好きです。先輩。



 自分の意思で、キスをした。自分の意思で、好きだと言った。



 だから心臓は、ドキドキと跳ねる。冷たい身体も唇も、少しずつ熱を帯びていく。……でも心はまだ、凍えている。だって美綾がまだ……泣いている。



「……この前さ、ささなに言われたんだよ。応えられない想いには、ただ沈黙するしかないって。だから俺は、ずっと……黙ってきた。それが正しいと、信じて……」


 玲が俺の為に、花火を上げてくれた時。さっき美綾と一緒に、流れ星を見上げた時。……いや他にも、想いを伝える機会はあった筈だ。



 でも俺は、言えなかった。だって俺の心には、まだ……。



「でも……じゃあ先輩は、どうして今私に……好きだって言ってくれたんですか? ……私が、可哀想だからですか?」


「ちげーよ。俺はただ、伝えたかったんだよ。俺がこんなに側にいるのに、まるで1人ぼっちみたいな顔で泣いてるお前に……俺の、想いを」


 俺はぎゅっと強く、美綾を抱きしめる。けどそれでも、彼女の震えは止まらない。


「…………でも私は……不安なんです。胸が痛くて痛くて、どうしようもないんです。……1人ずつ順番に、先輩の所に行く。それを言い出したのは、私なんです。だから私は、明日も先輩の隣に居たいなんて言えない。……だから私は、明日も明後日も先輩の温かさを思い出しながら、1人で部屋で震えてなきゃいけない。そう思うと怖くて怖くて、どうしても……欲しくなるんです。先輩の温もりが……」


 美綾はまるで縋るように、俺の身体を抱きしめる。……けれど彼女の身体は、とても冷たい。


 だから俺は、まだ言葉を止めない。


「バカだな、お前は。だから俺は、言ったんだよ。……好きだって。そりゃ今の俺の言葉じゃ、お前は満足できないかもしれない。けどそれでも、俺は言った。だって……好きなんだよ、お前が」


 ささなと比べたらどうとか。そんな想いじゃ、ささなは認めてくれないとか。そんな誰かの視線なんて関係なく、俺はただ好きなんだ。



「だから大丈夫だよ、美綾」



 俺はそう言って、真っ直ぐに美綾の瞳を見つめる。



「…………」



 美綾の瞳は、潤んでいる。今にも泣きそうなくらい、彼女の心は追い詰められたままだ。



 でもだからこそ俺は、言葉を続ける。




「お前が昔の思い出を忘れたんだとしても、俺は気にしない。だってお前は、確かに俺に会いに来てくれた」


 腕に力を込める。溶け込むように、肌が触れ合う。


「お前が今日の思い出を忘れてしまったとしても、大丈夫。今日を忘れるなら、明日はもっと楽しい思い出を作ってやる」


 美綾の身体は、まだ冷たい。だから少しでも俺の熱さが届くよう、強く強く抱きしめる。


「例え今のお前が青い桜が作り出した偽物だったとしても、大丈夫だ。俺はどんな美綾でも好きだし、もしお前の心まで偽物だったとしても絶対に俺がまた、惚れさせてみせる」


 ドキドキと鼓動が溶け合う。だから美綾の虚ろな瞳が、ようやく俺の姿を映す。


「それに明日が怖いって言うのなら、鏡花と玲には悪いけど……明日も俺がお前の側にいてやる。だから……」



 自然と笑みがこぼれる。だって、自分でも無茶なことを言っていると分かる。でも、それが俺の本心なんだ。だから俺は照れるような笑みを浮かべて、それでも確かに胸を張って続く言葉を口にする。




「気にすんなよ。お前がどんな理由でここに居ても、俺がずっと側にいる」




「────」




 波の音はもう聴こえない。冷たい風も、もう気にならない。そして少しずつ、心が熱くなる。




 ……だってやっと、美綾が笑ってくれた。




「…………先輩は、バカです。本当に本当に、バカです。今そんなこと言われたら、もっともっと怖くなっちゃいます。怖くて怖くて、震えちゃいます! ……本当に、ずるいです! 先輩は……。だってそんなこと言われたら、もっともっと……好きになっちゃうじゃないですか……!」


 美綾はそう言って、笑う。……その声は少し震えているけど、でも彼女は確かに笑ってくれた。


「いいだろ、好きになれば。お前が俺を好きになってくれたら、きっと俺ももっとお前を好きになる」


「……なんですか、それは。やっぱり先輩は、バカです。……でも、うん。先輩の言う通りです。私は、泣いてる場合じゃなかった。明日のことや過去のことなんて考えて、震えてる場合じゃなかったんです。……だって今、先輩がこんなに近くにいる。なのに他のことを考えて不安になるなんて、本当に私は……バカでした」


