大丈夫です。先輩。
「…………………………あれ? 私どうして、先輩の所に行ったんだっけ? ……え? すごく大切な思い出があった筈なのに、どうしても……思い出せない……」
美綾はそう言って、色の抜けた瞳で俺を見つめる。
「美綾、お前……」
どくんと、嫌な感じに胸が痛む。……さっきまで、青い桜の話をしていたからだろか? どうしても、嫌な想像をしてしまう。
もしかして美綾は青い桜に何か願って、その代償として大切な思い出を失ったんじゃないかって。
「……いや、違う。今はそんなことより、美綾。お前、大丈夫か? その……とりあえず、落ち着け。まずは深呼吸して、余計なことは考えるな。大丈夫、何があっても俺が側に居るから」
俺はできる限り優しい声でそう言って、美綾の手を握る。
「…………先輩。私……怖いです。だって……大切だったんです。だから、忘れるわけないんです。なのに……どうして思い出せないの?」
「大丈夫だよ、美綾。お前はちょっと、疲れてるだけだ。……俺のことも含めて、色々あったからな。だからとりあえず今日は、別荘に戻って休め。……心配しなくても、俺がずっと側に居てやるから」
「でも私、先輩の為に色々考えてるんです。だから……ダメなんです。今日、頑張らないと先輩が……取られちゃう。だから……」
そう言って美綾は、俺の身体に抱きつく。……けどさっきと違って、美綾の身体はとても冷たくて、怯えるように震えている。
「…………」
どう考えても、こんな美綾に無理はさせられない。青い桜のこともあるし、もしかしたら何かの病気なのかもしれない。
だから今日はゆっくり休ませて、明日は玲に頼んでこの辺りの病院に連れて行ってもらう。それが多分、今俺が取るべき最善の行動なのだろう。
「大丈夫です、先輩。私……ちょっと疲れちゃっただけですから。だから……そんな心配そうな顔しないでください」
でも美綾はそれは嫌だと言うように、俺の身体にしがみつく。
「いやそんなこと言っても、お前……」
「大丈夫です。先輩の言う通り、本当にちょっと疲れただけです。……そうに、決まってます」
美綾はそう言って、無理やり笑顔を浮かべる。
「…………」
俺に時間が無いのは、確かだ。けどそれが、美綾に無理をさせていい理由にはならない。だから俺は、ここで彼女を止めるべきなのだろう。
デートならまたいつでも付き合ってやるから、今日はゆっくり休めって。
「ほら、行きましょ? 先輩。私、お腹減ってるんです」
……でもそんな風に笑う美綾を、俺はどうしても止められなかった。
「……分かったよ。でも……絶対に無理はするなよ? 少しでも辛くなったら、絶対に俺に言うんだぞ?」
「分かってます! じゃあほら、行きましょ? 私もう、お腹ぺこぺこなんです!」
「分かってるって。……あ、でも夕飯は俺が作るから、その間くらいは休んでおけよ?」
「……はーい」
そんな風に、いじけたような答えを返す美綾を手を握って、ゆっくりと歩き出す。
……美綾の手の温かさは、いつのまにかいつもと同じ温かさに戻っている。それに身体の震えも、ちゃんと止まっている。
でも今日は何があっても、美綾の側から離れないでおこう。俺はそう覚悟を決めて、別荘にも戻る。
……背後で舞う青い桜の花びらに、気がつかないまま……。
◇
そうしてそのあと、美綾と一緒に夕飯を食べて、しばらく一緒にのんびりして、そしてまた砂浜に戻ってきた。
「…………」
時刻は夜の12時過ぎ。吹きつける潮風もさっきよりずっと冷たくて、流石に美綾ももう水着から着替えている。
「せんぱーい。こっちにシートを敷いたんで、 早く来てくださーい!」
すっかり元気を取り戻した美綾は、楽しそうに笑みを浮かべながら、こちらに向かって手を振る。
「分かったから、あんまり無理するなよー!」
俺はそんな美綾にそう言葉を返して、早足で美綾の方に向かう。
……でも美綾が完全にいつもの調子を取り戻したのかと問われれば、それは違う筈だ。きっと彼女は必死に、いつも通りの自分であろうと頑張っているのだろう。
とても大切な思い出を、思い出せない。
そんな状態になれば、誰だって怖いに決まってる。でも美綾は、必死になって笑顔を浮かべる。それはきっと俺の為であり、彼女自身の為でもあるのだろう。
だから俺は、そんな美綾の力になりたいと思う。
それこそ、俺が好きだって言うだけで彼女が笑ってくれるなら、そう言ってやりたいと思うくらいに。
