辛いですね。先輩。



「直哉!」


 そう叫んで抱きついてきた鏡花は、今までで1番辛そうな顔をしていて、とても冷たい涙を流していた。


「…………」


 ……しかしそれでも俺は、そんな鏡花に何の言葉もかけてやれない。俺ただ目の前で嗚咽をこぼす鏡花を、他人事のように見つめることしかできない。



 なんで、こんなことになった?


 どうして、こうなってしまうんだ。



 何がダメだった? なんで鏡花が泣かないといけない。どうして俺は何もしてやれない。



 病院の白い天井を眺めながら、ぐるぐると意味の無い思考を続ける。……でも、結局いくら考えても何の答えも出てこなくて、だからどうしても……鏡花は泣き止んでくれない。



 そして気づけば俺も、なぜか涙を流していた。



 自分でも、何が流れているのか分からない。ただ痛くて。ただ辛くて。ただ悲しくて。



 でも、抗うことなんてできなくて。



 だから俺たちはただ、どうしようもない現実に打ちひしがれて、涙を流すことしかできなかった。




 そして、1週間後。



 通夜や葬式なんかが終わって、仮初めの日常が戻ってきたとある日。鏡花は俺と玲をあの公園に呼び出して、唐突にそんなことを言ってのけた。



「青い桜を探しましょ」



 初めは、冗談かと思った。……けど、目を真っ赤に腫らした鏡花の顔は、どうしても嘘をついているようには見えなくて、だから俺は思わず言葉に詰まる。


「……鏡花。あんたそれ、マジで言ってんの?」


 すると玲が、呆れたような顔でそう言葉を返す。


「そうよ。だって……おかしいじゃない! どうしてあたしのお母さんが、死なないといけないのよ! こんなの、間違ってる……! 絶対に……絶対におかしいに、決まってる……!」


「……ねえ、鏡花。あんたがその……辛い目にあったのは知ってる。でもね、青い桜なんて単なる言い伝えなんよ? ……あんただって、それくらい分かってる筈っしょ?」


「そんなの、分かってる! でも……でもじゃあ、どうすればいいの? 他に何をすれば、お母さんは帰ってくるの? 教えてよ! 玲ちゃん!」


 鏡花は震える声でそう叫んで、玲の肩を掴む。……けど玲は、そんな鏡花に何の同情も見せず、ただ冷たい瞳で鏡花を見下す。そして彼女はそのまま、当たり前の事実だけを言葉にする。


「帰ってなんて、来ないよ。だってあんたの母親は……死んだんだから」


「────」


 痛いくらいの沈黙が、場に降りる。そして鏡花は、そんな現実は認めないと言うように、手を振り上げる。



 そして彼女はそのまま玲を──。



「止めろ、鏡花。玲を叩いて、何になるって言うんだよ!」



 だから俺は慌てて、鏡花を止める。



「でも……! だって、お母さんは死んで……ないもん! 一緒に、一緒に夕飯作ろうって約束してたんだもん! だからお母さんは、帰ってくるんだもん……!」


「……鏡花」


 そして壊れたように激しい涙を流す鏡花を、俺は優しく抱きしめてやる。……けどそんなことをしても、鏡花の涙は止まらない。



 だって玲の言う通り、鏡花の母親は……。




 だから俺は、そんな現実から目を背けるようにその言葉を口にした。



「探しに行こうか、青い桜」


「……正気、直哉?」


 俺の言葉を聞いて、鏡花では無く玲がそう言葉を返す。


「ああ、俺は本気だよ」


「あんた、自分がなに言ってるか分かってんの? あんたがお遊びでやってた桜探しとは、訳が違うんよ? ……ありもしないものを必死になって探して、いつまでも現実を直視しない。結局それで1番傷つくのは、鏡花なんよ? ……分かってんの?」


「……分かってるよ。でも俺は……見たんだ。……青い桜を……」



 そしてその桜の下で笑う1人の少女を、俺は確かに見たんだ。



 思えばあれは、夢だったのかもしれない。嫌な現実から逃げ出す為に俺が作り出した、都合のいい夢。



 でも、俺は……。



「……幻滅したし、直哉。あんたまでそんな都合の良い夢を使って、現実から目を背けるんだね。……最低」


「そうかもな。……でも、それでも俺は確かに見たんだ。だから……」


 だから、何なのだろう?


