ダメですよ? 先輩。



 夏の強い日差しが、肌を焼く。俺たちはまた、海に来ていた。



 鏡花と一緒に軽い睡眠をとったあと、すぐに朝食を食べて、近くのショッピングモールに出かけた。そしてそこで買い物をしたり食事をしたりしてから、昼過ぎにこの別荘に戻ってきた。


 そしてその後、ひと息つく間もなく海へと繰り出した。



「にしても、何度見てもこの海は綺麗だよなぁ」


 美綾とも玲とも、この海に来た。……いや、合宿が始まってから毎日のように、この場所に遊びに来ている。けど不思議と、来る度にわくわくしてしまう。


「直哉ー! 早く、こっちに来なさい!今度こそあたしが、あんたに日焼け止め塗ってあげるからー!」


 大きなパラソルの下に敷かれたシートの上で、鏡花がそう声を上げる。


「分かってるって。すぐに行くー」


 だから俺はそう答えを返して、早足に鏡花の元へと向かう。


「さぁ、直哉。ここに横になって。あたしがいっぱい、日焼け止め塗ってあげるから」


「分かってるから、そう急かすなよ。……あーでも、あんまり無茶な真似はするなよ?」


「ふふっ。分かってる、分かってる。……じゃあ、いくわよ」


 鏡花は楽しそうな笑みを浮かべながら、シートの上でうつ伏せになった俺の上に、またがる。すると、それだけで鏡花の体温が伝わってきて、無駄にドキドキしてしまう。


「…………」


 今日の鏡花はなんか色々と無防備で、対応に困ってしまう。だから、一緒に眠った時とかも必死に平静を装っていたのだが、もうそれもやめにした。



 だってその方が、鏡花が笑ってくれる。



 そんなことを考えていると、鏡花の指がゆっくりと俺の背中に触れる。


「……!」


「あ、直哉今、ビクッとした。……かわいい」


「……お前の手が思ったよりずっと冷たくて、びっくりしたんだよ」


「ふふっ。でもちょっと耳が赤くなってる。もしかして、変な気分になっちゃったとか?」


 鏡花はからかうようにそう言って、優しく丁寧に俺の背中に指を這わせる。その動きは、日焼け止めを塗っているとは思えないほど艶かしくて、俺の心臓は更に強くドキドキと跳ねる。


「…………」


 だから俺は、思い出してしまう。



 鏡花との、激しいキスを……。



 鏡花のキスは、何というか……玲や美綾とは違って、凄く艶かしい感じだ。だからされる度に、頭が真っ白になってしまう。


 きっと彼女は想いを伝える為ではなく、自分の想いで俺を染め上げる為にキスをしてくるんだ。だから鏡花のキスはとても激しくて、される度に俺の頭は真っ白になってしまう。


「……直哉? あんた黙り込んじゃって、どうかしたの? もしかして……本当に、変なこと考えてるとか? ふふっ。こんな風に背中にクリーム塗られただけで興奮するなんて、あんた……変態だったのね。 ……でも、いいわ。あんたがこれがいいって言うなら、あたしはいくらでも──」


「いやちげーよ。別にこんなんで、変な気分になったりしねえって。ただちょっと……思い出しちゃったんだよ」


 お前とのキスを。あの柔らかな感触を。だからどうしても……ドキドキしてしまう。


「…………思い出したってもしかして、玲ちゃんとかあの点崎さんのこと?」


 けど鏡花はその俺の言葉を変な風に受け取って、冷たい声でそんなことを呟く。


「いや、なんでだよ。俺はただ──」


 だから俺は、誤解を解こうと慌てて口を開くけど、その言葉は掌に押しつけられた柔らかな感触に、消し飛ばされてしまう。


「ねぇ、直哉。こうやってもまだ、他の女のこと考えられる?」



「────」



 鏡花は俺の背中にまたがったまま俺の手をとって、そしてそのままその手を……




 自分の胸に押しつけた。




「……鏡花。流石にそれは……やり過ぎじゃないか? いくらプライベートビーチって言っても、ここは外なんだし……色々まずいだろ?」


 俺は冷静を装いながら、たしなめるようにそう告げる。……だってそうしないと、もっともっと激しく鏡花に触れたいと思ってしまう。


 けど鏡花はそんな俺の心境なんてお構いなしに、更に力を込めて大きな胸に俺の掌を押し当てる。


「あたし……言ったでしょ? あんたを……誘惑するって。だから、これくらいするわ。あんたがあたしのことを見てくれるなら、これくらい……わけないもん。……それに、あんただって嫌なわけじゃないんでしょ?」


「それは、そうだけど……」


「なら、いいじゃない。あたしだって、嫌じゃないもん。そりゃ……ちょっとは恥ずかしいって思うけど……。でもデート中に他の女のこと考えられるくらいなら、この方がずっといい。だから……もっとあたしに、触れて……」


 鏡花は蕩けるような声でそう囁いて、俺の掌を強く強く押しつける。……だから掌を通して、ドキドキとした鏡花の鼓動が伝わってくる。



「…………」


「…………」


 ……けど、俺も鏡花もそこから動くことができなくて、だからそんな格好のままただ時間だけが流れる。




 ……でもいつまでも、こんな体勢で黙っているわけにもいかない。そもそも俺は、鏡花がこういう奴だって分かっていた筈だ。



 なら俺が、動くべきだ。だってそうしないと鏡花は意固地になってしまって、せっかくのデートが無茶苦茶になってしまう。



 だから俺は、邪念を振り払うように軽く息を吐いて、そしてゆっくりと口を開く。


「なあ、鏡花。お前……無理してないか?」


「……なによ。もしかしてあたしのこと、心配してるの? でも残念ながら、あたしは少しも無理なんてしてないわ」


「いや、分かってるよ。それはもう、ちゃんと分かってる。ただちょっと……いや、口で言っても分からねーか。なあ、鏡花。日焼け止めは、もう塗り終わったのか?」


「…………うん。……なに? もしかしてあたしの胸に触るの、もう飽きちゃったの?」


「ちげーよ。ただ、少し離してくれないか? ……俺はさ、こんな風に変な格好じゃなくて、ちゃんと正面から……お前に触れたいんだよ」


 その言葉は、嘘じゃない。でもだからって、ただ欲望だけで言っているわけでもない。……いやまあ、そういう気持ちが無いとは言えば嘘になるんだけど、でもそれでも俺は鏡花に触れるなら、もっと優しくしたいと思う。



 「…………」


 そして鏡花は、そんな俺の言葉を聞いて名残惜しそうに俺の手を離して、更に俺から一歩距離をとる。


 だから俺はそんな鏡花に近づいて、ゆっくりと彼女の肩に手を回す。


「……いきなり胸を触らせてもらうのはさ、そりゃあ……嬉しいよ。でも俺は、できれば一歩ずつお前に触れていきたい。だからとりあえずは、これじゃダメか?」


「……ダメに決まってるわ。あたし……こんなのじゃ満足できない。もっともっと、あんたに触れたい」


「いいよ。お前が触れたいのなら、俺の身体くらい好きに触って構わない。でもその分……俺も好きにさせてもらうぞ?」


「……分かったわ。じゃあ今だけは、これで我慢してあげる。だって今日初めて、あんたが自分の意思で……あたしに触れてくれたんだもん。だから今だけは……大人しくしてあげる……」


 鏡花はそう小さな声で呟いて、俺の肩に頭を乗せる。だから俺は腕に少し力を込めて、鏡花の肩を引き寄せる。


「…………」


「…………」


 そして日が暮れるまで、そうやって肩を寄せ合いながら、ただ静かな時間を過ごした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る