これからです! 先輩!



「やったっ!」


 葛鐘 玲は、そんな風に珍しく子供のような声を上げた。


「…………」


「…………」


 そんな玲を、点崎 美綾と朱波 鏡花が恨みがましい視線で睨む。けど、彼女はそんな視線なんて一切気にしない。玲はただ本当に嬉しそうに飛び跳ねてから、急いで直哉の方に駆け寄る。


「ねえ、 なおなお! 見てた? あーし凄かったっしょ? なおなおの為に頑張ったんだよ? だから、ほめてほめて!」


 玲は先ほど全力疾走したばかりなのに、疲れなんて一切見せず、勢いよく直哉に抱きつく。


「…………ああ、凄かったよ」


 ぐにゃっ、と形が変わるほど強く押し付けられた胸の感触にドギマギしながらも、直哉は何とかそう言葉を返す。


「えへへ。あーし昔から、足の速さには自信があったからねー。ふふっ、これで今日1日なおなおはあーしのもの。……なおなお的には、こういう形で決められるのは少し不服かもしれないけど、でも……いいよね? 今更、そんなの認められないとか言わないよね?」


「言わねーよ。……ただ──」


「あんまりエッチなのは、ダメだって言うんでしょ? なおなおはエッチな癖に、変なところで真面目だからなー。ふふっ、でもいいよ。こうやって抱きつけるだけで、あーしは十分幸せだから」


