ヌエより厄介なもの

「つまり、どう転んでも人でなくなるわけだね」

 弦之が用意してくれたウォーターサーバーの水を飲み、何とか息を吹き返したところで、千歳は話の要点を手短にまとめた。

「当然だろ」

 稔がムスッとして言った。

「ヌエと取引したら、持ちつ持たれつの共生関係だ。そいつは人を取って食うことを選んだ。人間やるより、そっちのが特だってさ。文字通り人を食い物にした。当然の報いだろ?」

 苛立ちながら、遠回しに同情するなと含ませている。あるいは同調を求めているといった方が的確か。

 どちらにせよ、千歳は素直に頷けない。

 返答を避ける千歳を横目に、稔は体を反転させると、カウンターにもたれかかった。掌に乗っているのは白いバニラミルクの飴が一つきり。残りは先程、ウエストポーチに大事そうに収納していたが、その一つを指につまんで転がしながら、稔はホワイトボードを顎で指す。

「ヌエと結託して悪さするようなヤツらだ。あの女だって、元から根性悪だったんだろ。消えて喜ぶ人間の方が多いに決まってる」

 紙コップを傾けていた千歳は手を止めた。

「人が消えたなら、行方不明って事になるけど」

 人柄がどうであれ、誰かが突然姿を消せば周囲は失踪者として対策を取るだろう。警察に届け出るなりして、場合によっては、大々的な捜索に発展することもあるはずだ。

 千歳の疑問を、稔はハッと鼻で笑い飛ばした。

「人って枠組みから堕ちたヤツは、人の認識からも消える。誰もそいつのことを覚えていない。親兄弟だろうと、そいつが存在した記憶が全部なくなる」

「そんな」

「人を辞めると言うことは、人として存在した過去も捨てるということです」

 弦之が静かに付け加えたが、それで納得のいく千歳ではない。

「初めから存在しなかったと認識が書き換えられるたとしても、物や情報は残るよね?」

 人が一人消えたとして、その痕跡を完全に消し去るのは、この現代においては難しいだろう。生活用品や写真に始まり、電子機器の記録、戸籍などといった書類までもが、忽然と消え失せるとは考えられない。

「残るさ。けどそうだな。例えば写真を見たとして、そいつは確かに写っているが、それを人だと認識できないんだ。見えているのに、見えない。書類もな。名前は意味を持たない文字列になっちまう。

 それで周りは混乱しないのかって話になるけど、人間の脳ってのは割といい加減に出来てるみたいで、そいつがいなくても問題ないように、適当に帳尻合わせをするらしい」

 千歳は、今度は別の意味で薄ら寒い気持ちになった。

 例えば学校の教室に、誰もいない机が一台、学用品と共に残されたとして。

 誰かがいた痕跡は確かに残っているのに、誰からも見向きもされず、教室を構成するオブジェクトの一つとして放置される。名簿に順序通り記載された名前は、奇妙なインク染み、あるいは印刷ミスと受け取られ、呼ばれることなく飛ばされる。

 それは日々生活を送る上で、目立った障りが出ないとしても、何かが欠落した異常な光景だろう。

「我々術者は、そういった現象を欠落と呼んでおります。ある程度霊力が高ければ、そういった物品や記録を確認することは出来ますが」

「普通の人には見えないってことか……。それで本当に問題は起きないの?」

 千歳の懸念に、稔は目を細めた。

「起きるさ。嫌なヤツってのは、消えた後も面倒を残しやがる」

 忌々しげに顔を歪めながら、

「どんなに誤魔化したって、社会や人間関係に不自然に穴が開いちまうんだ。そういう隙間に、実体化したヌエが人に化けて入り込む」

 実体化したヌエは人に化ける。直接聞いたわけではないが、おおよそ察してはいた。確報など、欲しくはなかったが。

(――あれ?)

 ふと千歳は気付いた。

「……養分にされた人の姿を象るのか? 入れ替わりになりすましたとして、存在を抹消された人間が再び同じ場所に現れると、おかしな事になりそうだけど」

 稔は意表を衝かれたように顔を上げた。まじまじと千歳を見て、にやりとする。

「アンタ、千歳って呼んで良いか? 頭の良い奴は話が早くて助かるよ。お察しの通り、いないことなった人間がしれっと現れると、周囲の認識がズレて混乱する。だからヌエはさ、あのでかい頭ん中に培養土になった人間の情報を溜め込んでるんよ。そいつを利用して、紛れ込んでもおかしくない人間を作るんだ。この意味、分かるか?」

