真っ直ぐですね。先輩。
「あーしはね、ずっと怖かったんよ。あの事件で……ううん。あーしと出会ったせいで、なおなおの人生が……狂ってしまったから……」
玲はそう言って、ぎゅっと強く俺の手を握りしめる。
「…………」
……けど俺はそんな玲に、何の言葉も返さない。だって玲はきっと、望んでいない。否定の言葉も慰めの言葉も、彼女はきっと望まない。だから俺はただ黙って、玲の言葉に耳を傾ける。
「……なおなおはね、優しいからそうじゃないって言ってくれるかもしれない。全部自分が悪いんだって、そう言ってくれるのかもしれない。でもあーしは、そうは思えなかった。……そもそもあーしが余計なことを言わず、許婚って関係を認めていたら……あそこまで悲惨な事件は、起こらなかった……」
……玲は、俺と同じだ。だって俺も、何度も何度も同じような後悔をしてきた。だから彼女の気持ちは、痛いほど分かる。
「そしてそんな風に後悔ばかりしていると、いつのまにか時間だけが流れて……あの中学2年の夏。……偶然、なおなおとまた話すことができた。そしてあーしはその時、自覚したの。自分の、想いを……」
それが、玲が俺を好きになった理由。……でも当時の俺は、玲の想いに気づいてやれなかった。
だってその時の俺は、ただささなの背中を追い続けていた。だから俺と同じように、誰かが自分の背中を追ってくれていたなんて、考えもしなかった。
「そしたらあーし、怖くなったの。……ううん。当時のあーしは、自分が怯えてることにすら気づいてなかった。だからあーしは、自分の恋を諦めたフリをして裏方に回るなんて、そんな馬鹿な真似をしようとした。……それが正しい選択だと、信じて……」
玲はそう言って、遠い瞳で自嘲するような笑みを浮かべる。
「…………」
玲は本当に、強い女の子だ。けど彼女にだって、年相応に弱いところもある。だから俺は、彼女から距離をとった。それが玲の為だと信じて……。
……でも結局それは、間違いだったのだろう。
俺も玲もそして鏡花も、根っこのところで臆病だった。……いやもしかしたらそれが、あの奇跡の代償だったのかもしれない。
だから俺たちは、もう一歩を踏み出すことができなかった。
「……ごめん、ちょっと話が逸れちゃったね。それであーしはね、なおなおに声をかける時、思ったの。直哉って呼んで、こっちを振り向いてくれなかったら、どうしようって」
「バカだな。俺がお前を、無視するわけないだろ?」
「バカは、なおなおだよ。そういうのは、理屈じゃないの。……それにあの頃のなおなおは、ささなのことしか見えてなった。だからあーしは、なおなおって呼んだの。当時のあーしは、ただふざけてるだけだって思い込んでたけど……今なら分かる。あーしはただ、びびってただけなんだって」
玲は何度も、俺に好きだって言ってくれた。でも俺はその言葉を、信じられずにいた。それはきっと、彼女も俺と同じように逃げていたからなのだろう。
だから想いが、伝わらなかった。
そしてそんな玲の想いに気がつくことなく、俺たちはまた傷つくことになった。中学2年の夏。その時も俺は結局、願ってしまった。だから一度は戻りかけた関係が、また壊れてしまった。
「つまり、お前にとって言い訳だったんだな。なおなおって呼び方は」
「うん。素直に名前も呼べない臆病な女の子が作り出した、逃げ道。それが、なおなおっていう呼び名」
「……でも俺は、嫌いじゃなかったよ。お前にそう、呼ばれるの」
「ふふっ、ありがと。実はあーしもね、今は気に入ってるんだ。だってそれは、その言葉には……色んな想いがつまってるから。後悔も、痛みも、恐怖も、楽しかった思い出も、温かな感触も、全部が全部つまってる。だからなおなおは、あーしだけの特別な呼び方になった」
暗い暗い、闇の中。玲の声が、ただ響く。とても綺麗で真っ直ぐな、それでもどこか寂しい響きの彼女の声が、俺の心に響き続ける。
「だからあーしは、決めてるんだ。大人になっても、結婚しても、しわくちゃなお婆ちゃんになっても、なおなおのことはなおなおって呼び続けるって」
気づけば俺の心臓は、どくどくと早鐘を打っている。それにいつのまにか俺も、頭上に広がる星々を忘れて、玲のことだけを見つめ続けている。
そして玲は、ただ真っ直ぐに俺だけを見つめながら、ずっとずっと変わらない星々より眩い想いを、ゆっくりと言葉に変える。
「だから、側にいて欲しい。ずっとずっと、あーしの側にいて欲しいです。だってあーしは、なおなおが──大好きだから」
揺らぐことのない、真っ直ぐな想い。俺だけをただ見つめ続ける、真っ直ぐな瞳。そして唇に押しつけられた……柔らかな感触。
「────」
握っていた手は気づけば背中に回されていて、もう絶対に離さないというように強く強く俺を抱きしめる。そして玲はそんな風に俺を抱きしめたまま、何度も何度もキスをする。
それは特別、激しいキスでも深いキスでもない。玲のキスはただ唇を押しつけるだけの、啄ばむようなキス。
なのにドキドキが止まらない。心が激しく暴れ回って、頭がなぜか真っ白になっていく。
「…………」
昨日の美綾には、好きだって言えた。でもなぜか今は、その言葉を口にできない。
それは俺が、美綾のことが好きだからなのか。それとも玲のことが、好きだからのか。自分でも、判別がつかない。
……ただ、同じだと思った。俺がささなに惚れた時も、最初はあまりの胸の高鳴りに自分の気持ちに気づけなかった。
だから、もしかしてこの感情は……。
「なおなお。ふふっ、なおなお。今は船の上だから、どこにも逃げ場はないよ? だから、聞かせて。……今のなおなおの、気持ちを」
「…………」
そんな玲の言葉に、俺は返事を返せない。だからこの場には、玲の声だけがただ響く。
「別に無理に、好きだって言わなくてもいい。分からないなら……まだ彼女を忘れられないのなら、それでもいい。でも……それでもね、あーしは聞きたいの。なおなおが今、なにを想っているのか。あーしにキスされて、どれだけドキドキしたのか。それをちゃんと、なおなおの口から聞きたい。だから、聞かせて? 今のなおなおの頭の中には……誰がいるの?」
「…………」
そう問われて、俺は考える。けれど頭が、上手く働かない。
今の俺の心を占めているのが誰なのか、自分でも分からない。ささななのか、美綾なのか、玲なのか、鏡花なのか、自分でも分からないんだ。
だって今日の玲との時間は、どこか友達と遊んでいるような雰囲気だった。
だから俺は油断していた。こんな風に真っ直ぐな想いを伝えられて、キスまでされるなんて思ってなかった。
だから頭が、動いてくれない。
「……分かってるよ。お前がここまで、してくれたんだ。だからちゃんと、返すよ。俺の想いを……」
でも玲がここまでしてくれたのに、俺だけ黙るわけにもいかない。だから今度は、俺が伝える番なのだろう。ぐるぐると色んな感情が暴れ回る中で、それでも俺は……自分の想いを伝えたいと思った。
だからまだまだ、夜は明けない。
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