ほんとですか? 先輩。



「待たせたわね。……じゃあ、帰りましょうか」


 校門前でぼーっと空を眺めていた俺に、着替えを終えた朱波さんはそう素っ気なく言って、早足に歩き出す。


「……そうですね」


 俺はそれに適当な返事をして、その背に続く。


「というか聞きたいんだけど、なんであんた……あたしに敬語で喋るの?」


「…………」


 いきなりそんなことを言われると、言葉に詰まってしまう。確かに昔は、もっとフランクに話していたし、別に今だって同級生なんだから、無理に敬語を使う必要なんて無い。



 でも……。



「あんまり馴れ馴れしくされると、嫌でしょ?」


「……そうね。でも、だからって無理に敬語を使う必要なんて無いわ。なんか、変な感じがして嫌だし。……それに、朱波さんって言うのも辞めて。昔みたいに、鏡花でいいから」


「……嫌だって言われれば、やめるけどさ」


「そうしてくれると助かるわ。……まあ、どうせこんな風に話すことなんてもう無いんだし、本当はどっちだって構わないんだけどね」


 赤い夕焼けが、朱波さん……鏡花の横顔を照らす。その顔は俺の記憶の中の鏡花よりずっと大人びていて、何だか少し寂しく思う。


「……つーか、それならこっちも聞きたいんだけど、なんで今更一緒に帰ろうなんて言ったんだ?」


「……ただの気まぐれよ。ちょうど今日は、放課後に予定が入ってなかったしね」


「ふーん。ま、いいけどな」


 本当は嫌だけど、それを面と向かって言う気にはなれない。だってそれは多分、お互い様だから。


「…………それで、一応確かめておきたいんだけど、あんたと玲ちゃんが……そういうことしたって、本当なの? というか、あんたたちってまだ……その、仲良くやってるの?」


「いやだから、相手は玲じゃないよ。……あいつとも、あれからほとんど話してない。つまり、お前と一緒だよ」


「…………そっか」


「…………」


「…………」


 そしてすぐに、気まずい沈黙が場に降りる。俺も鏡花も視線を合わせず、ただ前だけを向いて歩き続ける。……お互いの顔を見ていると、きっと嫌なことを思い出してしまうから。




「ねえ? 直哉」



 ふとそこで、鏡花は立ち止まって真っ直ぐに俺の顔を見る。やっぱりその顔は昔よりずっと大人びていて、でも所々に昔の面影があって……無性に胸が痛くなる。



「なに?」



 でも俺はそんな考えは顔には出さず、ただ真っ直ぐに鏡花の瞳を見つめ返す。



 そして鏡花は──



「あんたは、まだ──」



 そこで不意に、まるで鏡花の言葉を遮るように、空から勢いよく雨が降ってくる。



「あー、くそっ」


「……最悪」



 そして俺たちは、近くにあった神社の軒下に駆け込んで、恨みがましく空を睨む。……無論そんなことをしても、雨は止まない。


「…………」


 だから、というわけではないけれど、隣にいる鏡花に視線を向けてみる。


 雨に濡れた鏡花は、シャツが肌に張り付いていて、大きい胸とその胸を覆う下着が透けて見えてしまっている。


 ……ふむふむ。ピンクか。などと思いつつ、バレない限界までそれを見つめてから、ゆっくりと視線を空に逃がす。



「あんた今、あたしの胸見てなかった?」



「…………」



 どうやら、限界を見誤ったようだ。


「俺さ、実は雨が好きなんだよ。こうして見ていると、まるで空が手を差し伸べているようで、とても綺麗に見えないか?」


 だから適当に誤魔化してみる。


「……最低」


 しかし鏡花は俺の言葉を歯牙にも掛けず、自分の身体を隠すように俺に背を向けてしまう。どうやら誤魔化しは、失敗したようだ。



「……ほら」



 だからそのお詫び、と言うわけでもないけれど、カバンからタオルを取り出して鏡花の頭にかけてやる。


「なに? これ」


「いや、タオルだよ。……あ、心配しなくても使ってないから大丈夫だぞ? 今日、体育サボったしな。だからまあ……やるよ、それ。返す時にいちいち会話するのも、面倒だしな」


