3章 ぶるぶるです!

怒ってますよ! 先輩!



 俺は、青い桜を探していた。


 青い桜を見れば、願いが叶うという伝承。当時小学生だった俺でも、そんなものを本気で信じていたわけではない。


 ……でもその時の俺は、本気でその青い桜を探していた。そんなものに縋らなければならないほど、俺は……追い詰められていた。



 日が暮れるまで山の中を歩き回って、当然のように道に迷う。そしてどうすることもできず、ただ頭上の月を見上げた。


「…………」


 遠い遠い月は白く見える筈なのに、なぜかその時だけは空のように青く見えて、俺は思わず手を伸ばす。



「やあ。初めましてだね、風切 直哉。……うん。君は変わらないようで、私は嬉しいよ」



 そしてそこで、1人の少女と出会った。きっと、それが全ての間違いだったのだろう。軽々しく奇跡なんてものを求めてしまったから、他の全てが壊れてしまった。



 赤い血。赤い血。鏡花の叫び声。赤い血。玲の泣き顔。赤い血。赤い血。赤い血。赤い血。ささなの血。赤い血。赤い血。



 そして、真っ赤に染まった俺の──。




 世界から全ての色が消える。世界はただ一色、真っ赤な血で塗り潰される。



 だから俺はただ、彼女たちの叫び声を聞き続けた。真っ赤な世界で、大切な幼馴染と許婚の少女の泣き叫ぶ声だけが、ただ世界に響き続ける。



 そんな地獄のような、夢を見た。



 ◇



「……最悪の目覚めだ」


 そう呟いて、目を開ける。久しぶりに、昔の夢を見た。……きっと、久しぶりに鏡花や玲と話したせいで、思い出してしまったのだろう。


 忘れた筈の、トラウマを。


「……そういや、鏡花……って、居ない」


 鏡花に抱きしめられて眠っていた筈なのに、いつのまにか鏡花の姿が消えている。


「あいつ、先に起きたのか? ……いや、つーかもう11時過ぎてるじゃねーか!」


 ふと時計に眼を向けると、時刻は11時過ぎ。今日も学校があるというのに、ここまで遅れるともう、寝坊とかそういう次元じゃない。


「……ま、いっか。ここまで寝坊すると、逆にどうでもよくなる」


 そう適当に結論づけて、身体を起こす。今日はもう、学校をサボってもいいだろ。そんなことを考えながら、階段を降りていつも通り冷蔵庫を開ける。




 するとそこには、作った覚えのないフレンチトーストが置かれていた。




「あいつ、作っていってくれたのか。……でもどうせなら、ついでに起こして欲しかったかな」


 そんなことを呟いて、鏡花が作ってくれたであろうフレンチトーストを口に運ぶ。


「あまっ。あいつ、砂糖入れ過ぎだろ。……いや、でもまあ、美味しいな」


 そう苦笑して、大きく伸びをする。……地獄のような悪夢を見て、4時間近く寝坊した。なのに不思議と、気分がいい。



「……逃げるんじゃなくて、ちゃんと話せば良かったのかもな。玲とも鏡花とも……ささなとも。そうすればもっと昔に、乗り越えられたのかもしれないな」


 過去は決して、変えられない。けど、だからこそ俺たちは、眼を逸らさずちゃんと向き合うべきだったのだろう。そうすればもっと早くに過去を乗り越えられて、楽しい思い出を積み重ねてこれた筈だ。



「それこそ、今更だけどな」



 そう呟いて、でも……



「やっぱり……学校行くか」



 俺はそこでなぜか笑みを浮かべて、そしてまたフレンチトーストを口に入れた。



 ◇



 そして放課後。『今日は部活、遅れる』そんて簡素なメッセージを直哉から受け取った点崎てんさき 美綾みあやは、いつもより少し遅い時間に部室の扉を開ける。


「……って、なんでまた貴女が居るんですか? 鏡花先輩」


 部室の椅子に腰掛けて、ぼーっと空を見上げていた朱波あかなみ 鏡花きょうかに、美綾は呆れたように声をかける。


「別に、ただちょっと直哉と話に来ただけよ」


 そんな美綾の言葉に、鏡花は淡々と言葉を返す。


「そうですか。まあ、どうでもいいんですけどね。……それより今日は、直哉先輩……来れないみたいですよ?」


「そうなの? あたしは今日は派手に遅刻したから、先生に呼び出されてるって聞いたんだけど?」


「……そうなんですかぁ。全然、知りませんでしたー。でもどっちにしろ、今日はもう帰った方がいいんじゃないですか? テストも近いんだから、ちゃんと勉強しないと。鏡花先輩は私や直哉先輩と違って、頭があんまりよくないんですから」


