……。先輩。



 青い桜探しを終えた俺たちは、暗くなる前に家に戻って来た。


「……ふぅ」


 大きく息を吐いて、倒れるようにソファに座る。


 結局、青い桜は見つからなかった。でもそれは分かりきっていたことだから、特にショックを受けることはない。……ショックを受けることがあるとすれば、それは狂岡先輩の言葉だろう。



 俺が死なないと、失踪者は永遠に増え続ける。



 狂岡先輩は、そんなことを言っていた。その言葉の真偽はまだ分からないが、狂岡先輩が意味のない嘘をつく人ではないと俺は知っている。



 だから──。



「なにぼーっとしてるのよ、直哉」


 風呂上がりの鏡花が、俺の思考を遮るようにそう言って、大きな胸を俺の身体に押しつける。


「……狂岡先輩に言われたことを、考えてたんだよ」


 嘘をついても仕方ないので、本当のことを話す。


「馬鹿ね。それは考えなくてもいいって、さっき散々話し合ったじゃない。どうやったってあの女の言葉の真偽は分からいんだから、いくら考えても意味はないって」


「……それは、分かってるんだよ。でもどうしても、引っかかるんだ」


 そもそも狂岡先輩は、どうしてあんなに色んなことを知っているのだろう? 当事者である俺たちですら、ほとんど何も覚えていないのに、あの人だけは色んなことを覚えている。


「なおなお。あの女のことは、考えない方がいいよ?」


 ちょっと調べたいことがあると言って俺の部屋に閉じこもっていた玲が、そんなことを言いながら姿を現す。


「そう言われても、気になるんだよ」


「それでも、気にしても仕方ないんよ。あーしも詳しくは分からないけど、あの女はきっと普通じゃない。……たぶんあの女は、ささなと同じ例外みたいな存在なんよ。だからあんな女のことは、考えるだけ損だよ?」


「ささなと同じって、どうしてお前にそんなことが分かるんだ?」


「そんなの、ただの勘に決まってるじゃん」


「勘って、お前なぁ」


「勘っていうのも、案外バカにできないものなんよ? つーかなおなおだって、初めてささなを見た時、違和感を感じたでしょ? この女は、普通の人じゃないって」


「それは……」


 それは確かに、その通りだ。初めてささなを見た時、一目で彼女が普通の人間ではないと分かった。けど……いや、そういえば初めて狂岡先輩と会った時も、そんな感覚を覚えた筈だ。だから俺は、あのオカルト研究会に入ったんだ。


「きっとあの女のことは、いくら調べても分からない。だからなおなおは、自分のことだけ考えてればいいの」


 玲が俺の手を握る。その手はとても、温かい。


「そうよ。例えあんたが生きることで世界が滅びるんだとしても、あたしはあんたに生きて欲しい。……それくらいあたしは、あんたが好きなの」


「ちょっ、鏡花。いきなり告白するのは、ずるいし。……なおなお、あーしだってなおなおのこと大好きだからね? だから、なおなお。自分が死んだら全て解決するとか、そんな馬鹿なこと考えちゃダメだよ?」


 2人は優しく、俺を抱きしめてくれる。2人の身体は温かくて、柔らかくて、とても気持ちいい。……嫌なことなんて全て、忘れてしまうくらいに。


「ありがとうな、2人とも。……でも、大丈夫だよ。色々と思うところはあるけど、自分が死ねば解決するなんてそんな馬鹿なことは思わないから」


「……そうよね。あんただって、死にたくはないもんね。じゃあ今日は疲れてるだろうから、もう寝ましょうか? 直哉。今日は一晩中あたしが抱きしめてあげるから、好きなだけあたしの胸に甘えていいわよ」


「違うし。なおなおは今日は、あーしと一緒に寝る日だし。……なおなお。今日はあーしがこの柔らかな太ももで膝枕してあげるから、安心して眠っていいからね」


 2人はいつも以上に、俺に優しくしてくれる。……きっと2人は、不安なのだろう。2人は誰より俺の性格を理解しているから、俺が自分のせいで誰かが傷つくのが嫌いだと、分かっているんだ。



