どうしてでしょう? 先輩。



「……なあ、点崎? お前……聞こえてないのか?」



 点崎の方にゆっくりと近づきながら、そう声をかける。


「…………」


 けど点崎はそんな俺の声が聞こえていないのか、何の言葉も返さずただ呆然と夜空を見つめる。


 欠けた月に、まばらな星々。それはどこにでもある有り触れた景色で、青い花びらなんてどこにも見当たらない。……けど点崎は、まだあの青い花びらが見えているかのように、ただ空を眺め続ける。


「おい、点崎。……聞こえてるか? 点崎!」


 だから俺は不安になって、点崎の肩を軽く揺すりながら、もう一度そう声をかける。



「………………って、うわっ! 直哉先輩⁈ 何で先輩が、こんな所にいるんですか!」


 するとようやく俺の声が届いたのか、点崎は驚いたように目を見開いて、そう声を上げる。


「いや、それはこっちの台詞だ、点崎。お前はこんな時間にこんな所で、一体なにをやってるんだよ」


「……なにって、それは…………あれです……」


「あれって、何だよ。誤魔化さずにちゃんと言え。……奇跡なんかに頼らなくても、俺がちゃんとお前の力になってやるから」


「…………」


 俺の言葉を聞いて、点崎は少し黙り込む。


 ……もし仮に、もう枯れた筈のあの青い桜を点崎が何らかの手段で無理やり咲かせて、自分の願いを叶えたとする。そしてそのせいで、ささなが消えてしまった。


 例えそういう事情であったとしても、俺は絶対に……点崎を責めたりしない。……だって俺も、同じようなことをしたのだから。


 だから俺が気になるのは、1つだけ。もし点崎が青い桜で願いを叶えたとするなら、必ず代償が求められる。


 そうなると、点崎は……。



「…………実は私……」



 そんな風に考え込んでいると、点崎はとても真面目な表情で、ゆっくりと口を開く。だから俺は一度思考を止めて、ただ黙って点崎の言葉の続きを待つ。




 そして点崎は少し顔を赤らめて、その言葉を口にする。





「実は私、ダイエットの為にウォーキングをしてたんです!」




「…………は?」


 点崎の言葉はあまりに予想外で、俺の口からはそんな言葉しかこぼれない。


「は? じゃないです! 私は真剣なんですよ? だって……今度の合宿で、海に行くじゃないですか? そしたらその時、水着にならなきゃいけません。……私は結構スタイルには自信があったのに、鏡花先輩もあのギャル先輩も……どっちもおっぱい大き過ぎます! だから私、このままじゃ負けちゃうと思って、コツコツとダイエットしてたんです!」


「……いや、それは……。……って、じゃあ何でこんな山の中を歩いてるんだよ? 危ないだろ? ただでさえ女の子なんだから、夜道には気をつけなきゃいけないのに、こんな山に入ってどうすんだよ」


「……うっ、それは……。あれです。言っても信じてもらえないかも知れませんけど……桜を見たんです。青い桜の花びらみたいなのが、夜空をふわふわと飛んでて、だから私ちょっと気になって……」


 そう言って点崎は、夜空を見上げる。けどそこにはもう、何も無い。


「それでお前は、こんな所まで来たのか? ……バカかよ。危ないだろ? もう少し警戒心を持てよ。お前は……可愛いんだからさ」


「…………すみません。でも……ちょっと気になったんです。だって先輩、言ってたじゃないですか。青い桜がどうとかって……。だから私、どうしても……」


 点崎はそう言って、本当に申し訳なさそうにうつむいてしまう。


「いや、いいよ。俺もちょっと言い過ぎたな。お前が無事なら、それでいいんだ」


 だから俺は軽く息を吐いて、点崎の頭を撫でてやる。……我ながら甘いと思うけど、点崎だってバカじゃ無いんだし、あまり言っても仕方ない。


「はい。でも……心配してもらえて、ちょっと嬉しいです。ありがとうございます、先輩!」


 点崎は顔を上げて、えへへ、と笑みを浮かべる。だから俺は、呆れたように息を吐く。



 すると、



「ちょ、直哉! あんた足速すぎじゃない? ……というか、あたしを……って、何で貴女がここに居るのよ、点崎さん」


 少し遅れた鏡花がやって来て、息を整えながら点崎を睨む。


「……いや別に私はただ、ちょっと散歩に……って、もしかして先輩たち、夜のデートとかしてたんじゃないでしょうね!」


「は? そんなわけ……いや、そうよ。あたしたちは2人で手を繋いで、夜のお散歩デートをしてたの。……ねえ? 直哉」


 鏡花はどこか甘えるような笑みを浮かべて、俺の手をぎゅっと握りしめる。


「先輩」


「それ」


「ほんとなんですか?」


 そして点崎は、瞳孔の開いた目でこちらを睨む。


「いや、ちげーよ。俺たちは……ちょっと居なくなったささなを探して、ここに来ただけだ。……いや、あと……ダイエットも兼ねてな」


「ほんとですか?」


「ああ、ほんとだよ。今更そんな嘘ついて、どうすんだよ」


 俺が呆れたようにそう言うと、点崎は納得したように息を吐く。


「分かりました。じゃあ、信じます。……それで、居なくなったんですか? あの人。そういえば今日の集まりにも、来てませんでしたね。……もしかして、何かあったんですか?」