「勉強なら、直哉に教えてもらうから大丈夫よ。……それに、直哉が今日遅刻したのはあたしのせいなんだから、一応謝っておかないとね」


「……は? どうして直哉先輩が遅刻したことが、貴女のせいなんですか?」


 美綾はそう言って、鋭い瞳で鏡花を睨む。けど鏡花は特に気にした風もなく、軽い笑みで言葉を返す。


「昨日あたし、直哉の家に泊まったのよ。それで直哉に……夜遅くまで付き合ってもらったの。だからあいつが寝坊しちゃったのは、あたしのせいなのよ」


「………………は? なに言ってるんですか? 貴女。夜遅くまで付き合ってもらったって、どういう意味ですか? もしかして貴女……ふざけてるんですか?」


「別に、ふざけてなんかいないわ。というか貴女、直哉の恋人ってわけじゃないんでしょ? なら貴女には、関係ないじゃない。……それとも貴女、直哉のこと……好きなの?」


「……貴女には、関係ないです。 ……というか、貴女もあの玲とかいう人も、ここは私と直哉先輩の居場所なんです。だからもう……邪魔しないでください!」


 美綾はそう言って、身も凍るような冷たい瞳で鏡花を睨む。だから流石の鏡花も、その瞳のあまりの冷たさに、一瞬、目を見開く。


「……貴女ちょっと、あたしに似てるわね。自分の感情と向き合うのが下手くそで、すぐに怒っちゃうところとか。…………でも、直哉が好きなささなは、それとは正反対の性格だった。あの子が怒ってるところなんて、あたし見たことないし。だからあたしも……」


「……え? ささなって、誰ですか? それに、直哉先輩が好き? ……もしかして、また私の知らない人ですか? ……いや、もういいです。貴女さっきから、よく分からないことばっかり言って……はっきり言って、不愉快です」


「……そう。直哉の奴も流石にささなのことは、話してなかったみたいね。……うん。だってあたしにも言ってなかったんだもん。当然よね」


「……いやもう、いいいです。貴女たちの過去なんて、どうでもいいんです。先輩の…………先輩の初めてを奪われたのは最悪ですけど、でもだからこそ私が……これから先輩の隣に居るんです。昔の女の貴女たちなんか、もう先輩には必要ないんです」


「そうね。あたしもその考えは、間違ってないと思うわ。だってあたしももう、辞めたから。いつまでも、過去にこだわるのは……」


 鏡花はそこで一度、大きく息を吐く。そして少し、考える。鏡花が今日ここに来たのは、少しでいいから直哉の顔が見たかったからだ。



 昨日のことを思うと照れ臭くはあるけれど、でも自分が作ったフレンチトーストの感想も聞きたかったし、何より……何年も抑え続けてきた会いたいという感情を、鏡花はもう抑えきれなかった。



 ……でも、このままここで美綾と言い合いしているところを直哉に見られたら、彼はどう思うだろう?



「…………」



 鏡花はそう考えて、もう一度大きく息を吐く。そしてそのまま、立ち上がる。


「やっぱり今日は、帰ることにするわ」


「そうですか。なら直哉先輩が来ないうちに、早く帰ってください」


「……貴女ってほんとに……ううん、いいわ。その代わり、伝言をお願い」


「伝言、ですか?」


 美綾は鏡花の言葉を聞いて、訝しむように首を傾げる。そして鏡花はそんな美綾の様子を見つめて、どこか楽しそうに言葉を告げる。


「あたしも、このオカルト研究会に入ることにしたから。それと……あんたの寝顔バカみたいだったって、ちゃんと伝えてね?」




「────」




 それだけ言って、鏡花は部室を後にする。そして残された美綾は、ただ唖然と部室の扉を見つめ続ける。



 鏡花も玲と同じく、この部活に入るなんて言い出した。でもここは、自分と直哉の居場所だ。だからここに他の女が入ってくるなんて、許せるようなことではない。



 ……普段の美綾ならそう思うところだけど、でも今の美綾の頭の中は、他の考えで埋め尽くされていた。



 鏡花が、直哉の家に泊まった。夜遅くまで、付き合ってもらった。そして寝顔が、バカみたいだった。



 そんなことを言われると、直哉と鏡花が昨日なにをしていたかなんて、1つのことしか想像できない。



「…………ううん。先輩は軽々しく、そんなことしないもん。…………でも……」



 美綾はその後しばらく、ぐるぐると同じことばかり考え続けて、



 そして、部室に直哉がやって来る。



「お、点崎。今日はお前だけか。まあとりあえず、遅れて悪かったな」



 だから美綾は様々な想いを飲み込んで、そんな言葉を口にした。






「ねえ、先輩。今度の日曜、私とデートしませんか?」



「…………は?」



 そして美綾のいきなりの言葉に、直哉はそんな言葉しか返せなかった。


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