楽しそうですね? 先輩!



 そして、朝。昨日、唐突に鏡花に告白されてキスまでされた俺は、悶々とする思考を落ち着けるために、深い深い眠りについていた。


「やあ、おはよう。いい朝だね」


 ……けれど、ふとそんな声が響いて、俺の意識はゆっくりと現実に引き上げられる。


「…………おはよう、ささな。……もう朝か?」


 だから俺は、まだ重いまぶたを擦りながら、目の前で仁王立ちしている少女、青桜 ささなにそう声をかける。


「ああ、もうとっくに朝だよ。……といっても、君がいつも起きている時間よりだいぶ早いけどね」



「…………」


 そんなささなの言葉を聞いて、壁に掛けられた時計で今の時間を確認してみる。……時刻はまだ、朝の6時前。ささなの言う通り、俺がいつも起きる時間よりだいぶ早い。


「……もしかして、何かあったのか?」


「いや、大したことでは無いよ。ただ偶には、朝の散歩でもどうかと思ってね」


「俺、今日テストだぞ?」


「君からすれば、そんなの朝飯前だろ?」


「別に、そこまで楽勝ってわけじゃないんだけど……」


 しかしそれでも、昨日と一昨日、鏡花に付き合って普段より勉強したのも確かだ。だから、早起きして朝の散歩に付き合うくらいの余裕はある。


 けど……。


「ふふっ、そんな風に悩んでも意味なんて無いだろ? 結局君はいつも、私に付き合ってくれるんだ。……だから早く、行こう? そろそろ点崎 美綾が、起きてくる時間だ」


「……分かったよ」


 俺は端的にそう答えて、ゆっくりと身体を起こす。そしてささなは、そんな俺の手を引いて早足に家を出る。


 そうして俺とささなの、突発的な早朝デートが幕を開けた。





 7月に入って、だいぶ日差しも強くなってきた。だからまだまだ早い時間なのに、痛いくらいの日差しが俺とささなを照りつける。


「それで? 何か話しがあるのか? ささな」


 俺の家が見えなくなるまで歩いたので、そろそろ頃合いかと思い、ささなにそう問いかける。


「ふふっ。君は相変わらず、疑い深いね。けど別に今日は、特別な話なんて無いよ。私はただ、久しぶりに君と2人で歩きたかっただけだからね」


「ほんとに?」


「ああ。だから君ももう少し、肩から力を抜くといい」


「……分かったよ。そういうことなら、俺も……」


 お前と一緒に、歩きたかったから。なんて言葉を、俺はすんでのところで飲み込む。


 ……昨日の鏡花の柔らかな唇の感触が、まだ唇に残っている。だから何となく、今ささなに好意を伝えるのは気まずくて、俺は思わず口を閉じる。


「その様子だと、この同居を楽しんでいるみたいだね? ……特に昨日の夜は、色々とあったみたいだ」


「…………どうかな」


 俺は無駄だと知りながら、そんな誤魔化しの言葉を返す。


「ふふっ。君が私以外とキスをしたのは、昨日が初めてだね。……頑張っているね、朱波 鏡花も」


「……見てたのか?」


「いいや。何度も言っているだろう? 私は、そういう存在なだけだよ」


 ささなはこちらの心を見透かすようにニヤリと笑って、俺の指に自分の指を一本一本、丁寧に絡めていく。


「……つーか、何してんだよ?」


「こうやって指を絡めると、何だか恋人みたいで楽しくならないかい?」


「ささな。お前、ふざけてる?」


「いいや。私もこう見えて、女の子だからね。好きな男の子が他の女と仲良くしてるのが分かれば、嫉妬ぐらいしてしまうんだよ。だから偶には、こうやって甘えたくなる。……それとも君は、私にこういう事をされるのが嫌なのかな?」


「……分かってて聞くなよ、バカ」


「ふふっ。分かっていても言わせたくなるんだよ、女の子は」


 ささなはそう言って、本当に楽しそうな笑みを浮かべる。


「…………」


 だから俺は、そんなささなにため息をこぼして、少しだけ考えてみる。


 一昨日は、点崎の手を握りながら眠った。昨日は、鏡花に告白されて……キスをした。そして今は、ささなの手を握って2人で仲良く歩いている。


 そう考えると、なんだか自分が色んな女の子のところをふらふらしているようで、とても酷い男に思えてしまう。


「ねえ? 風切 直哉。君は人が人のどこに惚れるか、知っているかい?」


「どうしたんだよ? 急に」


「いや、君がなんだか悩んでいるようだったからね。特別に、1つ助言をしてあげようと思ったんだよ」


「……なんだよ? 助言って」


 こちらの考えがお見通しなことについては、今更もう突っ込まない。……だってそれこそ本当に、今更だから。


「人はね、人のあり方に惚れるものなんだよ。心であれ、外見であれ、その本質は何者かであろうとする人の意志だ」


「つまり?」


「君も君のあり方を、曲げちゃダメだってことだよ。誰かの想いに応えるために、自分の心を偽ってはいけない。それは結局、君に好意を寄せている人たちを、裏切ることになるだけだ。……だから君は、応えられない想いにはただ沈黙するしかないんだよ」