……でもきっと、そんな言い訳みたいな想いじゃ、ささなは認めてくれない。なら今の俺にできることは、1つだけ。好きだって感じた時にちゃんと自分の気持ちを伝えられるよう、ずっと美綾の側に居ることだけだ。
「それで? 美綾。ここで2人で海を眺めるのが、お前の言ってたサプライズなのか?」
「違います。……上です、上。このシートに寝転がって、空を見上げてください」
「空……? そこに、何かあるのか?」
「いいから早く!」
そう言われて、言われた通り仰向けに寝転がって遠い夜空を眺める。
「────」
するとそこには、眩い宝石が散らばっていた。
それは満天の星空と言っていいほどの、美しい光景。まるで手を伸ばせば届くんじゃないかってくらい、夜空を近くに感じる。だから俺は思わず本当に、そんな星空に手を伸ばしてしまう。
……けど、美綾の言っていたサプライズはその綺麗な星空だけでは無かった。
「あ、流れ星」
遠い夜空の星々が、ふとどこかに流れた。
「ふふっ、綺麗でしょ? ペルセウス座流星群って言って、この時期になると沢山の流れ星が見れるんです」
「……全然知らなかったよ、そんなのこと」
「先輩、そういうのに興味なさそうですもんね。……でもね、先輩。だからこそ私は、先輩にこの星空を見て欲しかったんです」
美綾も俺と同じように、遠い星空に手を伸ばす。……けれど無論、俺の手も美綾の手も夜空の星々に届くことは無い。
「私じゃ、ギャル先輩みたいに花火を打ち上げることはできません。無論……あのささなって人みたいに、青い桜を咲かせることもできません。でもね、願いを叶えられるのは青い桜だけじゃないんです。……私はそれを、先輩に知って欲しかった。……綺麗なのは、青い桜だけじゃないんだって」
その美綾の言葉に応えるように、また星が空に流れる。
「綺麗だよ、本当に……綺麗だ。お前の言う通り、俺はずっと青い桜ばかり追いかけてきたから、知らなかった。夜空がこんなに……綺麗だったなんて。だから、ありがとな」
「…………はい」
美綾は嬉しそうに、それでも少し物足りなさそうに、軽い笑みを浮かべる。
「…………」
「…………」
そしてしばらく、2人で手を繋ぎながら溶け込むように、ただ夜空を見上げ続ける。
「……私、最近よく見るんです。青い桜の花びらを」
そんな中、美綾はポツリとそんな言葉をこぼす。
「先輩の過去の話を聞くまでは、そんなの別に気にしてなかった。でも……今日の先輩の話と、それに……さっきの私の記憶のことを考えると、ちょっと思っちゃったんです。私は自分で忘れてるだけで、青い桜に何か願ったんじゃないかって」
美綾はそこで言葉を区切って、甘えるように俺の手を握りしめる。
「大丈夫だよ。ささなが言うには、ここ数百年で何か願いを叶えたのは俺たちだけらしい。だから美綾は……大丈夫だよ」
俺はそんな彼女を守るように、少し力を込めて小さな手を握り返す。
「でも……ずっと、不思議だったんです。私みたいな臆病な女が、何であんなに積極的になれたのかって。だからもしかしたら、私は……今の私は、願いで作った偽物なのかもしれない」
美綾の声に、悲壮感は無い。けどそれはきっと無理をしているだけで、本当は不安で不安で仕方がないのだろう。
だからこんなに綺麗な星空を見ていても、不安が口をついてしまう。
「……仮にそうだったしても、お前は俺のことが好きだから願ってくれたんだろう? なら俺は、それでもいいよ。どういう事情があったとしても、俺は……俺も……」
お前が好きだから。
思わずそう言いそうになって、でも途中でやめてしまう。……臆病だと言うのなら、きっとそれは俺も同じだ。
だって俺はまだ、自分の想いに胸を張れない。だから肝心なところで、黙り込んでしまう。
「…………」
「…………」
そしてまた2人して黙り込んで、ただ夜空を見上げる。……でも気づけばいつのまにか、夜の空は泣き止んでしまっていた。
「終わっちゃったな」
俺はまだ視線を夜空に向けたまま、そう言葉を告げる。
「…………」
けど美綾は、そんな俺の言葉には返事を返さず、ゆっくりと立ち上がる。
「……美綾、どうかしたのか?」
だから俺は不思議に思って、身体を起こしながらそう尋ねる。
「…………」
すると美綾は夜空に浮かぶ欠けた月を背にして、唐突にいつかと同じような言葉を告げた。
「ねえ、先輩。今から私を、抱いてくれませんか? ……大丈夫です。今度はちゃんと、本気ですから」
そうして夜は、少しずつ深まっていく。
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