 だからこんな風に、強引に甘えてくる。



 俺の手を握っておけば、俺が勝手に居なくなることはないから。


「じゃあ今日は、3人で寝ようぜ? 父さんと母さんの部屋のベッドは広いから、3人でも余裕で寝れるよ」


 いつも通りの笑顔を浮かべて、2人の頭を撫でてやる。


「……分かったし。なおなおがそうしたいなら、今日だけは鏡花と一緒に寝てあげる。あーしの優しさに感謝するんだね、鏡花」


「それはこっちの台詞よ、玲ちゃん。もうすぐしたら直哉はあたしを選ぶんだから、今のうちに直哉の温かさを堪能しておくといいわ」


 そうして今日は、3人で並んで眠ることになった。


「…………」


 ……けれどそれは、ただ単に怖かっただけなのだろう。色々と理屈を並べはしたが、俺は結局……死ぬのが何より、怖かった。



 ◇



 2人の温かで柔らかな身体に包まれていると、気持ちよくてすぐに眠れる。……そう思っていたのだけれど、頭が冴えてしまって、なかなか眠ることができなかった。


「…………」


 だから俺は、寝息を立てる鏡花と玲に挟まれながら、1人考えごとをしていた。 



 俺のせいで、多くの失踪者が出ている。



 ……それはとても気になることだけど、今はそのことについて深く考えても意味はない。だってどれだけ深く考えても、それを止める術は今の俺にはないから。……それこそ、俺が消える以外に。



 だから俺は、その願いについて考える。



 俺の為に、誰かが何かを願った。そしてそのせいで、日本中を巻き込むほど大きな代償が必要になった。



 でも一体、どんな願いを叶えれば、それほど大きな代償が必要になるのだろう?



 鏡花は母親を蘇えらせた。そしてその代償として、それと同じくらい親しい人間の命を求められた。


 玲の家は、未来永劫の繁栄を願った。だから一族から、毎年何人もの人間が代償として消える。



 つまり代償とは、願いの大きさに比例して大きくなる。なら、日本中を巻き込むような代償が必要になるということは、それだけ大きなことを願ったということになる。



 そしてその願いは、俺の為に叶えられた。



 でも、今の俺に関わる問題を全て解決したとしても、それほど大きな代償は求められないだろう。それこそ、未曾有の大災害を防いだとかそのレベルじゃないと、そんな代償は求められない筈だ。


「……頭が、痛くなるな」


 大きく息を吐いて、2人を起こさないように身体を起こす。少し、喉が渇いた。だから水でも飲もうかと思い、立ち上がり部屋を出る。


「……今日は、満月か」


 窓越しに月を見ながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。


「…………」


 どうしてか無性に、ささなに会いたくなった。助けて欲しいとか事情を説明して欲しいとかそういうことじゃなく、ただ彼女と話がしたかった。


 ずっと一緒だった昔みたいに、どうでもいいことを話して、彼女に笑って欲しかった。



「……え?」



 ……そんな馬鹿なことを、一瞬でも願ってしまったからだろうか。




 ふと視界の端で、青い桜が舞った。



「────」



 俺は慌てて、辺りを見渡す。けれど青い桜なんて、どこにも舞ってはいない。……きっと、寝ぼけていたのだろう。


「……2人の所に、戻るか」


 ささなとは、もう会えない。そもそも俺は、彼女を選ばなかった。合宿の最終日、俺は彼女の誘いを断ったんだ。だから今更ささなに会いたいだなんて願うのは、卑怯を通り越して彼女への裏切りだ。






 ……だからそれは、ただの幻聴なのだろう。




「──振り返ってはダメだよ、風切 直哉」




 遠い月から、そんな声が夜に響いた。


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