君たちの幸せへ。



 美綾は、願いを叶えた。やり直したいという心からの叫びを、青い桜に願った。……けれど彼女は、知らない。青い桜が、一体どういったものなのか。彼女は何も知らないまま、自身の想いを叫んでしまった。



 故に美綾の願いは、言葉の通りに叶えられた。



「……え?」



 とある朝。いつものように目を覚ました美綾は、何か長い夢を見ていたような気がした。美綾が覚えていたのは、それだけ。直哉が消えた時の後悔も痛みも、今の美綾は何も覚えていない。


 美綾は確かに、過去へと戻った。願った通り、やり直すチャンスを手に入れた。……でもそれは文字通り戻っただけで、何かを持って帰ることはできなかった。



 ……だから結局、また同じ結末を辿ることになる。



「もう一度私に、やり直すチャンスをください!」



 そんな言葉が100回響いて、美綾は少し違和感を覚えた。1000回目で、自分が何か大切なことを忘れているのに気がついた。そして10000回目で、直哉に会いに行かなければならないということを、思い出した。


 美綾はそんな風に、数えきれないほど同じ時間を繰り返し、少しずつ変わっていた。臆病で声をかけることもできなかった美綾が、明るいクラスの人気者になって。毎日のように部室に入り浸り、直哉をからかうようになるまで……。


 けれど何度も何度も願いを叶えたせいで、青い桜……ささなの方が、先に限界を迎えた。



 直哉が18歳の誕生日を迎えるまでに、ささなより大切だと思える人を見つける。



 その約束を守れなくなるほど、ささなは酷く疲弊してしまった。


 故にこの夏が、最後のチャンス。それを無意識で理解していた美綾は、鏡花や玲を巻き込んででも直哉に恋をさせることにした。


 そしてその彼女の試みは、成功した。鏡花や玲を巻き込んだことで、今までにないくらい直哉との距離が縮まり、直哉は見たことがないくらい、沢山たくさん笑ってくれた。



 ……しかし美綾が、そのまま幸せになることはできない。だって彼女は、代償を支払わなければならない。



 何度も何度も願いを叶えた代償として、美綾は消える。あまりに多くの願いを叶えてしまった彼女は、日本中に青い桜を咲かせて、沢山の人を巻き込んで消える。それだけが、美綾に許された最後。



 けれど美綾は、構わないと思った。



 直哉が幸福に生きられるなら。直哉が笑ってくれるなら。誰が消えて世界が滅びても、別に構わなかった。それくらい美綾は、直哉のことを愛していた。


 だから自分が消えることなんて、なんてことはない。直哉が自分の隣に居なくても。自分のことを忘れてしまっても。彼が幸せに生きてくれるなら、それだけで充分だった。



「…………」



 なのに。


 それ、なのに……。


 その、筈なのに……!



「どうして来ちゃったんですか! 先輩……!」



 淡々と自身の過去を語っていた美綾の瞳から、大粒の涙が溢れる。


「そんなの決まってるだろ? お前がここで、俺を待っていてくれたからだ」


「わ、私は、待ってなんかいません!」


「じゃあどうして、こんな所にいるんだよ?」


「それは……」


 本来なら美綾は、もうとっくに消えていなければならない存在だ。なのにどうしてか、美綾は同じ場所に留まり続けた。……それこそまるで、誰かを待っているかのように。


「ほんとバカだよ、点崎……いや、美綾は。そもそも俺の後を追って来たのは、お前の方なんだろ?」


「……! で、でも、駄目なんです! 先輩がここにいちゃ……私の側にいちゃ、駄目なんです……!」


「いいんだよ、これで。……ありがとな、美綾。この夏が楽しかったのは、お前のお陰だ。本当に、ありがとう」


 直哉は迷うことなくそう言って、美綾の身体を抱きしめる。


「……離して、ください。駄目なんです。私のそばにいたら、先輩まで……消えちゃう。それだけは絶対に、嫌なんです……」


「でも俺が消えたら、他の人たちは消えずに済む。……そうだろ?」


「……! ど、どうして! どうして先輩が、そのことを知ってるんですか!」


「それくらい、お前を見てれば分かるよ。……お前は何千何万の命より、俺を大切だって思ってくれてる。それが分かっただけで、もう充分だ。もう充分……幸せだ」


 直哉はぎゅっと腕に、力を込める。……けれど美綾がそれに、納得できるわけもない。


「充分って、なんですか! 先輩が死んだら、意味ないんです! 先輩が幸せにならないと、私は──」


「だから俺はもう、幸せなんだよ。こうやってお前を抱きしめること以上の幸せなんて、俺は知らない。だから……」


 青い桜が、空を舞う。それは月明かりを反射して、まるで眩い光のように夜空を彩る。


「だからさ、美綾。俺がお前と一緒に、死んでやる。……いや、元は俺1人で死んだんだから、それは違うか」


 直哉はつまらない冗談でも聞いた後のように、軽く息を吐く。


「ごめんな、美綾。俺のせいで、お前まで巻き込むことになって。……でも、こうやってお前を抱きしめたまま消えられるなら、俺は幸せなんだよ。お前を忘れて100年生きるより、この一瞬が……何より愛しい」


 直哉は真っ直ぐに、美綾を見る。そしていつかの時と同じように、軽く笑ってみせる。


「────」


 美綾はもう、駄目だと思った。何万、何十万と繰り返した筈なのに、この笑顔にはどうしても勝てない。こんな眩い笑顔を見せられてしまうと、美綾はもう何も言えなくなってしまう。


「愛してる、美綾。だから……ずっと側に、いてください」


「……先輩は、ずるい。先輩は、ずるいです! そんな……そんな言い方されたら、断れるわけないでしょ……!」


 美綾も直哉の背中に、手を回す。そして力いっぱい、抱きしめる。


「愛してます、先輩! 誰より何より、貴方を愛してます! だからずっと、側にいさせてください!」


「ありがとう、美綾。俺もお前を、愛してる」


 もう決して離さないと言うように、2人は強く強く抱きしめ合う。



 そんな2人を祝福するように、青い桜が空を舞う。それこそまるで最後に打ち上がる一際激しい花火のように、暗い夜空に花が咲く。それは本当に目を見張るほど美しい景色で、でもだからこそ……終わりの寂しさを感じさせる。




 ──ずっと走ってきて、たくさん頑張って、よかったなぁ。




 最後にそんな心から幸福そうな声が響いて、風が止む。



 するとそこにはもう、青い桜も抱き合う2人の姿もなかった。静かな夜には、ただ冷たい闇が広がるだけ。



 2人は、消えた。



 何より大切な互いを代償として、2人はこの世から消え去った。


 ……けれど2人は、幸せだった。固く抱き合ったあの一瞬は何より幸福な時間で、だから2人には微塵の後悔もありはしない。2人はそんな、とても幸福は結末を迎えることができた。



 そうして眩いばかりの青い春が過ぎ去り、ずっと走り続けてきた1人の少女の物語は……終わりを告げた。


















「本当に、仕方ない子たちだね」



 けれど夜の闇に、そんな声が響いた。



「あんなに綺麗なものを見せられたら、私が何もしないわけにはいかないじゃないか」



 夜の闇を照らすように、どこからともなく少女の声が響く。



「──受け取ってくれ、愛しい少年少女たち。これが私から君たちに送る、最後の花束だ」



 そして夜空に、青が舞った。


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