 挑発するように笑う稔。試すような言動に、千歳は嫌な予感がした。

「……ヌエは、最初に作られた個体が延々と分裂を繰り返しているんだったよね? 増殖するために使った全ての人の情報を持っている……?」

 霊視の目を通して視たヌエ頭部、その内部に揺れる大勢の姿が人間の情報だというなら納得出来る。

 しかしそうなると、普段街中で見かけるヌエの印象と合わない気がするのだ。

 有史以前から存在するヌエが、増殖のために消費した人間の数ともなれば、下手をすれば万単位に上るだろう。それだけ多くの人間の情報を蓄え、なおかつ状況に応じて使い分けるというなら、もっと理知的に動いてもいいはずだ。

 のっぺりとした粘土細工のような頭部は、人に取引を持ちかける程度の頭はあるというが、それにしては街中を徘徊する姿には、知能の欠片も見受けられない。

 ならば、

「どこかに情報を保管する本体のようなモノが存在する?」

 千歳は思いついたままを口にした。

 果たして、二人は関心したように千歳を見た。

「せーかい」

 稔はフィルムの端を摘まみ、ヒラヒラ飴を振ってみせる。

「どこかに情報の保管と演算を行うデータセンターのようなものが存在するというのが定説です」

「ヌエって、そんな大がかりな仕組みで動いてるの?」

 殆ど適当を言った千歳は、弦之の解答に目を剥いて驚いた。

「そ。びっくりだろ? で、ソレ使ってキャラクターメイキングは思いのままときたもんだ。ホント、クソだって、のっ」

 ビッと音を立てて、勢いよくフィルムを破くと、稔は飴を口へ放り込んだ。ガリガリと音をたて、乱暴に飴を噛み砕く。

 どうやら話している間に、ヌエに対する鬱積が噴出したらしい。

 自分で話しておいて腹を立てられても世話などないが、この話題が上がった時に口を閉ざしたのは、こうなる自覚があったということだろう。

(短気かな?)

 いささか柄の悪くなった稔から、千歳は気持ち程度、距離を取る。

 八つ当たりに飴を噛み砕いていた稔は、充分に咀嚼し嚥下すると、気が済んだのか、何事もなかったかのように表情を戻した。

「――で、そうやって人の皮被って社会の隙間から頭出したヌエを、俺ら術者が退治して回ってるってワケですよ。モグラ叩きみたいに」

 片手を広げ、さも大儀そうに嘯いてみせる。

「周囲の人間は、異変に気付かないのか?」

 どうやも稔は気分屋な側面があるようだが、そこは気にせず、千歳は疑問を口にした。

 どんなに上手く化けようとも、人ならざるモノが紛れ込めば、某の違和感を感じるはずだ。気付く者とているだろう。

「アイツらが化けるのは、誰でもない誰かだ。顔も名前もあってないようなもんだよ」

「顔や名前がないなら、なおのこと気付きそうなものだけど」

「昔話にあるだろ。十人のはずが、十一人いる。一人増えているはずなのに、みーんな知った顔ってヤツ。ヌエの場合は、数を合わせてくるから厄介なんだよ」

 消えた誰かの穴埋めに、別の誰かが入り込む。元より人がいた場所だ。無人よりも、そちらの方が据わりが良いということか。

「術者ならともかく、ヌエに入り込まれると、中からじゃあ、見分けるのはかなり難しい」

「限度はあるだろう。あのヌエが混ざっているんだ。外見に特徴とかはないのか? 口では言い表せなくても、こう、不快な気持ちや感覚とか」

 千歳は少々力んで言った。人間社会に入り込んだ魔物を見分ける術は、常人にはない、そんな理不尽を認めたくないのだ。

「そりゃあ、勘の良い奴は気付くさ。けど攻撃される」

「攻撃って」

「直接手は下さねえよ。自分の正体に気付きそうだったり、気に入らない相手を虐めまくる。碌でもない人間の集合体だぜ? 幼稚な嫌がらせを延々と繰り返す」

「そんなの――」

 周りの人間が止めるだろう、と言いかけて、千歳はその言葉を呑み込んだ。

 稔は黙り込んだ千歳をチラリと見遣り、素知らぬ顔で、

「ヌエは人に取り入るのも、取り巻きを作るのもやたらと上手い。クズの周りにはクズがたかる。そんで大抵のヤツは他人の揉め事を見ない振りする」

 千歳は苦く息を吐いた。何となく、その光景が想像出来たのだ。

 人が集まれば、必ず軋轢は生じる。

 誰それが気に入らないといった負の感情を、持つなというのは不可能だ。

 そして、出来ない自覚があるからこそ、人はそれを口にせず、何とか収めようと努力する。それが社会の一員としての、最低限の務めだからだ。

 だが、不平不満を押し殺すことへのストレスは確実に蓄積する。

 ヌエはそれを、甘く刺激するのだろう。

(便乗する者は確実にいる)