「どこかの哲学者が、似たようなことを言っていたな」


「そんな難しいことじゃ、ないけどね。これはね、もっと当たり前の話なんだよ。周りの子たちがどれだけ君に好意を寄せたとしても、君が自分の想いに胸を張れないのなら、黙るしか無い。……形だけの愛なんて、私は決して認め無いからね」


「つまり好きな子だけに、好きって言えって言いたいのか? それなら確かに、小学生でも分かるくらい簡単な話だな」



 しかしそれを実行するのは、言葉ほど簡単なことでは無い。他人の期待に、他人の好意に応えられないのは、とても辛いことだから。


 きっと彼女たちはこれからどんどん、俺に好意を伝えてくれるのだろう。そして俺もこれから、そんな彼女たちの想いに応えられるよう頑張らなければならない。


 ……でも、結局選べるのは1人だけ。誰を選んでも、誰かが傷つく。それを想像すると、今からため息がこぼれてしまう。


「恋愛というのは、とても楽しいことだけれど、でもそれ以上に辛いものだ。……ふふっ。しかしだからこそ、人の愛には価値がある。君もそう思ってくれるのだろう? 風切 直哉」


「……いや俺はできれば、誰にも傷ついて欲しくは……いや、それは違うな。……だって俺は傷つくと分かっていて、願ったんだ」


 中学2年の夏。俺は奇跡に縋って、ささなと再開した。けどその代償として俺は、彼女と共に死ぬか、彼女を捨てて生きるか、その2つしか選べなくなった。



 傷ついて選んだからこそ、今ここに彼女の笑顔がある。




「ねえ? 風切 直哉。……君は私が好きかい?」


「……言わせたいのか?」


「ああ。言って欲しいんだよ。私は君に生きて欲しいと思うけど、それと同じくらい君を他の女にとられたくは無いんだよ。……だから、今の君の気持ちを聞かせてくれ」


「…………」


 そう言われて、俺は少し考えるように黙り込む。……けれどそれはただの振りで、俺の答えはずっと……あの頃から何も変わらない。


 ささなを殺してしまって、どうしようもなく後悔して、そして夏になると俺は必死に青い桜を探した。けどどうしても、青い桜を見つけることはできなかった……。




 しかしそれでも、俺の願いは彼女に届いた。




 ──俺はどうなってもいい! だから、もう一度ささなに会わせてくれ!



 そう叫んだ俺の想いは、叶う筈の無い願いを叶えてしまった。だから未だに、その時の想いが俺の胸に絡みついて離れない。



 だから、そんな俺がささなに返せる言葉は1つだけ。





「好きだよ、ささな」



 その言葉を覆すために、この夏がある。そう分かっているのに、俺たちはなかなか前には進めない。



「ふふっ。君は本当に可愛いね、風切 直哉。きっと私は君のその言葉が聞きたくて、この世に戻って来たのだろうね」


「……そうかよ。つーか、そろそろ帰ろうぜ? もうすぐ皆んなが、起きる時間だ。だからこの続きは、また今度にしよう」


「そうだね」


 ささなはそこでまたニヤリと笑って、俺の手を引いて歩きだす。


「……そういやさ、ささな。玲のことなんだけど、あいつ──」


 そんな帰路の途中。ずっと気になっていたことを思い出し、ささなにそれを尋ねてみようと口を開く。


「それは私に聞くのではなく、彼女に直接訊いてやるといい。……葛鐘 玲も、きっとそれを待っている筈だ」


 けど、ささなは俺の言葉を遮るようにそう言って、薄い笑みを浮かべる。


「…………お前がそういうなら、そうするよ。でもあいつの考えは、俺にはちょっと分からないからなぁ」


「そんなことはないよ。結局彼女も……いや、その辺も彼女の口から直接聞くといい」


 そうして2人、手を繋いでゆっくりと歩きだす。……正直、まだまだ彼女と話したいことはいっぱいあったけど、でも今はもう十分だろう。



 だってこれ以上ささなと居ると、せっかく決めた覚悟が揺らいでしまう。



 だからテスト前のちょっとしたデートは、そこで終わりを告げた。


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