ちょっと嫉妬します。先輩。
冷たい潮風が、頬を撫でる。俺はそれに返事をするように、一度小さく息を吐く。
「…………」
玲は風に舞う髪を軽く抑えながら、どこか期待するような目で俺を見る。
彼女は待っている。俺が口を開くのを。俺が想いを伝えるのを。……そしてきっと、俺がどんな想いを口にしても、彼女は変わらず笑ってくれるのだろう。
そんな玲の瞳を見つめていると、少し肩から力が抜ける。
こんなに近くで身体を密着させて、告白されてキスまでした。だから心臓はドキドキとうるさくて、頭が上手く回らない。
……しかしそれでも、玲の顔を見ていると自然と笑うことができる。だから俺は静かに、彼女の名前を呼ぶ。
「……玲」
「なに? なおなお」
「嬉しかったよ。あんな風にお前に告白してもらえて、凄く嬉しかった。それに今も、心臓が壊れるんじゃないかってくらい、ドキドキしてる。だから……」
俺もお前が好きだよ。
そう言葉には、できなかった。……分からない。自分でもその理由が、分からない。ただ玲の真っ直ぐな瞳に見つめられると、どうしても……そこから先の言葉を口にできない。
「ふふっ。……そっか。じゃあ今聴こえてくるドキドキとした心臓の音は、あーしだけの音じゃないんだね。なおなおもちゃんと、あーしにドキドキしてくれてるんだね?」
「当たり前だろ。……それで、玲。俺は──」
そこで不意に、まるで俺の言葉を遮るように玲は俺にキスをした。唇の形が変わるくらい、強くて長いキス。そして玲はそんなキスをしたあと、甘えるように俺の胸に顔を埋める。
「今はまだ、言わなくていいよ。そこから先の言葉は、今じゃなくていい」
「でも、玲。それじゃ……」
「いいの。だって今、なおなおに好きだって言ってもらえても、きっとそれじゃ届かない。……そりゃ、なおなおに好きだって言ってもらえたら、あーしは飛び跳ねるくらい嬉しい。……でもそれじゃ、ダメなんだよ。その程度じゃ、ささなにはまだ勝てない」
玲はそう言って何かを確かめるように、少しだけ腕に力を込める。だから俺も、細くて柔らかい華奢な玲の身体を、壊れないように優しく丁寧に抱きしめる。
それは蕩けるくらい、幸福な時間だ。
……でも同時に、胸が痛む。泣きそうになるくらい、胸が痛む。
「……なあ、玲。俺はこれで……いや、お前はそれで、本当にいいのか? ……俺は昨日、美綾を抱きしめた。そして今日は、お前を抱きしめている。そしてきっと明日は、鏡花を抱きしめることになる。そんな……そんな俺で、お前は本当に……いいのか?」
俺には、恋をしなければならない理由がある。誰かを愛さなければならない、約束がある。そしてその為なら俺は、なんだってするつもりだ。だって俺はもう、知っている。俺が死んだら泣いてくれる人が沢山いると、俺はもう知っているんだ。
「…………」
でも……ふと思ってしまった。玲はこんなに真っ直ぐなのに、俺は酷く不誠実なんじゃないかって。
昨日俺は、美綾しかいないと思った。
でも今の俺は、こんなにも強く玲に惹かれている。だから仮にもし、こんなことを繰り返して誰かを好きになれたとしても、それは本当に正しいことなのか?
魔が差すように、俺は今更そんなことを思ってしまう。
「……いや、違う。そうじゃない。分かってる。俺も……分かってはいるんだ。お前たちはもうとっくに、覚悟を決めてここにいる。だから俺にできるのは、ただ自分の心に正直になることだけ。それは分かっているんだ。でもどうしても……」
「いいんだよ、なおなお。なおなおは、自分のことだけ考えてれば、それでいいんだよ。……ふふっ。でもなおなおは、優しいなぁ。自分が死ぬかもしれないのに、あーしたちのことばかり考えてくれる」
「それは違うよ。俺はただ、弱いだけだ。だから……こうやってお前を抱きしめていると、自分が酷く不誠実な奴に思えてしまう」
「そんなことないよ。それに……それを言うなら、あーしたちだってそうなんだよ?」
「どういう意味だよ? それ」
「あーしたちはね、なおなおが辛い思いをすると分かっていて、それでもなおなおの側にいたいと願う。だから……言い訳なんよ。なおなおが死んじゃうからっていうのは、ただの言い訳。あーしたちはその言葉を言い訳にして、ささなからなおなおを奪おうとしてる。だから……いいんだよ。なおなおは、そんなことで悩まなくてもいいんだよ」
玲はそう言って、優しく優しく俺の背中を撫でてくれる。だから俺は、弱気を振り払うように軽く息を吐く。
「なあ、玲」
「なに? なおなお」
「もう少し強く、抱きしめてもいいか?」
「……いいよ。あーしは強いから、大丈夫。……ううん、あーしだけじゃない。点崎ちゃんも鏡花も、それに……ささなも。皆んななおなおが思ってるより、ずっと強いんだよ。だから、力一杯抱きしめて。……絶対に壊れたり、しないから」
「…………ありがとう、玲」
俺は玲を、抱きしめる。強く強く力の限り、玲の身体を抱きしめる。ささなも美綾も鏡花も他の全てを忘れて、ただ玲だけを見つめ続ける為に、強く優しく彼女を抱きしめる。
「……幸せ。なおなお、あーし今……泣きそうになるくらい幸せだよ。……よかった。本当によかった。目をそらして裏方に回ってたら、絶対にこんな風に抱きしめてもらえなかった。だからあーし、すっごく幸せ……。愛しい人にこんなに強く求められると、心が溶けちゃうくらい、幸せなんだね……」
「俺も、幸せだよ。色々あったけど、俺も諦めなくて、よかった。……お前とまた仲良くなれて、本当によかった……」
時が止まったみたいな静寂で、俺たちは溶け合うように抱きしめ合う。……あるいは本当にこのまま時が止まってしまえば、それが一番いいのかもしれない。
でも時間は決して、止まらない。
だから俺たちは、惜しむように抱きしめ合う。お互いの温かさを決して忘れないように、ただただ抱きしめ合う。
「…………」
「…………」
そしていつのまにか船が止まって、俺たちはどちらともなく、ゆっくりと手を離す。
「……必要、無かったな」
そして玲はポツリと、そんな言葉をこぼす。
「必要ないって、どういう意味だ?」
「ううん。ただちょっと、なおなおの為にサプライズを用意してたんだけど、今日はやめとくことにするよ。……だってこれ以上やると、今の幸福が壊れちゃいそうだから……」
「そうか。……ならそれは、今度の楽しみにとっておくよ」
「うん。そうしてくれると、助かる。だって今日はもう終わっちゃうけど、あーしにもなおなおにも……まだまだいっぱい時間はあるんだから」
玲はそう言って、最後に惜しむようにキスをする。ふわふわして、ドキドキする。ちょっと前までは、玲との時間は友達と遊んでるようだと思っていたのに、今はもう玲のことを女の子としてしか見れない。
「んじゃ、部屋に戻るか」
「そうだね。……ねえ、なおなお。今日は朝まで、側にいてくれるよね?」
「ああ。明日になるまで、ずっとお前の側にいるよ」
「うん、ありがと。やっぱりなおなお、大好き! だから後でいっぱい、耳をぺろぺろしてあげるね?」
「……それは、勘弁してくれ」
そんな風にして、今日が終わる。そして長い長い夜が明けて、また新しい朝がやってくる。
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