いいですよね? 先輩。



「よく来たね、なおなお! こうして直接話すのなんて、ちょー久しぶりじゃん! あーしちょっと、ドキドキしてるかもっ!」


 久しぶりに話した許婚の葛鐘くずかね れいは、そう言って楽しそうに笑った。



 点崎の衝撃発言を聞いた後、俺は結局走って玲の住む屋敷までやって来た。……正直、ここには色々な思い出があるから、できれば来たくは無かった。けど、『やっぱり先輩の初めての相手は、葛鐘 玲だったんですね! 本人からちゃんと聞きましたよ!』流石にその発言を無視することはできなかった。


 だから久しぶりに、許婚の玲と対面することになった。


「さ、座んなよ。なおなお。この子がずっと、なおなおのこと待ってたよ?」


「…………」


 葛鐘 玲という名前で、お金持ちのお嬢さん。それに丘の上の屋敷に住んでいるともなれば、大抵の奴は玲のことを礼儀正しいお嬢様だと思うだろう。


 しかし、現実の玲はその真逆だ。派手な金髪に、礼儀なんて鼻で笑う豪快なギャル。それが、葛鐘 玲という少女だ。


 ……つーか、一人称があーしのギャルなんて、フィクションだけの存在だろ。一体どういう人生経験を積めば、一人称があーしになるんだよ。ありえねー。


「なーに突っ立ってんのさ、なおなお。せっかくあーしの部屋に来たんだし、もっとくつろいでいきなよ。色々、積もる話もあるっしょ?」


「…………そうだな」


 別に積もる話なんて無いけど、しかし確かにいつまでも突っ立っていても始まらない。だから俺は、ムスッっとした顔で座っている点崎の隣に腰掛ける。


「それで先輩。聞きましたよ。この人が、先輩の……童貞を奪ったんですよね?」


 点崎は何の前置きも無く、単刀直入にそう言って俺を睨む。


「…………いや、それは──」


 違う。俺はそう口を開こうとするけど、その前に玲が俺に抱きつきながら言葉を返す。


「そうだよ! あーしが、なおなおの童貞をもらったんよ。さっきから何度も、そう言ってるっしょ?」


「…………貴女には、訊いてないです。私は直哉先輩に訊いてるんです」


「どっちに訊いても、答えは変わらないじゃん。点崎ちゃんは、ちょっと変わってるよね」


「貴女に言われたくありません。……というか、先輩に抱きつかないでください」


 点崎の強い瞳で睨まれても、玲は気にした風も無く、より強く俺を抱きしめる。……そんな事をされると、色々と密着して困るんだけど、玲はまるで点崎に見せつけるように、柔らかな身体を俺に押し付ける。



 そして、俺の耳に触れるくらい唇を近づけて、小さな声で囁く。





「ここはあーしに話を合わせた方が、いいかもよ?」



「…………」



 俺はそれに、何の言葉も返さない。……玲だけは、知っているから。俺がどこの誰とどういう関係を持って、今どういう状態にいるのか彼女だけは全て知っている。



「ちょっと! いつまで先輩に触れてるんですか! いい加減、離れてください!」


 点崎は顔を赤くしながらそう叫んで、玲を無理やり引き剥がす。


「あははっ。これくらいで赤くなって、点崎ちゃんは可愛いな」


「うるさいです。……というか、先輩。いい加減、答えてください。先輩の初めての相手は、このふざけた人なんですか?」


「…………」


 そんな点崎の問いに、どう答えたものかと少し言葉に詰まっていると、玲は『大丈夫だから、あーしの言う通りにしなよ』というように、ウインクする。……玲は、本当に何も変わっていない。こいつは高校に入って闇落ちしてギャルになったんじゃ無くて、ガキの頃からずっとこの性格でこの見た目だ。



「……そうだよ。俺の初めての相手は、玲なんだよ」



 だから、こいつの悪巧みに乗っかってやることにした。どっちにしろ本当のことを話したって、今の点崎は納得しないだろうし。



「そ、そうなんですか……。……やっぱりそれは、許婚だからなんですか?」


「まあ、そんなところだな」


「そうですか……。そうですか。そうなんですか」


 点崎は何だかよく分からない表情で、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


「これで納得しただろ? ……んじゃあもう、帰るぞ?」


「待ってください。……その……許婚って、どういうことなんですか? そんなの今の時代、ほんとにあるんですか? ……先輩、嘘ついたりしてませんよね?」


「……いやまあ、そう言いたくなるのは分かるけど、残るところには残ってるんだよ。そういうくだらない風習が……」


 小学生の時、いきなり許婚がいると言われて、いきなりこのバカでかい屋敷に連れてこられて、そしてそこで待っていたのが……この『あーし』だ。当時の俺も、世界が滅びたのかと思うくらい驚いた。