 それだけ言って、俺も鏡花に背を向ける。


「……別に、お礼は言わないから」


「いいよ、別に」


「…………」


「…………」


 そしてまた、重い沈黙が場に降りる。……まあ、何年も話していなかった幼馴染なんだから、話そうと思えばいくらでも話題はある。


 けど変に話して、変に仲良くなってしまうと、それこそ本当に面倒になってしまう。ふとした瞬間、嫌なことを思い出して気まずい空気にならないよう、気をつけながら仲良くする。


 そんな面倒なことをするくらいなら、初めから関わらない方がずっと楽だ。



 だから俺たちは何年も会話すること無く、ずっと距離を置き続けてきた。



「…………」



「…………」


 だからこの場には、ただ静かな雨音だけが響く。



「……あんたそれ、まだつけてんの?」



 しかしふと、雨音に混じって背中からそんな声が響く。



「まあ、なんとなくな……」



 俺はそう答えを返しながら、カバンに付けられたキーホルダーを手に取る。


 青色の桜の花びらを模った、キーホルダー。この街には、秋になると空のように澄んだ青色の桜が咲いて、それを見るとどんな願いでも叶うという言い伝えがある。


 これはそんな言い伝えを元に作られた、安物のキーホルダーだ。



「…………」


 

 そしてこのキーホルダーには、とても大切な思い出が詰まっている。



『これは、この3人がずっと仲良しの証拠ね! だから、ずっとずっとつけてないとダメだよ! 約束だからね!』



 そんな風な約束を、ずっと前にした筈だ。



 ……しかしそう言った張本人のカバンには、桜のキーホルダーがついている様子は無い。


「悪かったわね、つけてなくて」


 鏡花はそう言って、どこか気まずそうに視線を逸らす。


「いいよ、別に。……お前の言った通り、いつまでも子供じゃ無いんだ。昔の約束なんて、律儀に守る必要は無いよ。……玲の奴だって、もうつけてないだろうしな」


「うん。……そうよね」


 こんなものをつけているから、いつまで経っても昔のトラウマを忘れられないのかもしれない。……しかし何故か、これだけはずっとカバンにつけてしまう。



「……ま、どうでもいいか」



 そこからはただ黙って、雨を見つめ続けた。時間にすれば、30分にも満たない短い時間だったけど、何故だかとても長くに感じた。




 そうして、いつのまにか雨は止んだ。




「じゃああたし、このまま走って帰るから」


「おう、じゃーな」


「…………」


「なんだよ、帰んねーの?」


「…………」


 帰ると言いながら、何故か鏡花は立ち止まって、恨めしそうに俺の顔を見つめる。


「……もう2度と、話すことは無いかもね」


「だろうな」


「…………あんたって、ほんと……。ううん、もういい。……じゃあね」


 そう言って、鏡花は自分の家の方に走り去ってしまう。


「……さて、俺も帰るか。あ、でもその前に、点崎の奴に電話しておかないとな……」


 そう呟いて、ポケットからスマホを取り出す。……けど電話をかける前に、ふと声が響いた。






「あんただけが約束を守ってるわけじゃ無いんだから、いい気にならないでね!」




 鏡花はわざわざ俺の目の前まで戻ってきて、それだけ叫んでまた走り去っていく。……カバンの内側に隠すようにつけられた、青い桜のキーホルダーを見せつけてから。



「……そういうことされると、勘違いしそうになるよな。もしかして鏡花ってまだ、俺のことが好きなんじゃ……って」




 ──な、なんでよ。なんであんたが……を。……来ないで! こっちに来ないでよ! この──。




 しかしくだらない思考を遮るように、過去のトラウマが頭の中でフラッシュバックする。



「……ま、あいつが俺を好きなんて、そんなことあるわけないか。いくら小学生の時、結婚の約束とかしてても、そんなものは所詮ただのガキの戯言だ」


 俺は大きく息を吐いて、もう一度スマホを手に取る。そしてそのまま、点崎に電話をかける。



 電話は一秒かからず、繋がった。そして点崎は、開口一番にこう叫んだ。







「やっぱり先輩の初めての相手は、葛鐘 玲だったんですね! 本人からちゃんと聞きましたよ!」




「…………………………は?」



 点崎の言葉は完全に俺の予想外で、だから俺はそんな間抜けな一言しか返せなかった。


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