…………先輩。



 しとしとと降り出した雨音を聴きながら、俺は1人でレポートを書いていた。


「…………」


 月曜のあのビーチフラッグ対決から、色んなことがあった。ビーチバレー勝負をしたり、海で泳いだり、俺や鏡花が持って来たボードゲームをしたり、本当に色んなことをして楽しい思い出が沢山できた。


 だから本当にあっという間に時間が流れて、気づけばもう金曜日になっていた。


 合宿も残すところ、あと2日。だから悔いを残さないよう、もっともっと楽しまないと! ……そんな気持ちもあったのだけれど、まるでその気持ちに水を差すみたいに、今日は雨が降った。


 そして更に、最近は皆んなはしゃぎ過ぎていたので、少し疲れが溜まっていた。



 だから今日は夜まで、各々の自分の部屋でレポートを書くこととなった。


「……ま、偶にはこういうのも悪くないか」


 そう呟いて、ペンを走らせる。


 俺のレポートの題材は、青い桜について。青い桜については一時期調べまわっていたので、あのデカイ倉庫から本を借りなくても幾らでも書くことができる。


「…………」


 だからペンは、まるで俺とは別の意思があるみたいに、スラスラと進む。そしてそんな風に淀みなくペンが進むと、頭は勝手に別のことを考え始める。


 合宿が始まって、そこそこの時間が流れた。なのに皆んなとの関係性に、大きな変化は無い。……色々と楽しい思い出はできたけど、でもどうしても……一線は越えられなかった。


 ……いや、エロい意味じゃなくて。……まあ、エロい意味でも一線は越えてないんだけど……。どちらにせよ、もう一歩踏み出すことができなかった。


 皆んなはとても積極的に、俺に迫ってくる。そして俺も、できるだけ皆んなの想いに応えられるよう、頑張ったつもりだ。



 なのにどうしてか、一歩踏み出せない。



「……何がダメなんだろう? …………そもそも俺は、いや……皆んなもどうやって恋をしたんだ?」



 そのきっかけを思い出せば何か参考になるかと思って、俺は少し過去を振り返ってみる。……けど、そうやって振り返ってみても、思い浮かぶのはあの花のような微笑みだけ。だからきっと、俺の恋は単なる一目惚れだったのだろう。


 そして、鏡花が俺に想いを寄せてくれた理由も、それと同じようなものの筈だ。彼女が俺に好意を寄せてくれるのは、きっと何かきっかけがあったからじゃない。多分俺と同じように、自然と生まれた想いなのだろう。


 ……玲は、いまいち分からない。……けど多分、あのささなと再会した夏。その時に彼女は、今みたいな好意を俺に寄せてくれるようになったのだろう。


「……そう考えると、点崎って何で俺のことを好きになったんだ?」


 点崎はある日突然、部室にやって来た。そしてそのまま、部室に入り浸るようになった。だから俺は、点崎が部室を訪ねてくれた理由を、まだ知らない。


「俺は基本的に、他人との関わりを避けてきた。なのに点崎は、どうしてそんな俺に興味を持ってくれたんだ? ……俺の顔が、いいからか?」


 なんてふざけたことを言っていると、いつの間にかレポート用紙は埋まっていた。


「……考えるのは、この辺りにしとくか」


 一度軽くレポートを読み返してから、立ち上がって伸びをする。そして特に意味もなく、窓の外に視線を向ける。


「雨、止んでるな。……そういや今日の夜は、玲がなんかイベントを用意してくれてるんだった。なら、晴れてよかった」


 『金曜日の夜は、皆んな予定を空けておいて』


 玲は合宿に来る前から、そんなことを言っていた。だからきっと、玲はこの日の為に何か用意してくれているのだろう。


 サプライズだかなんだかで、内容はまだ聞けていないが、それでもやっぱり楽しみなのは間違いない。


「……レポートも終わったことだし、そろそろ玲の部屋でも訪ねてみるか」


 もう一度大きく伸びをしてから、部屋を出る。そうして、ここ最近では珍しくなった1人の時間は、雨と一緒に流れていった。



 ◇



 そして、夜。


 俺たちは満天の星空の下、玲に呼ばれて砂浜に集まっていた。


「なあ、玲。今から何があるんだよ? そろそろ教えてくれても、いいだろ?」


「まだダメ。……というか、言わなくてもすぐに分かるから、もう少し待ってるし」


 玲はそう言って、本当に楽しそうにニヤリと口元を歪める。


「……じゃあ先輩! 私と一緒に、星でも見ませんか?」


「ダメ。直哉はあたしと一緒に、星を見るの。……ほら、直哉。あたしの肩を抱いて? ぎゅっとくっついて、あたしの柔らかさを感じてよ……」


「貴女はまたそんなことを言って、先輩におっぱいを押し当てるつもりですね。でも、そんなことは私が──」



 と。そこで、まるで点崎の言葉を遮るように、とても大きな音が響いた。





「……花火」




 そんな点崎の声に引かれるように、この場の全員が夜空を見上げる。するとそれに応えるように、バンバンと遠い夜空に花が咲く。


「玲。これ……」


「ふふっ、凄いっしょ? 今日はこの辺りで、夏祭りがあるんよ。そんでその花火が、ここから特等席で見えるんだ」


 玲のそんな声をかき消すように、また空に花火が打ち上がる。だから俺たちはただ黙って、空を見上げ続ける。



「…………」



 俺は少し、圧倒されていた。思えばこんな風に花火を見るのなんて、いつぶりだろう? あの事件があってから、俺はずっと1人だった。だから本当に何年も、花火なんて見てこなかった。