「ま、あーしは別にいいんだけどね。子供の頃からずっと、あーしはなおなお一筋だし」


「嘘つけよ。お前、初めて俺に会った時『あんたなんか、大っ嫌い!』って、言ってたじゃねーか」


「そうだっけ? なおなおが記憶違いしてるんじゃないの?」


「お前それは……って、いいよ別に。それより、邪魔して悪かったな。もう帰るよ。……点崎も、これで納得しただろ?」


「…………」


 点崎は俺の言葉が聞こえていないのか、ただぎゅっと手を握りこんで、真っ直ぐに足元を睨みつける。


 だから俺は、『どうかしたのか?』 そんな風に声をかけようとするけど、点崎はまるでそれを遮るように、唐突に言葉を告げる。


「先輩」


「許婚って」


「まだ有効なんですか?」


「まだ先輩と」


「この人は」


「許婚なんですか?」


「いやだから、その喋り方は勘弁してくれ。……つーか、お前も知ってるだろ? 俺には友達も彼女も居ねーんだよ。玲と話すのも、何年か振りだしな。だから許婚なんて、とっくの昔に……」




「解消なんて、してないよ」



 俺の言葉を引き継ぐように、玲が少し冷たい声でそう告げる。


「睨まないでよ、なおなお。少なくともあーしは、そう思ってるってだけ。なおなおが、なんか嫌がってるみたいだから、最近は話しかけなかったけど、あーしはずっとなおなおのこと好きだよ? だから、なおなおがどこの誰と何をしてようが、最後はあーしのところに帰ってくるって信じてる」


「……先輩も、そう思ってるんですか?」


「いや俺は……。許婚なんて、昔から一度だって認めたことは無いよ」


 今の時代、そんなくだらない風習に従う必要は無い。……少なくとも俺は、そう思いたい。あんなくだらないことが現実に存在してるなんて、今でも信じたくは無い。


「つーか、もういい時間だ。話すにしても明日にして、今日はもう帰るぞ?」


「あれ? なおなお、ご飯食べてかないの? せっかくなおなおの大好きな、特大のハンバーグを用意させてるのに」


「……それ好きだったの、ガキの頃だろ?」


 まあ、今でも好きだけどさ。……でも流石に、点崎を1人で帰すわけにもいかないし、かといって、点崎も一緒に……っていうのも無理だろう。


 それに、玲の奴も楽しそうに笑ってはいるけど、彼女だって全てを忘れたわけでは無い筈だ。



 だからあまり長居しても、お互いの為にならない。



「まあどっちにしろ、今日はもう帰るよ。点崎も、それでいいよな?」


「……はい。今日のところは、そうしておきます」


 そうして2人、ソファから立ち上がる。


「ちぇー、帰っちゃうのか。まあでもいいよ、久しぶりになおなおと話せて楽しかったし。……って、なおなお、それまだつけてるんだ」


 玲はひどく驚いたようにそう言って、青い桜のキーホルダーを指差す。


「……まあな」


 俺は玲とは視線を合わせず、ただそれだけの言葉を返す。


「なおなおは、優しいよねー。でもあーしはまだ、鏡花のこと……許してないよ? ……あーしはそこまで、優しくはないからね」


「…………」


 俺はそれには何の言葉も返さず、点崎の手を引いて早足に歩き出す。……これ以上、玲と話していると、また余計なことを思い出してしまうから。



 そんな風にして、久しぶりの許婚との会話を終えて屋敷を出た頃には、すっかり辺りは暗くなってしまっていた。



「……とりあえず送ってくよ、点崎」



 俺はそう言って、自分の家とは反対方向に向かって歩き出す。



「…………」



 けど点崎は立ち止まったままなん言葉も発さず、ただ真っ直ぐに俺の方を見つめてくる。



「……どうかしたのか? 点崎。……いや、お前まさかまだ、納得いかないとか──」






「ねえ、先輩。今から私を、抱いてくれませんか?」




「────」



 点崎の言葉はあまりに唐突で、どうしようもなく予想外で、だから俺は驚きのあまり何の言葉も発せなかった。


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