信じてますよ? 先輩。



 ささなとの早朝デートの後、点崎が作ってくれた美味しい味噌汁を飲んで、何の問題も無くテストを受けた。そして各々自由な時間を過ごし、いつものくじ引きの時間がやってきた。




「そんじゃ、せーので引くよ?」



 そんな玲の掛け声とともに、全員がくじに手を伸ばす。




 ……けどそれを遮るように、鏡花が口を開いた。



「ちょっと待って。その前に少し、あたしから皆んなに……伝えておきたいことがあるの」



 鏡花はそう言って立ち上がり、ここに居る全員の顔を見渡す。


「……どうかしたんですか? 鏡花先輩。もしかして帰らなくちゃいけなくなったとか、そういう話ですか?」


 そしてそんな鏡花に、点崎はどこか挑発するような言葉をかける。けれど鏡花はそんな点崎の言葉を気にした風もなく、淡々と自分の言葉を続ける。


「あたし、昨日の夜……直哉に告白したわ。告白して、抱きついて……キスまでした。だってあたしはもう、過去から逃げるのは辞めたから。だから今は、それを皆んなに……ささなに、伝えておきたかったの」


「────」


 その鏡花の言葉を聞いて、点崎は唖然と目を見開く。……しかし玲とささなは、それくらい初めから分かっていたというように、薄い笑みを浮かべる。


「鏡花。あんた、いつまでも過去の恋にこだわってると、痛い目みるとか言ってなかったけ? そんな可愛い乙女は、もう卒業した筈っしょ?」


 そして玲はそんな笑みを浮かべたまま、どこか試すようにそう言葉を投げかける。


「……そこだけは、玲ちゃんが正しかったよ。あたしはバカにもなれない馬鹿で、痛い目みない恋なんてあるわけなかった。でも……だからこそあたしは、もう立ち止まるのは辞めたの」


「すごい心変わりだね? もしかして、何かあったりした? ……鏡花はそんなに、勇気のある子じゃなかったよね?」


「別に。ただあたしはずっと直哉が好きで……だから昨日は、その想いを言葉にしただけ」


「…………そ。まあ、あーしからしてみれば、どうだっていいことだけどね」


 2人は真っ直ぐに見つめあって、正面から言葉を交わす。ささなはそんな2人の様子を眺めながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべる。



 そして、点崎は……。



「先輩! どういうことですか! ……き、キスしたって、一体どういうことなんですか!」


 そう叫んで、打つかるくらいの勢いで俺の方に詰め寄ってくる。


「いや、それは──」


 だから俺は、そんな点崎にありのままの事情を伝えようと口を開く。……けど、まるでそれを遮るように鏡花が口を開いた。


「あたしが、目を瞑って寝てる直哉にバレないようにキスしただけ。……だから文句があるなら、あたしに言えばいいじゃない」


「じゃあ言います! 最悪です、貴女は! 眠ってる先輩に無理やりキスするなんて、そんなの……最低です! そんなことして、先輩に好きになってもらえるとか、本気で思ってるんですか!」


「そんなの知らないわ。あたしは直哉が好き。だから、キスしたの。少しでもあたしを意識して欲しかったし、あたしのドキドキを分かって欲しかったから」


「そんなの全部、貴女の都合じゃないですか! 全然……全然、先輩の気持ちを考えてないです!」


 点崎は顔を赤くして、鋭い瞳で鏡花を睨む。けれど鏡花はどこか呆れたように息を吐いて、続く言葉を口にする。


「直哉の気持ちなんて考えて、どうするのよ? こいつは……こいつはずっと、ささなのことが好きなのよ? そんなこいつの気持ち変えるには、受け身でいたってしょうがないじゃない」


「それは……」


 点崎はそこで、言葉に詰まる。けれど鏡花は言葉は止めず、自分の想いを叫び続ける。


「あたしは、直哉の心をささなから奪い返すって決めた。だからあたしは、相手の気持ちを考えて、直哉がこっちを向いてくれるのを待つような、そんな礼儀正しい恋はしない。あたしはあたしの全てを使って、全身全霊で直哉の心を手に入れる。……だってあたしはもう、立ち止まりたくはないから……」


