない方が無難だろうが、それはそれで据わりが悪い。
(困るよな、こういうの)
(暫く様子見に徹するべきだろうけど……)
(ストレス溜まりそう)
辟易と息を吐き、ふと千歳は無人の受付カウンターを振り返った。美代子の姿が見えないのは、件の探し物がまだ見つからないせいだろう。
(今夜中に見つかればいいけど)
社長の仕事部屋の惨状を知る千歳としては、一生かかっても探し出すことが出来ないのではないかと美代子の苦労を慮るのだった。
真正面、ガラス戸越しに漏れ出る社員食堂の照明が、薄暗い廊下を暖かく照らしている。
不意にポン吉がジルの腕から抜け出し、千歳の影の中へと急ぎ飛び込んだ。食堂内に誰かいるらしい。
ポン吉が完全に身を隠したのを確認して、戸を押し開けると、室内暖房に暖められた空気がもったりと漂ってきた。
「あれ? どうしたの。客室は反対側だよ?」
休憩を終えて退出しようとしていたのだろう、空の紙カップをゴミ箱へ捨てていた男性社員が、勢揃いした寮生達に目を丸くしながら言った。
「あ、いえ、お借りしたい物があって」
千歳がそう伝えると、男性社員は社員食堂の利用をあっさりと承諾してくれた。退出時に照明と暖房を落とすようにと忠告した後、
「君たちも大変だったねえ。今日はゆっくり休みなよ」
そう、しみじみ労ってくれた。どうやら彼も、寮の騒動に振り回された一人だったらしい。
男性社員の気遣いに、寮生一同、折り目正しく頭を下げ、彼が退出するのを見送る。扉が静かに閉じられたのを見届けた後、
「……あの、ずっとお聞きしたかったんですが」
千歳は躊躇いがちに口を開いた。
「その格好で、会社までいらしたんですか?」
寮生達の服装に圧倒されて、目を白黒させていた男性社員の様子を思い返しながら千歳が尋ねると、寮生達は虫を噛みつぶしたような顔になった。
「……言わせるな」
「お偉いさんと顔を合わせると思ったんだよ」
「芸能関係の会社だし、大丈夫かなって思って」
「目立ってたねえ」
流石の宇佐見も苦笑を隠せない様子だった。どうやら自分たちが悪目立ちをしている自覚はあったらしい。
(感性は良識的だ)
内心ほっとする千歳だったが、
「術者たる者、いついかなる事態に備え、体裁は整えておくべきです」
至極真面目に主張する弦之を、千歳を含め、他の者達が、微妙な顔つきで聞き流す。他とは異なる意見の弦之に、
(――そう言えば、応接間にいた時も、この人だけは白瀬さんに対して特に構えたところはなかったっけ……。お?)
ふと見下ろせば、影の中から這い出たポン吉がムスッと千歳を見上げてる。盾代わりにした件の不満を、頬を膨らませて訴えているが、どんなにしかめ面をしてみせても、愛嬌は抜けきれない。
思わず頬が緩むと、ポン吉は眉間の皺をさらに深めて、ぷいっとそっぽを向くと、ジルの元へ行ってしまった。霊獣が再びジルの腕に収まるのを眺めながら、
(興味がないだけかもしれないけど、住み分けが出来るなら、その方がいいに決まっている)
千歳なりの好意的な意見でまとめておくことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます