行きますよ! 先輩。
この街には、青い桜の伝承がある。この街のどこかにその桜は咲くとされ、それを見ることができれば、どんな願いでも叶うという。
そんな話を聞くと、大抵の奴はそれは単なる言い伝えで、そんなものが現実に存在しているとは思わないだろう。
……しかし、一部の人間だけは知っている。その伝承は本物で、そしてその青い桜は1人の少女の力によるものだと。
「1年ぶりだね? 風切 直哉。……うん。君は変わって無いようで、安心したよ」
……まるで本物の桜のような薄いピンクの髪を風になびかせて、少女、青桜 ささなは、蕩けるような笑みを浮かべる。
「俺は……変わったよ。お前と最後に会ってから、もう1年近く経ってるんだ。だから、変わって無いように見えるのなら、それはお前が変わって無いからだよ。……ささな」
俺はいきなり現れたささなに、ドキドキと跳ねる心臓を押さえつけながら、そう言葉を返す。
「ううん。君は何も変わって無いよ。だって私は、ずっと見ていたからね」
「……見ていたのなら、分かるだろ? 去年と今とじゃ、全然違う。俺自身も、そして……俺の周りも」
「うん。ずっと仲違いしていた、朱波 鏡花と葛鐘 玲。彼女たちと、仲直りできたみたいだね。うん。凄く懐かしいな。もう何年も、2人とは会えていないよ。特に朱波 鏡花と会ったのは、君たちが小学生の時が最後だからね」
「……別に元々、仲違いしてた訳じゃ無いけどな」
鏡花と玲とは同じ地獄を見て、そして俺たちはその地獄を忘れる為に距離をとった。だから俺たち自身が、仲違いをしていたわけでは無い。
「うん。でもどちらにせよ、ずっと話していなかった2人とまた話すようになった。まるで止まっていた時間が、動き出したみたいに。……点崎 美綾。彼女が君に関わるようになってからだね? 少しずつ、君たちの時間が動き出したのは……」
「その表現は大げさだな。俺たちはただ、別々の時間を積み重ねていただけだ」
「うん。それでも、彼女が君に大きな影響を与えているのは確かだ。……ねえ、風切 直哉。君は、点崎 美綾のことが好きなのかい?」
「…………」
俺はその問いに、答えを返せない。
「ふふっ、答えなくても答えは分かっているよ。君はまだ、私が好きだ。あの約束の通り、君はずっとずっと……私のことが好きなんだ。だから君は、何も変わってなんかいないんだよ」
ささなの瞳が、とても愛しい者を見るように細められる。その笑みは愛する者の愛しい笑みの筈なのに、俺はなぜか視線を逸らしてしまう。
「…………それよりどうして今日、出て来たんだよ。今はまだ6月だぜ? お前が姿を現わすには、ちょっと早いんじゃねーの?」
「別に私は、暦に縛られているわけでは無いからね。まあ、多少無理はしているのだけれど……。でも、君との約束の期間が残りわずかだから、その話を君としておきたかったんだよ」
ささなはそう言って、笑う。彼女はいつだって、蕩けるように溶け込むように、笑い続ける。
「約束には、まだ早いだろ? 約束の期日は、俺が18になるまで。……つまり、来年の9月22日までだ。だから時間はまだまだ、1年以上ある」
「たったの1年と少しだろ? 君はそれだけの時間で、私より愛しいと思える人間を見つけられるのかな。君が私に向けてくれる愛情は、そんなに軽いものじゃ無い筈だ。……君だってあの激しい激しい夜を、忘れたわけじゃ無いんだろう?」
「…………」
俺はまた、答えに詰まる。だってそれは、その通りだから。俺は他の誰より、彼女のことを愛している。
……しかしそれと同じくらい、俺は彼女を憎んでいるのだが……。
「ふふっ、君は相変わらず可愛いね。そんな君だから、私は他の誰よりも君を──」
そこでふと、ささなの姿が霞む。まるで水に落ちた絵の具のように、彼女の存在がゆらゆらと世界に溶け込む。
「……うん。やっぱり無理はいけないね。君があんまり楽しそうで、とても浮かれているようだから、思わず出てきてしまったけれど、やっぱりまだ少し早かったらしい」
ささなは夕焼けに手を透かして、どこか懐かしむように太陽を眺める。
「……なあ、ささな。今年は多分、去年までとは全く別の夏になる。……今まではずっと、2人っきりの夏を過ごしてきたけど、多分今年はそうはならない」
「うん。だろうね。私も、久しぶりに朱波 鏡花や葛鐘 玲と話せるのが楽しみだよ。……そして何より、点崎 美綾。彼女と話せるのが、1番の楽しみだね。きっと彼女は、私の1番のライバルになるだろうからね」
「ライバル、ね。……まあ何にせよ、今年も楽しい夏になる筈だ。だから今年こそは、見つけてみせるよ。お前より……愛しい誰かを」
「うん。楽しみにしているよ」
そんな一言を残して、ささなの姿がこの場から消える。まるで夢でも見ていたかのように、彼女の姿がこの世界から完全に消えてなくなる。
「…………」
青桜 ささな。その少女について、俺が知っていることは少ない。彼女がどういった存在で、どうやって存在しているのか。どれだけで手を尽くしても、それを理解することはできなかった。
……でも、別に俺が彼女の全てを理解する必要は無い。俺が彼女について覚えておかなければならない事は、たったの3つだけ。
1つは、彼女は秋……旧暦での秋なので、今でいう夏になると姿を現わすということ。
もう1つは、俺と彼女がとても大切な約束を結んでいるということ。
そして最後の1つは、
俺が彼女を
──殺してしまったということ。
あの夏。俺は青い桜の下で、蕩けるように笑う1人の少女と出会った。そして俺は彼女に恋をして、最後に彼女の命を奪ってしまった。
幼馴染の鏡花より、許婚の玲より、俺はずっとずっと彼女が好きで、でもだからこそ俺は……。
「……帰るか」
長くなりそうだった思考をその一言で振り払い、俺はいつも通り帰路につく。夕焼けはいつのまにか暮れていて、辺りはすっかり暗くなっていた。
そしてふと頬を撫でる風は生暖かく、すっかり夏の色を帯びている。だから今年も当たり前のように、夏がやってくるのだろう。
……夏になると帰ってくる、夢のような少女を引き連れて。
この街には、青い桜の伝承がある。この街のどこかにその桜は咲くとされ、それを見ることができれば、どんな願いでも叶うという。
……しかし、願いには代償が伴う。奇跡には対価が求められる。そして何より、願いを叶えられるのは……選ばれた人間だけ。それ以外の人間が奇跡を望めば、その代償は……。
「まあしかし、それでも俺がやることは変わらない。俺はこの夏こそ、絶対に恋人を作ってみせる」
結局、俺にできるのはそれだけ。俺はささなとの約束を果たす為、彼女より愛しいと思える人間を見つけなければならない。
だから、まだ時間があるだなんてとんだ甘い考えだった。俺は今年こそ絶対に、恋人を作ってみせる。
「……よしっ、やってやるか!」
そう覚悟を決めて、前へと進む。
そうして、長い長い夏が始まった。
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