 らしくも無く子供みたいにはしゃぐ玲の姿に、直哉は少し違和感を覚える。……けど、本当に楽しそうに笑う玲の姿を見て、彼はすぐにそんな疑念を飲み込む。


 今の玲は、何か企んでいるから自分に甘えてくるのでは無く、珍しく本心を露わにしているから、少し子供っぽく見えるだけだ。


 直哉はそんな風に結論づけて、他の2人に……特に水着姿をちゃんと褒めてやれなかった美綾には悪いと思いながらも、今日は玲の側に居ようと決める。



 ……まあ、まだまだ時間はあるんだし、褒める機会なんて幾らでもあるだろう。



 直哉はそうやって軽く息を吐き、玲の頭に優しく手を置く。


「んじゃ、玲。お前、何かしたいこととかあるか?」


「んとねー。それじゃあ、あーしは……」


 そんな風にイチャつく2人の姿を、鏡花と美綾は鋭い目つきで睨み続ける。


「あのギャル先輩。足……速かったんですね」


「……ええ。小学生の時は、クラスで1番だったわ。……でも今なら絶対、あたしが勝つと思ったのに……」


 鏡花は本当に悔しそうに、ぎゅっと強く手を握りしめる。


「鏡花先輩は、これからどうするつもりなんですか? 明日になるまで、指をくわえて2人がイチャイチャしてるのを、ただ見てるんですか?」


「…………勝負で負けたんだから、横槍を入れるつもりはないわ。そうじゃないと次にあたしが勝った時に、邪魔されちゃうもの」


「じゃあ今日は、何もしないんですね?」


「ええ。……まあ勿論それは、玲ちゃんが何もしなかったら、だけどね……」


 鏡花はそう言って、胸に溜まった熱を吐き出すように息を吐く。


 鏡花も胸の内では、今すぐに玲を引き剥がして直哉の側に行きたかった。けど……そんなことをしても、きっと直哉は自分を見てはくれない。


 鏡花にはそれが分かるから、ただ悔しさに耐えるように、手を握りしめることしかできない。


「まあいいわ。今日で終わりじゃないもの。……この合宿中に、絶対に直哉をあたしのものにしてみせる。だから、一回負けたくらいで諦めたりしないわ」


「……そうですか。まあ、私も絶対に諦めませんけど。……それに私だけまで、ちゃんと褒めてもらってないもん」


 美綾は恨みがましい視線で、鏡花を睨む。


「なに? あたしのせいだって、言いたいの?」


「それ以外に、誰のせいだって言うんですか?」


「何それ、貴女がいつまでもうじうじと悩んでいたから、チャンスを逃しただけでしょ? ……それに貴女のやり方じゃ、いつまで経っても出遅れるだけよ?」


 鏡花はため息混じりそう言って、直哉と玲の方に向かう。邪魔はしないが、それでも目を離したりしない。そんな強い瞳で、鏡花は前に進む。


「…………」


 美綾はそんな鏡花の背中を見て、自分の弱さを再確認してしまう。


 生意気で、いつもからかってくる後輩。直哉に無理やり近づくために、美綾はそういう仮面を作り上げた。……けど、最近は素の自分を出すことが多くなった。


 それは、他の女がグイグイくるから演技する余裕が無くなった。……というのも1つの理由ではあるけど、美綾にはもう1つ心当たりがあった。


 美綾は直哉に自分の気持ちを伝えてから、素の自分を好きになって欲しいと、思うようになった。


 だから彼女はどうしても、少し出遅れてしまう。……だって素の美綾は、とても臆病な女の子だから。


「……ちょっと前までの私なら、きっともっと強引に迫ったりしてたんだろうなぁ。……でもあたしは、間違ってませんよ? 鏡花先輩。あたしはあたしのやり方で先輩を手に入れて、それを証明してみせます」


 先に行ってしまった鏡花の背中にそう告げて、美綾も早足に直哉の方へと急ぐ。



 そんな風にして、合宿初日のビーチフラッグ対決は幕を閉じた。

 



 そして、夜。



 直哉が初めに言った通り、皆んなでバーベキューをすることとなった。……が、それでもやっぱり直哉の隣には、まだ玲が居る。


「はい。なおなお、あーん」


「いや玲。わざわざ食べさせてもらわなくても、自分で食べられるって」


「……言われなくても、それくらい分かってるし。そうじゃなくて、あーしがなおなおにあーんしてあげたいの。……それに、なおなおだって誰かに恋したいって思ってるんしょ?」


「まあ、それはそうだけど。でもそれがこの状況と、どう関係してるんだよ?」


「関係してるに、決まってるし。そんな風に消極的だと、誰かを好きになるなんていつまで経っても無理だよ? だからなおなおも、もっと積極的にならないとダメだし! ……ほら、あーん」


 玲の言葉はあまりに正論で、だから直哉は覚悟を決めて口を開く。


「……あーん」


「ふふっ、美味しい?」


「ああ、美味いよ」


「よかった。なおなおの為に用意させたんだから、そう言ってもらえて嬉しいし! ほらほら、こっちのお肉も食べてみるし」


 そんな風にイチャつく2人を見て、鏡花と美綾は明日こそは、と気合いを入れて目の前で焼ける肉にかぶりつく。


「……美味しい」


「……ほんと、美味しいです」


 そうして、楽しい楽しい合宿は進んでいく。




 ……でもだからこそ誰も……玲ですら、気がついてはいなかった。




 ささなが消えてから、時計の針は皆の想像よりずっと早く回っていて、もう残された時間はあまり無いということに。




 この合宿で直哉を手に入れてみせる!



 少女たちはそんな強い覚悟をもって、この合宿に参加した。けど、それではまだまだ想いが足りない。青桜 ささなが求めている愛には到底、及ばない。




 風切 直哉は、自分の命を捨ててでもささなに会いたいと願った。




 そんな彼の想いだから、ささなは魅せられたのだ。だから少女たちもそれと同じ……いや、それ以上の愛情を示さなければならない。そうでなければ、決して直哉の心は動かない。



 どれだけ直哉が前に進みたいと願っても、彼の心はささなに囚われたままだ。そこから直哉の心を取り戻したいというのなら、少女たちが動くしかない。



 ……直哉1人の力では、決してささなからは逃れられない。




「ねえ、直哉。こっちのお肉も美味しいから、食べてみなよ?」


「先輩! このイカ食べてみてください。柔らかくて、すごく美味しいですよ?」


「2人ともダメだし。今日のなおなおは、あーしが独占してるの」


「別に、料理を勧めるくらいいいじゃない。……というか玲ちゃん、今日はちょっと甘え過ぎじゃない?」


「好きな男に甘えたくなるのなんて、同然っしょ?」


「……だからって、そんな風にすぐおっぱいを押し付けるのは辞めてください! ……あ、先輩もちょっと、嬉しそうな顔しないでください!」


「いや、胸を押し付けられて喜ばないのは男として恥だから、それはできない」


「じゃあ、あたしの胸を触ればいいじゃない。ここに居る誰よりもあたしの胸が大きいんだから、絶対にあたしのが1番気持ちいいに決まってるわ!」


「…………」


「考えるような顔、しないでください! 先輩!」




 そんな風にして、楽しいだけの合宿初日は、あっという間に幕を閉じた。


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