 鏡花はそこまで言って、胸に溜まった熱を吐き出すように、大きく息を吐く。そしてそのまま視線をささなに向けて、胸を張って宣戦布告の言葉を告げる。


「ささな。だからあたしは……あんたから直哉を奪うわ」


「ふふっ。それを私に言っても意味なんて無いよ? 朱波 鏡花。風切 直哉の心は、私のものじゃなくて彼自身のものだ。だから私に思いの丈をぶつけても、彼の心は動かないよ」


 鏡花の言葉を受けても、ささなはいつも通り余裕そうな笑みを浮かべて言葉を返す。


「それでもあたしは……陰から男を奪うような真似は、したく無いの。だからささなには、あたしの想いを知っておいて欲しかった。……だってあたしは今でも、貴女を友達だって思ってるから……」


「うん。君は相変わらず真っ直ぐな子だね、朱波 鏡花。うん。そんな君だからこそ、私も君を友人だと思っているのだろうね。それに、葛鐘 玲に点崎 美綾。君たちも、私に遠慮する必要は無いよ? 君たちが風切 直哉に何をしようと、私は君たちに文句を言うつもりは無いからね。だから思う存分……恋したまえ」


 高らかに、歌うように、ささなの言葉がこの場に響く。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 だから俺を含めたこの場の皆んなは、一瞬、言葉に詰まる。だって、ささなの姿があまりに自信満々で、とても美しく見えてしまったから。


 

「…………とりあえず今は、さっさとくじを引いちまおうぜ? 明日もテストがあるんだし、今揉めても仕方ないだろ?」



 そして俺はその隙をついて、他の誰かが口を開く前に言葉を告げる。……だってそうしないと、この場が収まることは無いだろうから。


 きっと多分、俺が言うべき言葉は他にあるのだろう。……けど今の俺は、誰の味方にもなってやれない。



 だから今は、そんな当たり前の言葉しか口にはできない。



「……分かりました。先輩がそう言うのなら、私は……ううん、違う。……ねえ? 直哉先輩」


「なんだ?」


「私は、他の誰が先輩に好意を向けても、自分の恋の仕方は変えません。私は先輩に無理して欲しくは無いし、傷ついて欲しくないから。……ほんとは、先輩には私だけを見て欲しいし、他の女が先輩に触れるだけで、胸が張り裂けるくらい痛くなります……」


 そこで点崎は、誤魔化すように軽い笑みを浮かべる。


「でも私は私のやり方で、先輩の心を手に入れてみせます。だって私は……先輩が好きだから。だから先輩には、本当に好きな人だけを愛して欲しいんです。……それが私の、胸を張れる自分の気持ちです!」


 点崎は胸を張ってそう告げて、俺の返事を待たず視線を鏡花の方に向ける。


「だから貴女は精々、自分の欲望を先輩に押し付けてればいいんです。そんなことをしても、先輩は絶対に振り向いてはくれませんから」


「そ。じゃあ私も好きにさせてもらうわ。……いや、やっぱりあたしも、最後に1つだけ言わせてもらうことにする」



 鏡花はそこで息を吐く。そして彼女もやっぱり胸を張って、自分の想いを言葉に変える。



「──直哉は絶対に渡さないから」



「それはこっちの台詞です」


 そうして2人は睨み合う。


「…………」


 だから俺はただぎゅっと強く手を握りしめて、2人にかけるべき言葉を探す。



 ……けどやっぱり、思い浮かぶ言葉は何も無い。




『応えられない想いには、ただ沈黙するしかないんだよ』



 だからふと、今朝のささなの言葉が胸を過ぎる。



 それは確かに、その通りだった。今の俺は、彼女たちの想いに応えられない。だから今はただ、沈黙するしかない。……例えそれがどれだけ、辛いことでも。



「じゃあ、そろそろくじを引くし。……いくよ? せーの!」



 そして、そんな2人の様子をどこか他人事のように見つめていた玲が、唐突にそう声を上げて、くじに手を伸ばす。



 だから俺を含めた他の皆んなも、それにつられるようにくじへと手を伸ばす。




 その結果は──。



 ◇



 そしてその後、俺は昨日と同じように鏡花と勉強して……いや、今日はそんな鏡花を監視するかのような点崎も一緒に勉強して、深夜の2時前に……父さんと母さんの寝室に足を踏み入れる。



「…………」


 そして、そこで俺を待ち受けていた少女は、この前の点崎と違いどこか余裕そうな笑みを浮かべて、そんな言葉を口にする。





「んじゃ、寝よっか? なおなお」




 そうしてまた、長い長い夜が始まった。


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