 千歳の内心を知ってか知らずか、稔が言った。

「虐められなくても、まともなヤツは心がやられちまう。そうやって周囲の人間関係引っ掻き回して、新たな獲物を探しながら、その場所に巣くう。そこまでいくと、術者でも見つけるのは難しくなるな。ヌエの気配は分かるけど、それがどいつかまでは、分からなくなるんだよ」

「……完全に人狼ゲームだな」

「そんな小難しいもんじゃない。潜伏されるまでは、割と見つけやすいしな。それにヌエってのは普通に生きてる人間が苦しむのをとにかく喜ぶ。そこを忘れなけりゃあ、退治自体は難しくない」

 稔はカウンターにもたれたまま再び竹かごをのぞき込むと、食べた分を補うように、バニラミルク飴を摘まみ上げた。

「……何のためにそんなことをするんだ」

 千歳は、ぽつりと落とすように言った。

 ヌエの生態に肝を冷やしたのは最初だけ。今となっては、その存在に、凍えるような感情が募るばかりだ。

 稔の最後の一言が、特にきいた。

(……普通に生きている人間が苦しむのを喜ぶ)

 胸が悪くなるどころの話ではない。

「そこが一番の勘違いされやすい点ですね」

 黙って話を聞いていた弦之が、飴を一つ摘まみ上げた。茶褐色のアタリ飴だ。稔が「おー……」と、感心とも馬鹿にしているとも取れる声を漏らす。

「ヌエは便宜上、魔物に分類されていますが、正確には魔物を作り出す術そのものを指しています。人間の情報を元に、社会を混乱させるノンプレイヤーキャラクターを自動生成し続ける仕組み、あるいは人工知能と表現した方が適切でしょう」

「ヌエの行動に理由を求めるのは無駄ってこと?」

 つい口調がきつくなる千歳に、弦之は少し間を置いて、

「先程のご指摘、ヌエに本体があるという推察ですが、その場所を上は知っている節がございます」

(上って、御統会のことだろうか?)

 あるいは千歳の知らないもっと上層部、術者界の根幹をなす組織かもしれない。

「口を閉ざしているのは、手が出せない場所にあるのか、あるいは仕組みを稼働させ続けることに意味があるのか。何にせよ、我々に出来るのは、悪事を働くヌエを退治する事と」

 弦之はすっと千歳から顔を逸らす。目を細め、

「世の不条理と、適切に距離を保つ事のみです」

(それが出来れば誰も苦労しないよ……)

 千歳は内心不満を漏らすが、その言葉に准じようと努めているのは、むしろ発言した弦之の方に見えた。己に言い聞かせているのか、彼の固い横顔を見ながら、

(色々大変だ)

 千歳はひっそりと嘆息するのだった。

 ヌエ頭部と共に、小箱に閉じ込めた人間の情報は、浄化することで、解放されるとのことだ。

「そういう触れ込みだけど、どうだか。何せいつの時代の人間かは分かったもんじゃないし。けどまあ、社会の穴は確実に埋まるってんで、ちゃんと処理してるんよ」

 下っ端は大変なんだよ、と、稔は自分の勤労振りをアピールする。

「で、こういうヌエの話だけど、アンタみたいに術者界に入らざる終えなくなった奴らには、ぼかして話すように言われてるんだよね」

「あ、そうだったんだ……」

 何となく合点のいく話だ。ただでさえ自分の力を持て余している所に、解決方法のないこんな話を聞かされた暁には、引きこもること必至である。

「なのにさあ……」

 稔は弦之に、物言いたげな視線を向ける。

「この依頼に組み込まれた以上、いずれは知ることになる情報です。今のうちに話して置くべきと判断しました。辺に回りくどいよりは、よほど親切だと思いますが」

 何食わぬ顔の弦之に、稔はげんなりと顔を歪めた。

「親切って、それ、ご自分で仰いますか……。山城の剣士殿は容赦のないことで」

 稔は呆れ気味だが、弦之は動じることなく、

「それに私が話さずとも」

 首を巡らせ、別グループに目をやりながら、

「宇佐見殿が、すぐにでも説明を始めそうでしたので」

「それは確かに」「あるな」

 弦之の指摘に、千歳と稔は同時に頷いた。

 話題に上げられた事に気付いたのか、ふと宇佐見がこちらを向く。三人の視線に、宇佐見はにこやかに笑って応じると、すぐに顔を戻した。その様子を稔は胡散臭く眺めながら、

「あの人、アンタの先輩だっけ?」

「……同じ学校に通ってるだけだから」

 宇佐見との関係を白々と問う稔に、千歳は無関係であると暗に伝えるのだった。

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