側にいますからね? 先輩。



 夏も終わりが近づいてきた筈なのに、まだまだ暑さが消えないとある日。俺は調べて分かったことを玲に伝えようと、あのバカでかい屋敷を訪ねていた。


「…………」

 

 ……けど、ソファに腰掛けた玲を前にしても、俺はなかなか口を開くことができなかった。


「何を黙り込んでるんだし、直哉。許婚のことで、何か分かったことがあるんしょ? なら、さっさと話すし。……あーしだって、別に暇じゃないんよ?」


「……分かってるよ」


 そう答えて、しかしそれでもまだ……気が重い。だから俺は1度頭の中を整理する為に、少し過去を振り返る。



 俺と鏡花と玲で公園で遊んだあの日の少し前から、俺は家の至る所にボイスレコーダーを仕掛けていた。


 父さんと母さんは、俺がいくら尋ねても許婚のことは話してくれない。だから俺は、俺が居ない時に話しているであろうことを探るために、そんなことをしていた。



 そしてこの前、それで分かったことを玲に伝えようと彼女を公園に呼び出した。



 ……けど今日は、どうしても口が重い。昨日の夜に聴けた話は、俺が知りたかった真実の一端の筈なのに、どうしても気が重くてなかなか口を開く気になれない。


「…………」


 しかし俺は、それでも話すと決めてここに来た。ならいつまでも、黙っているわけにはいかない。



 だから俺は覚悟を決めるように大きく息を吐いて、ゆっくりと言葉を告げる。


「俺さ、家にボイスレコーダーを仕掛けてたんだよ。それで父さんと母さんの会話を、盗み聴きしてたんだ」


「……へぇ、直哉もなかなか小狡いことするじゃん。……それで? 何が分かったの?」


「…………」


 俺はそこでもう一度、大きく息を吐く。そして口が止まってしまう前に、早口に言葉を紡ぐ。


「俺の父さんはさ、何かの事業で失敗して……かなり大きな借金が、あったらしいんだよ」


「…………」


 玲は言葉を返さない。だから俺はそのまま、言葉を続ける。


「……それで、親戚や友達に金を無心したんだけど、そんな多額の金を貸してくれる人なんて……1人も居なかった。だからもう、夜逃げするしかないってところまで、追い詰められてたらしいんだよ」


 俺はそんなこと全然、知らなかった。あの許婚のことを言い出す前から、父さんと母さんはギリギリのところまで追い詰められていたんだ。


 そりゃ、自業自得と言えば自業自得だ。自分たちで勝手なことをして、勝手に借金を作った。他人から見れば、それはただの馬鹿でしかない。


 ……でも、俺は家族なんだ。なのに何の痛みも共有できず、俺だけヘラヘラと笑っていた。



 だから俺はそれが悔しくて、どうしても……胸が痛かった。



「……えーっと、それでそこまで追い詰められた俺の両親の前に現れたのが、お前のところの……母親だ。そしてその人は1つの条件を飲めば、借金を全て肩代わりしてくれると言ったらしい」


「その条件が、あーしとの許婚ってわけね。……なるほど、直哉が陰気な顔をしてるわけだ。……でも、直哉は怒らないの? いろいろ理由はあるけどさ、つまり直哉は……お金の為に売られたってことなんよ?」


「はっきり言うな、お前。……まあでも、その通りだよな」


 俺の両親は金の為に、俺を売った。そりゃ俺だって鏡花や玲のいるこの街から離れて、夜逃げするなんて絶対に嫌だ。


 ……でもあの人たちは、自分たちのせいでこんなことになったのに、子供だからって何の説明もせずに、ただ許婚がいると、それだけを伝えた。




 だから正直俺は、そんな両親を……本気で軽蔑している。



 けど……。



「泣いてたんだよ、あの人たち。情けなく声を上げてさ、ごめんごめんって……泣いてたんだ。……そんなの聴かされると、どうしても責める気にはなれないんだよ……」


 どこかに悪者が居て、そいつをやっつければ全て解決する。俺はどこかで、そんな風に思っていた。


 けど、敵なんてどこにも居なかった。


 だって今更、あんなに弱った両親を俺が責めたところで、何が解決するわけでもない。



 ……だからどうしても、気が重い。



「一応言っとくけど、あーしは同情なんてしないよ? 直哉の事情がなんであれ、あーしは絶対に自分の目的を見失ったりしないし」


「……はっ、お前は強いな玲。うん、それでいいと思うぜ? お前がそういう奴だから、俺はお前には話す気になったんだしな」


「ってことは、鏡花には話してやんないの?」


「…………今はまだ、な。だってあいつにこんなこと言ったら、絶対に……泣いちゃうだろ?」


「……そ。まあ、直哉がそう言うなら、いいけどさ。……でもちょっと直哉は、女の子をなめすぎ。女の子は好きな人が困ってるなら、どんなことをしてでも……力になりたいものなんよ」