 どくどくと、美綾の鼓動が伝わってくる。熱いくらいの体温を、身体中で感じる。……だから少しは、俺の想いが美綾の胸に届いてくれたのだろう。



 応えられない想いには、ただ沈黙するしかない。



 ささなは確かに、そう言った



 けど自分の想いを伝えるには、想いを言葉に変えるしかない。でも、ただ言葉にするだけじゃダメだ。ちゃんと好きだって言葉を相手の胸に届けるには、沢山のことをしなければならない。



 言葉を交わして。デートをして。キスをして。時には……身体を重ねる必要もあるのだろう。



 きっとそういう行為は、相手に想いを伝える為にあるんだ。……だから何かの言い訳で身体を重ねてしまうと、大切な想いが届かなくなってしまう。


「ねえ、先輩。明日はちゃんと、ギャル先輩とデートしてあげてください。そして明後日は、鏡花先輩とデートするんです」


「……なんだよ、急に。俺は、お前が好きだって言ったんだぜ? なのに……」


「でもそれじゃ、ダメなんです。先輩は、ちゃんと胸を張って言えますか? あのささなって人より私の方が好きだって、私の目を見て言えますか?」


「…………」


 そう問われると、言葉に詰まる。……ここで美綾の方が好きだって言うのは、簡単だ。でも……でも俺の胸にはまだ、あの青い桜が舞っている。



 だから……答えられなかった。



 前に進めたと思ったばかりなのに、結局俺の心はまだささなに囚われたままだ。



「……うん。よかった。先輩が私の為に嘘をつかなくて、本当によかった……」


 けど美綾はそんな俺の姿を見て、嬉しそうな笑みを浮かべる。……その心境は、今の俺には分からない。けれどその笑みにはもう、先ほどまでの恐怖は無くて、俺は安心したように息を吐く。


「けど本当にお前は、それでいいのか?」


 いやそもそも俺は、それでいいのだろうか?


「私ね、先輩には本気で恋して欲しいって思うんです。誰かを蹴落として、私を選ばせるんじゃなくて。誰かの代わりに、私を選ぶんじゃなくて。先輩は先輩の意思で、私を選んで欲しいんです。……ううん。きっとそうじゃないと、ささなって人は先輩の心を離してくれない」


 美綾はそう言って、腕に力を込める。だから俺もそれに応えるよう、美綾の背中を抱きしめる。


「だから、待っててください! 私、もっともっと頑張ります! だって、まだ1ヶ月もあるんですよ? それだけあれば、なんだってできます! だからその間に必ず、先輩の心を奪ってみせます!」


 焼けるように、身体が熱い。美綾の身体も俺の身体も、本当に燃えるように熱くて、でも不思議とそれが心地いい。


「それに……もし仮に、先輩が他の人を選んだとしても、私一生諦めません! 先輩が私のことを好きになってくれるまで、ずっと先輩につきまといます! だから……私はもう、大丈夫です!」


「……むちゃくちゃ言うな、お前。……でも、そうだよな。たった1ヶ月で、決まるわけじゃない。それで全てが、終わるわけじゃないんだ。……まあ一生って言われると、ちょっと重いけどな」


「私は、重い女なんです。だから、覚悟してくださいね?」


「もうとっくに、覚悟してるよ。……それじゃあそろそろ、部屋に戻るか? もうかなり、遅い時間だしな」


 俺は最後に軽く美綾の頭を撫でてから、ゆっくりと彼女から手を離す。けれど美綾は甘えるように俺の胸に顔を埋めて、手を離そうとしない。


「……直哉先輩。私、もう少しだけこうしていたいです。もう抱いてくれなんて、わがままは言いません。だからもう少しだけ……お願いします」


「……分かったよ」


 俺はそう答えて、一度離した手をもう一度美綾の背中に回す。

 

「……ねえ、先輩」


「なんだ?」


「好きって言ってくれて、ありがとう。キスしてくれて、嬉しかった。でもだから、次はちゃんと言わせてみせます。……世界で一番美綾が好きだって、ちゃんと先輩に言わせてみせます。だから……」


 そこで不意に、唇に熱い熱い感触を押しつけられる。



「────」



 それは本当に、一瞬の触れ合い。なのに美綾の唇の熱さが焼きついたように、唇から消えてくれない。



「この続きは、その時にしましょうね?」



 最後の最後に、負けてしまった。そう思わされてしまうような熱いキスを交わして、美綾との楽しい楽しいデートは終わりを告げた。


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