 ……無論、夏になるとささなが俺の側に居てくれた。けど今まで夏祭りなんて、1度も行くことは無かった。ささなは人混みに行くのを嫌がったし、俺も別にささなが側に居てくれるなら、祭なんてどうでもよかった。



 だから、こんな風に花火を見るのは本当に久しぶりで、俺は──。






 そこでふと、右手に温かさを感じた。



「綺麗だね、直哉……」


 鏡花はそう言って、俺の右手を握りしめる。


「……先輩。手、握りますよ? 私は先輩と一緒に、花火が見たいんです」


 そんな鏡花に対抗するように、空いている左手を点崎が握りしめる。


「ふふっ。なおなおは、花火なんて何年も見てなかったっしょ? だからこの合宿は、なおなおにこの花火を見てもらう為に、計画したんだ。……喜んでくれるかな?」


 そして玲は、がら空きの背中にぎゅっと強く抱きついて、耳元でそう囁く。


「…………」


「…………」


 他の2人は、そんな玲を強い瞳で睨みつける。けど玲は、そんなの全く気にしない。彼女は逆に見せつけるように、俺の背中に胸を押し当てる。


 ……けど今の俺は、その胸の感触よりも夜空に咲く花火に、心奪われていた。



 だから……。



「なあ、玲」


「……なに?」


「ありがとな。花火なんて見たの久しぶりで、すげー感動した。だから……ありがと」


「ふふっ。なおなおが喜んでくれるなら、あーしはそれで満足だし。……だから今はお礼なんて言ってないで、ただ空を見上げてて」


「……ああ、分かった」


 そして俺たちは、吸い寄せられるようにまた空を見上げる。



 静かな波の音と、激しい花火の音。吹き付ける潮風は少し冷たくて、俺たちは身を寄せ合って花火を見る。……その一瞬は、本当に得難いものだと俺は思った。



 だから俺は、この夏を一生忘れることは無いだろう。



 ささなと過ごした夏も、俺にとってはかけがえのないものだ。けど、この夏はそれにも負けないくらい、ドキドキした。



「……綺麗だな」



 そんな俺の声に応えるように、最後に一際激しい花が咲いて、夜は急に静かになる。



「終わっちゃいましたね、花火」


 点崎は少し名残惜しそうに、そう呟く。


「……ああ、そうだな」


 だから俺も、そんな点崎と同じように息を吐く。……できればもう少しでいいから、こうやって皆んなで花火を見ていたかった。それこそらしくも無く、時間が戻れと思うくらい俺はこの花火に魅せられていた。


「なおなお、名残惜しいって思ってるっしょ? ……でも、まだ終わりじゃないよ。あーしが本当になおなおに見せたかったのは、このあと。だからなおなおは、まだ空から目を逸らさないで」


「…………」


 そう言われて俺はもう一度、空を見上げる。……けど、もう花火は終わってしまったのだから、そこに広がるのは少し寂しい夜空だけ。





 ……そう思った、直後だった。





「────」





 それは青い、花だった。



 ささなが咲かせる青い桜とは違う、夜空に咲く青くて大きな花。それは桜と同じように、すぐに散ってしまう。けど、それでも俺の胸にはその美しさが焼きついて、消えてくれない。



 それくらい綺麗な、花火だった。



「ふふっ。綺麗っしょ? この青い花火は、あーしがなおなおの為に用意させたんだ。……昔なおなおが好きだって言ってた、青い桜。……あーしはね、それを咲かせられるのはささなだけじゃ無いって、証明したかったの。だからこれは、あーしからなおなおへのプレゼント」



 玲はそこで言葉を止めて、ぎゅっと強く俺の背中を抱きしめる。そして耳元に口を寄せて、隣の2人には聴こえないくらい小さな声で、こう囁く。








「──大好きだよ、なおなお」



 どくんと、心臓が跳ねた。それこそまるで恋にでも落ちたみたいに、俺の心臓はドキドキと激しく脈打つ。




 そう。まるで、あの時の──。








「──楽しそうだね? 風切 直哉」




 そこで唐突に、そんな声が響いた。



「…………」



 だから俺は夜空に釘付けになった視線を、ゆっくりと正面に向ける。



 するとそこには、1人の少女が佇んでいた。



 青桜 ささな。



 彼女は青白い月明かりに照らされながら、花のように笑う。



「ふふっ。久しぶりだね、皆んな。うん。驚いてくれたようで、私はとても嬉しいよ」



 もう、花火の音は聴こえない。だからこの場には、そんな少女の声だけが響く。



 そうして夏は、また動き出した。


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