 玲はそう言って、珍しく遠い目で窓の外を眺める。


「…………」


 だから俺もつられて、窓の外に視線を向ける。


 空はまだまだ青くて、とても綺麗だ。……でもどれだけ手を伸ばしても、あの青さには手が届かない。なら……何で空は、あんなに綺麗な青色なんだろう?


 どうせ手が届かないのなら、もっと霞んだ色をしてくれれば憧れなくて済むのに。


「それで? 直哉。あんたはもう、あーしとの約束は……無かったことにすんの? ……2人で大人を騙して、結婚なんてするもんかって言ってやろうって約束したあれは、もう無かったことになったの?」


 玲はこっちの事情なんてお構い無しにそう言って、空から視線を逸らし強く真っ直ぐな瞳で俺を見る。



 だから俺は少し、笑ってしまう。



 俺の事情がどうであれ、玲は自分の目的を曲げたりしない。……たぶん立場が逆なら、俺は玲に同情して折れてしまっていただろう。



 なのに彼女は、それでもと自分の道を突き進む。



 ……正直、かっこいいなって、そう思う。



 だから……。



「いいや、俺もまだ辞めねーよ。そもそも1番大事な所が、まだ分かって無いんだ。……どうしてお前の母親は、多額の借金を肩代わりしてまで、俺をお前の許婚にしたのか。……正直言って、俺にそこまでの価値は無いしな」


「…………ううん。直哉は凄い奴だと思うよ」


「……え?」


 玲が珍しく俺を褒めるようなことを言ったので、俺は驚いて玲の顔を覗き込む。


「あ、違うし。今のは別に……直哉を褒めたわけじゃ無いから。ただ、その……ちょっとくらい慰めてやらないと可哀想だって、そう思っただけだし!」


「……そうかよ。でも、同情はしないんじゃ無かったのか?」


「……! うるさいし! それより……ほんとにいいの? このまま調べ続けて真実を知ったとしても、もう直哉は……結婚しないなんて言えないんじゃないの?」


「それでも俺は、知っておきたいんだよ。自分が何の為に捨てられて、そして……どういった目的で買われたのか。……そうじゃないと、なんか気持ち悪いだろ?」


「……そっか。うん、分かった。じゃあ今度はあーしが、あの人に探りを入れてみるよ。……つっても、もう何年もろくに会話もしてないんだけどね。あの人とは……」


 玲はそこでソファから立ち上がり、おどけたような笑みを浮かべる。だから俺も肩から力を抜いて、同じように笑う。



 分かったことは、色々あった。けど、前に進んだとは言えない。寧ろ霧が晴れたせいで、目の前に道が無いことが分かってしまった。



 ……だから本当はもう全部忘れて、眠ってしまいたいと思う。けど俺の隣にはまだ、彼女たちがいる。



 なら俺はまだ、立ち止まるわけにはいかない。



 道が無いなら道を探して、それでも見つからないなら自分で橋を架ける。それくらいしないと、彼女たちに申し訳が立たない。



『大丈夫だ、どうにかしてやる』



 だって他ならぬ俺が、そう言ったんだ。泣いている鏡花に許婚なんて認めないと言って、諦めてた玲にどうにかしてやると、俺が言ったんだ。



 だったら俺がここで、折れるわけにはいかない。



 そんな風に強がって、その日は家に帰った。……足が重くて、両親の顔を見るのも嫌だった。けどそれでも、あそこしか俺に帰る場所は無い。



 だから俺はいつも通りの笑顔を浮かべて、ただいまと元気な声を上げる。



 すると両親は、俺と同じような作った笑みで、お帰りと言葉を返す。






 ……そう思っていたのに、家の奥から飛び出してきた両親は真っ青な顔をしていて、そして震える声で、




 こう言った。











 鏡花ちゃんのお母さんが事故に遭って、それで…………亡くなったらしい。



「────」



 そしてそこから、徐々に運命が壊れ出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る