「それが分からねーから、探してたんだけどな。……でもまあとりあえず、今日は帰るぞ? 明日から夏休みっつっても、こんな遅くまでほっつき歩いてたらまずいだろ?」


「…………とか言って、私を家に帰したあと2人でイチャイチャとか、しませんよね?」


「するわ。……ねえ? 直哉」


 点崎の疑問に、鏡花は間髪入れずにそう返して、見せつけるように俺の腕に胸を押し付ける。


「いや、しねーよ。わざわざ夜に遊ばなくても、明日から夏休みなんだし、いつでも会えるだろ? だから今日は、もう帰るぞ? 点崎も、送ってやるからさ」


 そう言って、俺は空いている手で点崎の手を握って歩き出す。



「……はーい」



 そして2人は、そんなどこか気の抜ける返事を返して、大人しく俺について来てくれる。


「……というか直哉、何でこの子とまで手を繋ぐのよ?」


「いや、夜の山で逸れたら洒落にならないだろ?」


「そうです。だからちゃんと、くっついてないとダメなんです!」


 そう言って点崎も、鏡花に張り合うように自分の胸を俺の腕に押し付ける。


「……ぷっ。貴女は胸が小さいから、そんな風に必死にくっつかないと、胸を押し付けられないのね?」


「ちっちゃくないです! 貴女が少し、大きすぎるだけです!」


「つーか、お前らいい加減にしろ。そんな風に胸を押し付けられると、俺もいい加減クールな感じが保てなくなる」


 そんな風に、わーきゃーとはしゃぎながら山を下りる。そしてその足でコンビニに寄って、鏡花にイチゴアイス、点崎にバニラアイスを買ってやる。


 ……2人は美味しそうに、アイスを食べた。ダイエットはいいのかよ、と突っ込みたくなったが、もう面倒なので黙っておく。



 そしてその後、


「絶対に鏡花先輩を、家に帰さないとダメですからね!」


 そう何度も念を押す点崎を家に送り届けて、鏡花と一緒に帰路につく。



「結局ささな、見つからなかったわね」


 鏡花は夜空を見上げながら、そう呟く。


「……だな。でもまあ、あいつのことだから、そのうちひょっこり戻ってくるさ」


「そうね。……それで、結局あの青い花びらは何だったの? 点崎さんと、何か関係があるの?」


「…………」


 そう問われて、少し考える。けど俺に返せる言葉は1つしかない。


「分からん。多分、関係ないとは思うよ。……少なくとも点崎は、嘘をついているようには見えなかったしな」


「そう。……それならそれで、いいのよ。あの子はライバルだし、ちょっと気にくわないけど、それでも……」



 それでも、あの青い桜に縋るくらい追い詰められているのなら、全力で助けてやらないといけない。




 ……だってあんな地獄を見るのは、俺たちだけで十分だから。



「まあ何にせよ、ささなが関わっているのは間違いないな。……でもあいつの考えは、俺たちには分からない。だから今は、俺たちにできることを精一杯、頑張ろうぜ?」


「……そうね」


 鏡花はそう言って、俺の手を握る。だから俺もその手を、優しく握り返す。



 そしてそのまま、黙って夜空を見上げる。



 ……無論そこにはもう、青い花びらなんて舞ってはいない。



「…………」


 けど、ささなは居なくなって、そしてついさっきは確かにあの青い花びらが、夜空を舞っていた。……見たのが俺1人なら見間違いかもしれないけど、鏡花や点崎も同じものを見ている。



 だから、何かが動き出しているのは、確かなのだろう。


「なあ、鏡花」


「なに?」


「合宿、楽しみだな」


「……うん、そうね。あたし、新しい水着買ったから、楽しみにしてなさい」


「分かった。じゃあ3倍は、楽しみにしとくよ」



 来週の月曜日から1週間、俺たちは合宿に出かける。……だからその前に、調べておいた方がいいのだろう。無論、俺にできることは限られている。けどそれでも、あの青い桜が咲いたのなら、きっとそれは……俺たちに無関係では無い筈だから。



 そんなことを考えながら、2人で夜道を歩く。



 どこからか虫の鳴き声が聴こえてきて、暑い夏の空気が肌にまとわりつく。どこまで行っても夏の雰囲気で、だからそれだけで少し楽しかった。



 そうしていつのまにか家の前まで戻ってきて、鏡花をちゃんと家まで送る。そして俺も、そのまま家に帰る。



「…………」



 けどやっぱり、ささなは帰って来ない。だから俺は少し物足りなく思いながらも、静かに眠りにつく。




 そしてその夜、夢を見た。




 あの悪夢とは別の、もっと普通の夢。1人の少女とたわいもない話をする、そんな夢。



 ……けどどうしても、その少女が誰なのか分からない。



 点崎なのか、鏡花なのか、玲なのか、ささななのか。



 ……或いは、それ以外の誰かなのか。




 俺はそれがどうしても気になって、必死になって手を伸ばす。……けど、どれだけ必死に手を伸ばしても、決してその手は届かない。



 そして朝になって目を覚ます頃には、そんな夢は綺麗さっぱり忘れていた。



 そうして多くの期待と不安を胸に、楽しい楽しい夏休みが始まった。


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