 仮にあれが本物だったとしても、また見つけられる保証はどこにもない。いや寧ろ玲の言う通り、その場しのぎの現実逃避は、余計に鏡花を追い詰めるだけかもしれない。



 でも俺は、確かに見たんだ。



 だから、俺は──。



「…………」



 そこでふと夕焼けが目に入って、俺は逃げるように目を閉じる。


 気づけば空は、痛いくらいの茜に染まっている。だから普段ならもう、家に帰ろうって言うような時間だ。



 でも家になんか帰って、どうなる?




 そんなことをしても、鏡花は辛いだけだ。家に帰って母親の面影を思い出す度に、彼女は1人涙を流すのだろう。



 そんなの嫌だって、俺は思った。



 だから俺は必死になって、願う。心の底から本気で、遠い何かに想いを告げた。




 お願いだから、助けてください。





「…………え?」



 そこでふと、そんな声が響いた。その声を発したのが、誰なのか分からない。けど俺たちは同じように目を見開いて、吸い寄せられるように茜色の空に視線を向ける。




 するとそこには、青が舞っていた。




 茜色の空を染め上げる、青い花びら。それは夢みたいに幻想的で、でも確かにこの空を舞っている。だから俺たちはまるで夢でも見るかのように、ただ唖然とその青を見上げる。


「……うそ」


 玲はそう呟き、確かめるように俺を見る。


「嘘じゃない。だってお前にも、見えるだろ? あの青い花びらが……。だからあるんだよ、青い桜は」


「…………」


 俺の言葉に、玲は返事を返さない。鏡花も人形のように黙り込んで、何も言わない。そして俺もそれ以上は、何の言葉も発さなかった。だから俺たちは、茜の空に舞う青い花びらをただ見上げ続けた。



 そうして気がつくと、青い花びらはどこかへ消えていて、辺りに夜の帳が下りていた。



「……ねえ、探そうよ。直哉とあたしと玲ちゃんでさ、あの青い花びらを追っかけて青い桜を見つけるの。そうしたらきっと……変わる筈だよ! この……この嘘みたいな現実が!」


 鏡花は俺から手を離し、真っ直ぐな瞳で俺と玲を見つめる。……だから俺は、覚悟を決める。もう一度あの桜を見つけて、必ず鏡花の笑顔を取り戻すって。


「分かったよ、鏡花。そもそも青い桜探しは、俺の専売特許だからな。だから……任せろ、鏡花。絶対に俺が、青い桜を見つけてやる」


「うん! ありがとう、直哉。……大好き! やっぱりあたし、あんたが好き!」


 鏡花はそこでやっと笑ってくれて、そしてまた俺に抱きつく。


「……はぁ、分かったし。あーしも付き合ってあげるよ。さっきは確かに青い桜が舞ってたし、何よりあーしが居ないと……2人とも夜の山で遭難とかしそうだし」


 そして玲も諦めたようにそう言って、いたずら前の子供のように、ニヤリとした笑みを浮かべる。


「やったっ! 玲ちゃんも……ありがとう!」



 そうして俺たちはその日の夜……は準備不足だと玲に怒られたので、次の日の放課後から青い桜を探し始めた。




 そして意外にもすぐに、青い桜は見つかった。




 青い桜を皆んなで探そうと決めた、翌日の夜。その日は3人で、夜遅くまで青い桜を探し回っていた。……けど、当たり前のように青い桜なんて見つからなくて、俺たちは疲れを誤魔化すように空を見上げた。



 するとそこにまた、青い花びらが舞って、



 そして……




 彼女が姿を現した。




「うん。また会いに来てしまったんだね、風切 直哉。いや、今回はお友達も一緒なのか。ふふっ。はじめまして、私は青桜 ささな。青い桜と書いて、せいよう。ささなは平仮名でささなだ。……よろしくね?」



 そうしてそこで、俺たちの運命は完全に砕け散って、青い奇跡に彩られた嘘のような道を歩み始めた。


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